――「東電OL殺人事件」は、まるで宿縁で結びつけられているかのような展開になりましたね。
去年は僕も被災地を取材した東電の福島第一原発事故が起こり、くしくもその夏、ゴビンダ元被告の再審開始を決定づけるDNA鑑定の新証拠が見つかった。再審の道はかならず開かれると確信していましたが、急転直下、即日釈放されるとまでは予測しなかった。日本の司法は、このままでは信頼が地に落ちるという危機感を持ったのだろうが、殺された東電OLが放ち続ける「磁力」とゴビンダの屈強な精神力が合わさって、この結末を生んだのだと思う。
――最近は、「平成の毒婦」と呼ばれた木嶋佳苗被告に死刑判決がくだった連続不審死事件を取材されています。この事件の背後からはなにが読みとれましたか。
法廷は茶番劇さながら。すべてが彼女の=嘘(うそ)で塗り固められているようにしか思えなかった。彼女が語った真実は自分の名前だけだったんじゃないかな。
彼女は幼いころの性的虐待などのトラウマがあって人格がゆがんだわけではない。家庭環境を調べても裕福だし文化水準も高い。人をだます天性の資質が、インターネットのデジタル世界を触媒として、モンスターへ肥大化していったということなんでしょう。
――デジタル世界が彼女の犯罪の温床になったわけですか。
デジタル世界は、生身の僕らが生きているアナログ世界を秩序づける、いわば価値の「等高線」を消し去って、すべてをフラットで等価なものにしてしまう。その世界で、木嶋佳苗は婚活サイトに群がる孤独な男たちを冗舌に手玉にとったわけだけれど、その言葉も安物のハーレクイン・ロマンスを「コピー&ペースト」した借り物にしかすぎなかった。
ゲームをリセットするかのように、殺意の「沸点」も異様に低い。視点によっては、殺意がなかったようにも思える。犯罪のありようがグロテスクな次元へ移り変わった気がしてならないのは、いまの日本が、異様な社会状況になった証しということでしょう。
――「東電OL殺人事件」のころは、そうではなかった?
東電OLは痛々しいまでに「身体性」の塊なんです。売春のために円山町の路上に立ち、足をくじいたときは松葉づえをついて客を引いた。近くのコンビニでおでんを買うときは汁をたっぷり入れてもらい、ハンペンやコンニャクばかり食べていた。最終電車に乗って、暗い夜道にハイヒールの音を響かせて母と妹が待つ家路につくときの心は修羅そのものです。
しかし、木嶋佳苗にはそういった身体性がみじんも感じられなかった。僕はこれを、この15年で日本の社会が急激に劣化してしまったことの反映とみています。
――そういった業の深い事件や、正力松太郎から中内功、ソフトバンクの孫正義社長にいたる、ひと筋縄ではとらえきれない人物ばかり描いてこられました。題材はどうやって選ぶのですか。
僕は「過剰な人」に無性に引きつけられるんです。つまり、本能のエネルギーが内面からあふれすぎてしまい、自分の手に負えなくなってしまった人といえばいいかな。エネルギーを持てあますあまり、やらなくていいことまでやってしまう。それは正力松太郎も東電OLもそうだし、とくに中内功はその典型だったと思う。だから、ナベツネ(渡辺恒雄・読売新聞グループ本社会長・主筆)には触手が動かない。官僚的で如才がなさすぎる。露悪的だけど単なるポーズのような気がするのでね。
孫正義伝も、在日韓国人の父親に会ってみたら、まさに「過剰な人」だったから書く気になった。養豚と密造酒づくりから始めて九州一のパチンコ王にのしあがった。気性は荒いが純粋な人物でした。流血の殴りあいをするほど一族が不仲で、「血はうらめしか」と嘆いていたけれど、まさにその一族の「血と骨」の物語が孫正義の人格をつくりあげている。
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