よどんだ淫風が地をはう円山町のラブホテル街は、東京のJR渋谷駅からさほど離れていないのに、都会の人造のはなやぎとは隔絶された路地裏の迷宮になっている。
1997年に起きた「東電OL殺人事件」の取材で足かけ3年、ここに通いつめた。
円山町の木造アパートの1室で、当時39歳の女性が絞殺された。彼女は本社の副長の肩書のある東京電力社員でありながら、夜ごとラブホテル街でゆきずりの男にやせぎすの体をひさいでいた。その落差のありすぎる堕落の物語に引きずりこまれたのだ。
事件の犯人とされ、無期懲役刑が確定していたネパール人のゴビンダ・プラサド・マイナリ元被告の「冤罪(えんざい)」もいちはやく確信した。新証拠が去年、DNA鑑定で突きとめられ、今月7日、ついに再審が認められた。
「6月7日は殺された東電OLの誕生日なんです。僕はあらためて、彼女の闇の「磁力」のすごみを感じました」
再訪した現場でたたずむ姿は、鎮魂の儀式を執りおこなう祭司のようにも見えた。
生まれ育ったのは東京の下町。初孫だったために粋人の祖父に溺愛(できあい)され、小学生のころから浅草で酒の味や映画、演芸の享楽を仕込まれた。
大学を出て、まともな定職につけたのは1年半だけ。暴力団組長がオーナーのタウン紙の記者や、学習雑誌の原稿書きなどの下積みをへて、34歳のとき、「ニッポンの性」をテーマにした探訪記「性の王国」で正統派ノンフィクション作家の地歩を築いた。
読売新聞の正力松太郎やダイエーの中内功、石原慎太郎らの「怪物」たちを顕微鏡をのぞいて解剖するように取材しながら、ノンフィクションの王道を独走する。今年もすでに、ソフトバンクの孫正義社長の評伝「あんぽん」と、木嶋佳苗被告に死刑判決がくだった連続不審死事件のルポ「別海から来た女」を出版した。細密な取材のペースは円熟とともに加速しているようだ。
根底で追い求めているテーマは「高度経済成長」だという。そう見きわめられたのは約20年前、「山びこ学校」を取材していたころだ。
「山びこ学校」は、無着成恭が山形県の中学校教師だった1951年、農村の暮らしがありのままに記録された学級文集をまとめ、ベストセラーになった本だ。無着の当時の教え子43人のその後の人生を追跡しながら、庶民の戦後史を描こうとしたのである。
「名もなき大衆のほとんどが下積みのまま、高度経済成長の日のあたらない底流に埋もれていることをそのとき痛感したんです。これは終生、手放してはならないテーマだと思い知らされた」
そのルポ「遠い「山びこ」」のあとがきで、東北人だった亡父を追憶している。 乾物屋を商った父は婿養子で、ただ寡黙に働くために生まれてきたような男だった。亡くなって火葬場で拾われた骨は、親類が感嘆の声をあげるほど太かったという。
わが身に流れるその血を、いまも誇らしく思っている。
1947年、東京・葛飾に生まれる。男ばかり3人兄弟の長男。早稲田大学文学部在学中は映画監督をこころざし、「稲門シナリオ研究会」に入った。OBに今村昌平さん、後輩には村上春樹さんがいた。
大学卒業後、新興の音楽出版社に入社。編集を手がけた「原色怪獣怪人大百科」が100万部を超えるベストセラーになったが、労組を結成したため1年半で解雇された。その後、フリーに転身する。
97年、民俗学者宮本常一とパトロン渋沢敬三の生涯を日本の近代化と交錯させた「旅する巨人」で大宅壮一ノンフィクション賞、2009年には「甘粕正彦 乱心の曠野(こうや)」で講談社ノンフィクション賞を受賞。作品は労作の大著ばかりだ。「あんぽん」の編集者だった小学館「週刊ポスト」編集部の柏原航輔さんは「終始一貫して予定調和なき取材でした」という。
家族は同い年の妻と会社員のひとり息子。イモ、ガーフィールド、アプと呼ぶ3匹の飼いネコ不在の生活は想像できないという愛猫家だ。
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