吹奏楽
「全然ダメだ」「よくなったね」。生徒の奏でる音に耳を澄まし、よく叱り、よく褒める。今年の全日本吹奏楽コンクール、全日本マーチングコンテストで金賞に輝いた福岡市の精華女子高校吹奏楽部。146人の大所帯は常に人が動き、練習中も勝手に譜面台を運んだり、部屋を出て楽器を変えたりする。「指示を待たず、自分で考えることが大事」なのだという。
福岡県久留米市出身。吹奏楽は中学時代に始めたが、のめり込んだのは福岡大付属大濠高校1年のとき。ホルンで出場した全日本吹奏楽コンクールがきっかけだった。曲を完成させるまで練習を積み、自分たちの演奏に感動した。
音楽で生きていこうと、武蔵野音大音楽学部器楽科に進み、卒業後は東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団でホルン奏者になった。演奏依頼も多く、順風満帆に見られたが、才能があるうえ、英才教育を受けたプロの奏者と渡り合う重圧は大きかった。
そんなとき、高校時代の指導者に「精華女子を吹奏楽で盛り上げないか」と誘われた。この仕事なら音楽が続けられると二つ返事で受けた。大学時代、何となく取っていた教員免許が役立った。
赴任した1980年、吹奏楽部の生徒は5人。レベルを上げようと基礎練習を繰り返し、技術を教え込もうとしたが、生徒はついてこない。「自分が受けてきたような音楽の専門的な教育をやろうとしていた」と振り返る。
転機は、88年に受けたマーチングの講習会。米国で高校生を対象に発展したマーチングの方法論は「わかりやすく楽しく、目標を共有する」というものだった。練習も部員も少しずつ変わっていった。2年後、初めて全日本吹奏楽コンクールに出場した。
2000年ごろ、強豪校を研究して同じ曲を同じように演奏することをやめた。「まねでは本物を越えられない。自分たちにあった曲、やりたい曲をやろう」。やがてダイナミックな精華サウンドが作り上げられた。
いま目指しているのは、吹奏楽部という組織の中で生徒一人一人の良さを引き出すことだという。卒業後の進路は楽団員を始め、雑誌編集者や劇団員などさまざまだ。「演奏が得意な子だけでなく、文章が得意な子や盛り上げ役の子がいる。みんな吹奏楽部に必要な人材。ここで育った人間が、何かを成し遂げてくれたら幸せ」。そう話す。
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全日本吹奏楽コンクールは出場16回で金賞7回、全日本マーチングコンテストは出場13回すべて金賞、海外大会で世界一にもなった精華女子高校吹奏楽部。創部2年目から顧問を務め、全国区の強豪校に育て上げた。朝夕合わせて4時間半、休日も返上してほぼ毎日練習につきあう。OGに聞くと、練習に向かう姿勢は昔から変わらないという。「好きだから疲れない。指導者も楽しまないと、生徒も楽しくできないでしょ」。本人の言葉に音楽への熱い情熱を感じた。(滝沢文那)
吹奏楽用にアレンジしたクラシック有名曲を集めたコンピ盤。吹奏楽コンクール全国大会出場の実力校のライブ録音と、同じ曲のオーケストラ版の2枚組