表現でメシを食うということ—器用な妥協と比率の問題

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2012/12/12


僕は自分の仕事をアーティスト的だと思っています。現に文筆活動で食っているので、まぁ客観的に見てもそれは事実かな、と思います。


100%の表現者にはなれない

ただ、僕は自分を「アーティスト」だと言い切ることがまだできていません。なぜかというと、アーティスト的な創作活動は、僕の仕事の中でせいぜい20%ぐらいの比率にしかすぎないからです。


このブログひとつとってもそうで、この記事なんかは創作・表現に恐らく当てはまりますが、例えば、

「LINE五輪ニュース速報」がミサワスタンプを誤送信
DeNA創業者も絶賛のニュースアプリ「SmartNews」が確かにすごい
日報を楽しく簡単にするサービス「gamba!」

なんて記事は表現というよりは、単なるニュースで、表現とは言いがたいわけです。サイト全体を見ても、表現的といえるのはコンテンツの2割程度だと思います。


本当は個人ニュースサイトなど運営せず、100%、自分の表現だけで食べていきたいと僕は願っています。が、それじゃ食っていけないので、僕はニュースコンテンツを扱っています(もちろん自分が好きなもの、応援するものを紹介するのは楽しいのですが、それは自分を「これは楽しい仕事だから」と納得させているだけのようにも感じています)。

そういう僕の態度がアーティストを目指す人間として、不埒で不純かというと、特段そんなこともないと思います。たまに匿名おっさんから「イケダが表現者だなんてチャンチャラおかしい」とかDisられるんですが、そういう発言をする彼らは何もわかってません。


はじめから「100%の表現者」でいられる人は、ほんっとうに優れた作品をつくる力があり、たまたま時代に恵まれた一握りのアーティストです。

アーティストというキャリアに一般的なのは、ある程度妥協をしながら、自分の仕事のアーティスト的な部分の比率を、徐々に高めていくスタイルだと僕は考えます。

例えば、僕は今はアーティスト的な部分が20%程度ですが、もっと表現力を磨き、コンテンツを蓄えれば、数年後には50%ぐらいに引き上げることができるかもしれないのです。そうなったときは、サイト名は「ihayato.news」ではなく「ihayato.words」なんてタイトルに変えようと思っています。


いいかえれば、表現者を本気で目指そうと思うなら、ほとんどの場合、器用に妥協する必要があるということです。原則、表現は儲かりません。霞を食って生きるわけにはいかないのです。僕の場合は「ニュースを扱う」「コンサルティングを行う」という、(幸いにして)楽しく有益な妥協を行っています。


表現で食べていく方法はさまざまだと思いますが、僕はこの「表現者である割合を徐々に増やしていく」アプローチがもっとも現実的だと思います。いい作品を作るためには、ある程度の金銭的余裕も必要なのです。かのフランツ・カフカなんて、生涯公務員やりながら、あれだけの作品を残しているわけですから。

…と、売れない作家として自己肯定的に書いてみました。表現で食べていきたいと思う方の参考になれば幸いです。


関連本。カフカの生き方ってアーティストを目指す人にはとても参考になるはず。