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先週のゲスト訪問前に、自動投稿するために書いた記事でしたが、
PCモニターの故障で記事が中途半端になってしまってたものデス。
このネタの締め切りも近いので、
前の記事と合わせてちょいと連続記事アップです。ウフ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
5年前といえば、2006年・・・。
そしてそんな2006年8月といえば、うちの夫が両親と初めて顔合わせすべく、
2回目の来日の真っ最中でした。
その3ヶ月前に私と夫は初めて会い、結婚することを決めてから早々に、
「ポッポの両親に挨拶するために、ポッポの育った町を見るためにまた日本に来る」
と言ってやって来た夫でした。
当時、まだ働いていたポッポだったので、
夏の休みといえばお盆時期という、とんでもなく暑いときでしたが、
まぁそんな、ある意味貴重な日本の夏を味わい、いろんな人たちに出会い
満喫した2回目の来日だったと思います。
といわけで、そんな当時のことをこの曲と共にぜひ・・・。
やっぱりコレぢゃないかしら?
「16小節のLOVE SONG」。
あ、正しくはcobaさんの「過ぎ去りし永遠の日々」デス。
゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚
5年前の自分へ
当時は、今ではとても信じられないような乙女っぷりの自分でしたね。
例えば、来日する夫の飛行機が墜落しやしないか、もし墜落したらどうするのかなどと、
それはもう、相当マジ密かに心配してました。
だから、夫の飛行機が着陸したというサインを見たときは、ホントに安堵しましたよ。
そして夫が出口から出てきたときは、あー私の素敵なカレだわ☆とホロっときました。
さて、そんな素敵なカレとうちの両親が初めて顔を合わせたときは、
4人ともなぜか、リビングでずっと立ち話でしたね。
そしてやれドイツの天気はどうだとか、日本の夏はどうだとか、
なぜか天気のことを延々と話し、時折流れる沈黙・・・
そんなぎこちない初対面も、今では本当に懐かしい思い出です。
初対面のあとに行った焼肉屋で、なかなか箸の進まない素敵なカレをとても心配した自分。
しかし、それは単に超猫舌だったからと知った結婚後。そら、焼きたてなんて食えんわな。
1週間強の滞在中、回転寿司屋に3回も行き、満面の笑みで寿司をガッツリ食らう素敵なカレに、
日本食ラブで良かった☆と満足気だった自分。
今じゃすっかりメタ腹な夫。
いや、実は当時の方が今よりももっとメタ腹で、こっそり母が言ってましたね。
「カレのお腹、やっぱりビール?」
・・・
薄着だと分かるよね、やっぱり。orz
そして、叔父の家での母方の親戚との顔合わせでは、
ナニゴト?かと思うくらい超モテモテだった素敵なカレでしたね。
母は姉妹が多く、いわゆるヨン様ファンみたいな叔母たちばかりで、
青い目に若干金髪が混じった素敵なカレは、まるでハリウッドスターを見るかのような視線を浴び、
そんな光景に私は少々引きながらも、嬉しいような照れくさいような、
これまたハリウッドスターの妻になる気分でした。・・・ほんのちょびっとだけですがな。
ま、でもこちらでは「いち田舎びと」ですがなにか?
そして、そんなやっかましいひとときの中で、
一言も話しかけることなく、はしゃぐ私たちをじっと見つめていた、今は亡き祖父。
実はもう、その当時の祖父の容態は芳しくなく、
そのときも携帯の呼吸器を付けて、叔父の家に来てくれましたね。
そして翌年の2月、亡くなりました。
私がドイツへ旅立つ前に計画した、翌月の身内だけの結婚パーティーまでもってくれないかと、
少し期待してました。
大勢いる孫たちの中で、孫娘としては一番目だった自分。
思えば、そんな自分が祖父から貰った愛情は、他の孫たちよりもちょっとだけ大きかったと、
今になって思い出す祖父とのひととき。
見せられなかった花嫁姿が残念でした。
祖父と私の素敵なカレが初めて対面したあの日、
そしてそのとき皆で撮った集合写真が、祖父にとって最後の写真となり、
それがまた遺影となり、しかも集合写真が葬儀会場にデカデカと飾られ、
いろんな人たちから、あの素敵なカレは誰なの~?と聞かれまくった祖父の葬儀。
でも、葬儀会場の人が
「素敵な写真だったから、ぜひ飾りたいと思ったんですよ。何よりのお祖父様孝行じゃないですか」
と声をかけてくれたときは嬉しかったです。
なんだか話がすっかり飛んでしまいましたが、
5年前の、素敵なカレの来日2回目から祖父のことまで、いろんな出来事が繋がってましたね。
あのときの素敵なカレは、夫となった今も相変わらず猫舌でメタ腹で
2年前の里帰りでは、これまた相変わらずなモテぶりでしたが、
あのときと変わらず、ポッポを大事にしてくれる素敵なカレのままです。
だからもし、これから5年後、また自分への手紙を書くとしたら、
最後の文章はやっぱり同じでしょう。
あのときと変わらず、ポッポを大事にしてくれる素敵なカレのままです。
と。
先週のゲスト訪問前に、自動投稿するために書いた記事でしたが、
PCモニターの故障で記事が中途半端になってしまってたものデス。
このネタの締め切りも近いので、
前の記事と合わせてちょいと連続記事アップです。ウフ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
5年前といえば、2006年・・・。
そしてそんな2006年8月といえば、うちの夫が両親と初めて顔合わせすべく、
2回目の来日の真っ最中でした。
その3ヶ月前に私と夫は初めて会い、結婚することを決めてから早々に、
「ポッポの両親に挨拶するために、ポッポの育った町を見るためにまた日本に来る」
と言ってやって来た夫でした。
当時、まだ働いていたポッポだったので、
夏の休みといえばお盆時期という、とんでもなく暑いときでしたが、
まぁそんな、ある意味貴重な日本の夏を味わい、いろんな人たちに出会い
満喫した2回目の来日だったと思います。
といわけで、そんな当時のことをこの曲と共にぜひ・・・。
やっぱりコレぢゃないかしら?
「16小節のLOVE SONG」。
あ、正しくはcobaさんの「過ぎ去りし永遠の日々」デス。
゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚
5年前の自分へ
当時は、今ではとても信じられないような乙女っぷりの自分でしたね。
例えば、来日する夫の飛行機が墜落しやしないか、もし墜落したらどうするのかなどと、
それはもう、相当マジ密かに心配してました。
だから、夫の飛行機が着陸したというサインを見たときは、ホントに安堵しましたよ。
そして夫が出口から出てきたときは、あー私の素敵なカレだわ☆とホロっときました。
さて、そんな素敵なカレとうちの両親が初めて顔を合わせたときは、
4人ともなぜか、リビングでずっと立ち話でしたね。
そしてやれドイツの天気はどうだとか、日本の夏はどうだとか、
なぜか天気のことを延々と話し、時折流れる沈黙・・・
そんなぎこちない初対面も、今では本当に懐かしい思い出です。
初対面のあとに行った焼肉屋で、なかなか箸の進まない素敵なカレをとても心配した自分。
しかし、それは単に超猫舌だったからと知った結婚後。そら、焼きたてなんて食えんわな。
1週間強の滞在中、回転寿司屋に3回も行き、満面の笑みで寿司をガッツリ食らう素敵なカレに、
日本食ラブで良かった☆と満足気だった自分。
今じゃすっかりメタ腹な夫。
いや、実は当時の方が今よりももっとメタ腹で、こっそり母が言ってましたね。
「カレのお腹、やっぱりビール?」
・・・
薄着だと分かるよね、やっぱり。orz
そして、叔父の家での母方の親戚との顔合わせでは、
ナニゴト?かと思うくらい超モテモテだった素敵なカレでしたね。
母は姉妹が多く、いわゆるヨン様ファンみたいな叔母たちばかりで、
青い目に若干金髪が混じった素敵なカレは、まるでハリウッドスターを見るかのような視線を浴び、
そんな光景に私は少々引きながらも、嬉しいような照れくさいような、
これまたハリウッドスターの妻になる気分でした。・・・ほんのちょびっとだけですがな。
ま、でもこちらでは「いち田舎びと」ですがなにか?
そして、そんなやっかましいひとときの中で、
一言も話しかけることなく、はしゃぐ私たちをじっと見つめていた、今は亡き祖父。
実はもう、その当時の祖父の容態は芳しくなく、
そのときも携帯の呼吸器を付けて、叔父の家に来てくれましたね。
そして翌年の2月、亡くなりました。
私がドイツへ旅立つ前に計画した、翌月の身内だけの結婚パーティーまでもってくれないかと、
少し期待してました。
大勢いる孫たちの中で、孫娘としては一番目だった自分。
思えば、そんな自分が祖父から貰った愛情は、他の孫たちよりもちょっとだけ大きかったと、
今になって思い出す祖父とのひととき。
見せられなかった花嫁姿が残念でした。
祖父と私の素敵なカレが初めて対面したあの日、
そしてそのとき皆で撮った集合写真が、祖父にとって最後の写真となり、
それがまた遺影となり、しかも集合写真が葬儀会場にデカデカと飾られ、
いろんな人たちから、あの素敵なカレは誰なの~?と聞かれまくった祖父の葬儀。
でも、葬儀会場の人が
「素敵な写真だったから、ぜひ飾りたいと思ったんですよ。何よりのお祖父様孝行じゃないですか」
と声をかけてくれたときは嬉しかったです。
なんだか話がすっかり飛んでしまいましたが、
5年前の、素敵なカレの来日2回目から祖父のことまで、いろんな出来事が繋がってましたね。
あのときの素敵なカレは、夫となった今も相変わらず猫舌でメタ腹で
2年前の里帰りでは、これまた相変わらずなモテぶりでしたが、
あのときと変わらず、ポッポを大事にしてくれる素敵なカレのままです。
だからもし、これから5年後、また自分への手紙を書くとしたら、
最後の文章はやっぱり同じでしょう。
あのときと変わらず、ポッポを大事にしてくれる素敵なカレのままです。
と。