社会を軽蔑しながら、社会から評価されるというクールな生き方

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2012/12/10


中島義道氏の「働くことがイヤな人のための本」にグサッとくる言葉が載っていたのでご共有。


芸術家に許される特権的な復讐

おびただしい人々が芸術家に憧れるのは、私の考えでは、好きなことができるということのほかに、まさに社会を軽蔑しながらその社会から尊敬されるという生き方を選べるからなんだ。社会に対する特権的な復讐が許されているということだね。

だが、その許された生活を続けるには、復讐のために選んだ仕事において成功しなければならない。それは文字通り背水の陣であるから、それに成功しないとき、もうあとはないんだ。そして、残酷なことに、成功しない場合がほとんどである。

まさにズバリと言い当てられてしまい、冷や汗が出る思いです。「社会を軽蔑しながらその社会から尊敬されるという生き方」、僕はここに憧れを見いだしますし、目指している姿な気がします。

世俗への皮肉をたっぷり作品に込めたマーラーをはじめ、僕が尊敬するアーティストは「社会を軽蔑しながら社会に評価された」タイプが多い気がします。この憧れってなんなんでしょうね。中二病的なのかもしれない。

しかし、中島氏が書いているように、この道は背水の陣です。社会から認められないとき、待っているのは行き場のないどん詰まりです。

ここでも生きる道は絶たれた。それでは、最後のもっと大きな賭けに出ることにしよう。いっそ寺にでも入ろうか?修道院にでも籠もろうか?真理を求める放浪の旅に出ようか?しかし、勇気がない。決断できない。また失敗するのが怖い。では、死ぬしかないのか?しかし、ひとつ踏ん切りがつかない…。

ここで終点だね。少なからぬ者が、この段階で安楽死を勧められれば、頷くと思うよ。

ここもグッサグッサきます。僕もブロガーで食べていけなくなったら、修道院にでも籠もろうかと考えたことがあります笑 とはいえ妻子もいますし、この商売が立ち行かなくなったときは、現実的にはサラリーマンに戻り、自分の負けを認めたくても認められず、そのうち自分を幸せだと納得させ、幸せに生きていくのでしょう。そのくらいの器用さは、たぶん、悲しいことに持ち合わせています。そういう器用な人間だからこそ、二流に留まってしまうのかもしれませんね…。


「働くことがイヤな人のための本」はその名の通り、働くのがイヤな人に向けて書かれた本なので、悩める方はぜひ。でも、答えは載っていないのでご注意を。堂々巡りに陥るだけかもしれません。