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【芸能・社会】勘三郎さん通夜に700人参列2012年12月11日 紙面から 5日に急性呼吸窮迫症候群のため57歳の若さで亡くなった歌舞伎俳優、中村勘三郎さんの通夜が10日、東京都文京区の自宅でしめやかに営まれた。野田秀樹、大竹しのぶ、宮沢りえ、嵐の松本潤、寺島しのぶ夫妻、富司純子、山田洋次監督、中村獅童、田畑智子、中村吉右衛門ら約700人が参列した。 勘三郎さんの棺は自宅一階のリビングに安置され、棺の上には「船弁慶」の前半で身に着ける静御前の衣装がかけられた。遺影は長男の中村勘九郎(31)の結婚式で撮影した黒のタキシード姿の写真が中央に掲げられた。 周囲には妻・好江さんとの記念写真や、楽屋でミッキーマウスとツーショットで撮った写真も飾られた。勘三郎さんが大好きだった赤ワインのボトルや小皿に盛られたカレーライス、勘三郎さんの訃報を伝えたニューヨーク・タイムズ紙、NYリンカーンセンターや同アクターズスクール、公演したことのあるルーマニア・シビウの演劇プロデューサーらからのメッセージも置かれていた。300以上の白い枕花も。 喪主の長男・勘九郎と次男の中村七之助(29)は京都・南座で舞台出演のため、通夜と11日の葬儀共に参列せず、舞台と観客を大切にした偉大な父の教えを守る。妻の好江さんが喪主代理を務める。本葬は、あらためて行われる。 勘三郎さんの通夜は東京都台東区竜泉にある西徳寺の僧侶が務めた。先代の17代目勘三郎さんも眠る中村屋代々の菩提寺で、勘三郎さんも同寺に納骨されるとみられる。 ▼主な弔問客 中村福助、野田秀樹、大竹しのぶ、宮沢りえ、三田寛子、沢村田之助、松本潤、中村錦之助、山田洋次、中村又五郎、中村吉右衛門、寺島しのぶ夫妻、尾上菊五郎、尾上菊之助、富司純子、中村梅玉、田畑智子、中村獅童、長嶋茂雄、中村嘉葎雄、古田新太、市川猿之助、水谷八重子、篠山紀信、岩城滉一、松本幸四郎、市川染五郎、坂東三津五郎、中村歌六、串田和美、津川雅彦、三宅健、尾上松緑、橋爪功、渡辺えり、蒼井優、生田斗真、生田竜聖アナウンサー、鈴木京香、梶原善、小日向文世、秋山菜津子、松たか子、日比野克彦、片岡仁左衛門夫人、市川団十郎夫人、清元延寿太夫、日枝久(フジテレビ会長)、迫本淳一(松竹社長)=順不同、敬称略 ◆松本潤「息子のようにかわいがってくれました」中村七之助と高校の同級生で、家族ぐるみのつき合いがある嵐の松本潤(29)は、「僕ら同級生を自分の息子のように、わけへだてなくかわいがってくれました」と勘三郎さんへの感謝を涙ながらに語った。 勘三郎さんは、アイドルとして活動する松本をいつも見守っていた。「まったく違う世界ですが、勘三郎さんは『みんな一緒だよ。みんなで一緒に頑張ろうよ』と言ってくださった。僕が舞台をやったときには、楽屋に来て『頑張ってるか』と優しく声を掛けてくれて…」。頼れる父親のような存在でもあったという。「仕事のことも、プライベートのことも相談していました」 それだけにショックは計り知れないようだ。松本は「(思い出が)いろいろありすぎて…。いろんなことを教えていただいたし、時にはしかってくれた」と声を詰まらせ、勘三郎さんにかける言葉は、と聞かれると「まだかけられないです」と涙を浮かべて言葉をしぼり出した。 七之助との友情についても「全力で支えることしか、僕にはできないと思います」ときっぱりと語った。 ◆水谷八重子「『鶴八鶴次郎』一緒にできてよかった」幼少時から勘三郎さんを知る新派の水谷八重子(73)は、「新派のことで、私がきつくいったときに『お姉ちゃん分かるよ、その気持ち分かるよ』といってくれてうれしかった。(亡くなったことに)早過ぎますよ。いつものように冗談をやっているんじゃないかと思います。『鶴八鶴次郎』を一緒にできてよかった。芝居のセンスがとてもいい、どんなに離れていても呼吸が分かる芝居をしていた。(2人の息子については、5日の)南座の口上をビデオで見た。お父さまが乗り移っているようでした。それが襲名ということだと思います」と話した。 ◆蜷川幸雄氏が会見「一緒に仕事できず残念」日本とイスラエルの俳優が共演し、11日に東京・池袋の東京芸術劇場で開幕するギリシャ悲劇の舞台「トロイアの女たち」の公開舞台げいこが10日、同所で行われ、演出の蜷川幸雄氏(77)が会見した。 イスラエルの俳優はユダヤ系、アラブ系がどちらも参加している。けいこ期間中はパレスチナ・ガザ地区での紛争が悪化し、停戦合意するという激動の日々だった。蜷川氏は「地上戦が始まったら(舞台を)やめようと思っていた」と明かし、「日本、ユダヤ系、アラブ系の(出演者の)人数を同じにした」と配慮を説明した。 「戦争で被害を背負うのは弱い人と女。紀元前から変わっていない」とギリシャ悲劇にいま挑戦する意義を語った蜷川氏は、「他者の苦労をみなで共有し、演劇を作っている。演劇にできることは、そういう場を作れることだと思う。それが今回の一番大きな経験だった」としみじみ話した。 また、亡くなった歌舞伎俳優の中村勘三郎さんについても語った。蜷川氏の昨年の舞台「たいこどんどん」は、数年前に映画の撮影所で、別の仕事で来ていた勘三郎さんと「一緒に仕事しようよ」と約束したが、勘三郎さんの病気のためかなわなかったという経緯がある。 「結局、直接的には一緒に仕事をできなかった」と残念そうに振り返り、「あんな天才的な俳優が…。歌舞伎に勘三郎さんがいなかったら大変だよ。あんなに華があって愛嬌(あいきょう)があって、うまくて…。若いからかわいそうだ」と、志半ばで亡くなった勘三郎さんをしのんだ。 PR情報
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