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【芸能・社会】

小沢昭一さん逝く 83歳 民衆芸能の研究も

2012年12月11日 紙面から

新村長就任式で来村者に手を振る小沢昭一さん=2004年3月27日、愛知県犬山市の博物館明治村で

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 個性的な脇役として活躍した俳優で、民衆芸能の研究でも知られる小沢昭一さんが、10日午前1時20分、東京都内の自宅で死去した。83歳だった。

 所属事務所によると、小沢さんは、1998年に前立腺がんが見つかり、以降は定期的に治療を続けていた。2010年にがんは、頸椎(けいつい)に転移、その後全身に転移。放射線治療を受けるなどして療養に励んだが、今年8月11日に都内の病院で受けた定期健診の際、体調不良や体力低下の診断により8月15日に入院した。8月25日に退院したものの、9月13日に再入院となった。体調の安定を待ち、10月22日に退院した後は自宅で静養を続けていた。1週間ほど前から容体が悪化し、最期は最愛の妻・英子さん(79)にみとられて帰らぬ人となった。

 関係者によると、前立腺がんが見つかってからは体調は徐々に悪くなっていったといい、最近は食欲もなく点滴を打つなどして病魔とともに過ごしていたという。がんが全身に転移してから相当な痛みもあったが、「本人は苦しいとか言わずに過ごしていた」という。

 小沢さんは、今年8月9日に大阪のサンケイホールで開かれた「米朝とやなぎ句会と落語会」に放送作家でタレントの永六輔(79)や俳優の加藤武(83)らと出席したのが公の場に姿を見せた最後だった。

 小沢さんは2004年3月、徳川夢声さん、森繁久彌さんに続き博物館明治村(愛知県犬山市)の村長に就任した。小沢さんの父・哲男さんが写真家の修業をしたという「高田小熊写真館」が新潟県上越市から移築保存され、縁が深かった。

 小沢さんは村長就任式で、「明治村をPRする歌を作ったらどうか」と提案。親友の永六輔さん(79)に作詞を依頼し、作曲と歌を自らが担当した。永さんは五所平之助監督が「明治はる あき」という明治村の映画を撮った時に手伝ったこともあり、快諾。小沢さんは「詞を読んだら、すぐ曲想が浮かんだ」と言い、演歌調の曲「明治村から」が出来上がった。♪前略 お元気ですか 今 明治村に来ています 父や母に逢いたくて…と歌っている。

 CDは「青葉繁れる」「人を恋うる歌」など明治時代の曲5曲と一緒にレコーディングされ、05年2月、コロムビアレコードから発売された。小沢さんは同年3月、開村40周年記念式典で生歌を初お披露目し、出席者から大きな拍手を浴びた。

 ◆小沢昭一(おざわ・しょういち) 本名・小澤昭一。1929(昭和4)年4月6日東京生まれ。早稲田大卒。俳優座養成所を経て、1951年に初舞台を踏んだ。川島雄三監督の「幕末太陽伝」や今村昌平監督の「にあんちゃん」など多くの映画に出演。特に性風俗を描いた今村監督の「『エロ事師たち』より 人類学入門」(66年)では、主人公を熱演して話題になった。

 劇団しゃぼん玉座を創設、一人芝居「唐来参和(とうらいさんな)」など井上ひさし作品を各地で上演。歌手としてステージにも立ち、コンサート活動を続けた。73年、ラジオの「小沢昭一の小沢昭一的こころ」がスタート。軽妙な一人語りが人気を集め、放送回数が1万回を超す長寿番組に。放送をまとめたCD集も発売された。

 各地に残る伝統芸、放浪芸の収集、研究にも力を注ぎ、レコード「日本の放浪芸」シリーズを制作した。著書に「ものがたり・芸能と社会」「小沢昭一的 流行歌・昭和のこころ」「小沢昭一座談」など多数。94年紫綬褒章、2001年勲四等旭日小綬章を受章したほか、菊池寛賞など多くの賞を受けた。04年には博物館明治村(愛知県犬山市)の村長に就任した。

 

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