2012年 12月 10日
原田です。 皆様から沢山のコメントや励ましのお言葉をいただき感謝しています。 ご支援くださる皆様、本当にありがとうございます。 今日12月10日は、三年前息子がJR新宿駅構内で災難に遭った日です。 息子の悲劇は、平成21年12月10日午後11時頃、突然やって来ました。 転職の歓迎会の帰路、突然見知らぬ学生たちから暴行を受け、駆けつけた駅員からも暴行を受けました。 息子は「今、暴行を受けている」と、必死で携帯電話から110番通報しました。 ところが、新宿駅西口交番から駆けつけた警察官に連行されたのは、息子の方でした。 その後、「あなたは被害者なんだから、署に行って、専門の刑事さんに話さなければならない」と、騙されて連行された新宿警察署では 「暴行の被害者」ではなく、「痴漢の被疑者」として夜通し取り調べを受けました。 息子は「自分は暴行を受けた被害者です」と何度も訴えましたが、3人の刑事は全く取り合わず、息子に自白を迫る取り調べを朝4時頃まで続けました。 当時、息子は英会話の勉強のためにボイスレコーダーを持ち歩いていました。 「お前、やましいことがあるから、詰所に来れないんだろう」と言われて、無理やり連行された新宿駅西口交番から、 「(録音で)録っておりますので、続けて頂けますか?」とお断りして録音を残していました。 息子のボイスレコーダーには、集団暴行によって傷ついた身体の手当もしていただけず、電話も許されず、一方的に男として最低の屈辱である「痴漢犯人」と決めつけられ、どんどん衰弱していく息子の様子が残されていました。 明日12月11日は、息子の三回目の命日となります。 正午から追善の法要を相営みます。 明日は、息子の好きだったチューリップの花を届けることができそうです。 明日の【ニコニコ生放送】 渋井哲也氏の「てっチャンネル」 14時30分から 【インタビュー特番】痴漢と疑われて「自殺」した青年の母は何を思うのか? を放送して頂くことになりました。 ご視聴、よろしくお願い申し上げます。 http://live.nicovideo.jp/watch/lv118330985 息子が急逝して1095日が過ぎました。 息子はきっと側にいて見守ってくれていると信じています。 これからも目撃者探しを続けていきますので、目撃された方、何か情報をお持ちの方、どうぞお知らせください。 ■
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■ボイスレコーダー 二杯目のお茶をすすめられたとき、それまであまり口を開かなかった菅原生活安全課課長が、「お母さん」と話しかけてきました。 「ボイスメモ、なんか、お持ちだったんですか、息子さん」 「あの、ボイスレコーダーが……実は、最初はなかったんですが、あとから牛込警察署の落し物係のほうに駅員さんが届けられて」 「そのボイスレコーダー、まだお持ちですか?」 「もちろん持っています。息子の遺品なので」 「あの、暴行、相互暴行の事実も捜査しているので、そういったことでもし役立つような内容があればですね、活用させていただければと思いまして」 私はとうとう本題が出てきたと思いました。 「もし、そのテープ、うちのほうでデータ―を取らせていただくことはできないですか?」 「データで取らせていただいて……」 「ええ」 「息子が言っていたとおり、たとえば階段にビデオカメラがないのであれば、立証することは無理なんじゃないですか。 階段を上っていたら、突然、腕を掴まれ、階段の下に叩き落とされ、頭を床に打ちつけられたということを、西口交番のHさんという警察官に、息子は訴えております。 が、それを立証できないんであれば、ボイスレコーダーをお貸ししても意味もないんではないですか? それとも、息子が打ちつけられているのは、どうもこのノートから見るかぎりでは、一番下のようなので、違う角度から探していただけないでしょうか」 「それは、いま、あの捜査してやっていますので」 「あの、お願いします。そうしないと、息子も浮かばれないと思いますので」 「録音をちょっと参考にということはしていただけない、提出していただけないということでよろしいんですか」 「いえ、あの息子が受けた暴行を立証する可能性があるのならば」 「僕が、私、なに入っているかわからないんで」 「そうですね」 「ええ、どういう話なのかっていうの、まったく知らないものですから」 「ご存知ない?」 「ええ、うちはぜんぜん聞いてないんで」 「あ、どういう事件だったかということはご存知……」 「いや、あのそのテープ、ボイスレコーダーの内容っていうのは、どういうのが入っているか知らないものですから」 「そうですか。でも、牛込警察署のほうではご存知かと思いますが」 「でも……」 しばらく、菅原課長と私の問答をみていた黄海副署長が、間に入ってきました。 「牛込署でも聞いていないんです。個人のプライバシーなんで」 その後も、ボイスレコーダーの提出を求められましたが、私はボイスレコーダーそのものの提出は拒否しました。 息子のボイスレコーダーは旧型のもので、ロック機能がついていません。 他意はなくても、うっかり消去してしまう可能性が大きく、実際、私も操作する際は、消さないようにボタンの位置に気を使っていました。 そして、なによりこのボイスレコーダーは息子の遺品です。形見のひとつです。無防備に「はい、そうですか」とお渡しする心境にはなれなかったのです。 ひととおりの質問を終え、次に場所を移し、新宿駅の現場を案内してもらうことになりました。私はその前に、息子が事情聴取を受けていた部屋を見せてほしい、と、お願いしました。 部屋の印象は、ガランとした空間の中に、机をはさんでパイプ椅子が向き合い、窓には鉄格子が掛けられていて、まるで牢獄のように見えました。 この部屋で、息子が社会的影響を気にしていた発言をしています。パイプ椅子を並べ、横たわる直前の会話です。 原田 任意同行なので、明日私が出勤することは可能なんですか? 刑事 ん? いまの段階ではまだ話がまとまってないからですね。 刑事 あのー、会社のほうは行かれて結構なんですけれど、ただほら、被害届を出すっていうことになれば……。 原田 そのあとでいいですか? 刑事 そのあと? 原田 ええ。 刑事 そしたらですね、わかりました。いま、あのうちのほうで扱っている制服の警官がいますからね、そちらのほうが扱いますのでね、そちらのほうに話してもらって。 原田 はい。 刑事 後日、まあ出頭してくださいってことで、そのときに被害届を作りますっていうなら、それでもかまわないと思います。 原田 それで、なんらかの不利は? 私のほうに被るっていう可能性は? 刑事 不利っていうのは、ないでしょうね。 原田 じゃあ、私がいまここで休養を取って、出勤して、そのあと被害届のほうの作成に移行することで、なんら社会生活に支障をきたさないという認識ですか? 刑事 それはー、申し訳ないんだけれども、それを扱う警察官のほうのやっぱり手続きの関係とか。 原田 ええ、ええ。 刑事 そちらのほうでちょっと、お話を聞いてもらうっていうかたちになります。 原田 それでこう、なんだろう。まぁ、話は悪いですけど、ニュースとかで見る、ゴシップとかで見るような、ドラマみたいな、職場に知らされたりみたいな……。 刑事 ないですね。 原田 あの、実家のそばに……。 刑事 我々のほうはしない。そんなことは(笑)、ハハハハハ。 原田 じゃあ、 刑事 (笑いが止まらない)ンフフフフフ……。 原田 あの、なんの気兼ねなく、出勤して臨めばいい、と? 刑事 あぁ、だと思いますよ、はい。我々のほうで会社に連絡を取ったりだとか、そういうことはしない。 原田 (さえぎって)なんで、ここで、身柄を拘束されるのか? 刑事 私がさきほどお話したとおり(笑)、最初、あなたのほうが、痴漢したんですっていうことで、訴えてきたんで、やはりあなたのほうの話も聴かなきゃいけないからということなんです。 原田 ええ、ええ。 刑事 そのとおりでございます。 原田 (力なく)かしこまりました。 息子にとってみれば、日常が変わってしまうのではないかという畏れがありました。 しかし、その懸念を表したとき、相手の刑事は大笑いしたのです。 ■決意 部屋を出て、黄海副署長と菅原生活安全課課長とともに、2階のロビーまで戻りました。事情聴取から解放された息子も、同じように2階のロビーにやって来ました。同行した刑事は〈ここで、横になってください〉と長椅子を示しました。そして、〈もし、ご自分で目が覚めて、いかれるんでしたら大丈夫ですから〉と言いました。息子は刑事の名を確認しました。生活安全課のYという名前でした。 原田 ちょっと、あの杞憂かも知れないんですけれど、社会生活に支障をきたすような、まあ、ドキュメンタリーみたいなものは、世の中いろいろあっているような気がするんですけれど、 冤罪みたいなもので、苦しめられ続けるみたいな、そういう支障はありうる可能性は? 刑事 いや、だって、被害届出すわけでしょ? 原田 出しますね。 刑事 えぇ(笑)、被害届出すんであれば、別にねぇ、あとは要は双方が話がつかなければ、当然、裁判というかたちに。 原田 ええ。 刑事 ええ。 原田 こっちからあっちに起こしていくということで、わかりました。 刑事 とりあえずは、(後日出頭の)日程のほうを調整させていただいて。 原田 先方の方も被害届を出すってことですか? 刑事 まあ、そうです。そうですね。 原田 じゃあ、私も出して。わかりました。 刑事 そのときには、扱った者、担当の者に聞いていただければと思います。 原田 そうですね。なにか新宿駅構内の写真とかないんですか? 刑事 それはいま、分析している最中です。 原田 分析ですか。わかりました。ほかには目撃者とかは? 刑事 そうですね。当然そうなりますね。 原田 私の周りにいた人とか? 刑事 出てくればいいんですけどねー。新宿駅、一日何十万人も来るわけですからねぇ。 原田 ビデオカメラは? 刑事 一番いいのは、やはりビデオカメラがそうですよ。そういう意味では駅員さんにも話を伺うべきですよ。 原田 現場にはいなかったのに? 刑事 フフッ(笑)、当然駅員さんにも話を伺います。 目撃者とビデオカメラ。息子は身の潔白を証明するために、最後まで正常な捜査をお願いしていました。 原田 あの、本当に私だけでなくて、生活安全課にその3人が呼ばれたんですか? 刑事 ええ、まだいますよ。手続き中ですよ。 原田 こっちに来て、ずっと私に対した質問のような形をとっていた? 刑事 ええ、そのとおりです。 原田 間違いなく? 刑事 間違いなく。アルコール検知もしておりますし。 原田 私は本当、駅員の方に、本当に一方的に……。 刑事 それはやっぱりね、駅員さん呼び出して捜査しないといけないですね。 原田 傷を負いました。恐怖をおぼえました。本当に。 その後、再出頭の段取りの話になりました。息子は〈弁護士の方に依頼する場合には、そのタイミングに合わせるって可能ですか?〉とたずねていました。 刑事 現時点の段階では、まだ刑事事件になってないわけですから。これからですから。 原田 同時出願という形になるんですか? 被害届は? 刑事 時間は違ってもお互いに、ということです。 原田 お互いに? それだと先ほどの話だと、私があって、みたいな、原因とそのあとみたいな感じになる? 刑事 そうでしょうねぇ。 原田 そうでしょうね!? 刑事 それは、双方の話がどういうふうになるか。 原田 それは……そうでしょうね。 Y刑事はふたたび〈目が覚めたら、帰っていただいて結構ですから〉と言い残し、エレベーターに乗って去っていきました。「上へ参ります」というエレベーターの音声案内が響きました。 ドアの開閉する音、足音、風の音、さまざま音が行き混じるロビーで、息子は疲弊しきった身体を長椅子に横たえました――。 長椅子を目にしていた私は、ふっと時間を遡り、その光景を見ているような気持ちがしました。どんなにつらかったことだろう、悔しかっただろう、お腹も空いていただろう。 眠っている息子を抱きかかえ、家に連れて帰ってあげたかった。無念が胸にこみあげました。 「……ええ、だからちょっと、見てる人も、ちょっといないもんですからねぇ」 菅原課長の言葉に、我に返りました。当時、新宿警察署の1階の出入りは自由で、ドアが開閉するたびに冷たい風が吹き込んできていました。 吹き抜けの手すりの真ん前に置かれた長椅子で、熟睡できようはずもありません。 ボイスレコーダーには息子の咳の音、そして泣き声も残されていました。 午前5時40分の少し前、高い靴音が響き、息子は起き上がりました。 その後、トイレで顔を洗ったのでしょうか。水流音が何度も繰り返され、ポツリ、ポツリと落ちる水滴に重ねるように、 「よし、いこう」 小さくつぶやきしました。 そして、フーというため息が聴こえたかと思うと、息子は。嗚咽しはじめました。 すると、ガシャンという音ともに倒れ込んだ様子で、同じトイレ内にいた人がなにか言葉をかけてきました。息子は〈大丈夫です〉と答えました。〈なにか保護かなんかされたの?〉と相手はたずねてきます。〈大丈夫です〉と繰り返して息子はトイレを出て、その足で新宿警察署をあとにしました。長椅子のうえで、目覚めてから5分ぐらいの間の出来事です。 警察署の前の大きな道路を走りぬける、車の音が飛び込んでくるように録音されています。 息子は少し歩き、タクシーに乗り込みました。息子の声はこう告げました。 〈新宿駅へ〉――。 ■新宿駅 新宿警察署を出て、菅原課長の案内で、新宿駅に着きました。 新宿駅に着いたとき、 息子はどんな気持ちだったたのだろう、どんなにつらかったことだろう、悔しかったことだろう。 時間を遡ることができるなら、死に向かう息子を引き止めたかった。息子の無念が胸にこみあげました。 「息子さんは、大学生とこの通路ですれ違ったんです」 菅原課長の思いがけない言葉に、我に返りました。 息子の残したボイスレコーダーには、何度も、取調べに当たった3人の刑事から、 「女性の方が階段で、あなたに、お腹を触られたと被害を訴えている」 「女性は階段で、真正面から来たので、あなたの顔を見ている」 などと言われて、明け方まで取り調べを受けていた様子が残されていました。 その時、新宿警察署にたいして、信頼してはいけないという不信感が、確信に変わったのです。 2012年1月31日に、東京地方検察庁 鎌田隆志検察官 より「不起訴記録の開示」があり、 【事件発生現場の矛盾点】がより明らかとなりました。 「自称被害女性の供述(事件発生現場)の変遷」 【上申書】2009年12月11日 「私は御茶ノ水駅で飲食をした後、中央線各駅停車の新宿駅のホームの『階段』を降りるとちゅうに、スーツを着た男性に腹部をまさぐられ、その男性をつかまえました。その際ご友人男性と駅員とつかみ合いになりました」 【被害届け】2010年1月26日 「私は、去年12月10日午後20分ころ大学の同級生X君、Y君と一緒に新宿駅で降りて京王線に乗り換えようと第8ホームの北『階段及び通路』を歩いていたところ、通行中の濃いグレー色スーツ姿の男からお腹あたりを軽く撫でられる痴漢被害に遭いました。この件で被害届けを提出して詳しくは、調書で話します 【供述調書】2010年1月21日 3頁黒塗り〜 P.5 「(前略)触られた場所は、『階段又は、通路』の場所でした」 【息子の写真の捏造】が発覚 息子の写真は、ネクタイの色・柄が識別できないことから、2010年1月11日に新宿署で黄海副署長に見せていただいて、息子のネクタイを確認して受け取った当時の写真とは違う写真ということが判明する。 【黄海氏の嘘】が発覚 2010年1月11日の会見時には、「息子さんの飲酒量が一番高かった」とのことでしたが、暴行した学生の飲酒量が一番高かったことが判明する。更に、「ごく微量とされた女性」が友人の証言により、暴行した学生とほぼ同量を飲酒していたことが判明する。 2010年12月2日・27日に 故日隅一雄弁護士・浜田薫弁護士が警視庁通信指令本部に対し、息子が暴行を受けている中、助けを求めて110番通報をした際に、対応した通信指令センターの山岸氏との通話の時間・内容等について証拠保全の検証を行って下さいました。 警視庁が提出した 110番情報メモの【処理てん末状況】には 結論 : 痴漢容疑で本署同行としたが、痴漢の事実が無く 相互暴行として後日 地域課呼び出しとした。 状況 : 当事者甲が痴漢をしたとして 、当事者乙が丙、丁に依頼し甲を取り押さえたが、本署生安課で事情聴取した結果、乙が現認した被疑者の服装と甲の服装が別であることが判明。聴取の結果、丙、丁がもみ合いになった際、お互いに暴行の事実があることから、相互暴行として後日地域課呼び出しとした。 と記載されています。 ところが、新宿署が検察庁に送致した文書に見ますと、 【特命捜査本部】の捜査では、(自称被害)女性とその連れの2名の男性は、「階段でお腹を触られた」と主張しているのに、「女性が通路でお腹を触られた」ことに決めています。 警察が捜査ミスを隠すために、事件や犯人を捏造することが許されるのでしょうか。 警察には、過ちを認める勇気を持つと共に、職員への「業務上過失致死傷罪」等の適応を真摯にお考え頂いて、捜査能力の向上に勤めて頂きたいと願っています。 これからも目撃者探しを続けていきますので、目撃された方、何か情報をお持ちの方、どうぞお知らせください。 ■
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原田です。 皆様から沢山のコメントや励ましのお言葉をいただき感謝しています。 今日11月11日は、息子の35回目の月命日となります。 早いもので、息子が急逝してから1066日が過ぎました。 2010年1月11日に私が新宿警察署にお伺いしてから、二年と11カ月が経ちました。 皆様に今日は当日の出来事をお伝えしようと思います。 ■1月11日 午前10時に新宿警察署へ伺うと約束した日、私は山の手線で新宿駅へ向かいました。 手には鞄と白い花束。鞄のなかには警察に答えていただくための質問状2通が入っていました。 白い花束は、息子に捧げるためのものです。 新宿駅では息子が暴行を受けたと思われる現場に赴き、手を合わせました。そして、西口の改札を抜けると、すぐ目の前にはタクシー乗り場。その右手横に交番が見えました。 息子が連れてこられ、3人の警察官に取り囲まれた、西口交番です。なかには数名の警察官がいました。私は無言で交番内に入っていきました。 私はそのまま床に白い花束を置き、数分間、亡き息子に黙祷を捧げました。その間、誰ひとりとして話しかけてくる警察官はいませんでした。 そして、ふたたび花束と鞄を手に取ると、交番を出て、タクシーに乗って新宿警察署を目指しました。 当時の新宿警察署は、吹き抜けのある1階に受付はなく、誰でも好きなように入れるようになっていました。階段で2階まで上がり、受付で黄海副署長と面会の約束がある旨を伝えました。 しばらく待つことになり、辺りを見渡すと、吹き抜け側の2階の手すりの前に2脚並んだ長椅子が、目に飛び込みました。 「あぁ、あそこで息子が」 1階が出入り自由な状態でしたから、風が吹き込んでくる。私には野ざらし同様に見えました。 息子は午前4時まで続いた事情聴取から解放され、この長椅子で仮眠をわずかに取っていたのです。 「こんなところじゃ、疲れた身体が休まるはずはない……」 いまさらながら、不憫で仕方がありませんでした。私はその長椅子に腰かけ、息子の無念を噛みしめていました。 そこへ、ふたりの男性が現れました。新宿警察署の黄海副署長と、菅原生活安全課課長です。彼らは一度顔を見合わせてから、私に話しかけてきました。 同じ2階の応接室に案内され、黄海副署長は、笑みを浮かべておっしゃいました。 「今日はもう我々はですね、腹を裂いてですね、本当の事実のありのままを、お話しようと思っているんですよ」 しかし、その前に私がボイスレコーダーでの録音をお願いしたときは、ふたりとも血相を変えて、「やめてもいいですけど」、「普通、録音しないんですよ」、 「出されて、やられたらお話できない」と口ぐちに拒否されました. 私が、「それでは、お話を」と切り出すと、「まあ、お茶でも一杯いかがですか、せっかく新宿署に来ていただいたんで。まあ、あとでいろいろ見ていただきたいなぁと思っていますんで」と、 黄海副署長、菅原生活安全課課長ともに熱心にお茶をすすめました。 「私に連絡をいただいたのは、ネクタイのことなんですか?」と質問をすると、「ネクタイのこともありますけれど、時間も経過しましたし、そろそろ説明を申し上げたいなぁと思いましてご足労を」とおっしゃいました。 まず、私は最初に、12月13日に黄海副署長からの電話で告げられた言葉を確認しました。私が少しずつ読み上げて、確認をお願いしました。 「おおぜいの人が行き交う新宿駅で息子さんを痴漢と断定するのは無理と痴漢容疑は晴れたが、その後、お互いの暴行容疑で取り調べが続いた」 と読み上げたとき、「取り調べ、じゃなくて事情聴取ですね」と副署長から訂正が入りました。「取り調べじゃなくて、事情聴取?」と私がたずねると、 「取り調べというと、犯人じゃないですか。ねえ。そうじゃないんで。事情を聴くという意味です」と言われました。 また、早朝に帰ってもいい、と言ったという説明については、「ずーっと長く署のほうのなかに帰ってはいけませんよ、という状態を作るわけにはいかないから」とのことでした。 そして、黄海副署長はこう言いました。 「痴漢の疑いというのは、たしかにかけられたんです。やっていないということもわからないんです。特定するにいたらなかった。そういうことです」 痴漢をしたか、痴漢をしていないか、両方のケースがあると言われ、私は「これだけは言わせてください、息子のために」と申し上げました。 「息子が、痴漢をしたり、自殺をしたりするようなことは、絶対にない、と、知り合いの者、親戚の者、大学の先生、息子の友人、みんな申しております」 黄海副署長は、「それはご本人にしかわからない」と言いました。私は、その言葉に、とても腹が立ちましたが、「そうですね、いまとなってはそうでございますね」と答えました。 すると副署長は 「我々もそう思って冷静に判断したんですよ。息子さんのために判断したんですよ。結果的には。だって疑いかけられて、痴漢を特定にいたる材料がなかった、特定にいたらなかったということを我々は認定したんですよ」 息子がこの世にもういない状況において、「息子さんのために判断した」と言い切れる神経に私は耳を疑いました。 「たとえば、ひとりの悪意のある女性がいて、なにかの腹いせにということは?」とたずねると、 「たとえばというのはやめましょう。実際にあった話ですから。すれ違ったときにお腹を触られたんではないか、ということで、直後にいたのが息子さんですから。すれ違って。 それで女性が被害者だということで、周りの学生も加勢して抑えようとしたら逆に抑えつけられたのは向こうのほうだったんです。 息子さんのほうが馬乗りになっちゃったんですよ。怪我をするとしたら向こうのほうなんですよ」 と言われましたので、「では、トラブルとなったきっかけは?」と問うと、副署長の返答はこうでした。 「たとえばの話をやりましょう。女性が、この人が痴漢だと言ったら、一緒にいた人間はどうします? そんなの放っとけって言いませんよね。摑まえなきゃいけないと思うのが普通じゃないですか。 とりあえず事情を聞くために、ちょっと待ってくださいよって、押さえようとするのが普通じゃないですか」 「ちょっと待ってくださいよって、引き止めるのに、なんで馬乗りになったりする事態になったんでしょうか」 「だから、息子さんのほうが強かったんじゃないですか。結果的には駅員さんが見ているんです。息子さんが、相手に馬乗りになっているところを見ているわけですよ。相手は鼻血だして、怪我してる」 「息子が一方的に暴力を加えていると判断されたわけですか?」 「わからないです。要するに、お互いのトラブルじゃないかっていうことで、駅員は現場に行ったんです。そのときに息子さんは110番をしている」 このやり取りのあと、私は鞄から質問状を取り出しました。息子の経緯をたどりたいので、いつなにが起きたのか、質問状に空欄を設けている質問状です。 しかし、副署長は、受け取らず、「自分で書いてください」とおっしゃいました。 ■物証はない 私が読み上げた質問状に対して、副署長は次のように回答しました。 ・相手の学生3人は、午前1時ごろから別室で事情聴取を受け、午前4時ごろに一緒に帰った。 ・息子は同じ時刻ごろから事情聴取がはじまり、午前4時ごろに終わったが、本人の「自宅に帰らないで、ここで寝たい」という希望により、2階で休んでもらった。 息子が休んでいるところを、署員は5時15分ごろに見たが、6時半ごろにはすでにその姿はなかった。息子が新宿署を出たところを、誰も見ていない。 ・警察としては身柄拘束したわけではない。あくまで任意の事情聴取だった。 ・後日、息子は相手を暴行容疑で訴えるため、被害届を提出すると言っていた。 ・結局、被害届は両方から出ていない。 ・両方の事情聴取により、警察は学生に「原田さんに痴漢の疑いがかけられていましたけれども、原田さんがやったという特定はできませんよ」と説明した。 ・新宿駅のビデオカメラの確認はやっているが、普通は、階段を上から撮る、下から撮るという、階段の途中を撮影したカメラはない。息子と女性がすれ違ったことが確認できるビデオテープはない。 物証はない。 ・ビデオテープはないが、息子と女性がすれ違ったことは事実である。その根拠は、女性が、「犯人」の姿格好、身体の特徴、すれ違った状況を憶えていて、その情報を総合して間違いないと判断したためである。だから、ビデオによる証拠は裏付けるものになるか、ならないかという話である。 ・通路にはビデオカメラがあるがトラブルの様子は映っていない。したがって、どのビデオカメラにもトラブルがあった時点の映像は映っていない。 ・息子に目立った外傷はなかった。 ・女性の服装から指紋を取る等のことは、いま、捜査でいろいろやっている。しかし服からは指紋がとれるということはない。 ・できれば、歯ブラシなどDNA鑑定に必要なものを任意提出してほしい。事情聴取の当日に採取しなかったのは、息子の死を予測しなかったから。後日来てもらったときに提出してもらうつもりだった。 ・しかし、いま調査しているのは、暴行容疑についてで、痴漢容疑ではない。痴漢行為については特定できずで終わっている話。 ・息子と相手方3人のアルコール検査の数値は、個人情報のため、お話できない。息子は泥酔まで至らなかったが、かなりの量が出ている。相手は男性ひとりが飲んでいない。息子とトラブルになった男性、女性はそれぞれ微量だった。 ・110番通報の内容は、駅員に取り囲まれているとしか、記録がない。 いま、こうして列記してみても、黄海副署長の説明に、矛盾点がたくさんあることがわかります。 息子のボイスレコーダーを何度も聴いたあとでしたから、すぐに説明の不自然さに気づきました。それだけではありません。1月11日以降、新宿警察署が取った対応は、この時点で確認したことから、大きく変遷していくのです。 ちょうど110番通報について質問をしているときだったと思いますが、副署長は急に書類を見ながら、「お母さん、我々がなんか悪いことしたみたいに、いつも言われちゃうのはつらいところがありますね。警察がなんか息子さんに悪いことしたみたいじゃないですか」 とおっしゃったのです。 ですから、「私はここでなにがあったのが知る義務がございます。息子がどういう足取りをたどって早稲田駅まで行ったのか、親として知らなければいけないので、お伺いしているんです」と申し上げました。すると、 「それはごもっともですけれども、息子さんは痴漢っていうことで疑っていたんですけれど……我々としてはなんでそういうふうに言われなきゃいけないのかなと思っちゃうんですよね。逆につらいですよ、我々としても。で、息子さんを失くしたつらさはわかりますけれど、我々としても、一生懸命原田さんのためにやったのに、なんでそんなに言われなきゃいけないのかな、とつらいところがありますよ」 黄海副署長の言葉を聞いて、私のなかに抑えがたい感情が沸き上がりました。 「あの、私も、痴漢容疑を掛けられた人間が、どのような処遇を受けるかということは、今回のことがあるまで、まったく知りませんでしたので、まず第一にショックだったのは、 息子が痴漢にされてしまったこと。そして、そのために事情聴取を受けたこと。そして、その後、亡くなってしまったことです」 「うん、亡くなったことは不幸ですけれども、警察署としては痴漢を疑われてきたときに、事情を聴くのは当たり前の仕事です」 黄海副署長は自分たちもつらいと言う。息子を失った私は、もっとつらい。 けれども、一番つらく、悔しかったのは、息子自身のはずです。その心情を慮るような言葉は、この日、一言も伺うことはできなかったのです。 ■確約証 私は副署長に、息子が書いた確約証を見せていただきたいと希望しました。ボイスレコーダーには、そのときの状況が残されていました。 息子は、事情聴取が終わりに近づくころ、〈明日の仕事に支障をきたすので、休養を取りたい〉と申し出ました。事情聴取を受けた部屋でわずかな時間、パイプ椅子を並べて休んでいたところ、 午前3時36分、刑事がやってきて、息子を起こし、後日呼び出しがあれば出頭に応じる確約証を書いてほしいと言われました。 刑事 後日ですね、刑事課、地域課、どちらかのほうで被害届を出してもらいますんで、今日は遅くなったんで、今日のところはいいですので。で、後日、出頭願い、警察のほうで呼び出しがあった場合は、こちらのほうに出頭しますよ、と言う確約書のほうを書いてください。 原田 (くぐもった声で)ちょっと待ってください……。 刑事 確約書というのは、いつでも警察署に来ますよって、それだけでけっこうです。要はあなたが確約証を出してくるときに(笑)、警察の呼び出しに応じますよって(笑)。 原田 ええ。書式はないんですか? 刑事 あぁ、ご自由に書かれてけっこうです。 原田 ……どう? 刑事 書きづらい? 原田 非常に、……どう表現したらいいのか。 刑事 あぁ、じゃあ書こうか。私が体裁を(笑)。 原田 えぇ、申し訳ないです。 刑事 でね、ここだと休みづらいから、どうします? 下のソファで休みます? 原田 (弱弱しい声で)できれば、そうしたいです。 刑事 わかりました。これを書いたら下に行きましょう。 原田 うん。 刑事 朝何時ごろ起こしゃいいですか? 原田 そうですね……7時半ぐらい。 刑事 7時半ごろね、わかりました。 明け方、意識が朦朧としているなかで、慣れない書類を書かなければなりませんでした。 息子の声の様子から、衰弱しきっていることがわかりました。まず刑事が確約書の体裁を手本として書き示しました。 息子はこのときコンタクトレンズを外していました。裸眼で0・1以下、そして疲労のため、文字を目で追うのがつらいようでした。そこで刑事が文面を読み上げ、あらためて息子が確約書を作成するという作業になりました。 書き写しながら息子は〈法廷でぜんぶ、という運びになるんですよね〉とたずねました。すると、刑事も〈裁判というかたちになりますよね〉と返しました。 息子は視力矯正ができていないため、字体が乱れることを気にしていました。 原田 この視力の状態で資料を書くと、社会的に欠陥があるような。 刑事 そんなことないでしょう(笑). 原田 いや、どうでしょう。 刑事 取り調べに、警察署にいつでも来ますよっていう(笑)、あれですから、ハハハ。 原田 これが公的に扱われるわけですよね? 刑事 いや、これ、警察署だけのあれですから。要はこういうふうに警察署に呼び出しがあったら来ますよっていう、我々に対する申し立て状ですから。 原田 ちょっと注意書きをしたいんですけれど。ちょっと視力が落ちた状態でしたっていう。 刑事 別に構わないですよ。警察署のほうだけですから。 原田 間違いないですか? 刑事 間違いないです。(確約書の文面に合わせて)……しましたが、このことで……警察署から、呼び出しがあった……いつでも……まあ、いつでもいらないか……出頭します。 原田 出頭って? 刑事 うん、お伺いしますでいいでしょ。自分のお言葉で。で、その下に平成21年12月11日。 原田 この字だと……。 刑事 大丈夫ですよ。ここに電話番号書いてください……で、ここに警察庁新宿警察署長。 原田 警察署? 刑事 警察署長ですね。新宿って書いておきゃいいや。新宿警察署長、で、立川の立、延びる、哲学の哲、そう。 原田 (書きながら)相手方とはこのあとどうなるんですか? 刑事 あなたのほうが被害届を出して、その暴行の事実について……それはなんでしょうか? 原田 矯正視力がない旨を。 刑事 ハハハ、どうぞどうぞ、フフッ、ご自由にお書きください。いいですよ、注を入れなくても……らん、らん、らーん、なんだ? 乱筆……下にね。 刑事の声には、ときに含み笑いが混じっていました。いっぽう、息子はボロボロの身体で、それでも先方の要請に応じようと、力を振り絞っていました。 このときに書かれた確約書をこの目で見たいと望みました。 息子が危惧していたとおり、確約証の文字は乱れていました。実は、コインロッカーで発見された鞄のなかのコンタクトケースに使用済みのコンタクトレンズが2枚入っていました。 息子のコンタクトレンズは毎日使い捨てのものなので、それを見たときは、このコンタクトレンズを外した時点では、朝起きて、もう一度装着し、自宅には寄らず、その足で大学まで出勤しようとしていたのかしら、と考えておりました。 黄海副署長から見せられた、確約証の文字を見て、私は絶句しました。息子が事情聴取の際にノートに走り書きしていた文字と同じだったからです。 そのノートは鞄のなかから見つかりました。初めのほうのページは、新しい職場のための覚え書きや、講義の内容だったので、仕事用のものだと考えていたのです。 しかし、あるとき、なにか手掛かりがないかとページを後ろのほうまで繰っていると、急に、乱れた字で、シンジュクケイサツショ、録音で人権、防犯という文字や、人の名前、 階段の両脇に記された15、16という数字、そして、左下隅に「こうなっちゃった人生 事件 どういうわけで」と書かれていたのでした。 その乱れた文字は、息子の身になにか異常事態が発生しているのを知らせるシグナルそのものでした。確約証の文字もまた同様です。私はしばらく見つめたまま動けませんでした。 ボイスレコーダーを聴いていても、心のどこかで息子が自殺するなんて絶対にないという確信に似た思いを持ち続けていました。 しかし、その気持ちが揺らいだのです。そして、あぁ、息子は自殺したんだなと、はじめてそう思いました。 そして、黄海副署長に「もともと字がきれいな子じゃないんですけれど、本当にひどい精神状態で書いたのがわかります」と申し上げました。文面は次のとおりです。 確約証 本日、私は暴行を受けたことで新宿警察署で話をしましたが、この事で警察署から呼び出しがあれば、随時お伺いします。 平成21年12月11日 原田信助 印 新宿警察署長 安延哲夫殿 上記 ●(書き損じを消した後)視力が逸した状態のため乱筆になりました旨を記載します。 私はこの確約証を写真で撮らせていただけないかとお願いしましたが、無理だということでしたので、できるかぎり息子の文字を忠実に真似して、書き損じの後も同じようにしてノートに書き写しました。 ■写真 また、この日は、新宿警察署で最後に息子が撮られた写真もこの目で確認しました。 息子の格好は、上着がぐしゃぐしゃになっていて、ワイシャツは、襟元が乱れ、ズボンが飛び出し、暴行を受けた際に引っ張られたからか、長時間の取り調べの際にそうなったのか、ネクタイは床のほうまで結び目が垂れさがっていました。 休んでいるところを起こされた息子は、確約証を書き終えると、次に写真を撮影すると刑事から言われました。 刑事 原田さんね、今日の服装のやつだけ、変わっちゃうんで、服装のとこだけ、こういう状況でしたよっていう、いまのネクタイがこうなっている状況の写真だけ撮りますから。そのときの状況ですよね? 引っ張られた。 原田 いやあの、駅員さんのあとですよ、これは。 刑事 うん、駅員さんのあとでけっこうですから。ここにいらっしゃった姿をそのまま撮りますから。 原田 ただ、そのあとに睡眠、仮眠を取らせていただいたり……。 刑事 あ、大丈夫ですよ。うん、いまの、とりあえず今日の服装だけ撮らさせていただきます。 原田 ああ。 刑事 どうぞ、お越しください。全身だけで結構です。 原田 それは、当時と……ちょっと待ってください。 刑事 いや、今日の服装、服装。 原田 任意ですか? 刑事 (さえぎって)よろしいですか。いきますよ……お鞄をお持ちになってください。 原田 ちょっと待ってください。それは被疑者としての撮影でしょ? 刑事 違いますよ。 原田 違いますか。まったく理解できないことが多い。 刑事 いや、法廷でも、それはこうですよっていう証明になりますから。よろしいですか。 原田 ええ、なんでいま出てくるんですか? そういった話が。 刑事 要は、このときにあなたが暴行を受けた……。 原田 (さえぎる)確認させていただけますか? 刑事 どうぞ。 このとき、息子は鏡で自分の姿を確認したようでした。 刑事 はい、それでよろしいですね。 原田 髪も、かなりなんか……。 刑事 (笑いながら)髪は関係ないでしょ。 原田 狂人みたいな感じに見えますがね。 刑事 関係ない、関係ないです(笑)。 原田 本当ですか? 刑事 関係ない。……よろしいですか? 原田 ええ、これは……。 刑事 はい、どうぞ。 そして、シャッターが切られました。 写真のなかの息子の表情は、我を失っていました。自分に起こっていることが信じられないといった様子でした。思えば、ひどい暴行を受けたあと、4時間近く、事情聴取を受けていたのです。 どれほど疲れ果てていたことでしょう。息子の視点は焦点が定まらず、どこを見ているのかわかりませんでした。自分の人生の果てが見えてしまったのかもしれません。 25年間、育ててきて、はじめて見る、息子の表情でした。 私はショックを受け、また言葉を失いましたが、我に返りました。この写真こそ、最終的に死にいたらしめられるまで苦しめられた、動かぬ証拠だ、と。 「写真に撮らせていただいていいでしょうか」 そう申し出ると、黄海副署長は、「本来、裁断しなきゃいけない性質のものですから」と許可してくれませんでした。私が、その意味がわからないでいると、「息子さんは犯人じゃないんで、裁断しなきゃいけないんです」とおっしゃいました。 私は焦りました。「裁断する前にいただけないでしょうか」 「いや、取っときますから、これからも」 「いつまで取っていただけますか?」 「ずっと取っておきますよ」 「ずっと、とおっしゃいますと、私が生きている間でございますか?」 「取っておきます」 息子の写真は生きている間はずっと新宿警察署で保管される、裁断されない、と副署長が明言したことに、安堵しました。 ところが、息子の写真は、その18日後に、東京都迷惑防止条例の被疑者としての書類に添付されて、検察庁に送られることになるのです。 息子の写真は、私の生きている間はずっと新宿警察署で保管される、裁断されない、と副署長は明言しましたが、 実行されることはありませんでした。 ■
[PR] 2012年 11月 10日
原田です。 皆様から沢山のコメントや励ましのお言葉をいただき感謝しています。 ご支援くださる皆様、本当にありがとうございます。 皆様に今日は、10月16日(火) 東京地方裁判所第709号法廷で開かれた「第8回口頭弁論とその報告会」についてお伝えしようと思います。 今回の公判では、新たに、原告側より事件の隠蔽にJRが積極的に関与していた可能性についての指摘がなされました。 口頭弁論に先立つ10月3日、原告側は、東京地方裁判所民事第12部合議B係に「文書送付嘱託申立書」を送付して、関係各所に証拠提出を請求しました。 第1 防犯カメラ映像。JR新宿駅の15番線ホーム及び16番線ホームに設置されていた2台の防犯カメラ映像、09年12月10日午後10時50分から午後11時15分まで。(送付嘱託先:JR東日本) 第2 本件当日の新宿駅長室日誌。トラブルを目撃した駅員から110番通報の要請があった時刻が記載。(送付嘱託先:JR東日本) 第3 原田信助が行った110番通報に関する文書。09年12月10日午後10時50分から午後11時15分までの間。(送付嘱託先:警視庁) 第4 相互暴行事件の送致記録すべて。(送付嘱託先:東京地方検察庁) 報告会では清水勉弁護士により、「JR、駅員、信助さんに暴行した若い男性とその仲間、警察のそれぞれが、事実を隠ぺいしたいと言う利害が一致している・・・」というお話がありました。 ついに、息子に暴行を加えた2名のJR職員(k・H両名)の問題が争点になってきました。 報告会の動画は、ご支援下さる方がユーチューブにアップして下さいました。 「原田信助さんの国賠を支援する会」のHPからご覧頂けますので、ご視聴よろしくお願い申し上げます。 http://haradakokubai.jimdo.com/ 「新宿駅での目撃者探しは続けているのですか?」というご質問を頂きました。 2010年10月13日に「息子に対する集団暴行現場」を目撃された方に出会うことが出来ましたが、その一週間後の、10月20日・26日に新宿駅の助役らに写真を撮られ、黒木昭雄氏にお伝えしたところ、 「JRは、あなたを威力業務妨害で訴える準備をしている。新宿駅構内の目撃者探しは、もうやめた方が良いでしょう。」 「あなたは、向こうが、威力業務妨害で逮捕する用意をしているのが、まだ解からないのですか。あなたが逮捕されたら、一体、誰が信助さんの無念を晴らすんですか!」とお諭し下さいました。 新宿駅での目撃者探しは、2010年10月26日以降は、「犯罪被害者家族の会 代表:小林邦三郎氏」がご同行下さった2011年1月20日・2月10日の両日行いました。小林氏のご子息は、「JR池袋駅立教大学生殺害事件」の被害者小林悟氏です。事件後、JRは「防犯カメラに事件は写っていなかった」と、映像を開示せず、小林氏も池袋駅で目撃者探しを行なって来られました。 小林氏は「何故、JRは協力しないのか」と、ご一緒に新宿駅で抗議して下さいました。 詳細は、2010年11月5日のブログに追記しましたので、ご高覧頂きたくお願い申し上げます。 http://harada1210.exblog.jp/14922072/ その後は、息子の母校である早稲田大学でチラシを配りました。 現在は、東京地裁前にて公判前の約一時間、チラシを配っています。 今年の11月1日は、黒木昭雄氏が御逝去されて二年目の三回忌となりました。 黒木氏と最後にお話をしたのは、2010年11月1日の午後4時頃でした。 「明日メールをお送りいたします」「わかりました」が、最後の会話となってしまいました。 国家権力に対しても、「悪いことは悪い」とはっきり言える《元警察官ジャーナリスト:黒木昭雄氏》は、生涯をかけて追求された警察の改革と、何年も追い続けた【岩手県17歳少女殺害事件】の解決を見ることなく、2010年11月1日に御逝去されました。 黒木昭雄氏のご冥福を心よりお祈り申し上げます。 今年の12月11日は、息子の三回目の命日となります。 三年目は法事は行わないそうですが、息子の墓前にて法要を営みたいと考えています。 【インシデンツ代表】寺澤有氏・【市民の目フォーラム北海道代表】原田宏二氏・弁護をご受諾下さった清水勉先生も皆、黒木昭雄氏と親しかった方々です。 黒木氏はお姿が見えなくなった今も、息子と一緒に、この事件の行方を見守っていらっしゃるのでしょうか。 これからも目撃者探しを続けていきますので、目撃された方、何か情報をお持ちの方、どうぞお知らせください。 ■
[PR] 2012年 10月 10日
原田です。 皆様から沢山のコメントや励ましのお言葉をいただき感謝しています。 ご支援くださる皆様、本当にありがとうございます。 皆様に今日は、2010年1月11日に新宿署にお伺いした時に、当時の副署長黄海氏から受けたご説明と、2012年1月31日の東京地方検察庁 鎌田隆志検察官による「不起訴記録の開示」の内容との矛盾点についてお伝えしようと思います。 ■物証はない 1. (黄海氏)「おおぜいの人が行き交う新宿駅で息子さんを痴漢と断定するのは無理と痴漢容疑は晴れたが、その後、お互いの暴行容疑で事情聴取が続いた」 「警察としては身柄拘束したわけではない。あくまで任意の事情聴取だった」 「後日、息子さんは相手を暴行容疑で訴えるため、被害届を提出すると言っていた」 【不起訴記録】息子の写真撮影・(息子の録音から)指紋の採取。任意の事情聴取ではなく取り調べと判明 2.(黄海氏)「両方の事情聴取により、警察は学生に『原田さんに痴漢の疑いがかけられていましたけれども、原田さんがやったという特定はできませんよ』と説明した」 【不起訴記録】息子を痴漢の犯人と認定して書類送致 3.(黄海氏)「新宿駅のビデオカメラの確認はやっているが、普通は、階段を上から撮る、下から撮るという、階段の途中を撮影したカメラはない。 息子さんと女性がすれ違ったことが確認できるビデオテープはない。 【不起訴記録】階段の上から撮影した二種類の防犯カメラの映像を開示 4.(黄海氏)「息子さんと相手方3人のアルコール検査の数値は、個人情報のため、お話できない。息子さんは泥酔まで至らなかったが、かなりの量が出ている。相手は男性ひとりが飲んでいない。息子とトラブルになった男性、女性はそれぞれ微量だった。 【不起訴記録】息子に暴行した学生(甲)の飲酒量が一番高かったことが判明。(甲の友人の供述から)微量とされる(自称)被害女性が甲とほぼ同量飲酒していたことが判明。 ■駅員の駆けつけた現場の変遷 (黄海氏)「息子さんのほうが強かったんじゃないですか。結果的には駅員さんが見ているんです。息子さんが、相手に馬乗りになっているところを見ているわけですよ。相手は鼻血だして、怪我してる」 【不起訴記録:駅員Aの供述】「乗客2、3人から「そこの階段で喧嘩してるよ」と言われ、階段の真ん中付近で甲が、携帯電話を手に持っているAの肩付近を押さえて壁に押しつけて口論している状況を確認」 ■110番通報の記録 (黄海氏)110番通報の内容は、駅員に取り囲まれているとしか、記録がない。 【不起訴記録:警視庁通信指令本部 山岸薫氏作成の「110番聴取状況報告書」】 入電時刻:23時27分 切断時刻:23時34分 指令時刻:23時35分 平成22年12月24日 警視庁通信指令本部における「息子原田信助がかけた110番通報の証拠保全の検証」で開示された110番情報メモには 受理者氏名が黒塗りでしたが、息子の録音には、「通信指令センターの山岸氏とは、暴行を受けている間中、通話がリアルタイムで繋がっていた」とあります。 息子が山岸氏と氏名を名乗り合い、暴行されている状況を伝えた通話記録が残されている筈です。 警視庁通信指令本部には、真実の通話記録の開示をお願いしたいと思います。 ■写真 また、この日(2010年1月11日)は、2009年12月11日午前4時頃、息子が撮られた写真もこの目で確認しました。 息子の格好は、上着がぐしゃぐしゃになっていて、ワイシャツは、襟元が乱れ、ズボンが飛び出し、暴行を受けた際に引っ張られたからか、長時間の取り調べの際にそうなったのか、ネクタイは床のほうまで結び目が垂れさがっていました。 (黄海氏)「本来、裁断しなきゃいけない性質のものですから」「息子さんは犯人じゃないんで、裁断しなきゃいけないんです」 「ずっと取っておきますよ」 ところが、息子の写真は、その18日後に、東京都迷惑防止条例の被疑者としての書類に添付されて、検察庁に送られることになるのです。 息子の写真は、私の生きている間はずっと新宿警察署で保管される、裁断されない、と副署長は明言しましたが、実行されることはありませんでした。 部屋に飾った息子の写真は、いつも微笑んでいます。 親友の方が早稲田大学で撮って下さった写真、先輩の方が息子の奉仕先の神社で撮って下さった写真、 初めて就職したJAXAの同期の方々がアルバムにして下さった写真、どの写真の息子も楽しそうに微笑んでいます。 息子が急逝して1033日が過ぎました。 11月1日は、黒木昭雄氏の二回目の御命日となります。 黒木氏も息子と一緒に、裁判の行方を見守って下さっているのでしょうか。 第8回口頭弁論は10月16日(火)11:30~ 東京地方裁判所 第709号法廷 にて開廷されます。 変わらぬご支援よろしくお願い申し上げます。 これからも目撃者探しを続けていきますので、目撃された方、何か情報をお持ちの方、どうぞお知らせください。 ■
[PR] 2012年 09月 10日
原田です。 皆様から沢山のコメントや励ましのお言葉をいただき感謝しています。 ご支援くださる皆様、本当にありがとうございます。 皆様に今日は、裁判の経過と、2012年1月31日の東京地方検察庁 鎌田隆志検察官による「不起訴記録の開示」により判明した「新宿署の不誠実な行為」をご報告しようと思います。 【裁判の経緯】 原告代理人は、6月8日付けで再度 以下の「求釈明書」を提出しました。 平成24年7月10日付被告準備書面(4)では、原告が平成24年4月16日付求釈明書において釈明を求めた事項のうち、以下の点について釈明がないので、再度釈明を求める。 1 特命捜査本部は、どのような事件について設置されるのか。 2 特命捜査本部は全国の警察本部に存在するものか。 3 過去10年間、警視庁及び道府県警察本部において、特命捜査本部が設置された件数及び事件の罪名・内容を明らかにされたい。 4 過去10年間、警視庁及び道府県警察本部において、被疑者が死亡した後、特命捜査本部を設置した事件の件数及び事件の罪名・内容を明らかにされたい。 これに対する被告の回答はなく、今法廷で裁判長は回答するよう被告に求めましたが、 「回答しようがない」「次回に回答することを考えたい」等の回答がありました。 原告代理人は、7月4日付けで準備書面(3)、及び証拠説明書を提出しました。 準備書面には、故日隅一雄弁護士・浜田薫弁護士が警視庁通信指令本部に対し、平成22年12月2日・27日に 息子が暴行を受けている中、助けを求めて110番通報をした際に、対応した通信指令センターの山岸氏との通話の時間・内容等について証拠保全の検証を行なった「両日の検証調書」が添付されました。 警視庁が提出した 110番情報メモの【処理てん末状況】には 結論 : 痴漢容疑で本署同行としたが、痴漢の事実が無く 相互暴行として後日 地域課呼び出しとした。 状況 : 当事者甲が痴漢をしたとして 、当事者乙が丙、丁に依頼し甲を取り押さえたが、本署生安課で事情聴取した結果、乙が現認した被疑者の服装と甲の服装が別であることが判明。聴取の結果、丙、丁がもみ合いになった際、お互いに暴行の事実があることから、相互暴行として後日地域課呼び出しとした。 と記載されています。 ところが、新宿署が設置した【特命捜査本部】の捜査によると、この15日後に(自称被害)女性は被害届けを提出したことになっています。 (自称被害)女性とその連れの2名の男性は、「階段でお腹を触られた」と主張しているのに、【特命捜査本部】の捜査によると、「女性が通路でお腹を触られた」ことになっています。 原告代理人の準備書面(3)では、多くの疑問点について、また、「被害届を提出した女性等が、別人ではないか」と被告に回答を求めました。 被告は、「回答に9月一杯かかる」と回答し休廷となりました。 【息子のネクタイについて】 ■2009年12月17日 新宿警察署副署長より電話があり、「原田さんのものかもしれないネクタイが新宿署に落ちていたので、確認のため、来ていただきたい」という連絡がある。ネクタイの色は青地に白の柄入りとのこと。 12月10日の歓迎会で同席された先輩の方に確認したところ、当日は息子は赤のネクタイを着用していたということで、息子の鞄の中に赤いネクタイが入っていたため、新宿署に確認には行かなかった。 ■2010年1月9日 新宿警察署副署長より電話。1月11日に会うこととなる。 その際、 1.息子が暴行を受けたことに対する被害届けの取り扱い 2.相手の取り調べについて 3.息子が新宿署で午前4時頃撮られた写真を見せていただきたい 4.事件の現場に案内していただきたい 5.事件当日の新宿駅の防犯カメラを見せていただきたい 6.息子が新宿署を出る前に、安平氏に書かされた「確約書」を見せていただきたい 7.黄海副署長が2009年12月13日と2010年1月9日の電話で、「息子さんを痴漢と断定できない」と言つた根拠 駅のビデオに写っていたのか、女性の服から指紋を採ったのか教えていただきたい というお願いをする。 ■1月11日 新宿警察署にて、黄海氏と生活安全課課長菅原氏と会見。 「息子さんは(痴漢容疑の)犯人ではない」と言われ、ボイスレコーダーの提出を求められる。 黄海氏の説明では、「息子と、息子と組み合った男子大学生一名のみが事情聴取を受け、女子大学生ともう一人の男子大学生は参考人、 誰からも被害届は出ていない」と言われる。 事件当夜、息子が暴行を受けた現場からかけた110番通報の内容と、受けた暴行の内容については、後日確認後に連絡をいただいて、息子の代わりに私が暴行の被害届を出すことになった。 当日持参した質問状に記入をお願いしたところ、黄海副署長は、受け取らず、「自分で書いてください」とおっしゃいました。 ■物証はない 私が読み上げた質問状に対して、副署長は次のように回答しました。 ・相手の学生3人は、午前1時ごろから別室で事情聴取を受け、午前4時ごろに一緒に帰った。 ・息子は同じ時刻ごろから事情聴取がはじまり、午前4時ごろに終わったが、本人の「自宅に帰らないで、ここで寝たい」という希望により、2階で休んでもらった。息子が休んでいるところを、署員は5時15分ごろに見たが、6時半ごろにはすでにその姿はなかった。息子が新宿署を出たところを、誰も見ていない。 ・警察としては身柄拘束したわけではない。あくまで任意の事情聴取だった。 ・後日、息子は相手を暴行容疑で訴えるため、被害届を提出すると言っていた。 ・結局、被害届は両方から出ていない。 ・両方の事情聴取により、警察は学生に「原田さんに痴漢の疑いがかけられていましたけれども、原田さんがやったという特定はできませんよ」と説明した。 ・新宿駅のビデオカメラの確認はやっているが、普通は、階段を上から撮る、下から撮るという、階段の途中を撮影したカメラはない。息子と女性がすれ違ったことが確認できるビデオテープはない。物証はない。 ・ビデオテープはないが、息子と女性がすれ違ったことは事実である。その根拠は、女性が、「犯人」の姿格好、身体の特徴、すれ違った状況を憶えていて、その情報を総合して間違いないと判断したためである。だから、ビデオによる証拠は裏付けるものになるか、ならないかという話である。 ・通路にはビデオカメラがあるがトラブルの様子は映っていない。したがって、どのビデオカメラにもトラブルがあった時点の映像は映っていない。 ・息子に目立った外傷はなかった。 ・女性の服装から指紋を取る等のことは、いま、捜査でいろいろやっている。しかし服からは指紋がとれるということはない。 ・できれば、歯ブラシなどDNA鑑定に必要なものを任意提出してほしい。事情聴取の当日に採取しなかったのは、息子の死を予測しなかったから。後日来てもらったときに提出してもらうつもりだった。 ・しかし、いま調査しているのは、暴行容疑についてで、痴漢容疑ではない。痴漢行為については特定できずで終わっている話。 ・息子と相手方3人のアルコール検査の数値は、個人情報のため、お話できない。息子は泥酔まで至らなかったが、かなりの量が出ている。相手は男性ひとりが飲んでいない。息子とトラブルになった男性、女性はそれぞれ微量だった。 ・110番通報の内容は、駅員に取り囲まれているとしか、記録がない。 2009年12月11日午前4時頃に、息子が安平氏に撮られた写真を見せていただいたところ、写真の息子は「青地に白の柄入り」のネクタイをしていたことが判明し、受け取る。 菅原氏の「ネクタイを取り替えたんでしょうか?」のご指摘に、歓迎会用に赤いネクタイを持参していたことが推測された。 【事件発生現場の矛盾点】 当日の黄海副署長のお話では、「息子さんは学生たちと【階段】ですれ違った」ということでしたが、事件発生現場にご案内いただいた菅原生活安全課課長のお話では、「息子さんは、この【通路】(階段に続く)で学生たちとすれ違った」と、同じ日に新宿署のお二人の職員が「異なる事件発生現場」を私に伝える。 ■2010年の12月27日 警視庁通信指令本部の証拠保全の検証において、「お腹を触られた」被害を申告した女性が、事件の翌朝4時30分前には、「(息子は)人違いだった」と証言していた事実が明らかになる。 ■2012年の1月31日 東京地方検察庁 鎌田隆志検察官 より「不起訴記録の開示」があり、 【事件発生現場の矛盾点】がより明らかとなる。(自称被害女性の供述の変遷から) 【息子の写真の捏造】 息子の写真は、ネクタイの色・柄が識別できないことから、2010年1月11日に新宿署で黄海副署長に見せていただいた写真とは違う写真ということが判明する。 【黄海氏の嘘が発覚】 2010年1月11日の会見時には、「息子さんの飲酒量が一番高かった」とのことでしたが、暴行した学生の飲酒量が一番高かったことが判明する。 息子の人生は、希望に向かって歩み始めたばかりでした。息子は意志の強い努力家で、JAXAに入る時には、一日15時間も勉強していたことを、親友の方から教えて頂きました。 息子がいなくなり、初めてむすこの部屋に入りましたら、部屋中本がいっぱいで、資格試験の参考書が積まれていました。事件の前月には情報処理技術者の資格も取得していました。他にもまだまだ人生で挑戦したいことが沢山ありましたし、「将来、早稲田大学に奨学金をつくりたい」などの夢もありました。 2010年の12月27日の警視庁通信指令本部の証拠保全の検証において、「お腹を触られた」被害を申告した女性が、事件の翌朝4時30分前には、「(息子は)人違いだった」と証言していた事実が明らかになりました。 人違いであることが判っていながら、49日後に、息子を、「東京都迷惑防止条例の被疑者」と認定して、書類送致した新宿署の行為は、犯罪と言わざるを得ません。 人間として、親として決して許すことはできません。 2011年4月26日に、国賠を提訴したのは、息子の名誉の回復のためと、この国の警察の捜査によって、息子のような被害者を二度と出してはいけないという願いからです。 息子が急逝して、1003日が過ぎました。 息子はどのような思いで、裁判の経緯を見守っているのでしょうか。 「継続は力なり」 息子が好きだった言葉です。 これからも目撃者探しを続けていきますので、目撃された方、何か情報をお持ちの方、どうぞお知らせください。 ■
[PR] 2012年 08月 10日
原田です。 皆様から沢山のコメントや励ましのお言葉をいただき感謝しています。 ご支援くださる皆様、本当にありがとうございます。 皆様に今日は、息子が2009年12月10日に遭遇してしまった事件当日からの経緯をご報告しようと思います。 【事件の推移】 (以下、「新宿署違法捜査憤死事件」から) ■2009年12月10日~11日 午後11時頃、歓迎会から帰宅するために新宿駅構内を通行中だった息子は、女子大学生の(お腹を触った)痴漢犯人とされ、 女子大学生の友人の男子大学生に階段から引き落とされ、一方的な暴行を受けた。 息子は110番通報をしたが、駆けつけた駅員・警察官より、痴漢犯人として扱われ、新宿西口交番から、新宿警察署に任意同行された。 そして、新宿警察署では痴漢の被疑者として、明け方4時頃まで取り調べを受け、その後、息子は、新宿署内で休息を取り、5時45分頃警察署を出ると、 電車に乗り早稲田駅に行き、午前6時40分、電車に轢かれ重態となり、東京女子医大に搬送された。 午後7時15分に私(原田尚美)の携帯電話に牛込警察署より電話があり息子の事故を知る。 ■2009年12月12日 牛込警察署から、息子の持ち物らしきボイスレコーダーが落し物として届けられているとの連絡を受け、息子の声を確認して受け取る。 新宿警察署に電話をして、息子が何故、新宿署にいたのか、何時までお世話になっていたのか教えていただきたいと訊ねるも、「わからない」という答えしか返ってこないため、110番に通報して、きちんとした説明を求める。 ■2009年12月13日 新宿警察副署長黄海氏より、私に電話があり、 「息子さんと大学生3人との間でトラブルがあり、駅員に取り囲まれ、お腹を触られたんではないかとする痴漢容疑で 新宿警察署(生活安全課)で事情聴取を受けるが、 大勢の人間が行き交う新宿駅で、息子さんを痴漢と認定するのは無理という判断の元、痴漢容疑は晴れたが、 その後、お互いの暴行容疑で事情聴取が続き、3時から4時ころ、『学校もあるだろうし、会社もあるだろうから、帰宅するように』と言われ、 大学生は帰ったが、息子さんは休ませてくれ、と言って2階のソファーで休んだ。 息子さんが署を出たのは5時15分・・・5時から6時半くらいの間かな。誰かが付きっきりでいた訳ではないので、正確な時間は分からない」と説明があった。 私が「息子はケガをしておりませんでしたか?」と訊ねたところ、「外傷はありませんでした」と答えた。(※この電話の内容は、翌2010年1月11日の新宿警察署での会見の際、 黄海氏本人に確認しています) ■2010年1月9日 新宿警察署副署長より電話。1月11日に会うこととなる。 ■1月11日 新宿警察署にて、黄海氏と生活安全課課長菅原氏と会見。 「息子さんは(痴漢容疑の)犯人ではない」と言われ、ボイスレコーダーの提出を求められる。 黄海氏の説明では、「息子と、息子と組み合った男子大学生一名のみが事情聴取を受け、女子大学生ともう一人の男子大学生は参考人、 誰からも被害届は出ていない」と言われる。 事件当夜、息子が暴行を受けた現場からかけた110番通報の内容と、受けた暴行の内容については、後日確認後に連絡をいただいて、 息子の代わりに私が暴行の被害届を出すことになった。 ■1月28日 新宿警察署の生活安全課課長から電話があり、息子を東京都の迷惑防止条例(痴漢)の被疑者と認定し、書類送致するとのこと。 女子大学生の被害届が出されているのか訊ねたが、有無について明言を避けられ、 また「新宿署として認定した」と言われた。 ■2月1日 同じく新宿警察署の生活安全課課長から電話。1月29日に息子を東京都の迷惑防止条例の被疑者として、東京地検に書類送致したとのことであった。 暴行容疑の事情聴取での調書は存在するのかと訊ねたところ、調書は存在しないと説明したはずであると返答。 ■2月25日 JR東日本、機器管理室のお●●い氏から、東京都個人情報開示課のK氏に連絡があり、 「平成21年12月10日の新宿駅の防犯カメラの映像は、警察のほうから証拠保全の指示がなかったので、消してしまってありません。」(※1) ■2月25日 新宿警察署に、息子に代わって被害届を提出しようとしたが、拒否された。 JR新宿駅駅長室で助役さんに、12月10日の日誌を見せていただく。 [12月10日・8号ホーム23:05迷惑行為で110番]との記載を確認。 暴行現場である階段の上に設置された防犯カメラは「階段の下まで写すカメラ」であることを教えていただく。 新宿駅でのチラシ配りの許可はいただけなかった。 ■3月1日 警視庁情報公開センターに息子の「110番通報」の開示を請求。 ■3月11日 新宿駅でチラシを配り始める。 ■3月16日 東京都庁個人情報開示課へ、「110番通報」の開示請求について相談に伺う。 ■3月18日 弁護士に「110番通報」の開示請求のため「23条照会」をかけていただく。(3月24日付照会) ■3月23日 新宿警察署に男子大学生を住所氏名不詳のまま暴行容疑で告訴しようとしたが拒否される。 暴行現場である階段の手前に、新しい階段が完成。 ■4月6日 東京地方検察庁に弁護士と告訴状を持参。 ■4月8日 新宿警察署から「郵送した告訴状を返送する」と2度めの告訴拒否の連絡を受ける。 ■4月12日 目撃者探しのためのブログを開設。 ■4月20日 検察庁から電話。検察庁は告訴を受理する方向で動く旨および証拠としてボイスレコーダーを提出してもらいたいという要請を受けた。 ■4月23日 息子が11時27分にかけた「110番通報の記録」が一部開示された。(4月19日付回答) ■4月27日 検察庁から電話。都の迷惑防止条例の不起訴記録は非開示と連絡を受ける。 ■5月25日 検察庁から「男子大学生に対する告訴状は受理されている」旨の連絡を受ける。 【メディアの報道と警察署・JRのコメントの変遷】 ■5月7日 夕刊フジに記事掲載。 ■5月17日 週刊ポストに記事掲載。 ■5月20日 産経新聞に記事掲載。 同署(新宿署)によると女性は触ったという人物の顔を見ていない。 唯一の物証は防犯カメラの映像だという。 「女性の『(誰かに)触られた』という証言は信用できる。すれ違った瞬間はカメラの死角だが、証言と同じタイミングで触れる人は原田さんしか写っていない。 証言と映像で複合的に判断した」と説明する。 「本来は立件するような事案ではなかった。母親の『暴行』との訴えや、相手の女性の気持ちも考慮した結果白黒つけるべき話になった」 「(大学生の行動は)痴漢の行為を引き留める行為の一環」 ■5月25日 週刊女性に記事掲載。 【新宿署のコメント】 「痴漢と暴行をセットで捜査して終了した」 「原田さんが亡くなったことは、大変お気の毒ですが、本件については必要な捜査を適正に行ったあとに送致しております」 【JR東日本のコメント】 「社員が現場に駆けつけたときは、1人の男性が馬乗りになって押さえつけていた、とのことです。痴漢ではなく、トラブルとして対処した、と聞いています」 ■6月14日 フジテレビ:スーパーニュースで放送。 ■6月15日 司法記者クラブで記者会見。 ニコニコ動画で生放送。 TBSニュース23で放送。 ■6月16日 産経新聞に記事掲載。 毎日新聞に記事掲載。 共同通信社にて記事配信。 ■6月21日 【JR新宿駅駅長室】 『駅助役の話』 [12月10日・8号ホーム23:05迷惑行為で110番]について 「迷惑行為といっても喧嘩、痴漢など色々ある」(A助役) 「社員が現場に行って確認してから110番通報をしている」(A助役) ■6月28日 【JR新宿駅駅長室】 『駅助役の話』 「JRの社員が現場に行き、女性から『痴漢』と言われたので、8号ホームから別の社員が警察に通報した。」(A助役) 「『迷惑行為』とは『痴漢行為』を指していう」(他の職員) 「警察官に引き渡した時間は、通常だと110番通報をしてから10分か15分後になる」(A助役) 「(テレビの警察のコメントのあった)息子が駅員の方の名札を奪ったというのは本当ですか」 という質問に 「警察に聞いてもらいたい」(A助役) 「事実です」(他の職員) ■7月7日 目撃者の証言等から、「息子のかけた110番通報」は11時過ぎ頃と判明し、二度目の「23条照会」をかけていただく。 ■8月11日 警視庁・新宿警察署及びJR東日本への【質問状】を送付する。 ■8月13日 息 子が11時20分にかけた「110番通報の記録」が開示された。「応答した直後に無言のまま切断されています」という内容だった為、通信指令センターの山 岸氏と会話をした最初の「110番通報の記録」を開示請求のため、三度めの「23条照会」をかけていただくことになる。 ■8月24日 JR東日本からの【回答】が届く。 公開質問状の回答から(一部抜粋) 「現在は警察当局に提出しました防犯カメラの映像は返却され、 当社で所持しております」とのこと ※1 2月25日の回答では警察から証拠保全の指示がなかった為、消去して無いとの回答 ニコニコ動画で二度目の生放送。 ■9月11日 警視庁新宿警察署からの【回答について】が届く。 警視庁新宿警察署からの【回答について】は、【回答について】は回答できないという内容。 ■9月29日 故黒木昭雄氏と初めて面会。 ■10月18日 新たな目撃者の目撃証言を代理人の弁護士が検察庁特捜部佐藤検事に提出。 ■10月19日 新宿駅の事件現場で何時もの様にポスターを掲げて立っていたところ駅員が現れ 「こんなところに立っていないで、改札の外へ行ってください」と言われる。 ■10月20日 事件現場で一人で立っていたところ、突然駅員が現れ至近距離より写真を撮られる。 「私には肖像権がありますので、その写真はお返しください」と言ったところ 駅員は 「私はあなたを撮ったのではない。工事中の現場の写真を撮っただけです」と言い残し、逃げるように駅長室に入る。 ■10月26日 再度、JR新宿駅のU助役に写真を撮られる。 一緒にいた人も2回フラッシュを浴び、20日と同様に、写真を返却するよう言ったが、 「あなた達を撮ったのではない。構内の写真を撮っただけです」との返答。 ■11月1日 午後4時に故黒木昭雄氏と最後の会話。 原田:「明日メールをお送りいたします」 黒木:「わかりました」 ■11月6日 夕刊フジ 「目撃者現れ新展開」 産経新聞MSNニュース に掲載。 ■12月2日 午後1時:東京地方裁判所の決定の元、証拠保全の検証を行うため、裁判官・書記官・弁護士の先生・カメラマンの方が東京都警視庁通信指令本部に出向く。 しかし、警視庁は、「人手が足りない」「業務に支障をきたす」等の理由で、証拠保全の検証手続きを12月27日に先送りにする。 ■12月6日~9日 「日刊サイゾー」にて 「短期集中連載」発生から1年「新宿駅痴漢冤罪暴行事件」の闇 ①~④が掲載される。 ■12月7日 警察が信助さんを痴漢の犯人と断定した根拠とされる「新宿駅の監視カメラの映像」を、JR東日本に証拠保全に出向くも、提出された証拠はデータをVHSのテープにコピーした不鮮明な映像であり、 しかも、事件が発生したと言われている時間とは違うものであった ■12月10日 ニコニコ生放送にて一周忌企画として三度目の生放送 「痴漢と呼ばれ自殺~1年前の夜、新宿駅で何が起きたのか?」 出演者) 津田大介(メディアジャーナリスト)(@tsuda) 原田尚美(信助さんの母親) 江川紹子(ジャーナリスト)(@amneris84) 小川健(夕刊フジ記者)(夕刊フジ公式サイト:ZAKZAK) ■12月11日 信助さんの一周忌法要が行われる。 ■12月14日 夕刊フジ 及び ZAKZAKにて記事掲載 【夕刊フジ編集局から】ジャーナリスト江川紹子も追い続けるJR新宿駅・突然痴漢容疑で自殺 ■12月15日 東京地検は、息子を暴行の被害者とする、告発を「嫌疑なし」「証拠なし」として、立件しないと決める。 ■12月17日 夕刊フジ 及び ZAKZAKにて記事掲載 【夕刊フジ編集局から】亡き息子の痴漢えん罪を訴えた母の願い ■12月27日 午後1時:東京地方裁判所の決定の元、証拠保全の検証を行うため、裁判官・書記官・弁護士の先生・カメラマンの方が再度、東京都警視庁通信指令本部に出向く。 警視庁は、音声の記録は提出せず、文書の記録をコピーした紙を提出する。 警視庁の提出した記録により、事件の翌朝4時30分には、被害女性が「(息子は)人違いだった」と証言していたことが判明する。 2011年 ■ 3月4日 真実を明らかにするために、この度、東京地方検察庁に対し、要望書を提出 要望書「新宿駅痴漢冤罪事件、事件記録閲覧の申請に関して」(PDF形式) 支援:犯罪被害者家族の会Poena ■ 3月10日 警視庁情報公開センターに息子の写っている「牛込署の保有する防犯カメラの映像」の開示を請求。 ■ 3月31日 犯罪被害者家族の会Poena 代表の小林邦三郎氏にご同行頂いて、 検察庁にて「新宿駅の防犯カメラの画像」の開示請求書を提出する。 刑事部高橋検事より、【要望書】の質問に対して「検察庁の捜査に違法性はない」という回答がある。 警視庁に「牛込署の保有する東京駅から大手町駅間の息子が写っている防犯カメラの映像」の開示を再度請求。 中野寛成国家公安委員長宛に【要望書】を提出する。 ■ 4月4日 警視庁情報公開センターより、息子の写っている「牛込署の保有する防犯カメラの映像」の開示は 刑事訴訟法第53条により開示できないと回答が届く。 ■4月26日 警視庁を提訴 東京霞ヶ関の弁護士会館にて記者会見 ニコニコ動画にて 記者会見を生放送 「日刊サイゾー」記事掲載 「ニコニコニュース記事掲載」 ■4月27日 東京新聞に記事掲載 朝日新聞:東京版に記事掲載 ■5月9日 週刊ポストに記事掲載 【裁判の経緯】 (以下、「原田信助さんの国賠を支援する会」から) ●2011年4月26日 清水勉先生を筆頭とする弁護団に依頼して、東京地裁に東京都(警視庁)を相手取り、国賠を提訴する。 ●2011年6月14日 東京地裁709号法廷 第1回口頭弁論 原告は事件に関わった警察官、被害女性とその友人、駅員2名の供述調書及び3台の防犯カメラの映像とその配置図、当時の新宿駅構内の配置図の提出を求める。 被告東京都は、「警察の捜査に問題はなかった、痴漢行為は存在した」と文章の供述のみに終始し、証拠の提出、また痴漢事件発生現場とその状況等については言及しなかった。 ●2011年8月30日 東京地裁611号法廷 第2回口頭弁論 原告は前回提出を求めた「証拠」に加えて、原田信助の全身写真及び供述調書、検察庁に送付した送致書に添付した目録の提出を求める。 被告東京都は前回と同じく、「新宿署署員の証言・被害女性の証言・防犯カメラの画像解析」を文章の供述のみに終始し、証拠の提出、痴漢事件発生現場とその状況について一切触れようとしなかった。 ●2011年11月8日 東京地裁709号法廷 第3回口頭弁論 原告は「存在しない事件の書類送致は、刑訴法246条本文に反し違法である」ことを主張する。 被告東京都は依然として、16頁に及ぶ準備書面にて「警察の捜査に違法性はない。痴漢事件は存在した」と供述し、証拠の提出等について言及しなかった。 ●2012年1月17日 東京地裁709号法廷 第4回口頭弁論 原告は前回提出を求めた「証拠」に加えて、駅員A及び駅員Bの氏名、事件の発端である原田信助と被害女性らがすれ違った場所を特定するため、本件現場図面と関係者の位置関係及び防犯カメラの設置場所、「お腹の辺りを撫でられた」とはコートの上を指すのか、セーターの上を指すのか、釈明を求めた。 被告東京都は前回と同じく、「新宿署署員の証言・被害女性の証言・防犯カメラの画像解析」を文章の供述のみに終始し、痴漢事件発生現場とその状況について一切触れようとしなかったが、今回は東京地裁民事12部合議B係に対して、文書送付嘱託を申し出した。 ◆2012年1月31日付けで 東京地方検察庁 検察官 鎌田 隆志 検事より、東京地方裁判所12部合議B係 乾 俊彦 書記官に 文書の送付嘱託について(回答)が届く ●2012年3月6日 東京地裁709号法廷 第5回口頭弁論 被告東京都は防犯カメラのビデオ映像については一切触れず、検察から出された300ページに亘る文章と写真のみ提出した。 清水弁護士の、「今回提出された事件記録のうち、(カラー)写真をもって乙第21号証を 書いたのか?」との問いに対し、被告東京都は(信助氏が映っている)映像は見ていないと 答えた。原告側代理人はこれらに対する準備書面を作成中だとし、更に被告の主張には 正当性が無いとも述べた。 ◆ 公判後の清水勉弁護士のお話によると、今回の不起訴記録は警視庁が今まで主張していた 内容と違う事が書かれているので、警視庁としては想定外であった可能性がある。 又、今まで所謂痴漢の被害者とされた女性は、原田さんが亡くなって二ヶ月近く経って被害届を出していた。清水弁護士からは、「人相服装から原田さんではないと事件当日女性が証言し、信助さんの痴漢冤罪が晴れたにもかかわらず、二ヶ月近く経っての被害届と二日後の送検は疑わしいのだと言う。送検の為にわざわざ被害届を出させた可能性だけでなく、当の女性が果たして実際に被害届を書いたのかにも疑問を呈していた。 報告会の途中、元北海道警釧路方面本部長の原田宏二氏が、「捜査本部設置」の不可解な 点について言及。信助さんのお母さんの尚美さんの動きから警察は国賠を想定して捜査本部を設置したのではないかと指摘された。 ●2012年5月8日 東京地裁709号法廷 第6回口頭弁論 原告代理人は、新宿署が事件捜査の為に設置したと主張する「特命捜査本部」について(同様の事件に関してその様な前例が無い事から)被告に対し設置に至る経緯、法的根拠等の説明を求めました。しかし、今法廷ではそれらに関する回答は無く、次回口頭弁論迄に「書面にて回答する」という事で休廷となりました。 ●2012年7月10日 東京地裁709号法廷 第7回口頭弁論 原告代理人は、前回の口頭弁論で、新宿署が事件捜査の為に設置したと主張する「特命捜査本部」について(同様の事件に関してその様な前例が無い事から)、被告に対し設置に至る経緯、法的根拠等の説明を求めました。被告側の回答は「特別捜査本部とは、新宿署内の捜査体制を表現しただけのものであり、法令等により設置基準等が定められているわけでもなく、捜査対象者が取り調べの直後に死亡した異例な事態に対応して」という 被告側の求めた具体的根拠とは程遠いものでしたが、裁判長より「全国の事は判らないかもしれない、警視庁についても判らないかもしれない、しかし、新宿署における特別捜査本部の設置条件についてちゃんと説明しなければ 回答にならない」との指摘があり、具体的な回答は次回口頭弁論に持ち越しとなりました。 息子が急逝してから973日が過ぎようとしています。 三度目のお彼岸が過ぎ、三度目のお盆を迎えようとしています。 最初は一人で始めた活動でしたが、今では沢山の方々にご支援を頂き感謝しています。 息子と同じような被害者が続かないためにも頑張ってまいります。 これからも目撃者探しを続けていきますので、目撃された方、何か情報をお持ちの方、どうぞお知らせください。 ■
[PR] 2012年 07月 10日
原田です。 皆様から沢山のコメントや励ましのお言葉をいただき感謝しています。 ご支援くださる皆様、本当にありがとうございます。 本日 東京地裁709号法廷にて第7回日頭弁論(相澤哲裁判長)が開かれました。 原告代理人は、前回の口頭弁論で、新宿署が事件捜査の為に設置したと主張する「特命捜査本部」について(同様の事件に関してその様な前例が無い事から)、被告に対し設置に至る経緯、法的根拠等の説明を求めました。 ■本日の口頭弁論に先立ち、(以下の)東京都準備書面(4)が地裁に提出されました。 被告は、本準備書面において、原告の平成24年4月16日付け求釈明書に対して応答する。 なお、略語については、被告の従前の例による。 1 新宿署長は、亡信助の死亡という結果を受け、本件当日の亡信助及び被害女性らの行動について、事件性の有無を含めて全容解明を図る必要があると判断したがヽ本件捜査においては、亡信助と訴外甲との間の暴行事実の有無、亡信助と駅員Aらとの間の暴行事実の有無、亡信助と被害女性との間の迷惑防止条例違反事実の有無等に関する裏付け捜査が必要であったため、本件当日に亡信助及び被害女性らの事情聴取に当たった捜査員を含め、刑事課員及び生活安全課員の連携を密にした捜査を行う必要があると判断し、同署刑事課松滞警部を捜査主任官とした刑事課員及び生活安全課員による合同の捜査体制で本件捜査に当たらせた。 2 松浦警部作成の捜査報告(乙2号証)に用いられた「特命捜査本部」との記載は、上述した本件捜査における新宿署内の捜査体制を表現しただけのものであり、犯罪捜査規範(昭和32年国家公安委員会規則第二号)第22条に規定されている特別捜査本部を設置したという意味ではなく、本件捜査における捜査体制について、法令等により設置基準等が定められているわけでもない。 3 なお、本件捜査については、捜査対象者が亡くなっているという点において異例の事案であることは確かであり、そのため、新宿署においては、刑事課員と生活安全課員の連携を密にした慎重な捜査を行ったものである。 ■原告代理人は、6月8日付けで再度 以下の「求釈明書」を提出しました。 平成24年7月10日付被告準備書面(4)では、原告が平成24年4月16日付求釈明書において釈明を求めた事項のうち、以下の点について釈明がないので、再度釈明を求める。 1 特命捜査本部は、どのような事件について設置されるのか。 2 特命捜査本部は全国の警察本部に存在するものか。 3 過去10年間、警視庁及び道府県警察本部において、特命捜査本部が設置された件数及び事件の罪名・内容を明らかにされたい。 4 過去10年間、警視庁及び道府県警察本部において、被疑者が死亡した後、特命捜査本部を設置した事件の件数及び事件の罪名・内容を明らかにされたい。 これに対する被告の回答はなく、今法廷で裁判長は回答するよう被告に求めましたが、 「回答しようがない」「次回に回答することを考えたい」等の回答がありました。 ■原告代理人は、7月4日付けで準備書面(3)、本日は証拠説明書を提出しました。 準備書面には、故日隅一雄弁護士・浜田薫弁護士が警視庁通信指令本部に対し、平成22年12月2日・27日に 息子が暴行を受けている中、助けを求めて110番通報をした際に、対応した通信指令センターの山岸氏との通話の時間・内容等について証拠保全の検証を行なった「両日の検証調書」が添付されました。 警視庁が提出した 110番情報メモの【処理てん末状況】には 結論 : 痴漢容疑で本署同行としたが、痴漢の事実が無く 相互暴行として後日 地域課呼び出しとした。 状況 : 当事者甲が痴換をしたとして 、当事者乙が丙、丁に依頼し甲を取り押さえたが、本署生安課で事情聴取した結果、乙が現認した被疑者の服装と甲の服装が別であることが判明。聴取の結果、丙、丁がもみ合いになった際、お互いに暴行の事実があることから、相互暴行として後日地域課呼び出しとした。 と記載されています。 ところが、新宿署が設置した【特命捜査本部】の捜査によると、この15日後に(自称被害)女性は被害届けを提出したことになっています。 (自称被害)女性とその連れの2名の男性は、「階段でお腹を触られた」と主張しているのに、【特命捜査本部】の捜査によると、「女性が通路でお腹を触られた」ことになっています。 原告代理人の準備書面(3)では、多くの疑問点について、また、「被害届を提出した女性等が、別人ではないか」と被告に回答を求めました。 被告は、「回答に9月一杯かかる」と回答し休廷となりました。 沙羅双樹の花氏が【第7回口頭弁論報告会:新宿署違法捜査憤死事件】の動画をユーチューブにアップして下さいました。本当にありがとうございます。http://www.youtube.com/watch?v=qGPFA5DnHh8 第8回口頭弁論は10月16日(火)11:30~ 東京地方裁判所 第709号法廷にて開廷されます。 変わらぬご支援よろしくお願い申し上げます。 息子が急逝して、942日が過ぎました。 三度目のお盆を迎えようとしています。 「継続は力なり」 息子が好きだった言葉です。 これからも目撃者探しを続けていきますので、目撃された方、何か情報をお持ちの方、どうぞお知らせください。 ■
[PR] 2012年 06月 10日
原田です。 皆様から沢山のコメントや励ましのお言葉をいただき感謝しています。 ご支援くださる皆様、本当にありがとうございます。 5月8日(火)10時10分から、東京地裁709号法廷にて第6回口頭弁論が開かれました。 原告代理人は、新宿署が事件捜査の為に設置したと主張する「特命捜査本部」について(同様の事件に関してその様な前例が無い事から)、被告に対し設置に至る経緯、法的根拠等の説明を求めました。しかし、今法廷ではそれらに関する回答は無く、次回口頭弁論迄に「書面にて回答する」という事で休廷となりました。 6月8日(回答期限最終日)に、被告東京都(警視庁)から、たった19行の準備書面(回答)が届きました。 内容については、残念ながら、「小学生並みの作文」と言わざるを得ないものでした。 2010年5月25日(火)【週刊女性】が、「取り調べから自殺まで【全7時間のテープ】が物語る【痴漢えん罪疑惑!」 「イケメンエリート(原田信助さん享年25)無実を訴え自殺」 巻頭特集をご登載下さいました。 同日、東京地検特捜部濱検察官から、代理人の事務所に電話があり、「原田信助さんの受けた暴行被害の「告訴」は受理しています」というご連絡を頂きました。ところが、その後検察官が3名入れ替わり、2010年12月15日、3人目の岸検察官担当の元、暴行した学生は「嫌疑なし、証拠なし」で不起訴処分となりました。 2012年5月25日(金)平塚 俊樹氏著 【証拠調査士は見た! すぐ隣にいる悪辣非道な面々】 (宝島社) が発売されました。 P.189〜P.196では、 「痴漢の見間違えで自殺に追い込まれた25歳の原田さん」として、息子の事件を詳細にご登載頂きました。 この国では、「悪魔の証明」と言われている、物証もなく犯人にされる「痴漢犯人捏造事件」が多発しています。ご高覧よろしくお願い申し上げます。 息子が急逝して、912日が過ぎました。 明日は息子の30回目の月命日になります。 息子の名誉の回復と、同じような被害者の方が続かないためにも真実を明らかにする為、頑張ってまいります。 これからも目撃者探しを続けていきますので、目撃された方、何か情報をお持ちの方、どうぞお知らせください。 ■
[PR] 2012年 05月 10日
原田です。 皆様から沢山のコメントや励ましのお言葉をいただき感謝しています。 ご支援くださる皆様、本当にありがとうございます。 5月8日(火)10時10分から、東京地裁709号法廷にて第6回口頭弁論が開かれました。 原告代理人は、新宿署が事件捜査の為に設置したと主張する「特命捜査本部」について(同様の事件に関してその様な前例が無い事から)、被告に対し設置に至る経緯、法的根拠等の説明を求めました。しかし、今法廷ではそれらに関する回答は無く、次回口頭弁論迄に「書面にて回答する」という事で休廷となりました。 休廷後、弁護士会館509号室にて報告会を開きました。 ご支援下さる方々、寺澤有氏を始めとするジャーナリストの方々、「ポエナ」代表の小林邦三郎氏、「国賠ネットワーク」代表の土屋翼氏、「虚偽申告女性を訴えて13年」の沖田光男氏を始めとする冤罪被害者の方々が応援に来て下さいました。三宅勝久氏もお忙しい中、駆けつけて下さいました。皆様、本当にありがとうございました。 寺澤有氏が【THE INCIDENTS】に 《新宿署が設けたとされる「特命捜査本部」なるウソ臭いものの正体は?》という記事を書いて下さいました。http://www.incidents.jp/news/ 沙羅双樹の花氏が【原田信助氏の国賠訴訟報告会】の動画をアップして下さいました。 【特命捜査本部について】http://twitcasting.tv/sarasoujunohana/movie/4645190 ご支援下さる皆様に、心より御礼申し上げます。 【新宿署が設けたとされる「特命捜査本部」なるウソ臭いものの正体は?】 【THE INCIDENTS】から 筆者 - 寺澤有 2012年 5月 08日(火曜日) 13:00 2009年12月11日、警視庁新宿署に痴漢容疑で取り調べを受け、直後に自殺した原田信助さん(享年25歳)の母親・尚美さん(55歳)が、「警察の捜査は違法で人権侵害」として東京都に損害賠償1000万円を請求している訴訟の第6回口頭弁論が5月8日、東京地方裁判所(相澤哲裁判長)で開かれた。 原告側は「記録上、新宿署が(痴漢)事件の全容を解明するため、『特命捜査本部』を設けたとされている。しかし、法規上、『特命捜査本部』などというものはない。これは、いったい何なのか」と追及。被告側は「『特命捜査本部』に法的根拠はない」と認めたものの、「詳細は次回口頭弁論(7月10日)までに書面で回答する」とした。 閉廷後、原告代理人の清水勉弁護士は「『特命捜査本部』なんてウソ臭い名前のものは初めて聞いた。本当は、警視庁本部も警察庁も関与して違法捜査の後始末をしているのに、新宿署だけで処理したように見せかける必要から、『特命捜査本部』などという法的根拠がないものを設けたとしているのではないか。つまり、警視庁本部と警察庁の責任逃れだ」と話した。 「息子の身に何が起きたのか」問い合わせを始めた直後に、警視庁新宿署は「『特命捜査本部』を設置したことが明らかになりました。 2009年12月10日(木) 吉祥寺で転職の歓迎会を開いて頂いた帰路に、息子が降り立つはずだった駒込駅のツツジが満開になりました。 駅前から続くさつき通りで、颯爽と自宅に向かう息子の影を見たような気がしました。 これからも目撃者探しを続けていきますので、目撃された方、何か情報をお持ちの方、どうぞお知らせください。 ■
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