1.この作品への出演が決まって…

 津田寛治君、森下能幸さん、そして僕へのオファーだと聞いて、メンツだけでも面白そうだと思い、内容も聞かずに引き受けてしまいました。後日、監督にお会いし、コンセプトを聞いて怖じ気づきました。前回の「Reset」とは大きく違い、まず時代劇である事、そして見知らぬ他人では無く幼なじみの関係である事。ましてや方言を加えようという案も出てしまい三重苦!これは個人的準備だけでは済まされない!撮影日に備えて時代背景、過去、言葉使いを三人で共通させておかなければならない。簡単な即興劇ではないと思えば思うほど、気は重くなってました。 

2.関ヶ原を訪れて

 僕らが知識として必要だったのは関ヶ原の合戦の内容では無く、政治的背景でも無く、参戦する事に至ったであろう片隅の百姓の生活、風土である。インターネットでも希望する情報は取得出来ず、現代の関ヶ原をじかに訪れたところで大した情報は期待していなかった。寧ろ少しでも監督、出演者、関係者と共に時間を過ごす事を大事に考えてました。
 関ヶ原に到着するなり、数名が頭痛や霊感めいた事を訴えるので、最初は皆が歴史に捕らわれて神経質になってるだけだと思ってました。資料館や陣営跡地を巡りながら、ふと赤い花が随所に咲いている事に気が付き、僕は冗談半分に地中から死者の手が伸びてる来てるようだと言っていたのですが、そう思って見ているうちに、なんだか切ない気持ちになり始めてました。道すがら、草焼きをしているオバちゃんにその花の事を聞くと、曼珠沙華という彼岸花で植えた花ではなく自然に咲いているものだとか。それも合戦があったこの時期にしか咲かないらしいのだ!それを聞いて僕は怖いというより尚のこと、切なさが増したのです。なんだか分からないけど涙が溢れそうにもなりました。花を見つめながらこの映画のラストシーンが見えた気がしました。賜りました……!そう思えてました。それは僕の予想通りの展開ならばの話でしたが。 

3.本番前

 こんな難しい企画を引き受けて、自分はなんて馬鹿なんだろうとグチってばかりでしたね。本編の芝居までに至るエピソードを作る為に三人でエチュード(即興芝居)を何度か重ねていたのですが、なかなかスケジュールを合わせる事もままならず、撮影前日に現地入りをさせて貰い、最後の一日に現代語禁止ゲームや山道散歩エチュードなど、手探りで出来る限りの事を繰り返しました。それでも三人の不安は拭い切れてなかったと思います。ただ一つ、僕のマタという役柄に確信出来ていた事は、この撮影に立ち向かう恐怖は関ヶ原の合戦に向かう心境に置き換えられる。この怖れと徒労感は拭い去る必要はないだろうと…。てな訳で深夜に監督らが合流してからは、もう開き直って酒を煽るばかり!
 翌日、集まったスタッフの方々と対面して更に驚愕。何せ一発撮りだからカメラマンも10名召集されている訳で、頭数で言ったらメジャー本編と変わらないぐらいの人数が集まっている。これは冗談話ではない!タダ事ではないぞっ!…という気持ちを紛らわしたいのか、頼まれもしないのにひたすら自分の体や衣装汚しに必死になってました。
 そして「本番用意!」という監督の声が響き渡り、気分はまるでスカイダイビングで飛び降りる瞬間の様でした。スタントシーンでもないのにね。 

4.撮影が終わって

 スタントシーンというよりは濡れ場(SEX)シーンの終了後みたいでしたかね。なんとも言えない気恥ずかしさで一杯でしたね。僕の想い(企て)は意外と早くにピークを過ぎてしまい、結末は予想もしなかった閉じ方をしました。これでイイの?これで良かったの?…そんな事は誰にも聞けず、とにかく三人で抱き合
いました。今まで何度も現場を共にしてるメンバーですが、初めて抱き合ったと思います。それは爽快感からのものでは無く、唯々、本番中怖かったからなのか、慰め合いたかったのか、許し合いたかったのか?
 汚れた体をシャワーで洗いながら、僕の頭の中はさっそく先程の芝居がプレイバックしており、あ〜すれば良かった、こ〜すれば良かった大会。まぁ、それはどの現場の後でもそうなんですけどね、反省量が膨大でしたね。でもやり直しが出来ない掟の作品である以上、何を考えても仕方がない。帰り道、温泉で体を暖めさせて貰い、そしてまた酒を煽るばかり。
 今はオーディションの結果を待っているような気分ですが。そして審査員は観客なのです。僕らの役者生命が賭けられているしまってるような心境です。もう真剣に観られるより、からかい半分に笑って観て頂けたら幸せでしょうか? 


- 森下能幸
- 田中要次
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- 津田寛治