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  神泉の聖女 作者:サトム
スイートポテトと提案
 慣れというのは人と人が親密に付き合う上でなくてはならないものだと思う。

「スイートポテトが焼けましたよ~」

 ホットケーキミックスを送ってくれないので苦肉の策だぜ、こんちきしょう!と、現在自宅で家事をこなしているであろう創世者の青年に内心で毒突きつつ、ルーフェリアはオーブンから緑色のそれを取り出した。
 焼く前の味見では完璧だったのだから、多少色がおかしくなったとしてもなんとかなるだろうと微妙に視線を逸らしつつ、優しい甘さの匂いに頬を緩める。

「ああ」

 そういってキッチンでもあり、ダイニングでもあり、リビングでもあるそこに新しく入れられたソファに横になっていたヴァルターが起き上がった。仕事上がりに立ち寄った彼は黒髪を下ろし、薄いブルーのシャツと紺のスラックスを身に付けた姿で大きく伸びをする。腰のベルトは外されてイスの背もたれにかけられ、無骨な剣はいつものようにテーブルに立てかけられていた。

「お昼は食べていきます? それとも寮に帰って眠りますか?」

 王城で勤めていた彼が同じ敷地内にある騎士寮に帰ることなく神殿に来るのは、お菓子を食べるためだ。いつもなら夜勤明けでも涼しい顔をしているヴァルターだったが、なにやら忙しかったらしく切れ長なアメジストの目も今日は覇気がない。

「昼は食う。それまでここで寝てる」

 若干寝ぼけているような様子に珍しいこともあるものだとお茶を用意していたルーフェリアは首を傾げる。

「食事の用意をすれば必然的に煩くて眠れませんよ? なんでしたら私のベッドをお貸ししますが」

 ドア一枚あるだけで騒音はかなり減るはずだ。本来なら自室で眠りたいだろうに……と気の毒そうにイスに座る彼に問いかけると、腕まくりをしながらしばらく考え込み彼は肯いた。

「済まないがそうさせて貰う。昼が出来たら起こしてくれ」

 そう言ってテーブルに着くために取り立ち上がってイスを引く。

「私の警備の件でもうしばらく忙しいのでしょうか」

 緑色のスイートポテトと紅茶を出しながら聞いてみると、しばらく考えてからヴァルターは気だるげな様子で話し出した。

「あの場でも半信半疑だったが、王宮でも同じ反応なんだ。狙われたのは貴族なのか、聖女なのかで意見が分かれている。平民である聖女を白騎士団が守護している弊害だな。救いなのはラザフォードが俺の意見に賛同しているところか」

 彼の口から漏れた守護騎士の名に小さくため息を吐く。眠たげだが嬉しそうに緑色のスイートポテトを食べていたヴァルターはそれに気付いて顔を上げた。

「いろいろと噂は聞いている」

 誰とは口に出さずに言われて、違和感ありまくりのスイートポテトを食べながらにっこり微笑んだ。

「誇張されていますがほとんど事実だと思います」

 ラザフォードの役職を盾に一日中自分の傍に居させたり、外に出れば腕にべっとりと張り付き恋人のように振る舞ったり。酷くなってくると無理矢理酒を飲ませて既成事実を作ろうとしたり、彼に近付いた女性に罵声を浴びせたりと馬鹿な行動を上げればキリがない。
 それでも……と紅茶を飲みながらルーフェリアは脳裏に描く。
 幼少の頃より地方神殿で閉じこめられていた。肥え太った聖職者とは呼べぬような体型の男達だけが世界の全てだったある日、ドアから入ってきた純白の騎士服と燃えるような紅い髪を持つ彼に目を奪われた。
 自由が無い以外は苦痛のない生活だったが、それでも娯楽と刺激に飢えていたルーフェリアが初めて見た、若く凛々しい男性に心がときめかないはずがない。
 彼女にとって自分を救い出してくれたラザフォードは英雄なのだ。

「今は落ち着いているように見える。飽きた……のか?」

 言葉を選ぼうとして失敗したヴァルターに、おかわりのお茶を淹れながら首を横に振った。

「ようやく現実を理解したというところでしょうか。聖女という肩書きを持つとはいえ、平民である私が貴族の子息である彼を追い回すなどあってはならないことでした」

「何がきっかけで現実を見つめる気になった」

 いつもは深く突っ込むことのない彼が珍しく話を続けてくる。甘い物を口に入れて緊張が解けたとはいえ、魂の入れ替わりを口にするほど呆けてはいない。完全に信頼を得るまで話すつもりはなかったから、どうしようかとしばらく考えて、それでも嘘は吐きたくないと結論を出した。

「三階のテラスから落ちた時、見えた青空に涙が出ました。世界はこんなに広いのに、どうして私はあそこに行けないんだろうと手を伸ばしながら悲しくなったんです」

 お茶を飲みきり、空になったカップを見つめながら話を続ける。

「飢えることもない、寒さに震えることもない恵まれた環境で暮らしていたのに贅沢ですよね。それでも今の生活も地方神殿で幽閉された生活も、なんら変わりがないと気付いてしまったから」

 ルーフェリアの記憶は鮮明で、思い出しさえすればその時考えたことを理解するのは容易かった。だからこそ彼女の絶望が判るのだ。

「私はただ人として生きたかった。笑って、怒って、悲しんで、楽しむ。人として当たり前のそれを望んだのがきっかけだったんです」

 言葉に嘘はない。だから視線を迷わせることもなくヴァルターの精悍な顔を堂々と見つめた。

「……判った」

 深い鋼の声がゾクリとした快感になって背筋を駆け上がり、口元に淡い笑みを浮かべた青年が背もたれへと上半身を預ける。動いた拍子にチラリと見えた鎖骨に内心で悶えながら、何やら考えを巡らす彼に首を傾げた。

「ここで教えられる常識やマナーはもうないから、望むなら次の段階に移ろうと思っていた」

 落ちついた声の内容に思わず身を乗り出すと、黒髪を揺らしてヴァルターが立ち上がる。

「詳しい話は昼食の時にな。美味かった。ご馳走様」

 そう言って気怠さが色気となったほほ笑みを浮かべながら長い足で寝室へと入っていく。その姿にうっかり見入ってしまったルーフェリアが我に返る頃には、ドアの閉じる音が部屋に響いた。

「まさかの放置プレイ……やるな、ヴァルター様」

 若干遠慮のなくなった彼の行動に白いエプロンを絞りながら悔しがると、台所に立って苛立ちをぶつけるように包丁を振り下ろした。







 最近気が付いた。というよりヴァルターに指摘されて理解したのだが、聖女は怪力らしい。
 どうりでこちらの世界の物は全般的に軽いと思ったのだが、まさか自分が成人男性でもある彼を肩に担いで走れるとは思わなかった。緊急事態以外は力を使わない約束はしたものの、ちょっとした事でばれてしまうことをしでかすのは仕方がないんじゃないかと思う。
 例えば手伝ってくれる人がいないので屋外に置いてある丸太のイスを三つ一気に持ってみたり、ついでに男性でも二人以上いなければ動かせないようなテーブルを1人で移動させてみたり。

「本当に隠す気があるのか?」

 仮眠を取り終えて顔を洗いに外に出てきたヴァルターは呆れたようにため息を吐いた。

「え? 誰にも見られていませんよ?」

 慌てて周囲を見回すも、鬱蒼と茂る木々の間に人影を見付けることはない。神殿の敷地の中でも僻地に近いこの辺りは祭司ですら滅多に姿を見せないのだ。だからこそ聖女が心穏やかに暮らしていけるのだが。
 井戸から水を汲んで顔を洗ったヴァルターに汗を拭おうとウエストに挟んでいたタオルを差し出す。頭を振って水を飛ばしていた彼が不思議そうに見下ろしてくるので、広げたままのそれを丁寧に折り畳んでからもう一度差し出した。

「まだ使っていませんから、どうぞ」

「ありがとう」

 言葉を添えると低いが良く通る声が礼を言い、タオルを受け取って顔を拭くのを見上げる。傍にいれば彼の背の高さを容赦なく実感し、また動くたびにシャツ越しにうっすらと見える鍛え上げられた肉体や引き締まったウエストに目がいってしまった。
 脂肪をなるべく排除した筋肉は見るからにしなやかで、ボクシング選手のような硬さはない。どちらかと言えば体操選手と水泳選手の中間だろうか。

「なんだ?」

 不思議そうに見下ろしてくる彼に内心では眼福だと舌を出しながら、返されたタオルを受け取って人の良い笑みを向ける。

「いいえ、なにも」

 そう言って誤魔化してから、鍋に用意していたシチューを器に盛りつつカレーが食べたいとため息が出た。
 ホワイトソースは作れたが、カレーのルーだけはどうにもならない。辛みの香辛料はあるものの、集められた香辛料でルーを作れる主婦は少ないだろう。ちなみに我が家のルーは林檎と蜂蜜を売りにしているあのメーカーが定番だ。
 スイートポテトと入れ違いにオーブンに入れられていたパンをテーブルに出すと、暖かな日差しが振り注ぐ中での昼食が始まった。

「ヴァルター様。勉強の次のステップはなんですか?」

 聞きたくて仕方がなかった事柄をようやく話題に出すと、優雅な仕草で食事をしていたヴァルターが手に持っていたパンを置いて小さく肯く。

「街に出たいと言っていただろう。俺も頃合いだと思っていたんだが、今回の事件で許可が出にくくなってしまったんだ」

 それはそうだろうな、と他人事のような感想を持つ。半ば予想し、諦めていた事なので落ち込みはない。

「そこで提案する。王城で働いてみないか?」

 考えてもいなかった提案にスプーンですくっていたシチューがこぼれ落ちた。こちらの反応を伺うアメジストの目は笑ってはいるがふざけている様子はない。恐らくは本気の提案に、ヴァルターはグラスの水を飲みながら話を続けた。

「前に言っていただろう。『街に出たい』、『働いて収入を得たい』と」

 何気ない茶飲み話で語った願いを憶えていたらしい。言葉に間違いはないので肯くと、パンをシチューに浸しながら世間話のように告げられる。

「王城にある酒場の給仕に空きがある。酒場だから働くのは夜になるが、あそこならここと変わらない守護を約束できる」

 シチューもパンのおかわりも綺麗に平らげたヴァルターをジッと見つめる。食事を終えてリラックスした今は、長い腕をテーブルに乗せて気持ちよさそうに風に吹かれていた。

「ご迷惑には……ならないのでしょうか」

 出来ないとは思うけど出来たらいいなという希望で口にした願いだ。聖女を大いに嫌っている守護騎士が拒否するのは簡単に想像できた。

「……今までの聖女もそうだったらしい」

 低い声が穏やかに言葉を紡ぎだし、じっと小屋を見つめる青年騎士。彫像のように整った横顔を見つめながら言葉の続きを待った。

「聖女は生きているだけでいい。肉親の情も、恋愛も、結婚も、すべて諦め神殿で生きていくのが慣例だった。だが聖女とて1人の人間だ。生きているだけでいいのなら、どこにいて何をしようとも構わないはずだと俺は考えた」

 そう言って向けられた目に魅入られる。力強い意志を感じさせる視線に絡まれて目が離せない。

「だからこの時期に聖女の傍にいるという事実を俺は利用しようと思う」

「なぜ……そこまで」

 理由を問えば、似合いすぎるほど挑発的な笑みを浮かべてヴァルターは高らかに宣言する。

「珍しくて美味い菓子の礼……それ以外になにがある?」

 当たり前すぎて理由を聞かれた事が驚きだと表情に出した黒髪の騎士を見て、彼は本来こういう男なのだとルーフェリアはようやく理解した。
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