第16号 2005.8.1発行 by 中村 公省
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 1. 10万人に迫る中国滞在者
 「反日」の気運にもかかわらず、中国に滞在する日本人数が急増している。外務省の調査(2004年10月1日現在)によれば、中国(香港を含む)における長期滞在者は9万8172人で、永住者1007人を合わせた滞在総数は9万9179人、ざっと10万人である。ちなみに2002年は6万4090人、2003年7万7184人で、この間の増加数は年間1万3094人、2万988人で、対前年比でみると20.4%増、28.5%増という趨勢である。
 約10万人という数字は、全世界に在留する日本人総数(96万1307人)の1割を占め、ブラジルを2003年にかわして以来、米国滞在者(33万9387人)についで第2位にある(外務省「平成16年の海在留邦人数調査統計」による)。
 モノの流れ(日本の輸出入金額)では、香港を含む中国は日本の世界貿易において輸入で21.1%、輸出で19.4%を占めているから、今後さらにヒトの流れ(滞在者)が増加することは必至である。


 2. 香港の減少、上海の急増
 さらに詳しく中国に滞在する日本人数(2004年10月1日現在)を都市別に見ると、以下の図表1のごとくである。この表を、1996年以来の中国各都市の長期滞在者の推移を示した図表2のグラフと対照させて見れば、各都市の日本人の動態が読めるであろう。


 図表1 2004年10月1日現在、中国各都市に滞在する日本人数
都市    滞在総数 長期滞在者数
①上海 3万4122人 3万4120人
②香港 2万5541人 2万4656人
③北京 7589人 7561人
④蘇州 5771人 5771人
⑤天津 2907人 2904人
⑥大連 2823人 2823人
⑦広州 2594人 2594人
⑧青島 2430人 2430人
⑨深圳 2339人 2339人
(注)長期滞在者とは3カ月以上滞在者。
   長期滞在者に永住者を加算したのが滞在総数。
 
図表2 中国各都市に長期滞在する日本人数の推移(1996-2004年)
(資料)外務省領事移住部政策課「海外在留邦人調査統計」

 2004年のエポックメーキングな変化は、香港がついに上海に抜かれたことである。香港の日本人長期滞在者は、香港が中国に返還された1997年2万5547人をピークにして減少し、景気の回復の変動に伴い小さい増減をへているが、総じて停滞している。
 日の出の勢いの上海の日本人長期滞在者については、1年前に本欄(第1号2004.5.15発行)で以下のように予測した。
 「〔2003年10月1日調査の〕上海の長期滞在者は2万3518人と出ている。なんと対前年比50%増である。わずか1年の間に7824人も増加したのである。新規増加数7824人とは、北京の全日本人数7535人を凌駕する数字である。総数の2万3518人とは、香港の滞在者数(2万4323人)に肉薄する。この調子で増加すると、上海の日本人は2004年中に3万人に達する可能性がある。」 (KEY NUMBER 第1号 「上海の日本人」)
 これと同じ筆法を用いて見ることが出来る。
 2004年10月1日調査の上海の長期滞在者は3万4120人で、対前年比45%増である。わずか1年の間に1万0602人も増加した。1万人余の新規増加数とは、北京、天津の全日本人数1万0462人に匹敵する。仮に、2005年も40%増と仮定すると、総数4万7768人となり、2004年のニューヨークの長期滞在者4万7549人を凌駕する。即ち、近く上海はニューヨークを追い越して世界第一の日本人長期滞在者のいる都市になる可能性が大きい。参考までながら、かつて上海租界の日本居留民はピーク時(1943年)に10万人と言われているから、その半分近くになろうとしている訳である。


 3. 停滞する北京、躍進する蘇州
 「経済の上海」に対して「政治の北京」は、日本人長期滞在者が停滞気味である。2002年7120人、2003年7535人、2004年7561人とここ3年ほとんど動いていない。
 ここ3年の間に停滞を抜け出したのは、北の大連、南の広州である。大連は2002年2000人、2003年2312人、2004年2823人と推移し、広東は2003年1467人、2004年2594人と増大している。ホンダ、トヨタなど自動車組み立てメーカーが進出して自動車関連企業の投資ブームに沸く広州の日本人長期滞在者が近いうちに急拡大するのは容易に予測できる。
 「実は上海よりももっと凄い動きをしているビジネス・スポットがある。水の……、否、IT(情報技術)の蘇州である。日本人数が2001年は対前年比が15%に過ぎなかったが、2002年は190%(3倍増)、2003年は134%という驚異的な増大ぶりである。実数は2003年3064人であるが、すでに大連や広州を越える日本人が蝟集している。」(第1号2004.5.15発行)
 2004年の蘇州はどうなったか?
 5771人である。対前年伸び率は低下したものの依然として88%増である。仮に、2005年も80%増の伸びを示すなら1万人を超える計算である。蘇州は上海のヒンターランドとして工業生産のセンターであり、区部には蘇州新区とシンガポール工業区との二大開発区、蘇州に属する県級市の昆山、呉江、太倉、常熟、張家江なども情報産業を中心とする工業開発区が集積している。

 
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