佐野眞一氏の盗用・盗作について

2012年11月18日 溝口敦
ノンフィクション・ライターの佐野眞一氏が『週刊朝日』2012年10月26日号に掲載した署名記事「ハシシタ 奴の本性」は、同誌の発売直後に橋下徹・大阪市長の反撃を受け、またその差別意識を掻き立てる形での記述が「あまりにひどすぎる」として読者や識者の反感、反発を買った。佐野氏の緊急連載は第1回だけで中止になり、河畠大四編集長は社長付に更迭されたうえ、停職3カ月の懲戒処分となった。版元の朝日新聞出版社長の神徳英雄氏は引責辞任し、「ハシシタ」問題は『週刊朝日』と雑誌ジャーナリズム全体に大きく負の影を落とすことになった。
しかし、佐野氏は11月12日、朝日新聞出版に依頼し、同社のホームページに『見解とお詫び』を掲載しただけで、事態をやり過ごそうとしている。
「人権や差別に対する配慮が足りなかったという報道と人権委員会のご指摘は、真摯に受けとめます。また記述や表現に慎重さを欠いた点は認めざるを得ません。私の至らなかった最大の点は、現実に差別に苦しんでおられる方々に寄り添う深い思いと配慮を欠いたことです。その結果、それらの方々をさらなる苦しみに巻き込んでしまったことは否めません」
弁解コメントであり、佐野氏は終始、彼本人が今回の人権侵害記事を執筆したことに対し、どう責任を取るか、身の振りようを明らかにしなかった。そればかりか記者会見の場さえ設けず、厳しい質問が予想されるメディアの前に立つことを回避した。卑劣で臆病、狡猾な対応というべきだろう。およそ人に公明正大を問わざるを得ないジャーナリストとして、あってはならない態度、言動である。
佐野氏は問題発生直後の10月19日、メディアからコメントを求められ、「今回の記事は週刊朝日との共同作品であり、すべての対応は週刊朝日側に任せています。記事中で同和地区を特定したことなど、配慮を欠く部分があったことについては遺憾の意を表します」と述べたが、以来一貫して自己の著作責任について頬かぶりで通している。
たとえ佐野氏というライター名の後に「本誌取材班」とあっても、著作権はライターが取るのが日本の出版界の慣習である。連載が単行本になった場合、ライターだけが印税を独占する。取材班の経費や報酬は編集部が持ち、単行本化された時点での取材班謝礼はライターの気持ち次第になる。
権利があるところ、義務が伴う。だからこそふつう出版契約書には、真っ先に次のような条項を定めている。
「著作権者は出版者に対し、著作権者が本著作物の著作権者であり、本契約を締結する権限を有していることを保証する。
著作権者は、出版者に対し、本著作物が第三者の著作権その他の権利を侵害していないことを保証する」
ライターは自らその記事を書いたという責任を免れないし、その責任は「共同作品」という理由で分割することはできない。佐野氏の言い分は逃げ口上でしかないのだ。
週刊朝日問題に火がつくと、ライターで都の副知事でもある猪瀬直樹氏がそのツイッターで、<橋下関連のアホ記事書いた佐野眞一って昔から盗作しまくってた超問題児作家だぜ>と言及し、その後、<月刊『現代』「池田大作『野望の軌跡』(佐野眞一)は三一書房刊『池田大作ドキュメントー堕ちた庶民の神』(溝口敦著)からの盗用が10数箇所もあり、翌月『現代』12月号に「お詫びと訂正」があります。このときから品性に疑問をもち付き合いをやめました>と佐野氏の盗用をすっぱ抜き、ネット上に波紋を広げた。
事実、私(溝口)は早い時期に佐野氏から作品を盗用された当事者であり、猪瀬氏の指摘はその通りである。
85年当時、私は『現代』(講談社刊の月刊誌、現・廃刊)の常連執筆者であり、同誌は定期贈本されていたから、発売直後に佐野氏の文章を一読し、私の本からの盗用の多さに唖然とした。ただちに同誌編集部で佐野氏を担当していた矢吹俊吉氏(現、講談社サイエンティフィク社長)に電話し、佐野氏に盗用されたことを伝えた。結果、会って話をすることになったが、次の日、落ち合ったホテルの喫茶室には矢吹氏ばかりか同誌編集長・田代忠之氏(故人)も現れた。
私は二人の前で『現代』11月号掲載の佐野氏の文章と、溝口『池田大作ドキュメント 堕ちた庶民の神』(81年6月、三一書房刊)とを示し、両作の文章を対照する形で、いかに佐野氏が拙著から多くの箇所を盗用したかを示した(後に対照表を掲げるが、少なくとも47箇所に及ぶ)。
拙著は最初に72年『池田大作 権力者の構造--堕ちる庶民の神』というタイトルで三一書房から刊行され、81年増補補訂し、『池田大作ドキュメント 堕ちた庶民の神』と改題して刊行されたものである(その後一部加筆して05年『池田大作「権力者」の構造』とのタイトルに戻し、講談社+α文庫から刊行、現在入手可能)。ノンフィクションとしては非常に長命な著作であり、自ら言うのも気が退けるが、「池田創価学会批判の古典」と目されている。創価学会と戦った同会元顧問弁護士・山崎正友氏(故人)も生前、大石寺の僧侶との勉強会で本書を教材に使ったと私に打ち明けたことがある。
現代編集部の田代、矢吹氏は私の説明に「なんて佐野はバカなんだ。ここまでマネするのは病気じゃないか」と驚き呆れた。佐野氏の拙著への著作権侵害は誰の目にも明らかだったといえる。
二人にどうしたらいいかと聞かれ、私は「佐野氏が私の本を無断盗用し、編集部がその無断盗用をチェックできなかったことは理解できる。編集部を責めることはしたくない。佐野氏が私に著作権侵害で『詫び状』を出せば、それで済ます。裁判には訴えない」と言った。
田代編集長は言った。
「そう言ってもらうのはありがたいが、盗用した作品を載せた『現代』の掲載責任は免れない。次号で編集部としてお詫びを出す。佐野氏には今回、現代に掲載した文章をその後の単行本に収録しないよう念を押しておく」
田代氏はこの言葉通り『現代』85年12月号の最終ページ奥書部分に、
「本誌十一月号「池田大作『野望の軌跡』」(筆者佐野真一)の記事中、出所を明記せずに、溝口敦氏の著書『堕ちた庶民の神』から引用した箇所がありました。同氏にご迷惑をおかけしたことをお詫び致します。(T)」
と記した。この(T)はいうまでもなく田代編集長を指す。
その後、私は矢吹氏経由で佐野氏の詫び状を受け取った(後に掲げる)。佐野氏は私に会い、私の前に立って、直接詫びようとはしなかった。編集者を使って、私に届けさせただけである。今回、橋下大阪市長に直接会って、頭を下げていないのと同じである。顔を合わせていないから、以後も双方にわだかまりが残る。詫び状は必要条件ではあっても、決して十分条件ではないのだ。
私は過去、現在を通して、佐野氏とはいっさい交渉がない。出版社のパーティーで二、三回、偶然に顔を合わせたことはあるが、そのときも佐野氏は私と目を合わせようとせず、会釈もせず、まして詫びの言葉を口にすることもなかった。ただ彼の目には私に対する一種の恐れが漂っていたようにも思う。
彼はいつか私が盗用の事実を大ぴっらに発表するのではないか、と恐れていたはずである。佐野氏が書いた詫び状には、詫び状のやり取りがあったという事実や文面を公表しないという文言はない。
なぜ私は、佐野氏が私を恐れていたのではないか、といえるのか。
その後、佐野氏は私に卑屈で陰湿な形で「サービス」しようとした事実があるからである。
例えば08年、佐野氏はちくまプリマー新書から『目と耳と脚を鍛える技術—--初心者からプロまで役立つノンフィクション入門』を刊行した。同書の末尾には「私が推薦するノンフィクション百冊」という項があり、その中に溝口『血と抗争 山口組三代目』が挙げられている。わが田に水を引くようで気が退けるが、『血と抗争』は暴力団物として世評が確立している。佐野氏の推薦は順当といえようが、推薦されて悪い気はしない。
前記した通り私は彼と没交渉だから、彼から事前にも事後にも「あんたの本を推薦しておいた」といったような連絡はもらっていない。単に彼が自分の本の中で溝口の著作をリストに加えただけだが、いつか物書きの私が知ることになると計算し、そのことにより私が「佐野もいいとこあるじゃないか」と考えを変えることを狙ったのかもしれない。
また05年佐野は佐野編で岩波書店から「ジャーナリズムの条件3 メディアの権力」を刊行した。これには私も一文を寄せたが、そのいきさつは当時、岩波の編集部から電話があり、「佐野さんも編集委員の1人だが、書いてくれないか」と執筆を依頼された。私は「佐野編」に違和感を覚え、「佐野氏には私の本から盗用した過去がある。そういう佐野氏の編集では話に乗れない」と断ったところ、編集者は盗用の事実を初めて聞くのか、「あれ、あれ」と驚きの声を上げ、「編集委員は佐野さんだけじゃないし、編集は佐野さんと関係ない。そんなことを言わずに書いてもらえないか」と食い下がってきたので、引き受けたまでである。私が佐野氏に指図されて書くわけでなし、単に編集部から書く場を提供されたから、それを活用しただけの話である。もちろんこのときも佐野氏と私との間には、電話一本のやり取りもなかった。
岩波の件も、佐野氏が私に提供しようとした贈り物である可能性がある。佐野氏は私が何とか彼の盗用を忘れてくれるよう願っていたはずである。だが、私はこういうことをする佐野氏に、彼の「本性」を見たと思っただけである。
ともあれ、猪瀬氏のツイッターが引き金を引く形で多くの人がツイッターやブログで、今なお佐野氏が他人の著作から無断盗用して恥じない事実を明らかにしていった。
特にネット上の「ガジェット通信」(http://getnews.jp/archives/tag/佐野眞一氏の「パクリ疑惑」に迫る)で粘り強く追及し、これまで8回にわたって佐野氏の「パクリ疑惑」というよりパクリそのものを集大成している。
以下、同通信の追及を箇条書きにすると、
①85年、佐野氏「池田大作『野望の軌跡』」が溝口「池田大作ドキュメント 堕ちた庶民の神」を盗用、
②86年、佐野氏「ドキュメント『欲望』という名の架橋」(「新潮45」
86年9月号)が佐野良衛氏『東京湾横断道路の大魔術』(「創」86年6月号)を盗用、
③85年、佐野氏が溝口に宛てた詫び状。
④11年、佐野氏が「週刊ポスト」に連載の「化城の人第1部」が月刊「パンプキン」編集部「創価教育の源流 牧口常三郎」、日隈威徳氏「戸田城聖 創価学会」の2書から盗用、
⑤91年、佐野氏「紙の中の黙示録」が深田祐介氏「新東洋事情」から盗用の疑い。
⑥93年、佐野氏「日本のゴミ」が山根一眞氏「ドキュメント 東京の掃除」から盗用の疑い。
⑦04年、佐野氏「宮本常一の写真に読む失われた昭和」と「旅する巨人」が石牟礼道子氏「山川の召命」から盗用。
⑧11年、佐野氏「化城の人」が日隈氏「戸田城聖」を盗用した詳細。
これら8つの指摘は佐野氏が盗用した文章と、盗用された文章(原文)を対比し、比較しているから、佐野氏が盗用ではないと言い逃れることはほぼできまい。
佐野氏は91年「旅する巨人」で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞し、09年には「甘粕正彦 乱心の曠野」で講談社ノンフィクション賞を受けた。また03年から開高健ノンフィクション賞の選考委員を務め、ノンフィクション界を指導する立場にある。彼の著作においても「10代のためのノンフィクション講座」や「目と耳と脚を鍛える技術」「メディアの権力性 ジャーナリズムの条件」など、ノンフィクション界を背負って立つような立場、態度を装い、作家活動を営んでいる。
しかし、数々の盗用、盗作を繰り返してきたライターがノンフィクション界のリーダー的存在になったというのはグロテスクな光景である。盗用・盗作ライターがなぜ後進を指導できるのか、ジャーナリズムについてもっともらしく発言できるのか、私には理解できない。
あえて個人的な感想を言うなら、私は佐野氏の作品を一度として高く評価したことがない。過去、彼に盗用されたからといって、彼の作品を意地悪く貶めるつもりなどない。彼の作品に力があるなら、私も物書きの端くれである、敬意を表するにやぶさかでないだろう。
思うに佐野氏は物書きとして自分の中心軸を持っていないのかもしれない。だからこそいつまでも盗用・盗作を繰り返すにちがいない。
私が不思議に思うのはネットでこれだけ騒がれながら、新聞や雑誌など紙のメディアがほとんど佐野氏の盗用・盗作疑惑について、見て見ない振りをしていることである。盗用・盗作は著作権の侵害であり、民事ばかりか刑事でも訴えることができる問題である。著作権法119条は著作権を故意に侵害した者に対して、10年以下の懲役、または1000万円以下の罰金、あるいは罰金と懲役の併科に処せられるとしている。
大学の研究者や新聞記者であっても、盗用・盗作が明らかになれば、ほとんどその地位を去る。理系、文系を問わず、他人の著作権を侵害したのだから、当然のことである。ひとり職業ライターだけが盗用・盗作を見逃してもらえるはずはない。
私は佐野氏に早期に盗用されながら、詫び状で済ませ、世間に公表することをしなかった。このことが佐野氏や佐野氏を取り巻く編集者に対し、盗用・盗作は重大な問題ではないとタカをくくらせることになったのかもしれない。
よって私は佐野氏による溝口関連の盗用・盗作を明らかにする一連の書類を私のホームページにアップし、佐野氏はどういうライターなのか疑問を持つ者が、いつでも参考にできるよう開示することにする。
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