昨日はセミナーに行って来た。かなり怪しいスピリチュアル系のセミナーだ。一瞬、なぜ私がここにいるのか、場違いではないのかとも思ったが、得るものもあった。

人は高い次元から低い次元までを含む存在なのだが、普段は低い次元のことしか意識していないのだという。どうすれば儲かるか、嫌われているのでないか、俗な欲望やネガティブな感情に満ちている。セミナーでは、高い次元の自分を感じるためのワークが行われた。詳しいことは書かないが、大筋はそんなところだ。

話が少しそれるが、40を過ぎてもいつもキラキラしている素敵なお姉さんのような人がいる。皆に、好きよ好きよ光線を出している。概ね、こういうタイプの人は金持ちだ。別に金持ちが良いとは言わないが、こういう人の意識は普通の人の意識より高い次元にあるのかな、などと想像した。

高い次元で生きている人達の世界。それは確かにある。普通の人がその世界に行くと気後れしてしまう。しかし、大事なことは彼らと同じ次元で対等に付き合うことなのだろう。普通の人にも高い次元は存在する。ただ、意識をその次元に合わせていないだけなのだ。

観念的な話になってしまったが、人生が上手く行かない人というのは、低い次元で頑張っている人達だ。そうして、心は枯れ、心の物置は雑然としたまま満杯になる。

最近では、ネガティブな感情を見つけて手放そうなどという安易な心理学があるようだが、どうだろうか。ネガティブな感情にフォーカスしてそれを明確にすることは意味がある。しかし、一つの感情をネガティブとして切り捨てるのは乱暴だろう。どんな感情であっても、それを大切に扱うことが基本なのだ。いつもキラキラしているお姉さんにも、嫌悪や敵意はあるだろう。しかし、それをサラリと受け入れることで、意識の次元の低下をまのがれているのではないだろうか。

「99%は正常なのだから、躁うつ病を見つめて暮らすのはやめませんか?」
「京月さんの魅力は若干の狂気にあるからな」
「そんな低い目標設定ではダメですよ」

いろいろな人が、いろいろなことを言う。私は迷う。基本的には「いい加減で、いい感じ」だと思っているが、本当にそれで良いのだという確信はない。

むかし、ある人が「自信が確信に変わったら勝負しろ」と言った。格好の良い科白ではある。しかし、人生とは本質的に確信を持たぬままに進まざるを得ないものではないのか。これから少し、意識の次元に自覚的になろうと思った。