フィギュアスケートのシーズンということで、テレビで大会やショーの放送を見かけることの多い今日この頃。
なんかふと、伊藤みどりを思い出してYoutubeで動画を漁ってました。
伊藤みどりを評価する時、よく
「芸術性重視であったフィギュアスケートを、純粋な競技に昇華させた」
みたいな言われ方をすると思うんですが、改めて映像を見て、ようやくその正しい意味が解った気がします。
ともすれば「判定重視のポイント稼ぎ」みたいな解釈になってしまいそうですが、そういう意味ではなかったんですね。
フィギュアにおける「芸術性」とか「表現力」というのは、どこか『役者的』『バレエ的』なものを求めているような節が少なからずあると思います。まあそれも魅力の一つだとも思いますが。
一方、例えばサッカーでは「芸術的ループシュート」なんて言葉がありますが、別に見栄えなんかのためにやってるんじゃなくて、単にゴールを決めるという競技上の目的のために打ったシュートなわけで。
それに芸術性があるとすれば、試合の状況における選手の判断力や正確さ、勇気といったものが生み出した結果なわけですよね。
アスリートと呼ばれる人達は、あくまでも競技の中で、技術や肉体・精神をぶつけ合うことで見る人に感動を与えてくれるんだと思います。
つまりドリブルそのものが表現であったり、決まったシュートが芸術であったりして、試合展開がドラマを作るわけで。
前述の評価は、フィギュアと他のスポーツとの間に何となく立ちはだかっていたその垣根を越えてみせたのが伊藤みどり、という意味なのかなーと。
会場はみどりが挑むジャンプを固唾を飲んで見守る。
くるぞくるぞ。
跳べ!
誰よりも高く、速く、洗練されたジャンプ。
あまりにもダイナミック。
着地!よし!
みどりの体中から溢れ出る歓喜。
観客も興奮の渦。一体感。
ガッツポーズ!ありがとう!
…ジャンプそのものが芸術なんだなあと。
いろいろな意味で「昔だから」という話で終わってしまうかもしれませんが(申し訳ないことにフィギュアの採点方式や変遷は詳しいとこまでは知らない)、今の選手だったとしても、そのカリスマ性・アイドル性はやはり発揮されていたんじゃないかなあと思ってみました。
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