CHAGE&ASKAのデビュー20周年記念アルバム『THE VERY BEST ROLL OVER 20TH』の中に収録されて一躍脚光を浴びたのがこの「安息の日々」である。
この楽曲は、CHAGE&ASKAファンの間でもあまり知られていなかった楽曲だろう。それだけ初期の楽曲で1982年2月14日に発売となったアルバム『黄昏の騎士』に収録されて世に出ているものの、シングル化には至っていない。
それなのに、CHAGE&ASKAは、デビュー20周年という節目に、敢えてシングルにもなっていない楽曲を突然ベストアルバムに収録した。「ひとり咲き」や「万里の河」と同等の扱いである。
その意図は、一体何だったのだろうか。
その意図は、CHAGE&ASKAのみぞ知るということにはなるが、彼らの意図の一部でも見つけ出そうとすれば「安息の日々」が持つ特異性に目を向けざるをえない。この楽曲は、甘いラブソングでも、哀しい別れ歌でも、激しい情熱の歌でもない。
哀しい歌なのだと言えば、そう言えなくもないが、人生の一断片にあたる恋愛だけでは語り尽くせないスケールを持つ。
人生は、いつ道を踏み外してもおかしくない苦難の連続である。歩みを止めてしまうことや行き先を変えることで逃げ道に入ってしまうことは、誰しも常に頭をよぎる。守りの生活に入った方が楽になることは間違いないのだ。平凡な生活に明け暮れる単調な繰り返しに安らぎを求めるなら、おそらくただ何者にもなれず、ひたすら歳だけとってたまに過去を自嘲する余生に明け暮れることになるだろう。
そういう生活を幸福と呼べなくもない。だが、それが果たして幸福なのか、と問い詰めていったとき、誰しもそれは前を向いて歩くことをやめてしまったことで得た停滞でもあることに気づかざるを得ない。
CHAGE&ASKAは、デビュー以来、何度も世間を席捲する楽曲を送り出してきた。しかし、彼らは、同じような楽曲をその後も発表し続けるという楽な選択肢をとらなかった。彼ら自身も言っているように、同じタイプの楽曲を続けて出していくことは容易なのだという。似たような楽曲を定期的に発表することで、ヒットをつないでいるアーティスト達はいくらでもいる。
だが、彼らがそれをしなかったのは、常に前に進み続けるアーティストだったからだ。一つの枠の中におさまりきることで、自らの持つ可能性を閉じ込めてしまうことはしたくなかったのだ。
様々な挫折を味わいそうになりながらも、新たな可能性を模索する力強い姿こそ、この「安息の日々」が持つ側面なのである。
最後の1コーラスを聴いて人々は何を連想するだろうか。
これからの人生を総括して、どんな道を歩みたいかという胸中を語った詞。豊富な声量に心を込めて歌い上げる2人のハーモニーに僕は、不朽の名作文学を連想せざるをえない。
宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」である。
「サウイフモノニ
ワタシハナリタイ」
宮沢が人間としての理想像を語ったこの詩の最後は、自らが最もその理想像になりたい、と強く決意することで、大きなインパクトを持って読む者に迫ってくる。
「安息の日々」の最後の1コーラスは、20周年を迎えたCHAGE&ASKAのスタンスを再認識するためにどうしても必要不可欠だからこそのベストアルバム収録だったと僕は確信している。
2004年夏、23年ぶりに復活した「熱風コンサート」のラストを飾ったのは、数々の名曲を押しのけて「安息の日々」だった。
CHAGE&ASKAの歴史を語るにふさわしいこの楽曲は、不朽の名作として今後も節目節目で聴きたくなるにちがいないのである。
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