余録:俳優の小沢昭一さんが子供のころ

毎日新聞 2012年12月11日 00時10分

 俳優の小沢昭一(おざわ・しょういち)さんが子供のころに住んだ東京・蒲田(かまた)では週に3日は夜店が出た。うち「千里眼」という露店では客の悩み事を書くと、あぶり出しで答えが出るという紙を売っていた。ある客は「どうして女にもてないのか」と書いた▲あぶり出すと「鏡を見ろ」と出る。感心した小沢少年は紙を買ったが、問いと関係ない答えしか出ない。もてない客と露店主とが連れ立って歩くのを見たのは後のことだ。当時の家には三河万歳(みかわまんざい)など門付(かどづ)け芸人がよく来た▲小沢さんが日本各地の消え行く大道(だいどう)芸や門付け芸を記録して歩いたのは、芸能の原点を求めてのことといわれる。「それは半分うそ。子供のころにオモシロカッタことに、もういっぺん再会したかったから。僕の道楽の最たるものだった」(「道楽三昧(ざんまい)」岩波新書)▲農民が畑を耕すように、舌を振るって日々の糧を得ることを「舌耕(ぜっこう)」という。そんな人々の芸を記録した小沢さんは、井上ひさし原作の一人芝居「唐来参和(とうらいさんな)」の660回の公演を成し遂げた。こちらの舌耕芸は落語家の立川志の輔(たてかわしのすけ)さんによって志ん生(しんしょう)にたとえられる▲舌でリスナーの耳を耕し、時にニヤリと頬をゆるませ、時に抱腹絶倒(ほうふくぜっとう)を呼び起こす。そんな語りが1万回を超えたのがラジオ番組の「小沢昭一的こころ」である。どうでもいいことにへそ曲がり的情熱を注ぎ、しみじみと人生の哀感(あいかん)を楽しんでしまう「こころ」だった▲俳号は変哲(へんてつ)、かつて戯れに詠んだ辞世(じせい)句に「志ん生に会えると春の黄泉(よみ)の道」がある。冬の旅立ちは俳人として不本意だったろうが、天国では怪しげな物売りから落語の名人まで、舌耕芸の先人が待つ。

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