2012/11/27

12月24日(月) → 12月22日(土)変更等のご連絡とお願い

 

12月24日(月) → 12月22日(土)変更のご連絡

 

今年最後の土曜会、およびクリスマス会・忘年会を兼ねた懇親会の日程を、前回のスケジュールでは、24日(月)としましたが、22日(土) に変更させていただきます。

 

この日の予定は、10:30~17:30までの土曜会の内容は、

Divine Healing of Mind & Body (Murdo MacDonald-Bayne) の「講話6」(日本語訳の検討)

その後の18:00~20:00は、青物横丁『漁り火』でのクリスマス会・忘年会を兼ねた懇親会とします。

会費は、3500円(飲み放題を含む)です。

出欠は、12月15日の土曜会 (上記「講話5」を予定) までに、以下までご連絡をお願いします。

『ILA東京』事務局  ilajissyuukai@yahoo.co.jp

 

現在(12月8日)最新の予定表は以下です。 

 

ILA東京 2012/12~2013/02 土曜会等予定表 (12/8 訂正版)

 

この期間内には研修会の予定はありません。

また、この期間内の土曜会は、
Divine Healing of Mind & Body (Murdo MacDonald-Bayne)
心と体の究極の癒し(イエス講話集) ~イエスご自身が直に語られた御教え~』(邦訳版)
の読み込みを中心とした内容とします。

3月以降の予定は2月下旬までに発表しますが、
3月23日(土)以降の土曜会・研修会は、渋谷に移転した新設の『ILA東京』で開催します。

12月 1月 2月
1   1   1  
2 禅定の集い 2   2  
3   3   3 禅定の集い
4   4   4  
5   5 禅定の集い 5  
6   6   6  
7   7   7  
8 土曜会 8   8  
9   9   9 土曜会
10   10   10  
11   11   11  
12   12 土曜会 12  
13   13   13  
14   14   14  
15 土曜会 15   15  
16   16   16 土曜会
17   17   17  
18   18   18  
19   19 土曜会 19  
20   20   20  
21   21   21  
22 クリスマス会 22   22  
23   23   23 土曜会
24   24   24  
25   25   25  
26   26 土曜会 26  
27   27   27  
28   28   28  
29   29  
30   30  
31 越年禅定会 31  
※ スケジュールは変更されることがあります。

 

『ILA東京』 (2013年3月21日以降の新住所)
東京都渋谷区渋谷1丁目15番15-1602号テラス渋谷美竹 (150-0002)
※ 渋谷駅歩いて1分 (東京メトロ11番出口、野村證券渋谷支店を右折)

上記への移転は、3月18~20日を予定しています。

                                                 以 上

2012/11/23

株式会社ILAを設立しました。

 

11月21日付けで、株式会社ILAを設立しました。

その目的は、高橋信次という方が「本物中の本物」とされた書物の親しみやすい翻訳による出版、
(自費出版ではなく法人格を得た方が望ましいという専門家の見解に従いました)
および、高橋信次という方が開かれた真理の扉を少しでもさらに拡げ、
その道を歩んでいくための些細な事業活動を行うためです。

事業活動とはいっても、また、株式会社という法人格の設立をしましたが、
個人的な事業であり、利益が生じる予定も計画もなく、年間1000万円程度の赤字が続いていくでしょう。

面白いものです、“株式会社”というと私企業であり、利潤追求が目的であり、
人が携わる仕事の二つの側面、すなわち “稼ぎとお勤め” のうち、“稼ぎ”を主に追求するものと見られます。 
 
 

では“宗教法人”はどうでしょうか。
多くの宗教組織は、建て前とは異なり、その実態としては、節税を目的として宗教法人格を得ます。
そして、非課税の特権を行使しまくります。
 

かつてのGLAが宗教法人格を得たのも、検討の当初は理事二、三名の反対意見もありましたが、節税が目的でした。
私は宗教法人格を得るための一部業務に関わりました。

私は法外なお金を集めまくる宗教法人にこそ、課税すべきだと考えています。
なぜ非課税とされるのでしょうか。
宗教法人であっても、事業活動には課税されているという形式的な主張をされる方もいるでしょうが、
まったく言い逃れでしかなく、ナンセンスです。

○○○○は、会員から集めた資金を株式投資に回し、大きな損失を発生させ、
職員に給与を支払うこともできなくなり、職員全員を解雇してしまいました。
その組織は高橋信次という方を信奉していた団体ですが、株式投資がよくないということではありませんが、
そうした事態を招いてしまうということは、どこか根本から間違っていたのではないでしょうか。

・・・・・・・・
 
“ILA”とは、「高橋信次事務所」ということです。
すなわち、“高橋信次という方の活動の拠点”ということです。

なぜなら“ILA”とは、高橋信次という方が使用されていた原稿用紙に、
『(ILA)高橋信次事務所』と表示され、印刷されていたからであり、そう考えるのが自然なことでしょう。
 
 

高橋信次という方の志を受け継いで活動する拠点はすべて“ILA”です。
その意味においては、だれが、どのように“ILA”を用いてもいいと思います。

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私は宗教は否定しますし、どんな宗教組織に属することも、組織化することにも反対です。

“ILA”とは、どんな宗教にも、宗教活動にも関係しないという標語でもあると考えています。 

計画された生涯を生きていくということ  ~Yさんからのメール(11/21)に関連して~

 

Yさんからのメールは前回で一応、打ち切りにしようと考えていましたが、
以下の内容に関連している部分がありますので掲載させていただくことにしました。

http://ila.blog.ocn.ne.jp/the_now/2012/11/post_d77b.html

 

 

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また趣が変わったようです。
ここ二、三日はどうやら地獄、煉獄の様子を見させられているみたいです。
薄暗い大きな厨房で大勢の人と料理している夢などをみました。
夢の中ですが、まだまだエゴの自分があるのがわかります。

真理の探求者とはエゴの克服に始まり、エゴの克服に終わるということですね。 

 

 

(渡辺注)

エゴの克服なしに霊的に開かれてしまうと魔障に陥ってしまいます。

 

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またとてつもない経験をしました。
真我の体験をして以来、偽我という概念が180度変わりました。
偽我は錯覚であるということを確信しました。
悪の存在は夢幻だったのです。
あれまで私を悩ました善悪について、完璧に超越できたように思えます。

本当にすべてに感謝です。

 

(渡辺注)

言葉だけで真理を語ることのなんと無意味なことでしょう。
知的な関心の前に真理に対する憧れ、希求心がなければなりません。
知的な関心を満足させながらの真理の探究などはありえません。 

 

・・・・・・・・


先ほど瞑想しました。
すると頭の天辺が非常に熱くなり、湯気のようなものがでていきます。
また天につながるのかなと思いましたが、一向につながりません。
かなりの時間この状態が続きました。
どれくらい経ったのでしょう、すると今度は頭を輪っかのようなもので締め付けられるのです。
まるで自分が孫悟空になったようで、とても痛いのです。
一瞬ひょっとしてこれは、十字架を体験させていただいているのかもしれないと思い、
神に自分をすべて投げ出し祈りました。

するとどうでしょう、何と?頭が急に膨らみ、痛みがなくなりました。
このとき私はイエス様は十字架にかかりはしたが痛みはなかったのだと確信しました。
やはり、愛こそすべてであるとおしえられたように感じました。
同時に孫悟空も実在したのではとも思いましたが(笑)
しかしながら、本当にいろいろと勉強させていただいているという実感があり、感謝で言葉もありません。
どうやら、やはり私は悟りに向かって着実に歩み始めたようです。
本当にありがとうございます。 

 

(渡辺注)

言葉だけで真理を語ることのなんと無意味なことでしょう。
ブログの更新に意欲を感じなくなったのも、ほとんど何の役にも立っていないどころか、弊害すら感じ始めているからです。
真理は、歩む、行うことのみによって立脚することができます。
リンゴを食べたことのない人間同士がリンゴの味、旨さを語り合うことができるでしょうか。
万教帰一論などナンセンスではないでしょうか。
どこから富士山に登ろうとも頂上に達することができると主張する方が多いですが、
いったい他人の歩む道を論評するよりも自分の歩みを少しでも前進させるべきではないでしょうか。

 

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いよいよカウントダウンが始まったようです
いつもありがとうございます。

昨日瞑想したのですが、まさに自分がブッダになったように感じました。
悟ることができる、いや既に悟っていることに気づくことができると確信しました。 

 

・・・・・・・・


今朝夢をみました。
前にいつも夢にでてくる古い家が崩落したことをお話したことがあったと思いますが、
今朝は新しい家の基礎ができていました。
家が完成するとき恐らく悟りが完成するのでしょう。
この夢から覚めたとき、何と想念が消えているのを感じました。
と同時に、私の仕事は人類に奉仕することであると気づかされたのでした。
いや、前からそうであると当たり前のように感じました。
最後は渡辺さんが仰るとおり真我が偽我にとどめを刺すのでしょう。
このような状況ですが、不思議なことに私の中では、元々計画されていたものであり、
過去世でも既に経験しているので当然の成り行きであると感じました。

 

(渡辺注)

人は計画された生涯を歩むものです。
しかしその計画を前もって知ることは許されていません。
この部分に関連した投稿が下記です。

http://ila.blog.ocn.ne.jp/the_now/2012/11/post_d77b.html

 

 

2012/11/07

Yさんからのメール ~2012.11.7~

 

引き続き、Yさんからのメールを紹介させていただきます。
このようなメールの内容を紹介させていただくことも、おそらく天の導きであり、意味のあることだと思います。
しかし、個人的な内容を多く含んでいるメールですので、ご了解をいただいているとはいえ、
一応、この辺で打ち切りにしたいと考えます。
 
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原因がよくわかりません。
  
晩に瞑想しました。
頭全体がパンパンになり、非常に熱を帯び破裂するのかなと思いましたが、そのまましぼんでいきました。
それで瞑想は終わったのですが、家内が瞑想していた部屋に入るなり、
「なんという臭い、腐ったたとえようのないくらい臭い」というのです。
確かに異臭はするような気がします。
お香なような本当に変わった臭いです。
私のせいでしょうか、慢心したのでしょうか。
少しショックです。
 
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(渡辺注) 

引き続き、匂い(臭い)に関する興味深い現象があったことが伺えます。
わたしたちの霊的な臭覚は、普段はブロックされていて、ほとんど感じないように保護されているため、
安心して、なんの違和感もなく生活できています。
敏感に感じすぎてしまったら、頻繁に吐き気を催してしまったり、大変なことになってしまうでしょう。 
どうにもたまらない臭いは、わたしたちの日常生活のさまざまな場のあちこちにあるからです。

産まれて間もない純粋無垢な赤ちゃんは、例外なく、まったく臭いがしないか、
または、ほのかなとてもよい香りが漂っています。
まったく臭いがしない透明な赤ちゃんのような波動はまったくといってよいほど、
赤ちゃん以外には存在しません。
このことからも、本来の美しい調和した心の状態とは、純粋で無垢で、無執着な心の状態だといえます。

まちがった考えや信念、また場合にはよっては知識、異常な性癖、頑固さ、妄想、迷信…など、歪んだ心の状態は、
しばしば、異臭、悪臭となって周囲にまき散らしていることがあります。
憑依されているような場合も、異様なほどの悪臭を放っています。

なかなかむずかしいことですが、心の状態としては、あくまでも純粋無垢で、無執着、
青空のように澄んだ状態が望ましいといえます。
波風が立ってもいつまでも引きずらず、心に溜めたままにしてはなりません。
ともかく、どんな波風に対しても、真実一路が大切だと思います。
そうして、“心のスモッグ”は、反省によって、常に解消し続けていなければなりません。

ところで、反省を行っている状態の体からは、高橋信次という方によれば、
“心のスモッグ”は毒ガスとなって体から抜け出していくそうです。
逆に言えば、毒ガスが出ていなければ、反省はうまくいっていない、といえると思います。

わたしはガスというよりも煙のようなものとして、実際に体感することができます。
「“体”からガスや煙を吐き出すことが反省である」と“体”が納得をしていれば、
反省もわかりやすく、取り組みやすいものとなるでしょう。

反省を始めてしばらくすると、“体”からモクモクとスモッグが出始めます。
そうしてしばらくすると、一応は出切ってしまいますので、すっきりとします。
しかし、心の深層では、まだ解消されていない“古いスモッグ”が溜まったままになっていますので、
完全に毒ガスの元が消え去ったということではありません。

そうした“心のスモッグ”という側面から反省のあり方を眺めてみると、
ノート法やカード法など、書きながら反省に取り組むことは、大変に効果的であるといえます。
反省しているようで堂々巡りばかりをしており、
“心のスモッグ”はほとんど解消されていない反省や瞑想に取り組んでいる方があまりにも多すぎます。

表層部分のスモッグは案外簡単に、たとえば入浴などによっても、体外に発散されます。
そのため、お風呂屋さんは、湯気だけではなく、多くの人々の表層的なスモッグの発散の場ともなっています。
 
わたしは入浴しながら、たまたま、そうしたスモッグのなんともいえない悪臭を嗅いだことがあります。
まともに吸い込んだら吐き気を催してしまうほどの不快さです。
そうした臭いにはブロックされていなければ、到底、まともな生活は送ることはできないでしょう。

・・・・・・・・・・・・

Yさんの場合は、学習としてそうした現象があるということを体験させられたのでしょう。
  

2012/11/05

Yさんからのメール ~2012.11.5~

 

続いて、Yさんからのメールを紹介させていただきます。

 

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表現の言葉がありません。

またお昼にとてつもないことを経験しました。今も続いています。

頭から噴水のように光が360度溢れ出ています。
部屋には人が20人ほどいるのですが、光というかイリュージョンというか、抽象的な絵画のイメージが広がります。
色の付いた霧みたいなものが部屋中に広がっていきます。
かすかな、とてもよい匂いがします。
愛しか感じません。

このような不思議な体験はダスカロスに出会ってすぐ体験したような気がします。
どうやら私と彼とは過去世で関係があるように感じます。
今私はフラフラになりながらメールを打っています。
ことの次第をお伝えしなければならないそんな気がしたからです。
とりあえず終わります。
 
 

訂正です。

頭からと書きましたが、正確には、天と私の頭がつながり、
天から光などが降りてきて、私の頭から溢れ出たということです。
失礼いたしました。

今思い出しました。
天に頭がつながる前に、そう一筋の光、いやロゴスです!
十字架のロゴスが私の目に入った時、ピンと音がし、頭が天につながりました。

何回もすみません。以上です。
 
 
 
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(渡辺注)
 
上記に書かれている内容も、驚くことに、わたしもまったく同じような体験を何度もしてきました。
ここでは、“色の付いた霧みたいなもの”と表現されていますが、
わたしは肌に染み込み、細胞にまで浸透してくる何とも言えない精妙な白い霧、波動と感じます。

信次先生は“精妙な波動”と表現されていました。
この波動の素こそ“マインド”(Mind)だと思います。
“マインド”(Mind)は粒子であり、波動だと思います。

“かすかな、とてもよい匂い”と書かれていますが、わたしも匂い(臭い)を伴って感じることがあります。
わたしが霊的なインスピレーションを最初に感じたのは、匂い(臭い)からでした。

匂い(臭い)についてはほとんど聞いたことがありませんが、
ある霊能者の方とお付き合いしていたときに、わたしがたびたび匂い(臭い)について、
自分の感じたことを率直に話したことがあり、またそれが当たってしまうので、
「あなたは天臭通が開いている…」と言われたことがあります。
 
女性などが香水をつけることがありますが、
あの世の霊だけでなく、この世の人間も、さまざまな匂い(臭い)を放っていることが頻繁にあります。
“想念”の状態が匂い(臭い)に現れるのでしょう。

個性や性格、想念の状態が波動となって伝わってくるだけでなく、
匂い(臭い)としてプンプンと伝わってくることもあります。
自我の強い変わった方は、やはりそうした匂い(臭い)を放っていることがあります。

イエス様(聖母マリア?)はとてもやわらかい何ともいえないバラに似た薫りがすることがあります。
ですからやはり、イエス様はやさしい愛そのものの方だと思います。
聖霊、天使が現れるとやはりなんともいえない薫りが漂うことがあります。
イエス様の御使いとして現れた三人の天使は、甘いホワイト・チョコレートのような薫りがしていました。

信次先生の匂いは、お釈迦様と同じような白檀の匂いとバラの薫りがミックスしたような匂いでした。

「オーラや光は誤魔化すことができるが、波動や匂い(臭い)は誤魔化すことはできない」
と伺ったこともあります。 

 

 

Yさんからのメール ~2012.11.4~

 

引き続き、ある方(仮にYさんとしておきましょう)からのメールを紹介させていただきます。

(あいさつ文ほか一部を除き、ほぼ原文のままです)

 

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不思議なことですが、

ダスカロスの本をネットで読んでいますと、渡辺さんが仰るとおり信次先生の教えとほとんど同じなのでビックリしています。
ダスカロスが「この世での出来事で重要なことなど何もなく、どうでもいいことだ」と仰っていたそうで、私と同じ感覚だと聞き正直ホットしました。

また瞑想の仕方、チャクラの鍛え方などは人間ではない天使が指導してくれるなど、まるで今の私のことをいわれているようです。
天使と守護霊のことが信次先生と違うところでしょうか。

しかしながらダスカロスの教えを知ることで、真理についてより深く理解できること、これについては渡辺さんも仰っていたと思いますが、
やはりこれも真我の導きなのですね。本当に有り難いことです。
 
 

イメージ力は大切みたいですね。
 
ダスカロスの本の中でイメージする力の大切さを説かれていますが、
私も昨日実際に感覚エーテル、運動エーテル、刷り込みエーテル、創造エーテルの練習をやってみました。

今朝、愛について人はどう思っているのか知りたいという欲求が湧いてきました。
すると、意識は覚醒 しているのにもかかわらず、夢の中に自分が入っていくではありませんか!!
私は色んな人に愛についてインタビューをしました(笑)が、皆さん愛についてはよくわからないようでした。
夢にいる時間は短かったですが。もっとこの力を磨ければ、他人の夢に意識的に入っていき、他人を救えるかもしれません。
幽界は想念の世界だといわれていますが、今回の件で納得した次第です。
しかしながらイメージ力はとてつもない可能性を秘めていると思いました。
私はもっとイメージ力を磨いて夢を利用しながら現在の魂をさらに浄化し、愛の意識を高めていきたいと思います。

 
ついに第六禅定になったかもしれません
 
お昼に額がかなり活性化したのでそのまま瞑想しました。
頭全体が天とつながり、まるで頭がパカッと割れたようになり、神とつながりました。
天から七色のような光が私に降り注いできました。時間には三十分くらいです。
たぶん、第六禅定ではないかと私的には思われます。

まだ頭にパイプがつながっている感じがします。

 
一挙に解き放たれたようです。

先ほど瞑想しました。
頭から、私を取り巻くすべてから、マインドが溢れ出て私の身体に浸透していきます。
「たとえ、それが大悪魔であろうが何も私を傷つけるものはない」とその時確信しました。
意識が波紋のごとく広がっていきます。
檻から解き放たれた鳥のように自由に大空を舞うがごとく感じられます。
やはりすべてのものは在るのですね。
今日は8の日まさに神に祝福された日でした。
 
 

明日が見えるようです。
 
天とつながって以来私の眉間は非常に敏感になってしまいました。
特に昼になると非常に活性化します。
昨日も今日も活性化したので、瞑想したところ、天につながりました。
というか、常に天とパイプがつながっていると感じます。頭が感じるのです。
いいか悪いかわかりませんがもう神から離れないようになりました。
これも宿命なのですね。怖いような喜びのような複雑な気持ちです。
 
 
 

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(渡辺注)

この方には十分な返信を差し上げてはなく、ここで初めて明かす内容となりますが、
わたしもこの方のメールの内容とそっくり同じような、まったく驚いてしまいますが、
まさにそっくりの経験をかつてしていたことがあります。

それはちょうど、高橋信次という方にお会いした頃のことでした。
頭がすっぽりと天につながっているような、パイプで頭と天がつながっており、
そこから光が燦々と降り注いでいるといった感じです。

当時、高電工業にいたときどき霊視ができたH君という方が、その状態を霊視し、
「渡辺さんの頭の上には、輪っかのように見えるけど、円盤にも見える光のお皿が載っかっている。
こういうのはまったく今まで見たことがないです…」と言われたことがあります。

そうして眉間が敏感になり、場所の波動や人の波動、さらには本の波動まで敏感に察知するような状態になってしまいました。
そこで私は眉間のチャクラが開く、開いたのかとも思い、信次先生に尋ねてみました。
そうすると、「眉間のところに意識を集中しているから敏感になっているのだ」とだけ言われました。
そのため、それからはあえて、眉間に意識を集中しないようにしました。
すると、敏感さは次第に薄れ、それに悩むようなこともなくなりました。
光のパイプによって頭上と天がつながったことにより、確かに何らかの状態の変化があったのだと思います。
溢れるようにインスピレーションを受けることができてみたり、
一瞬のうちに信じられないほど多くのインスピレーションを受けることができたり、というような経験をするようになりました。

因みに、Yさんには昨年の京都研修会で初めてお会いしたのですが、会場に入るなり、
Yさんの特別な透明で調和した波動が会場全体に拡がっているのが感じられました。
 

 
 

2012/10/29

Yさんからのメール ~禅定のすばらしさについて…~

 

ある方とのメールのやりとりの一部を紹介させていただきます。

禅定のすばらしさを立証されています。

・・・・・・・・・・・・

私もいまようやくマインドという言葉までたどり着いたとそう感じています。
まだまだこれからですが、理解できるよう、感じることができるよう とことん命がけで追及しといきたいと思います。
やはりマインドとは凄まじいエネルギーのようですね。

実は昨日心のスモッグのようなものに遭遇してから、渡辺さんのブログで心のスモッグを検索していますと、マインドの記事に当たっていました。

前からマインドの記事のことは存じあげてはいましたが、よくわかりませんでした。
今日、渡辺さんからマインドを見られたということを聞き、再度読み直してみました。
するとどうでしょう、あれだけ理解できなかったものがすんなり、心に入っていくではありませんか!!
それで先ほど早速実践してみました。

マインドを思い浮かべ、神に全托したところ驚くことに莫大なエネルギーが私を包み込み、
聖霊が私の身体に宿り、私はあるという感覚になったかと思うと、急に私の頭が吸い上げられるのを感じました。
またほんの一瞬で心のスモッグが溶けてゆき、身体の感覚がなくなり心だけになりました。
本当に恐るべしマインドですね。
もしかしたら、マインドを追及するために私はこの世に出てきたのかもしれないと思うほどでした。

これから禅定が楽しみになりそうです。

法然上人が南無阿弥陀仏の言葉に出会ったように、今回のマインドという言葉の出会いは、私の中ではこれに匹敵するほどに感じました。
やはり今生はこのために生まれてきたように思えます。

マインドの存在を知ったことでさらに私の中に不動の核ができたように思います。神の存在がリアルなりました。

昨日から課題を決めて瞑想することにしました。課題とはまずマインドを魂全体で感じることです。
最終的にはマインドを使えることができればと考えていますができるかできないかわかりませんが神の御旨に任します(笑)

昨日実際やってみてわかったことがありました。
マインドを感じようとすることで、一瞬のうちに反省ができ、心深くまで入っていくことができるということです。
また守護霊?などがゆっくりと私の身体に入っていく様子が克明に感じられました。
入ったあと人の気配がありありと感じられ、まるで私をサポートしてくれているような感じでした。
魂全体で心を研ぎ澄ますことで目には見えないものが感じられるのですね。
 
・・・・・・・・・・・・

驚愕することが起こりました。
昨日、ドラフト会議対象の選手のこれまでの波乱万丈の生い立ちをドラマチックに再現するテレビを見ていたのですが、
なぜか心動かされない冷静というか、冷酷といってもよい私がいました。
またかとも思いましたが、何かあるのかなとも思いました。

そのあと瞑想したのですが、瞑想しているときに「他のことはどうでもいい、神のことだけを愛せよ」という意識が湧き上がりました。
私が神だけに意識を集中すると、何と!これまでに経験をしたことのない瞑想になり、もう少しのところで神と一体になれたような気がしました。

そのあとマインドを感じようとしていたところ、また「お前はすでにマインドを見ている、それは眩しい光である」と意識が湧き上がりました。
ハッとしました。瞑想の度、柔らかな黄金のような純白のような眩しい光を度々私は見ているのでした。
すると急に胃がキリキリと痛みだしました。私の意識がマインドを使うようにと誘導します。
私はマインドを使い、痛んだ胃の部分に当てるイメージをすると、何と!あれまで痛かった胃の痛みがなくなりました。本当にビックリしました。

信じがたいことですが、もう少し様子を見てみることにします。
 
・・・・・・・・・・・・
 
最近瞑想がとてもうまくいっているものですから、期待はあったのですが先ほどいつものように瞑想しました。
すぐに目に見えない存在の方が私の身体を支配しました。
すると雑念が一切なくなり、沈黙になりました。
どれくらい時間が経ったでしょうか。
宇宙の音というのでしょうか、言葉にはできませんが、そのような音がしたかと思うと、
私の後頭部をはじめ、私の身体全てに生命力の息吹といったらよいのでしょうかそれらが瑞々しく宿り私の身体は宇宙と一体となりました。
これってひょとして第六禅定に入ったのでしょうか。

(渡辺注:第五禅定と思われます)

 
・・・・・・・・・・・・
 

初体験です。
今日、朝から見えない存在の方が私の直前におられ、まるで息と鼓動が伝わってくるかのようでした。
私が話しかけるのですがその方は沈黙したままでした。

・・・・・・・・・・・・

今日瞑想したのですが、非常に今までないほど集中でき意識が宇宙の彼方の果てまで飛んでいきました。
瞑想についていろいろと指導されている、色んな器官を鍛えていただいているように感じました。
 
・・・・・・・・・・・・
 
今日初めてよりレベルの高い禅定に到達できると確信しました。
確信をもつと同時に心をほぼ完全にコントロールできるようになった感じがしました。
そんなところでしょうか。また、折を見てそちらに行かせていただき皆様にお話できればと考えております。

そんなところでしょうか。また、折を見てそちらに行かせていただき皆様にお話できればと考えております。

高橋信次という方の“対機説法”⑩  ~対機説法はすべての人に与えられている~

 

高橋信次という方のお側に6年間仕えて、わたしが受けることができた対機説法の内容は、以下ですべてといえます。
 
 
 
「あなたは女性によって苦労することになっている」
 
 
「僕の後は君がやるのだ」
 
「僕の後は君がやるのだ」
 
「僕の後は君がやるのだ」
 
 
「あなたにわからないことはない。あなたは心の中からどんな智慧も引き出すことができる」
 
 
「あなたは・・・・・・・・ようになる」
 
 
「パラミターの 心の中に 己知る 道を修めて安らぎの日々」
 
 
「心を内に向けなさい」
 
「心を内に向けなさい」
 
「心を内に向けなさい」
 
 
「僕は君の前にもう一度現れる…」
 
 
「・・・・・・・・」
 
 

対機説法とは、わたしたちに直接、臨んでいる神からのメッセージといえましょう。
 
 
高橋信次という稀有な方の対機説法を通じて、対機説法とはどのようなものなのか、

その意義はなにか、それに対してわたしたちはどのように受けとめればよいのか――。
 
そうした点について、わたしたちは多くのヒントを得ることができるはずです。
 
 
 
対機説法はすべての人に与えられているはずです。
 
 
“内なる高橋信次”(人間・高橋信次)という方に会ったことがある、ない、信じている、信じていない――

そんなことはどうでもよく、また些細なことでしかないはずです。
 
  
 
上記の大部分のメッセージは、わたし個人に与えられたと解釈すべきではないでしょう。

“内なる高橋信次”を継ごうとするすべての方に与えられているメッセージであるはずです。

 

2012/10/16

10月20日(土)~21日(日)研修会の内容について

「疑問追究(自問自答)はやがて真理に達する」という高橋信次という方の主張を体験する具体的な方法を実修します。

これはブッダの第3禅定~第4禅定の実修ともいえるもので、「もう一人の自分」との対話、守護霊・指導霊との対話であるともいえます。

 

<テーマ>

高橋信次という方の「“わたし”の教え」と、

 カード法・ノート法を活用した反省の取り組み

 

<期日・時間>

(1日目) 10月20日(土)AM 10:30~PM 17:30頃
(2日目) 10月21日(日)AM 10:30~PM 17:30頃

※ 2日間参加できる方を対象としますが、やむを得ない事情で1日の参加となる場合は事前にご相談ください。
 

<場所>

ILA東京

東京都品川区東大井3-18-13 東大井MSビル 403号

 

<参加費> 2日間で4000円

 

2012/09/17

高橋信次という方の“対機説法”⑨  ~当たらなかった予言、理解しがたい言葉~

 

高橋信次という方の“対機説法”では、しばしば予言・予告めいたことを言われることがありました。

また、常識では理解しがたい言葉、発言も少なくありませんでした。

しかし、そうした予言・予告のすべて当たったわけではありません。

断定されても当たらない、そのとおりにならないことが多くありました。

むしろ、的中した事実は数少ないといった方が妥当でしょう。
 
 
わたしの友人の例をいくつか紹介しましょう。

あるわたしの友人に高橋信次先生の個人指導を受けさせたことがあります。

彼との縁や彼の将来(真理の道を共に歩むことになるであろう将来)を期待したからです。
 
しかし、その結果は、まったく期待外れな内容でした。

「心を円くして生活することが大切だよ」という程度の話ししかなく、過去世などの話題もなく、

「あなたは牛乳を飲んではいけません」という指摘しか受けなかったそうです。

なぜ、「牛乳を飲んではいけないのですか」と尋ねたところ、

「牛乳はお牛さんのミルクでしょ、人間が飲むものではありません」という返答だったそうです。

因みにこの友人は、当時、ニキビに悩んでおり、

それを改善するためには牛乳を飲まない方がよいということで、その後、改善したようです。

 

・・・・・・・・・・・・

 
 
 
また、司法試験の準備をしていた別な友人の場合は、以下でした。
 
「あなたは司法試験を受けるよりも公認会計士をめざした方がいい。そうすればあなたは成功する」と、太鼓判を押されたそうです。

当時の彼は高橋信次先生を信じていましたので、喜んですぐに路線を変更しました。

しかし、何年経っても合格することはできず、ついには諦め、公務員の人生を歩みました。

高橋信次先生はわたしたちに、「あれほど疑い深い人間はいない」と語ったことがあります。

一般的・常識的に見たら、その彼はあくまでも、検事か弁護士など法律家向きのタイプです。

どう見ても、公認会計士や税理士に向いているとは思えません。

しかし、高橋信次先生は司法試験の受験を辞めませ、公認会計士としての成功を予言しました。

 

・・・・・・・・・・・・

 
 
また別な友人の方(男性)の場合は、もっと衝撃的な発言をされました。

その方の結婚を反対され、

「どうしても結婚したいならば、子供はつくってはいけない。まともな子供は産まれない」と、

現代風な表現では知的障害のある不具な子供しか産まれないと予言をされました。

わたしは直接、その場に居合わせましたので震え上がりました。

しかしその方は、悩みに悩まれたあげくに結婚され、後に子供も設けられました。

そのお子様は立派に成長され、著名な大学病院の医学部の教師(医者)となられています。
  
 
 

・・・・・・・・・・・・

 
 
このようなおよそわたしたちの常識や合理的な判断では理解しがたい“対機説法”も決して少なくありませんでした。
 
 
ただ単に(予言や判断が)外れたということなのでしょうか、それともそれ以外に何らかの深い意義があるのか…、

(わたしはそれを感じていますが、)こうした事実はありのままに受けとめるべきだと思います。

決してその恣意的な解釈を人に強制すべきではないでしょう。  

 

 

2012/08/26

高橋信次という方の“対機説法”⑧  ~35年ぶりの友との再会~

 

昨日の土曜会に、ひょっこりとある方が尋ねてきてくださいました。

わたしはその挨拶の声を聞いただけで、

「あっ、○○○○さんだ!」と、歓喜しました。

実に35年の空白の時を超え、その方のさまざまなシーンがまるで昨日の出来事のように思い起こされました。

きれいに、ほんとうに爽やかに、美しく歳をとられています。

少年のような心で、信じられないほど若々しく、爽快さに溢れ、目も澄んで輝いています。
  
 
この方と高橋信次という方の出会い、そしてその後のさまざまな出来事はまさに劇的なものでした。

その衝撃的な内容は現在に至ってもなお進行中のようです。

この方は高橋信次という方の背後に、肉眼で見るよりもはっきりとしたイエス様を見ています。

霊視の場合、肉眼で見るよりもはっきりと見えることがあるということを数人の方から伺ったことがありますが、

この方もそうした体験をもたれているようです。

高橋信次という方はこの方に対して「外国で法を説くようになる」と言われたことがあるように私は記憶していますが、

現在、この方はそうした活動を行われています。
 
 
先生のこの方に対する“対機説法”の内容はあまりにも衝撃的な内容でした。
 
その詳細について書くことはできませんが、 
 
高橋信次という方の“対機説法”の内容、そしてその意義については、

わたしたちの常識ではまったく理解することも、推し量ることもできないものが多々含まれています。
  
結局のところ、あの世に帰ってから、そして本当に目覚めたときにしか理解できないことも多いのかもしれません。
 
 
「あなたの場合は、・・・・・・・・」

「真理は語るものではなく行うもの、心のあり方・行いのあり方こそ真理である」 
 
このような大原則のみでは理解できないような内容も実に多くあります。
 

     

2012/08/24

高橋信次という方の“対機説法”⑦ ~「あなたの場合は…」ということ~

  

高橋信次という方の“対機説法”を目の当たりにされたならば、

誰もがそのあまりにもの衝撃に面食らい、その意味を問わざるを得なくなるはずです。

しかし私は長い間、その真の意味を理解することができないままに過ごしてきました。

私だけではなく、当時そうした高橋信次という方の“対機説法”に接した多くの方も同様であったはずです。
 
 
高橋信次という方の“対機説法”はすべて“方便”として為されました。
 
しかし、この“方便”というもの、その意義を長い間、理解することができませんでした。
 
 
今から振り返ってみると、高橋信次という方がわたしたちの目の前に現れたこと、
 
そのこと自体が方便だったのであり、わたしたちに対する“対機説法”であったのだと思います。
 
 
高橋信次という方の驚くべき、目を見張るような“対機説法”という現象を、

私は現在に至るまでも、どこにも、どんな本の世界にも、見たことも聞いたこともありません。
 
 
高橋信次という方の“対機説法”に接して初めて、『新約聖書』に出てくるイエス様の説法とは、
 
また、仏典に出てくるお釈迦様の説法とは、

おそらく、「なるほどこういうものであったのだろう…」と想像し、初めて合点がいった次第です。
 
 
当時、気楽に、高橋信次という方に対して、どこにでもいるような霊能者か宗教者の類だろうと、

最初に接した方のすべての方が面食らってしまったはずです。

そして、二度とは同じような態度で接することはできなくなり、恐れるか、開き直るか、

そのいずれかを選択し、緊張感をもって接する以外になくなったはずです。

私はといえば、毎日のように接しているにもかかわらず、

恐れと開き直りを繰り返すのみの先生のお側に仕えた6年間でした。
 
 
高橋信次という方にどんな質問をしようとも、高橋信次という方は、

そうした質問にまともに答えることはほとんどありませんでした。 
 
まったく無視されることもしばしばでした。
 
 
高橋信次という方の“対機説法”を理解するための重要なキーワードは、

「あなたの場合は…」 という言葉です。
 
 
この「あなたの場合は…」 というフレーズは頻繁に語られましたが、

語られない場合であっても、暗黙のうちに、「あなたの場合は…」 と始められていたのが高橋信次という方の“対機説法”です。
 
 
 
その典型的な例を紹介しましょう。

 

あるとき、GLA誌(当時の機関誌)に掲載されていた内容について質問をしたかったのでしょう、

書き込みやら線をたくさん引いていた男性が現れました。

とても知的な、知識も豊富な方でした。

そして、あれこれと先生に質問を始めました。
 
一通りその質問を聞き終わると先生は、そのGLA誌をポンと脇に投げられてしまいました。

そうして、「僕こんなことを書いたっけ……」

その方はそうした先生の態度とまったく想定外の返答に対して最初はあっけにとられてしまいます。

そのうちに、やんわりと、

「…そんなことはどうでもいいのです。いいですか…」

「あなたの場合は、・・・・・・」
 
しかし、当然のごとく、無駄な抵抗もします。(笑)

そうした無駄な抵抗を先生は愉しまれながら、さらに突っ込んで、

「あなたの場合は…」 と続けます。
 
すると、もうその方は一言も発することができなくなってしまい、

ただただ、黙って頷(うなづ)いてしまう・・・・・そうしてどんな反論もできずに帰る・・・・。

こうした姿が高橋信次という方の“対機説法”に接した方のほとんどすべてに共通する姿でした。

 

そうした多くの場面に接していた私は、先生の「あなたの場合は…」 というセリフを聞くと、

耳目をそばだてたものでした。(笑)
 
 
・・・・・・・・・・・・
 
 
しかし、この「あなたの場合は…」 という指摘は、決して生やさしいものではありませんでした。

どんな人にも知られたくない、しかし、心の内の核心にある最も重要な部分に触れられてしまうのです。

それに気づかせるように慈愛深く誘導していくのが高橋信次という方の“対機説法”です。

しかし、「誰にも知られたくない秘密が、赤の他人にまるで白日の下にさらされてしまう…」

そうした恐れ、不安、焦り、緊張感を強いられてしまうのです。
 
 
・・・・・・・・・・・・
 
 
高橋信次という方の“対機説法”に流れていた強烈なメッセージ、それは以下でした。

「あなたの場合は…」

「真理は語るものではなく行うもの、心のあり方・行いのあり方こそ真理である」
 
 
・・・・・・・・・・・・
 
 
私は、高橋信次という方に何らかの質問をされた方で、

その質問に対して先生がまともに回答をされた例をたったの一例も見ることはありませんでした。

そうしたすべての場面で、強烈に以下のメッセージが流れていました。
 
「あなたの場合は…」

「真理は語るものではなく行うもの、心のあり方・行いのあり方こそ真理である」
 
 
ただし、土曜会など、多数の聴衆がいるような公の場では、個人的な内容にはほとんど触れられない、

当たり障りのない回答をされるのが通例でした。
  
 
しかし、そんな場でも、特別な事情(?)があったようなケースもあります。
 
 
ある科学信仰一辺倒の方が土曜会にある方の強制(笑)によって参加され、

あの世のことも霊的なこともすべて完全に否定するようなある質問をされたときに、

先生はその質問に対しては完全に無視をされ、まったく別な以下のような返答をされました。

 

「あなたの場合は…、○○の酵素を研究するために生まれたのです。

やがてあなたは○○の酵素を研究することになり、○○○○を開発することになります…」

と、個人的な内容をズバッと回答されました。

この方はその後、まさにそのとおりの生涯を送られることになり、

何度も先生のもとにその研究成果を持参することになりました。
 
 
・・・・・・・・・・・・
 
 
こうした例は、当時の高橋信次という方のもとでは頻繁に、それこそ日常茶飯事によくある出来事でした。

高橋信次という方の“対機説法”はまさに稀有なものでした。

 

しかし、わたしたちは、今や、そうした“対機説法”を、稀有の現象、稀有な霊的能力として驚嘆すべきではなく、

“対機説法”とはそもそも何なのか、なぜわたしたちの前にそうした“対機説法”が現れたのか――、

そもそも“対機説法”とは“方便”であるはず――、

ではどのような“方便”としてわたしたちの前に現れたのか――、

その意義に目覚めなければならない時を迎えているのではないでしょうか。

 

 

第3回京都研修会のお知らせ

 

ILA京都主催の第3回研修会が下記要領で開催されます。

-------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 

H24年10月6日(土)~ 10月7日(日)キャンパスプラザ京都にて研修会を開催致しますのでお知らせします。

お申し込みはこちらのページからお願いします。
(会場がこれまでと異なっておりますのでご注意ください。)

http://ila.agasha.net/di-san-hui-jing-dou-yan-xiu-huinoo-zhirase

 

<テーマ>

高橋信次という方の「“わたし”の教え」と、

        カード法・ノート法を活用した反省の取り組み

 

<期日・時間>

(1日目) 10月6日(土) PM2:00~PM8:00頃
(その後PM9:00まで同室で軽食会あり)
 
(2日目) 10月7日(日)
AM10:00~PM5:00

※ 2日間参加できる方を対象としますが、やむを得ない事情で1日の参加となる場合は事前にご相談ください。

 

<場所>

キャンパスプラザ京都 5階 (10/6 第4演習室 10/7 第2演習室)

〒600-8216
京都市下京区西洞院通塩小路下ル(ビックカメラ前)
TEL(075)353-9111

 

<参加費>

研修費は会場費として(途中退席を含め)1日参加に対し2000円。
2日間で4000円です。
1日目の夜食、2日目のお弁当は現在のところ含まれる予定ですが、集まる人数により少額お願いする必要がある可能性はありますのでご了承ください。

10月7日(日)の夕方(PM18:00頃~)に懇親会を予定しております。
予算は別途必要ですが、食事3000円(アルコールは別途)程度を現在探しております。

宿泊費は含まれておりません。
会場のキャンパスプラザには宿泊はできませんので 宿泊希望の方は各自で近隣のホテルをご利用ください。
観光シーズンに入っておりますので、宿泊予定の方は、ホテルをお早めに押さえるようお願いします。

 

<交通アクセス>

京都駅(JR、近鉄)から北側に出て 徒歩約5分
ビックカメラの前(北側)にある建物です。

キャンパスプラザ京都には駐車場はありません。ご了承ください。

 

土曜会・研修会のご案内(8月~11月)

 

11月までのILA東京の土曜会・研修会のスケジュールです。

(ただし、10月6日(土)~7日(日)には、ILA京都主催の2日間研修会が開催されます)

東京での土曜会・研修会の開催時間はすべて10:30~17:30です。 (終了時間は多少前後します)

参加費は「禅定の集い」は1日500円程度、土曜会・研修会はご負担のない範囲で一日につき、1000円~2000円程度を会場維持費の補填としてご負担下さい。 

 

8月 9月 10月 11月
1   1 禅定の集い 1   1  
2   2   2   2  
3   3   3   3 禅定の集い
4   4   4   4  
5 禅定の集い 5   5   5
6   6   6 京都開催
2日間研修会
6  
7   7   7 7  
8   8 土曜会 8   8  
9   9   9   9  
10   10   10   10 土曜会
11 土曜会 11   11   11  
12   12   12   12  
13   13   13 土曜会 13  
14   14   14   14  
15   15 土曜会 15   15  
16   16   16   16  
17   17   17   17 土曜会
18 土曜会 18   18   18  
19   19   19   19  
20   20   20 2日間研修会 20  
21   21   21 21  
22   22 土曜会 22   22  
23   23   23   23  
24   24   24   24 土曜会
25 土曜会 25   25   25  
26   26   26   26  
27   27   27 土曜会 27  
28   28   28   28  
29   29 土曜会 29   29  
30   30   30   30  
31   31  

2012/07/13

何もしなくてよいということ

 

昨日、入浴中のことです。

相談というか、依頼というか、質問というか、そんなものを受けました。

そのやりとりを書いておきます。
 
 
・・・・・・・・・・・・
 
 
「わたしには何もできません。わたしは何をしたらよいのでしょうか…」

それに対して、

「いや何もしなくていいんです。

あなたの安らぎのある表情、しぐさ、そして行為が癒しとなっています。

言葉はあってもなくてもいい、むしろない方がいいかも知れません…。

言葉だけがあって調和と安らぎがない、それだけは避けたいことです」 

 

 

2012/07/12

高橋信次という方の“対機説法”⑥

 

対機説法(すなわち方便)には、求めれば与えられる、求めなければ与えられないという側面があるようです。

方便ではあっても、そうした教えなり、予言なり、現象が現れるべき“必然性”または“根拠”があるといえます。

すなわち、“必然性”または“根拠”がなければ、対機説法も現れない、なされない、ということです。
 
 
この“必然性”や“根拠”が“機根”と称されるもののはずです。

しかし現在、一般的に称されている“機根”の説明は、やや一面的に偏しているような気がします。
 
 
・・・・・・・・・・・・
 
 
では次に、高橋信次という方が「特定の個人に対して行った対機説法」について、いくつか紹介してみましょう。

こうした対機説法のあり方を通じて、

「“真理”というものはどのようなものであるのか。
わたしたちはそうした“真理”に対してどのように向かい合うべきなのか――」

それらがありありと見えてくることになるはずです。
 
また仮に、いまこの場に高橋信次という方が臨在されていたとしたら、
いったいわたしに対してどのような言葉が発せられるのか――
それを心に問う必要があることを思い知らされるはずです。

 

2012/07/09

高橋信次という方の“対機説法”⑤

 

不特定多数の聴衆や読者に対してなされた対機説法の多くは今日でも接することができます。
それは遺されている著書や講演の音声・映像の類です。
しかし、そうした遺されている対機説法には、大変に残念なことですが、質疑応答の場面がほとんどありません。

質疑応答は、八起ビルで開催されていた土曜会などでは、毎回、必ず行われていました。
しかし、大講演会では物理的に不可能であったため、ほとんど行われることはありませんでした。

土曜会など、少人数での講演会や座談会での質疑応答という対機説法では、
そのほとんどが、「不特定多数の聴衆や読者に対する回答」という形でなされました。

わたしは高橋信次という方ほど、数多くの大きな予言をされ、しかも的中させた方を他には知りません。
たとえば、現在ではインターネットが世界中に普及していますが、このインターネットの普及を予言した方がいたでしょうか。
高橋信次という方は、「21世紀には世界中の家庭に双方向で通信ができるテレビ電話が普及している」と予言されています。

その他、数多くのスケールの大きな予言をされていますが、驚くべきことに、こうした予言の数々は、
土曜会や座談会など、ごく少人数の集まりの中での質疑応答の場面になされたものだということです。

すなわち、高橋信次という方が一方的にそうした話題を持ち出し、予言をされたのではなく、
聴衆からの質疑応答という要請にもとづき、その場でなされた対機説法のなかで現れた予言だということです。

高橋信次という方の予言のほとんどすべてが、わたしたち聴衆の求めに応じて現れていたのです。

今回の東北大震災と原発事故に関しては、わたしの知る限りでは予言はなされていないように考えています。

しかし、わたしたちが質問を発していたとしたら、その回答は他の予言同様に、
たとえば以下のような表現で、的確に、明確に、権威をもって、予言されていたと思います。

「今から数十年後、21世紀の初頭に皆さんいいですか、はっきりと予言しておきますよ。
この日本の北の方の地で、かつて人類が経験もしたことのないような原子力災害が勃発するでしょう。
それは大きな地震と津波によって引き起こされるはずです。
これは人類に対する警告として、そうした事態を人類が招いてしまうのです…」

わたしたちが求めればそうした回答が与えられる・・・・。

これにはいったいどのような意義があるのでしょうか、深く探究してみなければいけない点だと思います。

 

 

2012/07/07

高橋信次という方の“対機説法”④

 

対機説法は方便です。

しかし、言葉で説かれる法そのものも方便です。
真理は言葉ではないからです。

わたしは高橋信次という方の存在そのものが、
わたしたちに与えられた方便のようなものではなかったのかと考えています。
 
 
高橋信次という方の対機説法は傑出したものでした。
これに比較できる対機説法を行うことができたのは、
おそらく、お釈迦様やイエス様以外にはいないといえるでしょう。
 
 
お釈迦様やイエス様、また高橋信次という方の対機説法には共通の特徴があり、
この特徴のゆえに、歴史上でも稀にしか見られない傑出した対機説法となっています。

その特徴とは、相手の魂にとって今必要な糧とは何なのか、
それに自らが気づくような方向付け(すなわち“自力”です)でしか行わない、
そうした原理でのみ、対機説法がなされる――ということです。
 

このように考えることによって、高橋信次という方の対機説法の謎が解けてきます。

わたしが接していた高橋信次という方には、以下のような三つの側面があったはずです。

① わたしがもっとも愛し、慕っている「人間・高橋信次、信次先生」という側面
② 使命・役割の遂行に命をかけられていた「現代のブッダとしての高橋信次」という側面
③ 「真我を顕現された“エル・ランティー”」としての側面
 
 
日常的に接していた大部分はもちろん①ですが、
この①には②の側面が自由自在に融合していましたので、①と②の区別は実際には困難です。

③は完全に“沈黙”の側面であり、②の高橋信次という方がそれを語り、宣言し、
わたしたちはそれを垣間見ただけでしかありません。

ですからわたしたちが接することができたのは、①と②の高橋信次という方のみです。
それゆえに、①と②の高橋信次という方は、③を示す方便としてわたしたちの前に現れていたにすぎないといえます。
 
 
このような理解を前提として、高橋信次という方のなされた数々の対機説法、
すべての対機説法を見ていく必要があると思います。

著作物や講演内容、映像・音声に遺されている言葉、すべてが対機説法であり、方便といえるでしょう。

そうした対機説法ではありますが、大きくは二つに分けることができます。

一つは不特定多数の聴衆や読者に対してなされた対機説法であり、
一つは特定の個人になされた対機説法です。

この二つを峻別することによって、高橋信次という方の対機説法がいかに驚嘆に値すべきものであったのか、
わたしたちは、そうした対機説法をなしえたという事実は、
新約聖書や仏典にしか見出すことができないということが明らかになってきます。 

 

2012/07/05

高橋信次という方の“対機説法”③

 

わたしが高橋信次という方の対機説法に初めて接したのは、昭和44年の冬の時期(12月?)だったと思います。
ですが、なぜか、どうしても正確な時期を思い出すことはできません。

S君という若者に紹介され、浅草の八起ビルの土曜会に参加したのですが、わたしはそこで衝撃を受けることになりました。

その頃のわたしはといえば、宗教など大嫌いだったにもかかわらず、興味本位の知的関心から、
なぜか宗教遍歴を重ねてしまい、数多くの宗教書や霊的な事柄を紹介しているさまざまな書籍にも親しんでいました。

今から思い起こせばまったく無知そのものであったにもかかわらず、一通り宗教的な知識を蓄えていたために、
また、さまざまな新興宗教系の団体などの創立にかかわってきた何人かの大先輩のような方とも親しく交わることができていたために、
増上慢に陥り、“高橋信次なる方の正体”を自分のこの眼で判断し、
その正邪やレベルを判定してやろう…というような、恐いもの知らずのとんでもない愚かな状態でした。
今から振り返ってみても冷や汗が出るほどです。

高橋信次という方に巡り会うまでの“真理”に関するわたしの遍歴は、以下のように簡潔にまとめることができます。

・父親は信仰心に富んだ人間でしたが、母親は合理主義者でした。 
・小学生の頃から神秘的な現象や不思議な話などに惹かれる傾向がありました。
・しかし、科学的・合理的思考を好み、宗教を迷信として扱っていました。
・手かざしをするM教団のチラシを読み、なぜかその研修会を受けてみたくなり、受けてしまいました。
・この出来事が突破口となり、一挙に宗教的マターに対する関心がブレイクしてしまい、
 アチコチの新興宗教を見て回ったり、さまざまな宗教書を読み漁りました。
・一時期、『生命の実相』に惹かれ、全巻を通読してみました。
 しかし、生長の家の創立メンバーの一人と知遇を得ていて、その実態をいろいろ聞かされていたため、
 実際に訪問するようなことはありませんでした。
・『生命の実相』よりも米国クリスチャン・サイエンス関連の著作を好むようになり、
 さらに、エマソンやソーロウの著作に親しむようになりました。
・同時に、当時、出版されたばかりの『解脱の真理』や『心身の神癒』『ヒマラヤ聖者の生活探究』を知り、
 それらの著作の内容が、わたしの中で宗教遍歴の完結となり、真理の決定版として位置づけられるようになっていました。

高橋信次という方(そしてGLA)に接した当時、すでにわたしの中での真理探究の旅は終わっており、
『解脱の真理』『心身の神癒』『ヒマラヤ聖者の生活探究』などが、わたしの真理探究のマニュアル本となっていました。

 

2012/07/03

高橋信次という方の“対機説法”②

 

読者の多くの方は、“対機説法”といえば、
「そんなことはわかっている…。対機説法とは、相手の機根に合わせて法を説くことである…」というような程度の理解をされ、
それ以上の意義については、ほとんど何の疑問ももたれていないのではないでしょうか。
 
また、「高橋信次という方も対機説法を巧みにされた方のようだな…」という程度の理解もされてはいるでしょう。
 
 
しかし、そうした既存の観念、知識の多くが、実は誤りであるということについては、ほとんどの方が気づかれていません。
 
もしそれに気づいていたとしたら、高橋信次という方が説かれた法というものを学ぶ姿勢自体に、根本的な変化が現れていなければならないからです。
 
 
このことは、知識や情報のみを求める、すなわち、頭だけで真理を求めようとしている方に特に指摘することができます。

そうした方々は、そもそも“対機説法”とは何なのか、その根本がまったくわかっていないといっても過言ではないでしょう。
 
 
高橋信次という方の“対機説法”に、実際に眼と耳で接したことがあるならば、
「なぜこのような不思議な返答がなされるのだろう…。これにはいったいどのような意義があるのだろう…」
という疑問を強く抱かざるを得ないはずです。

そして、そうした疑問を通じ、 
「そうか、これが対機説法というものなのだ…。対機説法とはまさに一人ひとりに示される実践すべき法、歩むべき道なのだ…」
という理解をするようになるでしょう。

さらに、こうした理解を通じて初めて、
「高橋信次という方の“対機説法”とは○○○○、しかじかであった」と語ることができるようになるのでしょう。

また、仮に、「自分が高橋信次という方の“対機説法”を受けるとしたら、どのような説法を受けるのだろうか…」

「しかし、それは、(高橋信次という方からそれを受けるよりも)自分で自己の内奥に探究すべきことなのだ…」という理解にいたるはずです。
 
 
・・・・・・・・・・・・
 
 
現在、高橋信次先生と当時のGLAについて、信じがたいほどの誤解やまちがった情報が蔓延しています。

たとえば、インターネットのある匿名の掲示板(ブログ?)では、
「高橋信次先生の時代に多くの霊道者が現れたが、そうした霊道者の中から多くの精神的におかしくなってしまった人が現れた…」
というようなデタラメな記事が書かれているのを読んだことがあります。
 
 
わたしはこのようなデタラメな記事を書く方の常識を疑わざるを得ません。

高橋信次という方に一度も逢ったことがなく、当時のGLAについても何も知らない方が、
まったくの推測と憶測、妄想によって、デタラメを書いているにすぎないといえます。
 
 
高橋信次という方が霊道を開かせようとした方は、きわめて限られたごく少数の方でしかありません。

わずか数名といってよく、10人にも満たない限られた方であり、
実際に霊道を開いた方は、またその中の一部の方でしかありません。

高橋信次という方も、当時のGLAも、霊道を開かせるような活動や行為はまったく何も行っていません。

当時現れた大多数の霊道者の方々は、勝手に自分でこじ開けてしまったにすぎないのです。
 
しかし、そうした多くの方がたに対しても、GLA関連の方の場合には適切なフォローがなされ、
現在にいたるまでも、たったの一人でもおかしくなったというような事実は生じていません。

GLA関連以外の他の宗教や霊現象を追い求めていたグループで、
正しい反省なしの瞑想などにより、不調和な霊道現象が開いてしまい、
それによっておかしくなってしまったという噂はいくつか耳にしたことがあります。

しかしそれでさえ、真偽のほどは不明です。
  

こうした事実をまったく何も知らずに、また調べようともせず、あたかも見てきたような作り話であるウソを書き、
書いた本人も、またそれを読む方も何も疑問を感じない…。

そうした現実がはびこっていることに注意をしなければなりません。
 
 
・・・・・・・・・・・・
 
 
この後、いくつかの「高橋信次という方の“対機説法”」を紹介させていただきますが、 
それはわたしたちが歩むべき道、すなわち“実践”について、大いなるヒントを与えてくれるものだ考えています。

 

2012/07/01

高橋信次という方の“対機説法”①

 

高橋信次という方の主張(“正法神理”と称されたりすることもありますが)はさまざまに解釈されています。

賛否両論を含め、そうしたすべてのさまざまな見解(否定的な主張も含めて)が、
わたしには愚かにも、滑稽にも感じられることが少なくありません。

なぜなら、そうした賛否やさなざまな見解を述べる方のすべてといってもよいと思いますが、
真実の“高橋信次現象”についてはほとんどまったく何も知らないまま、
無知なまま論(あげつら)っているにすぎないからです。

そうした方の判断の根拠というものは、高橋信次という方が書かれた本、残されている音声や映像、
さまざまな方が語っているほとんど信頼に値しない逸話――これらしかないからです。

わたしはこれらによって理解できる「高橋信次という方が現代の日本に現れた意義」というものは、
おそらく、十分の一程度も、否、百分の一程度も理解することはできず、
まったく当を得ていない、的を射ていないチンプンカンプンな珍説・妄説を無意味に繰り返すだけでしかないと考えているほどです。
 
会ったこともない、ふれたこともない、語ったこともない方が、
想像をたくましくし、自己流の誤解曲解をふんだんに盛り込み、“偽りの高橋信次”を語っているにすぎないと感じてしまいます。

たとえ、わずかな機会に会ったことがある、語ったことがあるといっても、
それは、わたしたちとなんら変わることのない“人間・高橋信次”のごくごく一部分に接したにすぎません。

わたしは高橋信次という方のお側に6年以上居ただけでなく、
「ぼくの後は君がやるんだ」と3回も念を押され、臨終の場にも居た人間です。

そうしたきわめて特殊な体験をし、36年も経た現在にいたる迄も(きわめて個人的・特殊な心情ではありますが)、
日々、常住坐臥、毎日24時間、「人間・高橋信次、肉体・高橋信次、信次先生、ブッダ、“エル・ランティー”」という“高橋信次現象”
――というよりも、やはり“信次先生”(わたしにはこの表現の方が合っている)とともに生きてきている人間です。

そうしたわたしは先生の本も読まなければ、ビデオを見ることもほとんどありません。
『ILA東京』の活動でもまったく同様です。

なぜならそこに“信次先生”はいらっしゃらないからです。
  
 

わたしたちは高橋信次という方の続きの活動を行っています。

高橋信次という方が「“わたしの教え”によってすべての宗教は消滅する」といわれて天に帰られたその続きこそ、
わたしたちが取り組むべき『高橋信次先生の“わたしの教え”』です。

これによって、高橋信次先生のすべての主張が蘇り、復活することができます。
モーゼ・ブッダ・キリストの福音のすべてが蘇ることができます。
これこそが、“エル・ランティーの真復活”です。
 
 
このようなわたしの主張の裏付けとして、ここでは高橋信次という方の“対機説法”について、
わたしがこの目・耳で接したいくつかの事実を紹介します。 

 

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