■1953年の劇団新人会の発足当初から親交があった俳優の渡辺美佐子さん
昭ちゃんは1年先輩で、新人会で一緒に劇団を運営した。当時から頭がよくて、「小沢昭一的こころ」のようなユーモアがあった。
ある時、私が新人会に残り、昭ちゃんが劇団俳優小劇場を作ることになった。別々の道を歩むことになり、昭ちゃんは「お互い芝居を忘れないで、やっていこうな」と。あの言葉があったから、私は俳優として続けてこられたんです。
その後、日本新劇俳優協会に私も昭ちゃんも参加し、再会。昭ちゃんが会長になった時、協会内で「新劇という言葉は、はやらないから、やめようか」という声が上がった。でも、昭ちゃんは「僕は新劇という言葉を残したいんだ。その言葉を忘れては芝居ができないんだ」と反対した。新劇というものを切り開いた人たちへの尊敬の念が感じ取れた瞬間だった。