■黒柳徹子さんの話
小沢さんは「徹子の部屋」に25回出て頂いてます。うち15回は「扮装シリーズ」をやりたいと言って、小沢さんの発案で互いに学生服とセーラー服、医者と看護師といった衣装を着て、それにまつわる話をするんです。小沢さんがセーラー服が好きという話から、私に着てって言われたのが最初。そのとき面白いねとなって続いたんです。面白がる天才で、天性面白いことが好きな人でした。
大人っぽい方でもありました。30〜40年前、小沢さんに「私100歳まで生きる、俳優をやるんだ」という話をしていたら、「いいけど、君寂しいよ。あん時さーと言っても誰もいないよ」と言われて、私わーっと泣いちゃって。でも、いま小沢さんにそれを言えなくて、ああ小沢さん、私にそういうことを伝えようとしたんだなって。私が向こうで会ったとき、まさに小沢さんの言うとおりでしたと言いたいです。
すごく優しくしてくれたし、私の話をおもしろがって聞いてくれたし、面白いことを聞かせてくれました。小沢さんが中学生の戦時中は、強制疎開で家が間引かれてぐじゃぐじゃになった家の屋根の上に座って、「一席ここでお笑いを」と落語の練習をした話を聞いて。おなかをすかせながらそういうところに座って、みんなを笑わせていた風景。小沢さんは、世の中を見るときに何か悲しげなものがあるのも感じました。
俳句の会も一緒にやっていたんですが、最後に会ったのは今年8月の俳句の会です。そのとき私の句「朝霧に/下駄(げた)引きずって/疎開の子」を「好きなんだよ」と一言言ってくれました。小沢さんは、私と違って俳句の上手な方で、ちょっとした人間の営みを見つけて作る人でした。「変哲」という俳号でした。
もうちょっと長生きして欲しかった。いずれ私たちも向こうに行くわけですけど、とっても会いたい。森光子さんもそうですが、会えたらうれしい人ですね。