嘘をつかない人を信用しない

これは私の信念です。決して一般論ではありません。

宋さんがまた無理して面白いことを言おうとしていると思われるかもしれませんが、正直いって無理していません。今朝も息子に嘘をつくように教育しました。

先日、息子が担当の主任先生に呼ばれました。「あなたが私と話す時、いつも視線を逸らしていますが、なぜですか。」息子が黙って答えないため、先生は続けました。「どんな答えが出てきても先生は怒りませんから、正直に教えてちょうだい。」

「本当ですか?」
「もちろん、本当です。」
「先生の顔に赤いニキビがたくさんあって見たくないの。」
「・・・・・・。」

このことは妻が後で当の先生から聞きました。私は妻から聞きました。今朝の食卓で、私は息子に嘘をつくように教えました。

「嘘も必要な時がある。本当のことをいうと相手が傷付くだけで、何の問題も解決しない時がある。きみの先生は好きでニキビになった訳ではない。先生が一番悩んでいる。本当のことを言うと先生がとても悲しくなる。」

「君が見たくないのもわかる。だから両方が上手く行く方法がある。それは良い嘘をつくことだ。」

「パパならきっとこう答えるな。『先生、僕はとても恥ずかし屋さんなの。顔を見ながら答えると緊張して言葉が出て来なくなります。だから顔を見ないで答えています』と。」

思ったことと異なることをわざと言うのが嘘です。嘘には善意の嘘、中性の嘘と悪意の嘘があります。

米国のカーター元大統領が選挙中に「私は嘘を付いたことがない」と言うと、女性記者はカーターさんの実家に行き、カーターさんのお母さんに聞きました。「あなたの息子さんは嘘をついたことがないと言いますが、嘘をつくのが人間の本能で、子供の時は嘘をついたでしょう?」

「それはつくことがあるわ。でもうちの息子はよい嘘しか付かないわよ。」とお母さんが答えると、「良い嘘があるんですか?」と記者が引きさがらない。お母さんは続けました。「あら、先ほど玄関に入った時、私はあなたに『可愛いわね』と言いませんでしたか?」

女性記者は真っ赤な顔をして引きさがりました。

日本の教育は嘘をつかないことに重点を置きます。はっきり言ってこれは無駄で矛盾に満ちた教育です。嘘は人間の天性であり、社会活動においてはとても大切な役割を果たしています。そもそも「子供を褒めて育てる」という教育方法自体、嘘をつくことです。ちょっとできたことを「よくできた」とやる気が起きるように嘘をついているのです。

日本人は交渉が下手だと皆さんよく言います。私もそう思います。でも交渉はそもそも嘘をつくことから始まります。嘘と嘘のぶつかり合いの中から本音や妥協線を探り出すのです。この時の嘘は善意でもなく悪意でもなく「中性の嘘」です。

詐欺や悪口などの他人に害や迷惑を与え、自分が得する嘘は悪意の嘘といいます。これについては、このような嘘は当然いけませんが、問題の本質は嘘が悪いのではなく、他人に害や迷惑を与えるところにあります。

喉が渇いて進軍が遅れる兵隊に向かって曹操が嘘をつきました。「もう少し前方に梅林がある。熟していない梅がある。それを食べて渇きを癒そう。」と。これを聞いた兵隊は涎が零れそうになって渇きを我慢し、進軍を速めたという逸話があります。作り話かどうかはわかりませんが、リーダーはいろいろな嘘をつかないとやっていけないことは、皆さんも身に覚えがあるはずです。

嘘は思いやりの心を伝え、トラブルを交渉で解決し、組織を纏めるとても大切なツールなのです。日本はそろそろ嘘についての教育を見直すべきです。

私は嘘をつかない人を信用しません。
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