2012-04-16
少し名古屋を振り返ってみる。
11年と3ヶ月。あっという間。まさかこんなに長い間暮らすとは思ってもみなかった。
来たのは2001年の正月。21世紀に入ったばかりのこと。万博?なにそれ?って状態だった。その愛知万博もあっという間に過ぎ、気がつけば次の上海万博の喧騒も名古屋でやり過ごしていた。近くの銭湯は1年足らずで更地となり、部屋の前の道路は徐々に区画整理が進み、10年のときを経て半年前には道路を突き通す最後の壁となっていた八百屋と雑貨屋が立ち退いた。裏のパチンコ屋がなくなってスーパーになって便利になったかと思えば、布池教会の先で不発弾が見つかって避難したことも。
まわりがこんなに変化しても、結局自分は特段前進成長したわけではなく、ただ漫然と年齢を重ねていただけ。最後の3年は車を持って少し能動的に楽しんだ気がするけど、でもやっぱりなんとなく、赴任して来てる人、長期出張で来てる人、という感覚だったような気がする。
最終出社日に○呂さんとの話で交わしたことがすべて。「結局、家族を持つことなく名古屋に根を降ろすことができなかった。」だから今回、名古屋で再スタートすることにこだわりを持たなかった。
11年も住んでみて、名古屋はどうだった?とよくたずねられる。私の答えは「暑かった」。これにつきる。なんとも味気ない回答でがっかりされることばかりなのだが仕方がない。私には暑すぎた。もちろん、住みやすい街だった、とか、車社会だ、とか、独特の食文化だ、とかいろいろ感想はある。でも東北人の私にとっては「暑かった」。これがすべて。
でも、またいつかきっと訪れる。手羽先やひつまぶしを食べに。友達と飲みに。奥美濃へ滑りに。恵那のおきにの温泉に入りに。東区葵の町並みの変化を見に。またいつかきっと訪れる。
2012-04-02
新しい仕事の第一歩
新しい仕事の初日を迎えた。
スーツでバスに乗り、午前中は辞令交付式。午後はPCのセットアップやグループウェアの操作を自習。Webコンテンツのバナー入れ替え作業で使うFFFTPや秀丸を入れたり。なんでも、ハングルを問題なく扱えるメジャーなエディタは秀丸くらいしかないらしいとのことで。そして2年間かけての、アクセシビィリティや災害対策を加味しての、大規模Webサイトリニューアル事業が始動し、その一員として私も参加することに。インフラ要件のとりまとめではこれまでの経験が生かせそう。
早速有志でのpre歓迎会が催され、「アイディアや発想を大切にして楽しくやっていきましょう」とボスに言っていただき、いい意味でこの職場のイメージを裏切られた。
不安よりも期待を感じた初日だった。