「暴走老人の決意」

私がこの度都知事を辞職し、有志の仲間たちと一緒に日本の政治をなんとか造り変えたいと決心したのは、さまざま理由はありますが、今年はすでに九十二になるある戦争未亡人の歌を聞かされたことも強い引き金になりました。

彼女は二十二にして新婚早々の夫に戦死され、以来父親の顔も知らずに残された子供を育て、夫の両親をみとってきました。その彼女が、今日のこの国の有様を眺めて作った歌でした。

『この国のかく醜くもなりぬれば、捧げし命ただ惜しまるる』

なんと痛ましい心情でしょうか。

私の妻の父親も彼女がまだ母親のお腹の中にいる時に戦死しました。

 私はかつての戦争のすべてを肯定する者ではありませんが、しかしなお、あの戦が引き金となって白人が支配してきた世界の全ての植民地が解放され独立を果たしたという歴史的事実は誰も否定出来ません。私が若い頃会うことの出来たエジプトの大統領ナセルやインドネシアのスカルノ大統領は、自分たちの独立は日本のおかげだと等しくいっていました。

 しかし敗戦の後のこの国は経済の復興では成功したが、その反面多くのものを失ってしまったと思います。自らの国の運命を実質的な支配者のアメリカの手にゆだね、そのアメリカとの関係も今では危ういものになってきたのに気にもせず、平和ぼけまま肝心の経済も危うくなってきているのに政治への一方的な要求ばかりがつのり、政治家もそれに媚びるばかりで経済も傾いてきて先も見えない。

 国民も政治家も役人も我欲に溺れて明日を考えようとはしない。このままではこの国はまだまだ大丈夫だと自惚れている内に、あのタイタニック号のようにあえなく沈没するのではないだろうか。今では誰しも密かにそれを感じているのに、自ら動こうともしません。

 だから私は、もういい年ですが最後の御奉公のつもりで、若いしっかりした世代を作り直し彼らにバトンタッチをしてもらうつもりで決心しました。

 幸い大阪で、まさに命がけで改革に取り組んできた橋下市長と意気投合し私たちの仲間と小異を捨て大道団結してこの国をもっと強くしたたかな国に作り直していこうということを誓い会いました。

 私が十八年前に、役人に逆に使われるままの姿にうんざりして決別した自民党は、低迷した民主党の政権下にありながら実質何も変わらずにきました。ここでまた自民と公明連立の政権が過半数を取ってしまえば、このまま日本はどう変わることもなく沈没するでしょう。それを食い止めるために、強力な第二局をつくるために、日本維新の総代表として頑張ります。

 目的は端的に、強くしたたかな日本を造りなおすことです。

 そのために具体的に何をするかは多々ありますが、それは次の機会に述べさせてもらいます。ともかくこの国、この民族が持っている力を真に生かすことが先決です。
 二十一世紀に入ってから日本人が自然科学分野でとったノーベル賞の数は全ヨーロッパに勝ります。人間の文明を発展させてきたのは新しい技術です。それが歴史の原理ですが、そんな力を統合して国力を育む試みを政治はなぜやってこれなかったのか。要は発想の問題なのです。

 新しい人たちのそうした発想力を汲み上げ、この国をもっと強く自身に満ちたそしてしたたかなものにするために老、壮、青、世代を超えた協力でこの祖国を再生させていきたいのです。