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アニメ「ガールズ&パンツァー」の設定を元にしたオリジナル小説(二次創作?)です。そういうものが嫌いな方は読まないようお願いします。
第一話

 鼻孔をくすぐる排気の香り。
 心を躍らすエンジンの音。
 この二つが合わさったとき、私は今『戦車』に乗っているのだなぁと実感することができる。
 六十年以上前に戦場を駆け抜けた鉄の塊が現代でも息づき、人を殺さぬ『道』の道具として活用されている。それが良いことか悪いことなのかはわからないけれど、戦車に乗っていることを楽しんでいる私がいることは紛れもない事実だった。
「――万朶の桜か襟の色。花は吉野に嵐吹く。大和撫子 凜として戦車を飾る華となれ」
 戦車に乗っているという興奮が私の口から歌を誘いだした。『歩兵の本領』という軍歌の替え歌だ。
「マジノラインを突破せし歴史は古く森深し。占守島の戦いは日本戦車の粋と知れ」
 気持ちよく歌いながら手のひらで愛車のキューポラをそっと撫でる。戦いにのぞむ前のおまじないみたいなものだ。今日もよろしく。乱暴に扱うけど許してねと戦車に語りかける。
 もちろん戦車が答えてくれることはないけれど。鉄特有の冷たさは試合前で高ぶる私の心を適度に落ち着けてくれた。
 さぁやるぞ。そうやって私がせっかく気合いを入れたというのに――
「――すみません! 三号車撃破されました!」
 無線を通じて報告があった。いきなり出鼻をくじかれた形だ。早すぎでしょうに。
 ため息をつく暇もなく四号車、五号車、六号車から次々に撃破されたとの報告が上がってきた。
 破壊判定を受けた四台は遊撃隊で、フラッグ車と、それを守る私の戦車以外で構成されている。みんな全国大会を戦い抜いてきた優秀な戦車乗りばかりだから、普通の戦闘で撃破されたにしては早すぎる。……おそらくは待ち伏せにあったのだろう。
 いくら全国大会とはいえ中学生同士の試合で、しかも大和撫子を育てるという大義名分がある戦車道において待ち伏せとは珍しい。敵にはよほど優秀な策士がいるみたいだ。
(隊長が私の策を実行してくれていたら、あるいは……)
 今頃は敵と味方の被害が逆になっていただろうに。
 と、そんなことを悔やんでも仕方がない。残されたのは私の戦車と、隊長が乗るフラッグ車しかないのだ。隊長を非難するのはこの状況を何とかしてからにしなければ。
 私は後ろをふり返り、すぐ近くにいるフラッグ車を見やった。――キングタイガー。虎の王。もしも「世界一美しい戦車は?」と問われれば、私は迷うことなくキングタイガーの名前を挙げるだろう。味方にしてこれほど頼もしい存在はない。正面装甲は180mm。18センチもの鉄板はそう簡単に敵の砲撃を受け付けはしないはずだ。
 だが、重装甲の代償として機動力は皆無に等しい。この状況でフラッグ車に望むことは遠距離からの狙撃によって敵戦車を撃破することしかない。
(……そのためには、タイガーの前に敵をおびき寄せないといけないわね)
 私はふたたび我が愛車を撫でた。パンターの、F型。豹の名前を冠した戦車パンターの最終型とでも言うべき存在で、ステレオスコープを装備したことにより命中精度が飛躍的に上昇している。
 本当は試作だけで量産はされていないのだけれど、戦車道の規則によれば1945年8月15日の時点で設計し終わり試作に取りかかっていれば使用可能とあるので何の問題もない。
 私は瞳を閉じて、試合会場の地図を頭の中に展開した。自分の位置と、味方が進撃していたはずの位置から今現在敵の存在しているであろう地点を予想する。
(よし)
 私は喉に装着したマイクの電源を入れた。声ではなく喉の振動で音を伝えるタコホーンというドイツ製マイクだ。普通のマイクでは車内の雑音を拾ってしまうところを、このタコホーンは声だけを正確に伝えてくれる。
 通信先はもちろんフラッグ車だ。
「二号車。これより敵をE-5地点におびき寄せます。フラッグ車は狙撃をお願いします」
 間髪を置かずに怒声が返ってきた。
「まて! 何を勝手に指示している!? 隊長はこの私だぞ!」
「では、隊長はどうやってこの状況を打開するのですか?」
「……そ、それは」
「無理ですよね。あなたでは。あなたの指示に従ったせいで他のみんなはやられてしまったんですから。私は前もって待ち伏せの可能性を指摘していたのに。それを見抜けなかったあなたに、もはやこれからの判断を任せることはできませんよ」
 これ以上の議論は無駄だと悟ったので私は通信を車内限定に切り替えた。一息つき、拳を握りしめる。
 正直言えば不安があった。いくら待ち伏せされたとはいえ、全国大会を勝ち上がってきた我が校の戦車四台を敵は一瞬で葬り去ってみせたのだ。腕は超一流と考えて間違いはない。
 試合前に得た情報によると敵戦車は七台。すべてが私の予想した地点に現れるとは限らないが、最悪の場合は七台の敵を私の戦車だけで相手しなければならない。
 厳しい戦いだ。
 恐怖が襲いかかる。
 撃破されても死ぬことはないけれど、敵弾が命中すればかなりの衝撃が戦車とこの身を襲うのだ。か弱い女子中学生としてはなるべく避けたいところ。
 でも、
 私は、むしろこの状況を楽しんでいた。たった一両で敵を翻弄し、戦況を覆してみせようという興奮が私から恐怖を奪い去ってしまっていたのだ。口元に隠しきれない笑みが浮かんでいるのが自分でもわかる。
 自らの異常性を認識しながら私は右腕を天高く掲げ、一気呵成に振り下ろした。
「――パンツァー・フォー!」
 戦車前進。
 私の指示に従って四人の頼もしき戦友たちは一個の生命となって鉄の豹を操縦しはじめた。エンジンが唸りを上げ、マフラーから排気炎が吹き出す。
 パンターの最高時速は約50キロ。敵を翻弄しおびき寄せるには充分だ。速まる鼓動を押さえつけながら私は私自身が予測した地点へと戦車を走らせる。
「……いた」
 双眼鏡を使うまでもない。敵のフラッグ車を除いた六台の敵戦車が土煙を上げてこちらへと向かってきているのだ。
 ――JS-2。スターリン重戦車。
 ソビエトの絶対的独裁者であるスターリンの名前を冠した、まさしく最強であることを義務づけられた鉄の塊。その主砲はパンターの前面傾斜装甲すら易々と貫通してくれる。
 相手にとって不足無し。
「だ、大丈夫でしょうか?」
 装填手が不安を表明したが、そんな彼女に対して私は微笑みながら頷いてみせた。スターリンの主砲弾は弾頭だけで25キロもあり、とてもではないが中学生女子が扱える範疇を越えている。一発目を避ければ、二発目が装填されるまでかなりの時間的猶予が生まれるのだ。その猶予を最大限に生かして私たちは逃げ回り、E-5地点にまでヤツらをおびき寄せればいい。
 もちろん。パンターFの主砲は近距離ならスターリンの装甲を撃ち抜けるので、ヤツらが油断したら容赦なく反撃しなければならない。それが戦うために生まれた鉄の豹の宿命なのだから。
 私は深く息を吸い込んでから共に戦う戦友たちに激励の言葉を掛けた。
「――行くぞ! 時代遅れの独裁者に鉄豹の牙を教えてやれ!」
 全国大会、決勝。
 中学生最後の戦いが幕を開けた。




「教えてやれ! ――は!?」
 と、私は自分の寝言で目を覚ました。そう、寝言だ。辺りを見渡し時計を確認。そこでやっと夢を見ていたのだと認識する。
 懐かしい、一年近く前の記憶だ。もうすぐ戦車道の全国大会がある季節だから私の中に眠る戦車乗りとしての血が騒いだのかもしれない。
 目が覚めたところでもう一度時計を見やる。午前九時。授業はとっくの昔に始まっている時間だ。完全なる遅刻。
 でも、私が慌てることはない。ゆっくりとベッドから降り、ゆっくりと身支度を調える。
 登校の準備が終わって部屋から出ると潮風が私の髪を揺らした。
 内陸生まれの私は磯の香りというのがどうにも好きになれないのだけど、学園艦というのは巨大ではあるがしょせん船なので、その上で生活するからには潮風とも付き合わなければならない。
 朝からちょっと憂鬱になりながら私は人気のない通学路を歩き、学園の前へと到着した。時間が時間なせいで遅刻者を取り締まる風紀委員の姿もない。
 誰もいない校門前にちょっと奇妙な感覚を覚えながら私は校門に掲げられている木製の板に目をやった。
 ――知波単学園。
 戦車道の全国大会常連で、一回戦敗退の常連でもある。戦術戦略など一切無いバンザイ突撃は一部のマニアの間で人気があるみたいだけれど……ほとんどの場合失笑を買っている。私も戦車道をしていた頃は軽蔑の目でこの学園の試合を見ていたものだ。
 そんな私がなぜこの学園を選んで進学したかというと、まぁ、二つの理由がある。
 一つはこの知波単学園が全国でも稀な制度を導入していること。
 成績上位者は授業の出席単位が免除される。つまり、テストで良い成績を残せば、極論すれば一回も授業に出なくても卒業できるのだ。
 何でも学園長の孫娘が病弱で、自分の孫を可愛がりたい気持ちと学園長としての責任の間で揺れ動いた結果としてこの様な奇妙な制度が出来上がったらしい。孫娘を甘やかしつつも『成績上位者』という条件を付けることで体面を保ったとか。
 学園長の孫バカさ加減には呆れてしまうものの、テストで上位になればこうして遅刻をしてもお咎め無しなのだから素晴らしいと称賛しておこう。素晴らしいですよ学園長。
 また、噂では私のような、フォンゼークト風に言えば『なまけ者で頭のいいやつ』がだんだんと集まってきて学園の総合的な学力が上がったらしいので英断と言えば英断なのかもしれない。結果よければ全てよし。
 親友からは「ちゃんと授業に出なきゃダメじゃないですか」と怒られるけれど。授業をサボって保健室で寝る幸せは、それを体験した者にしかわからないのだろう。
 そして、私が知波単学園を選んだもう一つの理由が――
「――真沙美。キミも遅刻かい?」
 どこか演技っぽい声で私の名前が呼ばれた。女子高生らしくない口調にそっとため息をつきつつ振り向くと、我が親友である凜が素早くかつ優雅な動作で私の手を取った。
 女王様に対する騎士のように。凜は道路に片膝を突き私の手の甲に軽く口づけをした。まるで背後に咲く薔薇が見えるかのような、見事なまでに少女漫画っぽい仕草だ。吹き出さないようこらえるのがちょっと大変。
「今朝の真沙美も美しいね。日が昇るたびに真沙美はその美貌に磨きをかけていくようだ。キミを心から愛する者として誇らしく思うよ」
 なんともまぁ歯の浮きそうなセリフを並べ立てられてしまった。
 一応確認しておくが私は女で、凜も女性だ。同級生で同じクラス。まごう事なき女子高生。にもかかわず平然と『愛する』などと口にできるのだから凜のプレイボーイ、じゃなくてプレイガールぶりがよくわかる。
 凜は髪の毛を男性と見間違うくらい短く整えているし、制服もスカートじゃなくてズボンをはいている。これで胸がなければ男と勘違いする人もいるかもしれない。まるで宝塚の男装を見ているかのようでいて、凜もそれを意識して格好付けた立ち振る舞いをしているフシがある。男装の麗人と評すれば凜も喜ぶことだろう。
 ここで恋に夢見る少女ならば凜のことを王子様のように錯覚してしまうかもしれない。彼女はまさしく少女漫画から出てきたような格好良さを持っているから。
 でも、残念ながら。私は出会って数ヶ月しか経っていない凜から『愛している』と何度ささやかれても胡散臭さしか感じることができない。
「まったく」
 と、私は凜の手を引きはがした。
「朝から寝ぼけているわね。睡眠時間が足りないんじゃないかしら? あぁ、だからこんな遅い時間に登校してきているのね。女たらしの上に遅刻魔とは救いようがないわ」
 私の毒舌を受けながらも凜はへらへらと笑っていた。
「あはは。今朝も手厳しいね。ますます惚れそうだよ。あと、登校時間に関しては私と同じく遅刻魔の真沙美に言われたくはないね」
 惚れるとかいう妄言は放置。たらしの凜に付き合っていたら日が暮れる。私が無視して歩き出すと凜は私の背後から抱きついてきた。いつものことなので振り払ったりはしないけど、歩きにくいったらありゃしない。
「真沙美。学校なんて行かないでデートしようよ。どうせ私たちは特待生で授業に出なくてもいいんだからさ」
「ダメよ。一応は保健室に行って、形式的には登校したって事にしなきゃ。それに授業だけじゃなく学校までサボったら桜の雷が落ちるわよ?」
 桜とは私と凜の共通した親友で、よく三人一緒にいる。仲良しグループというヤツだ。きっかけは入学式直後に行われた学力テストで、掲示板に張り出された上位三人がいつの間にか親交を深めていたという形。
 凜が少しばかり残念そうな声を私の後頭部あたりから発した。
「むぅ、桜ちゃんのお説教はそれはそれで楽しい会話のきっかけになるのだけど。彼女の相手ばかりしてしまうと真沙美が悲しむからね。しょうがない。デートは諦めるよ」
 誰も悲しまないって。
 諦めると言いつつも凜は名残惜しそうに私の肩をアゴでグリグリしてきた。やはり歩きにくかったものの、意外と肩こりに効いて気持ちよかったので私はそのままの状態で校舎に入り、教室ではなく保健室に向かった。
 保健医とは親しくしているので今日も問題なくベッドを使えるはずだ。



「もう、また授業をサボったんですか?」
 昼休み。保健室のベッドでくつろいでいると親友である桜がお弁当片手に保健室へとやって来た。ここで一緒に昼食を食べるのはもはや恒例の行事になっている。桜の小言もいつものことだ。
 だから私は「はいはい」と気のない返事をしたのだけれど、
「しかしね桜ちゃん」
 隣のベッドで携帯ゲームをしていた凜はちゃんと相手をしてあげるみたいだ。こういう細かな気配りが女性にモテる秘訣らしい。
「この学園には特待生制度がある。学年一位を取るか、全国模試で十位以内になれば授業に出なくても良いというものだ。私の愛する真沙美は学年一位を取り、惜しくも学年二位だった私も全国模試で五位になったのでこうして惰眠をむさぼる権利を得ている。文句を付けるならこんな制度を考え出した学園長に対して行うべきじゃないのかな?」
 凜から一方的すぎる愛情を向けられた気がしたが、否定したりすると話がややこしくなりそうだったので沈黙を保つ。というかお腹が空いたので二人は放っておいて先にお弁当を食べよう。
 私がベッドから降りて昼食の準備をしている間に桜と凜の応酬が始まった。そんな二人を脇目に私は弁当箱の前で両手を合わせる。いただきます。
「凜ちゃん。学生の本分は勉強なんですから、ちゃんと授業に出ないといけないでしょう?」
「でもね桜ちゃん。私たちはきちんと本分を果たしているよ? テストという、これ以上ない客観的な判断基準で結果を残しているじゃないか。この学校で一番目と二番目に頭の良い人間が、他の人のレベルに合わせて授業を受ける意味を桜ちゃんは説明できるのかな?」
「それは、」
「キミだって全国模試で八位になった優等生だ。そんなキミにだからこそ問うけれど、授業は楽しいかい? 自分がとっくの昔に理解したことを延々と説明する教師や、それを必死でノートに書き写す生徒にバカらしさを感じたことはないかい? ――つまらないと思ってしまうことはないのかな?」
 桜の眉間にシワが寄った。図星を突かれたときに彼女がよくする癖だ。
「はぁ……。凜ちゃんに口で勝てる気がしませんね。何でこんな面倒くさがり屋さんが私よりも成績が良いんでしょうか?」
「ふふふ、私はサボるために全力を尽くすオンナだからね」
「矛盾していますねぇ。まったくもう。だいたい、真沙美ちゃんも真沙美ちゃんです。いくら成績が良いからといって――って、あぁ!」
 桜の突然すぎる叫び声に私は身体をこわばらせてしまった。次の獲物であったタコさんウィンナーは床に落ちる。三秒ルールを適用しようとしたけれど、それをやると桜が「汚いですよ!」と怒りそうなのでタコさんのことは諦めることにする。合掌。
 桜がつかつかといった足取りで私に近づいてきた。
「真沙美ちゃん! 何先に食べているんですか!? せっかく一緒に食べようとわざわざ教室から遠い保健室にまでやって来たのに!」
「え、あ、……ごめん。長くなりそうだったから」
 しゅんと頭を下げた私をフォローするかのように凜が笑い声を上げた。
「あははっ。真沙美は相変わらず我が道を行っているねぇ。そんなところもまた愛おしいよ」
「笑い事じゃないですよ。もう、何でこの二人はここまで変人なのでしょうか。我が道を行くにも程があります。友達として、将来が不安になってしまいますね」
 変人言われてしまった。いやまぁ、否定はできないけれど。
「おやおや、桜ちゃん。心配してくれるのは嬉しいけどね、自分のことを棚に上げるのはよくないと思うよ?」
「へ? ど、どういうことですか?」
 凜の指摘が予想外だったのか桜がしどろもどろになる。また長くなりそうだ。食事を再開してもいいだろうか? ダメなんだろうなぁ。
 ビシッと、凜が勢いよく桜を指さした。
「全国模試で八位になって特待生の権利を得たにもかかわらず普通に授業を受け続けている……。そんなキミこそこの中で一番の変人なのだよ!」
「そ、そんな!」
 桜は電撃がその身を襲ったかのような衝撃を受け、へなへなと床に座り込んでしまった。変人扱いがよほどショックだったらしい。
 人を変人扱いしておいて、と思わなくもないけれど。まぁ、私や凜のように『変人』である自覚があるならまだしも、桜は自分のことを常識的な人間と思っているようだから。凜の言葉は深く心を傷つけたのだろう。
「そんな、私が変人だなんて……」
 力なく首を振る桜の肩に凜が優しく手を置いた。ここからが女たらしの本領発揮だ。
「大丈夫。今からでも遅くない。キミはこれから特待生にふさわしい行動をすればいいのさ」
「ふさわしい行動……?」
「あぁ。そうだね、とりあえずこれから一緒に街にでも出かけようか」
「え、でも、授業をサボるだなんて」
 生真面目な桜の頬に凜が優しく手をやった。
「いいんだよ。桜ちゃんがどれだけ頑張って全国八位になったのか、私はよく知っているから。ご苦労様だね。そのたゆまぬ努力は尊敬するよ。でも、たまには休んだっていいんだよ? 肩の力を抜いていいんだよ? ――私は、桜ちゃんの笑顔が見たいから。勉強に追われて笑顔の消えた桜ちゃんを見ているのは辛いんだ」
「凜ちゃん……」
 眼前で繰り広げられるドラマのような展開を私は覚めた目で見つめていた。ズゾーっとパックジュースで喉を潤す。凜は簡単に女性を口説きすぎだし、桜は簡単に騙されやすすぎだと思う。
 まぁ、見ているだけなら面白いので別に良いか。
 私がジュースを飲み干す間に話はまとまったようで、お昼を食べてから街へ繰り出すことになった。



「――五号車! 旋回が遅いぞ! 真面目にやれ!」
 街に向かう途中、校庭では戦車が走り回っていた。授業に出ていないのでよく知らないが今は必修選択科目の時間なのだろう。必修科目には戦車道の他には華道や茶道などがあったはず。
 知波単学園名物の九七式中戦車『チハ』が縦横無尽に走り回っている。何十年も前に開発されたとは思えないほど軽快な走りだ。急制動、急加速によく耐えている。
 まぁ、足回りの基本設計が古くても部品自体は現代に作られた高品質なものを使っているから当たり前か。
「……戦車道ですか。戦車に乗るのって面白そうですよね」
「そうだね。一度でいいから本物の戦車を操縦してみたいものだよ」
 桜と凜がそんなことを言っていた。
「じゃあ、やってみたらどうかしら? 一年生の間なら自由に選択科目を交換できるはずでしょう?」
 私の提案に二人は揃って首を横に振った。
「いえ、戦車に興味はありますけど、実際に動かしてみるのは恐いですね。私はゲームで充分ですよ」
「そうだね。しかもうちの学園はバンザイ突撃がお家芸なのだろう? そんな頭の悪いことはしたくないよね正直言って」
「それに、あんな体育会系なノリはちょっと無理ですね」
 桜の視線の先では戦車のキューポラから上半身を出した隊長らしき女性が拡声器で後続車に怒声を叩きつけていた。まさしく体育会系。夕日に向かって走り出しそうだ。運動が苦手な桜やゴーイングマイウェイな凜には合いそうにない。
 よく観察するまでもなく戦車たちは校庭の端から端まで真っ直ぐに、ただただ真っ直ぐに前進していた。知波単学園名物のバンザイ突撃はこうして生み出されるのだ。バカみたい。
 私は小さく鼻を鳴らしてから街に向けて歩みを再開した。学園と繁華街はすぐ近くにあるのでさほど時間を浪費することなく到着する。
 真っ昼間に学生が歩いていても町の人は変な目で見なかったし、警察官が声を掛けてくることもなかった。知波単学園の特待生制度が街全体に広まっている証拠だろう。
 ……戦車道の試合で市街地戦をすることがあるから多少の変なことでは驚かなくなっているだけかもしれないけれど。
 私たちは一通りウィンドウショッピングを楽しんでから街で一番大きなゲームセンターにやってきた。恐い人がほとんどいないので学園の生徒たちが放課後によく集まっている場所だ。
 凜と桜は迷うことなく店内の一角を目指したので私は大人しくついていく。二人が今熱中しているゲームがこの先にあるのだ。
「おっ、空いているね。やっぱりこの時間だと人が少ないねぇ。並ばなくていいのは最高だよ」
 凜が軽い足取りでゲームの筐体に近寄った。高さが二メートルはある箱形の体感ゲームだ。名前はパンツァー・フォーンティア。プレイヤーが戦車乗りとなって敵戦車を撃破していくゲームで、FPSを戦車限定にしたような感じらしい。私はFPSをやったことがないからよくわからないけれど。
 戦闘機に乗ったり歩兵として戦闘したりすることができない代わりに戦車の動きをできるだけリアルに再現していると謳われている。走ったときの振動や主砲発射時の衝撃を箱形の筐体で再現していると。
 昔本物の戦車に乗っていた私がやってみた感想としては……うん、中々にリアルだけど、しょせんはゲームだった。鼻孔をくすぐる排気の香りや心を躍らすエンジンの音がなかったから。楽しさよりは物足りなさが心に残っている。
 そもそも一人で戦車を動かせるわけがないし。戦車とは車長を初めとした乗員が一つとなって初めて運用できるものなのだから。
 ただまぁ、気軽に戦車乗りの気分が味わえるのは良いことだと思う。
 この様なゲームが開発されて、しかも女子高生の間でブームになっているのは『戦車に興味はあるけど戦車道を始める勇気はない』といった子たちの要求を満たした結果なのだろう。統計によるとこのゲームをきっかけに戦車道を始めた女子が急増したらしいし。
「真沙美ちゃんもやりませんか?」
 そう桜が誘ってくれたけれど、私は遠慮しておいた。ゲームで擬似的な戦車に乗っても虚しいだけだから。
「…………」
 残念そうな顔をした桜とは対照的に、凜は何かを言うことなくさっさと筐体の中に入ってしまった。彼女の性格ならしつこいくらいに誘ってきてもおかしくないはずなのに。
 凜なりの気遣いだ。
 私が最初にやった一回以外は何度誘われてもこのゲームをやっていないことを知っているから。察しの良い凜は『何かがある』と悟ったのだろう。
 凜が女の子からモテるのは『男装の麗人』という外見だけが理由ではなく、あのようなきめ細かい心遣いが大きな要因なのだ。
 また、心遣いで言えば桜のものもありがたい。凜とは逆に何度も諦めることなくゲームに誘ってくれるけれど、それは私の気が変わったときのことを考えてのことなのだ。何度も拒否していた私がいきなり「やりたい」と提案するのは難しいから。
 凜と桜。その心遣いは正反対の方向を向いているけれど、どちらからも温かさを感じることができる。
 いい友人を持ったなぁと私がしみじみしているとゲームが始まった。筐体の前には大型のスクリーンがあり、プレイしている本人たちだけではなく周りの人間も楽しむことができる仕掛けとなっている。
 ロード中の画面に二人が選んだ戦車の情報が映し出された。3Dの映像がゆっくりと回っている。桜が選んだのは九七式中戦車。通称チハ。先ほど校庭で戦車道の人たちが乗り回していたものだ。
 日本陸軍が開発運用した歩兵支援戦車で、設計思想的に対戦車戦闘は想定していない。後には対戦車戦闘が可能になった『新砲塔チハ』が開発されたけれど、桜が選択したのはただのチハ。鉢巻きのように砲塔の周りに巻かれたアンテナが特徴的。
 ゲームとはいえ九七式で敵戦車を相手にするのは不可能に近いのだけれど、桜は「可愛いですから」という理由で毎度のようにチハを相棒にしている。……戦車を可愛いとは、よくわからない感覚だ。
 あ、でも、一部のネット上では九七式のことを『チハたん』とか言って萌えキャラ化する動きもあるから、そう考えるとチハを可愛いと思うのは普通なのかもしれない。
 ……いや、ないな。あんな無骨な鉄の塊を可愛いだなんて。やっぱり桜も相当な変人のようだ。
 対する凜が選んだのは五式中戦車。通称チリ。試作だけで終わった戦車だが、全長がチハの1.5倍くらいになっていたりヂーゼルではなくガソリンエンジンを使っていたり自動装填装置が付いていたりと日本戦車らしくない戦車だ。
 普通の人間なら「チリ? 南米?」となるはずなのに迷うことなく選んでしまうのだから凜がかなりの軍オタであることがうかがい知れる。普段の宝塚な凜のイメージしか知らない人は驚くだろうが、凜はかなりの軍オタさんなのだ。
 そのことを指摘すると彼女は「愛する真沙美ちゃんの趣味に合わせるために猛勉強したのさ」と言い訳をする。
 確かに私は戦車道をやっていた関係で戦車には詳しいが、しかし、私の趣味に合わせたにしては凜の知識はずば抜けている。なにせ私たちが出会ったのは入学したての数ヶ月前。数ヶ月戦車について勉強しただけで『司馬遼太郎と三式中戦車。ヤスリは嘘か真実か』について小一時間熱く語れる知識が付くはずがないのだから。
 凜はいつから軍オタをやっているのかと私が疑問に思っていると勝負が始まった。九七式と五式。性能が違いすぎるせいで勝負は目に見えている。
 というか、歩兵支援用でしかない九七式と対戦車戦に重点を置いて開発の進んでいた五式が戦ったら五式が勝つのが当たり前だ。
「うぉりゃあああぁああ!」
 そんな性能差など微塵も恐れることなく桜は勇猛に突撃していた。いつ敵弾が降り注ぐかわからないのに逃げも隠れもしない。もちろん戦車のスペックの差を理解していない無知ゆえの蛮勇ではあるのだが、それとは別にして桜は意外と血の気が多いところがある。普段の生真面目さからは想像しにくいけれど。
「…………」
 対する凜はその場を動くことなくじっと桜の九七式が射程に入るのを待っていた。こちらも普段の、女性には積極的に言い寄っていく凜からは想像しにくいが、彼女は無駄に動くことなく射撃も最低限。絶対に当たると確信しなければ引き金を引かないのだ。このゲームにおける凜の命中率は実に九十パーセントを超えている。
 戦車とはその人の本質を明らかにする力があると思う。
 桜は生真面目な顔の裏に熱い情熱を秘めていて、その情熱でもって勉強に打ち込み特待生にまで上り詰めた。
 凜は一見すると女たらしでだらしのない人間だが内面はいつも冷静で。その落ち着いた観察眼で女性の悩みや不安を見抜き解決してあげることで心を掴んでしまうのだ。
 ――もしもこの二人と戦車に乗ったら、どうなるだろう?
 私の鼓動がわずかに速まる。
 桜は敵の大軍を恐れることなく戦車を操ることができるだろうし、凜はどんな危機的状況でも落ち着いて引き金を引いてくれるはず。そんな二人と戦車を一緒に操ったらどれほど強くなるだろうか……。そんな事を考えてしまった。
 二人は戦車道をやらないと断言したばかりなのに。自分も、もう戦車道をやるつもりはないはずなのに。
 自らの妄想に呆れつつ後頭部を掻いていると勝負が付いた。凜が主砲弾の一撃で桜の九七式を葬り去ったのだ。一撃必殺お見事です。
 そのあと私たちは街をぶらつき、クレープ屋さんで小腹を満たしてから解散した。普通の女子高生とはちょっと違うものの、とても楽しい一日だった。
 戦車に乗らないからあの興奮を味わうことはないけれど。私は今この平穏な日々に満足していた。戦車に乗る以外の幸せを実感できていた。

 ――そんな私がふたたび戦車に乗ることになろうとは。この時点では夢にも思っていなかった。
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