トップページ文化・エンタメニュース一覧歌舞伎の中村勘三郎さんが死去
ニュース詳細

歌舞伎の中村勘三郎さんが死去
12月5日 7時51分

歌舞伎の中村勘三郎さんが死去
K10039616611_1212050810_1212050814.mp4

歌舞伎界きっての人気俳優の一人で、テレビなどでも活躍した中村勘三郎さんが、5日午前2時33分、急性呼吸窮迫症候群のため、東京都内の病院で亡くなりました。
57歳でした。

中村勘三郎さんは、昭和30年に東京で生まれ、昭和34年、3歳で五代目中村勘九郎を襲名して、「昔噺桃太郎」の桃太郎役で初舞台を踏みました。
立役から女方までさまざまな役柄を器用にこなし、歌舞伎界きっての人気俳優の一人となりました。
「元禄忠臣蔵」や「髪結新三」、それに勇壮な獅子の舞を表現する「鏡獅子」などの演技で高い評価を得ました。
また、歌舞伎の魅力を幅広い世代に伝える活動にも力を入れました。
平成6年から、東京・渋谷の劇場で、古典歌舞伎の演目を再構成した「コクーン歌舞伎」を上演したほか、平成12年には、江戸時代末期に浅草にあった芝居小屋を「平成中村座」として復活させました。
その4年後の平成16年、アメリカのニューヨークでも平成中村座の公演を実現させるなど、海外での歌舞伎文化の浸透にも貢献しました。
そして平成17年、3歳から名乗ってきた中村勘九郎を改め、人間国宝だった父親のあとを継いで江戸時代から続く大名跡中村勘三郎を襲名しました。
その後も、オペラの傑作「アイーダ」を基にした新作歌舞伎や、音楽にのせて早口で語る「ラップミュージック」を古典歌舞伎に取り入れたざん新な舞台に挑戦するなど、古典と新作の両方を巧みに演じ、常に歌舞伎界に新しい風を吹きこんできました。
また歌舞伎だけでなく、テレビのドラマやバラエティー番組、それにトーク番組やコマーシャルなどにも数多く出演し親しまれました。
このうち、平成11年にNHKで放送された大河ドラマ「元禄繚乱(りょうらん)」では、主人公の大石内蔵助を演じたほか、その年の大みそかの紅白歌合戦では白組の司会も務めました。
しかし、ここ数年は体調不良に悩まされていました。
おととし12月に突発性の難聴と診断され、休養したあと、去年9月から本格的に舞台に復帰したものの、ことし6月には、初期の食道がんが見つかりました。
勘三郎さんは食道がんが見つかった際、「新たに与えられたこの試練に立ち向かい復帰に向けて治療に専念いたします!一日でも早く元気な姿をお見せできるように!」とコメントしていました。
しかし、その後、肺も患い、来年4月に開場が予定されている新しい歌舞伎座での舞台復帰を目指していましたが、5日午前2時33分、入院先の病院で亡くなったということです。

家族がコメント“無念のうちに永眠”

中村勘三郎さんの妻の波野好江さんと、長男の中村勘九郎さん、それに次男の七之助さんは、勘三郎さんの死去を受けてコメントを発表しました。
この中で、「中村勘三郎は7月27日、患った食道がんの手術をしていただきました。12時間に及ぶ大手術となりましたが、手術は成功し、術後経過も順調で病棟内を歩くほどに回復しました。しかし、経過中に肺炎を発症し、その後、肺炎による呼吸不全が進行するという事態に陥りました。この肺炎による呼吸不全は思いのほか重症であり、呼吸不全に対する専門的な治療を行える病院へと2度にわたり転院をし、考えうる最高の治療をしていただきました」と治療の経過を振り返りました。
そのうえで、「本人も病気に立ち向かい、手術から約4か月に及ぶ闘病が続きました。その間、来年4月の歌舞伎座こけら落としに出演することを心のよりどころとし、頑張って参りました。医療スタッフの方々も懸命の治療をなさってくださいました。けれどもついに回復することはかなわず、無念のうちに本日12月5日午前2時33分、永眠致しました。生前、中村勘三郎を長くごひいきいただいたことを心より感謝いたします」とファンに対する感謝の念で締めくくっています。

[関連ニュース]
このページの先頭へ