南京城内から、城外の下関埠頭に連行される途上にある老若男女の姿が描かれています。時間は夜のようです。漫画の中で得られる情報では日時を特定することはできませんでしたが、44号で主人公と松井大将との会談シーンがあり、南京入城にあたっての不祥事ということでしたので、12月13日から 12月17日までの出来事ということになります。 連行されている住民については、114ページで日本兵将校が「残敵掃討であります」と言っており、「便衣兵か民間人か判断は難しい」と言っていますから、これらの人たちは便衣兵として連行されている者ということになるでしょう。 南京陥落当時、南京に残留した市民は安全区に収容されていました。安全区国際委員会はドイツ人、アメリカ人などで構成されています。作品の中で連行された大量の老若男女は安全区内から連行された事になりますが、女性や子供が便衣兵(ゲリラ)として大量に連行されたという記録はありません。
当時、安全区国際委員会委員長だったラーべの記述
『南京の真実』P136 ジョン・ラーベ著 講談社文庫
十二月十六日 (略) たったいま聞いたところによると、 武装解除した中国人兵士がまた数 百人、安全区から連れ出されたと いう。銃殺されるのだ。そのうち五十 人は安全区の警察官だった。兵士を 安全区に入れたというかどで処刑さ れるという。 | 『南京の真実』P358-359 ジョン・ラーベ著 講談社文庫 (ドイツ帰国後の公演原稿・ヒットラー 宛の上申書)
しかしながら、またしても私は思い 違いをしていたのです! この部隊の兵士全員、それからさ らに、この日武器を捨てて安全区 に逃げ込んだ数千人の兵たちも、 日本軍によって難民のなかからより わけられたのです。みな、手を出すよ うにいわれました。銃の台尻を握った ことのある人なら、たこができることを ご存知でしょう。 |
以上のように、外国人史料には中国人兵士や警察官が安全区から連行されたという記述はあります。また、多くの男性が便衣兵の容疑で連行されたという記述もありますが、女性や子供、老婆を便衣兵(私服ゲリラ)として大量に連行したという記録はありません。念のため、便衣兵摘発の写真を見てみましょう。
女子供が見えるでしょうか?
『南京事件』P107 笠原十九司著 岩波新書より
12月16日に行われた便衣兵掃討は、6千人から7千人規模で摘出が行われた最大のものでした。17日に行われる入城式に備えてのものです。当然ながら多くの記録が残っていますが、写真を見ても老女や女性、子供が含まれているようには見えませんね。摘出の光景を新聞記者が撮影しており、記者は中国軍の兵士と記述しています。本宮氏が、どういう史料をみて「女子供を連行した」と考えたのか不思議でなりません。
ここで提示したラーべの「南京の真実」や、岩波新書の「南京事件」は特殊な史料ではなく、本屋にいけば文庫本で買えるポピュラーなものです。こういう基礎的なことを知らないで歴史漫画を描くのはちょっと無理だと思いますが、どうも本宮氏は最初から史実を描く気はなく、歴史を捏造して、日本人は邪悪であるという印象を植え付けるのが目的だったように思えます。
|