【パキスタン・ラホール発】念願の夢がついにかなった。IGF総帥・アントニオ猪木が1日、当地の故アクラム・ペールワンの墓を訪れ、ライバルの冥福を祈った。1976年12月12日、カラチでの死闘から実に36年ぶりとなる“再会”に猪木は感無量の表情。偉大なる地元の英雄の遺伝子を育成し、パキスタンレスリングの復興にひと役買うことを約束した。
猪木が36年の時を超え亡き盟友と対面した。
アクラム戦は猪木にとって最も後味の悪い結末となった一戦だった。当時「パキスタン最強」の看板を背負っていたアクラムは猪木の左手首に噛みつき、猪木もアクラムの右目をえぐって反撃。最後も3R1分5秒、猪木が左腕を脱臼させてドクターストップにより勝利した。アクラムは87年4月13日に急逝。お見舞いもかなわなかった猪木はかねて墓参りを希望し、ようやくその機会を得た。
ラホール市内にあるアクラムの墓には数十人の報道陣と近隣住民が駆けつけ、身動きが取れないほどの大混乱になった。かつてアクラム一族が汗を流した道場があった場所でもあり、地元は熱狂的に猪木を歓迎。猪木は79年に当地で戦った故ジャラ(ジュペール)・ペールワン、そしてアクラムの墓の順に回り、イスラム教の作法にのっとって、両掌を胸の前に突き出し裏に返しながら静かに冥福を祈った。
猪木は生存しているジャラの兄と弟から贈り物を授与された。ラホール市内には至るところに、ジャラ兄弟が猪木の訪問を歓迎するという内容の看板や横断幕が張られており、遺恨はもはや全くない。胸のつっかえが取れた猪木も「前から思っていたことが実現して今日は本当に感激です。戦いを通じて友情が生まれ、今回墓参りができたこと非常に嬉しく思います」と感慨深げだ。
現地報道陣からはパキスタンレスリングの復興を懇願する質問も飛び出し、猪木も「すごい子供たちもいるようで」と笑顔。ジャラの甥(ハルーン・アビッド)が猪木への弟子入りを志願しており、アクラムの闘魂を次代の希望にしっかりと継承していくことを表明した。
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