[ワールドサッカーキング 2012.04.19(No.212)掲載]
文=マルティン・マズール 翻訳=フットメディア
スコットランドのクラブがチャンピオンズリーグ決勝へ、そしてその1カ月後にはスコットランド代表がワールドカップ(以下W杯)の準決勝へ進出し、更に1年後のユーロを制覇する……。単なる“夢物語”に過ぎないかもしれないが、ある小国がそんな快挙を実際に成し遂げた。
国土はアイスランドよりやや大きく、人口は約340万人。規模的にはスコットランドより小さいウェールズに近いウルグアイだが、この国のサッカー界が収めてきた成果は奇跡以外の何ものでもない。これまでの国際大会で手にしたトロフィーの数は、あのブラジルをも上回る世界最多の20。自国開催の第1回W杯で初代王座に輝いた1930年以降、世界のサッカー界の力関係が変化を遂げたことを考えると、ウルグアイサッカーは再び黄金期を迎えたと言っても過言ではないだろう。2010年のW杯では準決勝まで勝ち上がり、隣国アルゼンチンで行われた昨年のコパ・アメリカでも開催国を破った上に12年ぶりとなる優勝を達成。更にメキシコで開催されたU-17W杯ではブラジルを下して決勝へ進出した他、U-23代表チームも84年ぶりにオリンピック出場権を手に入れた。
上:コパ・アメリカでは開催国のアルゼンチンを下すなど、安定した戦いを見せ12年ぶりの優勝を達成 下:昨年のU-17W杯では決勝でメキシコに敗れたものの、準優勝に輝いた
しかし、それまでの道のりが平坦だった訳ではない。2010年以前のW杯4大会で、ウルグアイが本大会に出場したのは02年大会の一度のみ。06年のW杯予選では格下ベネズエラに0-3と惨敗した一戦を含め、老朽化したモンテビデオのエスタディオ・センテナリオで黒星を重ねた末、ウルグアイサッカーの伝統的なスタイルである“ガーラ・チャルーア”(闘争心)もラフプレーの代名詞として空しく響きわたるばかりだった。
その一方で、国内リーグの衰退には歯止めがかからず、ウルグアイ勢はコパ・リベルタドーレスで不本意な成績に終始。88年を最後に決勝へ勝ち上がることさえできていなかったが、昨年の大会でようやくペニャロールがその流れを断ち切った。
では、一体何が変わったのだろうか? その答えを知る人物がウルグアイ代表を率いるオスカル・タバレスである。
快活な65歳の知将は、新たな制度を一から作り上げる必要はなく、分断されていた既存の体制を統合する考えに至ったと説明する。しかし、実際には想像を超える困難の連続だった。「タバレスが就任するまで、U│15は大会直前になって初めて選手を集めていた」と打ち明けたのは、昨年のU-17W杯でウルグアイを決勝に導いたファビアン・コイト監督だ。「まずはその慣習にメスを入れ、週3回、年間を通じて活動する方針に改めた。U-17とU-20に関しても同様だ。その後はすべての年代が同じコンセプトの下で活動し、同じ時間と経験を共有するようになった。すると各年代で成果が表れ始めたんだ」
この包括的なアプローチは、一つの決定的な違いを生み出した。ウルグアイの若手は焦ってヨーロッパへ渡る必要がなくなり、サッカー選手に必要な教育のすべてを国内で受けられるようになったのだ。「早くから渡欧する選手が増えていたので、私たちはこう考えた。なぜU-15からA代表まですべての代表チームをケアしないんだ──ウルグアイの選手育成方法を変えていかなければとね」とタバレスは振り返った。
コイトが補足する。「07年にU-15南米選手権ブラジル大会の決勝へ進出した後、5選手が祖国を離れた。その中で一定の成功を収めているのはディエゴ・ポレンタ(現バーリ)だけで、残る4人は伸び悩んでいる。我々が直面した問題は、途方もない金額のオファーに目がくらみ、才能ある若手が教育課程を修了する以前に国外へ流出してしまうことだった。そしてその多くの選手が20、21歳の若さで挫折し、才能を開花させることなく2部か3部リーグで埋もれてしまうことだった。しかし、その次の09年U-15南米選手権が終わった後は、誰一人としてウルグアイを離れなかった。この事実は、私たちの取り組みの勝利を意味する。選手たちはより大きな枠組みの一員として、はっきりとしたビジョンを描けるようになり、その結果として国内でのプレーを続けるようになった」
ワールドサッカーキング No.212
【総力特集】スカウティング・リポート
▼連載『MADE in JAPAN』宮市亮
▼インタビュー ネイマール「また日本で会おう!」
▼インタビュー スタリッジ「すべての体験を成長の糧に」
▼インタビュー ボリーニ「加速するゴールマシーン」
▼指揮官たちの夏の去就を完全予測「監督シャッフル」
▼ウルグアイ 古豪復活の理由
▼特別付録 WSKオリジナル・ポスター(メッシ/ネイマール)
定価:570円(税込) >>誌面の詳しい内容はこちら __RCMS_CONTENT_BOUNDARY__
[ワールドサッカーキング 2012.04.19(No.212)掲載]
セレステ・トレーニングセンターではA代表からU-15まで同じコンセプトで活動する
現在、モンテビデオにあるセレステ(ウルグアイ代表の愛称)の総合トレーニング施設は、ウルグアイ・サッカー界の心臓部というべき場所になっている。ここでは年間を通じて活動が行われており、毎日出勤しているタバレスが5面あるピッチのどこかで選手たちの成長に目を光らせている。タバレスが練習中に口を挟む場面はほとんどないが、何か気付いたことがあれば練習後に選手を呼び止め、肩に手を回しながら直接語り掛ける。「U-15出身の選手たちは、誰もがタバレスと親密な関係を築いている。そしてより重要なことに、タバレス自身も選手一人ひとりの名前や愛称を覚えているんだ」と語ったのは、ウルグアイ・サッカー協会ユース育成部長のエルネスト・ベルガラだ。「W杯予選の期間中、代表監督は時間があるので、彼はアカデミーでその時間を費やす。うちの若手はルイス・スアレスやディエゴ・フォルランといったスター選手と触れ合う機会が多く、自分たちもいつかは彼らのようになれるという具体的な夢を描くこともできる」
10代の選手が“夢心地”を味わえるこの方針は、ピッチを離れた場所でも適用される。ベルガラとタバレスは政府が推進する若手育成事業『ゴール・トゥ・ザ・フューチャー』にも参加し、4000人の若い選手を指導している。ただしベルガラが指摘する通り、プロのサッカー選手となれるのはその1パーセント未満にすぎない。「サッカー選手として大成できなかった場合に備え、選手にはより多くの手段を提供したいと考えている。学校に通おうとしない“14歳のメッシ”が代表に選ばれることは絶対にない。学業を疎かにすることは許されないということだ。そのことは子供たちもよく理解している。代表に選ばれたいと思う子供が勉強でも努力することはデータからも明らかになっている。今では各クラブも同じようにやっているよ」
06年に代表監督に就任したタバレスは各代表カテゴリーの方針を一本化してウルグアイを復活に導いた
ウルグアイの若い選手たちは、日頃の振る舞いについても厳しくチェックされる。タバレスとともにU-20代表を指導した後、ペニャロールを経てカタールへ移ったディエゴ・アギーレは言う。「ウルグアイと言えばサッカーだ。それ以外のスポーツはない。つまりウルグアイ代表の一員であれば、世代に関係なく、いくつかの決まり事に従わなければならない。全国民が注目し、憧れる存在としての言動や他人への敬意、そしてその立場を理解すること。我々は正しい価値観を伝えるために、人として大切なことを教えている。名誉ある地位にありながらも、一般市民と何ら変わりないことを選手たちに理解させ、ファンやメディアの前ではどう振る舞うべきかを教える。そのために言葉使いや食事のマナーまで徹底して指導するんだ」
昨年のコパ・アメリカの開幕直前、アルゼンチンでは「ウルグアイ人を帰化させるべきか否か」という、前代未聞の論争が巻き起こった。アルゼンチンのべレス・サルスフィエルドで2シーズン連続リーグ得点王に輝きながらも、ウルグアイ代表には縁がなかったサンティアゴ・シルバ(現ボカ・ジュニオルス)のことだ。信じ難いことに、リオネル・メッシやセルヒオ・アグエロ、カルロス・テベスにゴンサロ・イグアインを擁する南米の強豪国は、攻撃のオプションを増やすためにシルバの招集を本気で考えていたのだ。数年前ならこのようなアイデアは冗談にもならなかったはずだ。裏を返せば、ウルグアイからそれだけ良質な選手が育っているともいえるだろう。
実際、ウルグアイでは、ここ数年で代表クラスのタレントが次々と育っている。タバレスは当然だという表情でこう語った。「外国に出て、移籍先で順応しようと努力する選手たちも、自動的に代表候補として考えることになる」 だが、一体どうすれば、人口300万人強の小国からこれほど多くのプロサッカー選手が育つのだろうか? 一般的なイメージとは違い、ウルグアイの子供たちは、ブラジルやアルゼンチンのように、スパイクを履かずに石だらけの路上でプレーするストリートからスーパースターへの階段を上る訳ではない。彼らの原点は、設置やメンテナンスが容易なコンクリートのピッチで行われることが多い5人制のミニサッカーなのだ。「ピラミッド型の構造が基盤になる。その頂点のエリートレベルで好成績を収めるには、土台を支える裾野を広げるしか方法はない」とU│17代表監督のコイトは説明する。「5歳から12歳までの年代では、約6万人の子供たちがミニサッカークラブでプレーし、技術面で飛躍的に伸びている」
そして12歳になると、子供たちはプロサッカークラブの下部組織と契約を交わせるようになる。その時点で選手の競技レベルは極めて高く、結果として所属クラブを探すチャンス自体も広がっている。「モンテビデオでは12ものクラブが1部リーグに所属している」とコイトは続けた。規模的にモンテビデオとほぼ同じ人口のスコットランドの首都グラスゴーには2つしかない。「つまり、どこかのクラブで選考に落ちる、あるいは退団したとしても、違うクラブのトライアルを受けることができる。身体的にも精神的にも成熟していない子供たちにとっては極めて理想的な環境であり、このチャンスの多さが挫折を乗り越える上での手助けとなっている」「おそらく、子供たちが12歳の時には学業を優先しなければならないが、15歳までにそれぞれの問題を解決し、サッカーの道を選択する。他の国では遅すぎるかもしれないが、ここでは違うんだよ」
トップリーグのクラブと契約できなかった場合でも、モンデビデオに存在する下部リーグの18クラブが更なる受け皿として機能する。多くの無名チームを含む、計10クラブの所属選手で構成されたU-17代表がW杯決勝へ勝ち進んだという事実は、クラブ数の多さがウルグアイサッカー界の繁栄を支えていることを如実に証明している。
選手の競争意識の高さもタレントが育つ大きな要因となっている。「我々は総力を挙げてユースの大会をサポートしている。審判はサッカー協会から派遣され、警察のエスコートや地方への遠征もある」とベルガラは説明した。
また、国外の大会参加にも積極的で、ユース代表を日帰りでアルゼンチンに送り込むことさえある。選手たちは早朝に出発し、午後に数試合を行ってから深夜に帰国するのだ。これまでにボリビアやフランスへ遠征したこともある。「戦う機会が増えれば増えるほど、選手たちは成長していく」とベルガラは胸を張った。
ワールドサッカーキング No.212
【総力特集】スカウティング・リポート
▼連載『MADE in JAPAN』宮市亮
▼インタビュー ネイマール「また日本で会おう!」
▼インタビュー スタリッジ「すべての体験を成長の糧に」
▼インタビュー ボリーニ「加速するゴールマシーン」
▼指揮官たちの夏の去就を完全予測「監督シャッフル」
▼ウルグアイ 古豪復活の理由
▼特別付録 WSKオリジナル・ポスター(メッシ/ネイマール)
定価:570円(税込) >>誌面の詳しい内容はこちら __RCMS_CONTENT_BOUNDARY__
[ワールドサッカーキング 2012.04.19(No.212)掲載]
07年以前は全く状況が違った。ウルグアイの各クラブは手早く資金を稼ぐ方法として、チーム内で最も才能に恵まれた若手を、最初にオファーが届いた国外のクラブへ放出していたのだ。長期的な視野で考えれば、これは選手の利益となる判断ではない。しかし、今ではタバレスの存在により、若い選手たちもより大きな将来像を描くことができている。
U-17代表監督のコイトは「各クラブは数年前まで、選手を代表へ派遣することに消極的だった」と打ち明けた。「それが今では、逆にこの選手を呼んでくれと売り込むようになった。各年代の代表選手を保持することの重要性を各クラブも理解しているんだ。以前とは違い、代表チームは選手を広くアピールするショーウィンドー的な役割を果たすようになった。この国を代表するストライカー、スアレス、フォルラン、エディンソン・カバーニの3人は、準備が整った段階で国外に出ることで、ウルグアイ人選手も欧州で活躍できることを端的に証明している」「各クラブも今では、選手を売却して得た資金を下部組織に還元すべきだということを理解している」とベルガラは付け加えた。「選手は至るところから現れるが、彼らを育てる作業は欠かせない。だからこそ我々は、ユース世代の練習場やクラブハウスへの投資に力を入れている」
上:ウルグアイのトレセン制度の恩恵を受け、ペニャロールは2011年コパ・リベルタドーレスの決勝に進出した 下:スアレスも少年時代はミニサッカーで頭角を現した
それでも最高の設備が整っているのは、ウルグアイ代表のセレステ・トレーニングセンターだ。これもまた、若年層の選手たちは1日の半分をここで過ごした方がいいという主張の根拠になっている。「各クラブのピッチは状態がよくない上、試合になれば激しいプレーばかりでテクニックが犠牲にされる」とコイトは語った。「だが我々の日程に沿うことで、練習時間の半分をよりよい環境下で行えることになる。そしてその効果は、ポゼッションサッカーのカギを握るMFのプレーにはっきりと表れている」。確かに、ウルグアイ代表のパス成功率は最近4年間で劇的に向上している。「しかし、まだ他にもやるべき仕事がたくさん残っている」とベルガラは語った。「信じ難い話かもしれないが、スカウトの網からこぼれ落ちている選手がまだ大勢いるんだ」
実際にはそれほど多くはない。人口の半数が集中するモンテビデオで生活していれば、生存競争の半分に勝ったも同然だ。「ただし、その他の地域ではより複雑な事情が絡んでくる」とコイトは説明する。「まずライバルの存在が少ない。子供にとって、競争とは究極のテストなんだ。彼らは誰かと競い合うことで学び、成長していくが、サッカーだけのために子供をモンテビデオへ連れてくることはできない。子供たちも一人の人間であり、それぞれ大切な家族や友達がいるからね。地方のサッカーをレベルアップすることは、『ファンデーション・セレステ』が設立された目的の一つだ」
このプロジェクトでは、代表チームの選手たちが国内各地の病院やサッカークラブを訪問する。スアレスが元セレステのFWハビエル・チェバントンやフォルランに憧れたように、今やスアレスはウルグアイの少年たちが目標とする存在だ。自分のアイドルと直接触れ合うこと以上に、こうした将来のスター候補たちの意欲を刺激する方法はない。ウルグアイ代表のレプリカユニフォームが過去最高の売り上げを記録しているのも当然の結果だろう。
データの面でもウルグアイサッカーの成功は如実に表れている。FIFAの統計によると、ウルグアイの登録選手数は4万1800人。ウルグアイの男性人口総数を上回る250万人のブラジルはもちろん、54万人のアルゼンチンにも遠く及ばない。この観点から考えても、現在、過去を問わずにウルグアイを過大評価できなくても無理はない。「我々が歩んできた歴史に誇りを持っている」とタバレスは語った。実際、セレステ・トレーニングセンターの壁面は、ウルグアイサッカーの輝かしい歴史を想起させる記念品の数々で彩られている。「その歴史が我々を奮い立たせてくれるのだが、過去だけを見つめて将来のことを考えないわけにはいかない。我々も訪れたことがあるフランスのクレールフォンテーヌ・トレーニングセンターと、ここの設備を単純に比較することはできないよ。ウルグアイでは何もかもが質素だが、我々はあらゆる困難を乗り越え、自分たちのために機能する独自のシステムを見いだしたんだ」
最後にコイトが締めくくった。「いくつかの国は『あれこれ手を尽くしているのに何も成果が出ない、一体何が足りないのだろうか?』と自問するに違いない。しかし我々は違う」。おそらく、その質問と答えの中に、ウルグアイとスコットランドの差が隠されているのかもしれない。
ワールドサッカーキング No.212
【総力特集】スカウティング・リポート
▼連載『MADE in JAPAN』宮市亮
▼インタビュー ネイマール「また日本で会おう!」
▼インタビュー スタリッジ「すべての体験を成長の糧に」
▼インタビュー ボリーニ「加速するゴールマシーン」
▼指揮官たちの夏の去就を完全予測「監督シャッフル」
▼ウルグアイ 古豪復活の理由
▼特別付録 WSKオリジナル・ポスター(メッシ/ネイマール)
定価:570円(税込) >>誌面の詳しい内容はこちら