4-5年前の私は、イースト・ブロードウェイによく出かけていた。
友人と会う場所に指定されることが多かったし、そこに行くと別の友人にも出くわした。
イースト・ブロードウェイはマンハッタン南部のエリアで、交通の便も良くはない。中国人が多く、実質的にはチャイナタウンの一部といえる。
その一角にローカルの面白い連中が集まり、静かに盛り上がっていた。
いまイースト・ブロードウェイは、多くの人が集まる場所になっている。
バーやレストランも増えて、ギャラリーなどもオープンしはじめた。
すぐ北には観光地化が著しいロウワー・イースト・サイドが隣接しているため、これから本格的に人が流れてくるだろう。
1.
中国語の看板がひしめくエリアにどこからともなく人が集まりはじめて、にわかに「クールなエリア」として注目されるようになる。
ニューヨーク市がイースト・ブロードウェイの開発に着手したわけではない。有名人が店を構えたわけでもない。
ニューヨークで「次のホットなエリア」を予測するのは難しい。人びとのランダムな連鎖反応によって生まれるからだ。
2.
こうした現象の理解にヒントを与えてくれるのは、トーマス・シェリングだ。
シェリングはその著書『Micromotives and Macrobehavior』 (1978年) で、「住み分けの動学的モデル」というゲームを検討している。
ゲームの主体は2つの人種から成っている。
彼らは人種差別主義者ではない。異なる人種の隣人と暮らすことに問題はないが、自分が極端な少数派になるのはいやだと思っている。
隣人の一定割合以上が自分と同じ人種になるように、彼らは移動を続ける。
このゲームを繰り返すと、最初は2つの人種が混ざり合っていたものが (左側)、ほぼ完全に分離する結果になる (右側)。
3.
人種差別主義者ではない人たちの間で、人種間の住み分けが必ず起きる。
非人種差別主義という「ミクロレベルでの動機」と、その行動から生まれる人種間の分離という「マクロレベルでのふるまい」。
両者の間に、因果関係のような直線的な関係をみることはできない。むしろそれは、矛盾しているようにみえる。
人びとの間で相互作用がはじまると、マクロレベルのふるまいは突如複雑になり、この程度の単純なゲームでも、私たちの理解をはるかに超えてしまう。
その結果、「ミクロの動機」から「マクロのふるまい」を予測するのは不可能になり、「マクロのふるまい」を観察することで「ミクロの動機」を推測することもできない。
何が起こったのかを把握するためには、人びとのとった連鎖的な動きをひとつひとつ追いかけていくしかない。
4.
シェリングの発見には困ったことがある。
私たちはあらゆる現象に、「直接的な因果関係」を探ることに慣れている。
黒人と白人が分かれて住んでいれば、そこには人種差別があると考える。ある企業が成功したのは、創業者やマネジメントが優秀だからだ。反社会的な行動が広がれば、悪者が糸を引いているに違いない。
だが、シェリングのモデルによると、「マクロのふるまい」は、集団的な相互作用そのものから生起する。集団を構成する個人の意図や特性とはほとんど関係がない。
私たちの考えや行動は、集団的なレベルになると、異なる様相を帯びて現れる。それが集団の相互作用が形成する「非線形」の世界だ。
「そんなバカなことはない」と言う人もいるだろう。私もそう思いたいが、この世の中はそうした現象であふれている。
5.
金融市場は、自立的な主体 (=トレーダー) が相互作用を繰り返すところだ。
今日世界中のトレードの7割を占めるといわれる「アルゴリズム取引」のプログラムは、市場の動きに適応するように書かれている。
プログラムされたトレードのストラテジーは、市場の急激な変化に応じてただちに修正される。その修正によって市場はさらに動き、アルゴリズムはさらにそれに適応しようとする。
これが繰り返されることによって、市場はどんどんズレていく。しかも、人間には知覚さえできない1/1000秒単位の圧倒的なスピードで。
6.
都市も人びとが集団的な相互作用を続けるところだ。
どこに遊びに行くかを、自分だけで決める人はいない。友人たちが面白いというエリアに出かけ、新しい場所を友人たちに紹介する。
住む場所を決めるときも同じだ。イースト・ブロードウェイに人が集まりはじめたのも同様のはずだ。
しかし、伝統的な都市のプランニング理論は、事象間の単線的な因果関係を追いかけてきた。
「街灯の数と犯罪率には相関関係がみられる。よって街灯を増やそう、そうすれば犯罪は減るはずだ」、「財政優遇を与えれば、企業は集まってくるはずだ」といった具合に。
こうしたプランニングの考え方は、「合理主義的」アプローチと呼ばれている。「合理主義」に依存する伝統的な経済学との類似性を見出すのは難しくない。
7.
これと対照的なのは、「都市のふるまい」そのものに正面からとりくむ研究だ。
MITのシステム科学者ジェイ・フォレスターは先駆的な存在だ。
フォレスターは、1969年に、都市の成長や衰退にともなって、産業、住居、人びとがどのように相互作用するのかを示そうとした。
ケヴィン・ケリーによると、フォレスターのモデルにユーザーインターフェイスを加えたものが、都市をつくるシミュレーションゲームの「シム・シティ」だという。
1970年代に犯罪と娼婦の街だったニューヨークのタイムズ・スクエアは、安全な観光地へと変貌を遂げた。
ディズニーが店をオープンしたことが、タイムズ・スクエアの劇的な変化をもたらしたといわれることが多い。
犯罪率が低下したのは、ジュリアーニ前市長の辣腕のおかげだともいう。
だが、ちょっとした偶然や「なりゆき」から、あっという間に街が一変してしまうことはないだろうか。
水が氷になったり、沸騰して水蒸気になるように、ある時点を境に全くちがった様態をみせることがある。物理学で「相転移」と呼ばれている現象だ。
マーク・ブキャナンなどの物理学者は、集団的な相互作用が生み出すパターンを物理学的に究明することこそが社会の解明になると考え、研究を続けている。
「社会物理学」と呼ばれる新しい分野だ。
彼らの主張は、都市はそれ自体固有のリズムで動いていると主張するサンタフェ研究所のジェフリー・ウェストの仕事を連想させるだろう。
伝統的な都市研究とは一線を画すように、ウェストは自らの研究を「都市の科学」と呼んでいる。ちょうど金融市場の新しい研究者たちが「経済学」に背を向けているように。
8.
ニール・ジョンソンは金融市場を研究する物理学者だ。1/1000秒単位で市場を観察している。
ジョンソンは異例の存在ではない。近年の市場研究は、物理学、生物学、ネットワーク論からのアプローチが増えている。
いずれもトレードの相互作用から立ち現れる「市場のふるまい」そのものを解明しようとする試みだ。その背後に「ファンダメンタルズ」を求めることはない。
2010年5月6日、ダウ平均が1000ポイント近く急落し、数分後には元の株価水準にまで戻す急激な乱高下があった。「フラッシュ・クラッシュ」と呼ばれている。
SEC (証券取引委員会) とCFTC (商品先物取引委員会) が5ヶ月をかけて調査した。
その調査レポートは、あるファンド筋が、ボラティリティの高い状態のなかで大量の売りを出したことを指摘しており、それを「原因」として示唆しているようにも読める。
しかし、フラッシュ・クラッシュは市場に本来的に存在する「システミック・リスク」によるもので、異常な行為がもたらした一時的な現象ではないという指摘は多い。
1/1000秒の世界では、実はクラッシュは頻繁に起きているとジョンソンはいう。クラッシュのスピードが速すぎて、私たちは気づかないだけだ。
「犯人」を指弾することで、猛烈なスピードのトレードが生み出すフィードバック作用の不安定性を看過することにはならないか。
そう警告するのは、もっぱら経済学の外にいる研究者たちだ。
9.
「失業率が改善し、株価が上がった」とメディアは伝える。
そこに因果関係を示唆するものの、市場で実際に何が起こったのかを彼らが知っているわけではない。
ニューヨークでは「ジェントリフィケーション」が進んでいる。
多くのエリアで、住民の「白人化」と「高所得化」が進行中だ。
たとえば、ニューヨーク市立大学が住民の人種構成の変化をブロックごとにマッピングしたものをみてみれば、その傾向は明らかだ。
人口統計はこうした変化についての「結果」を伝える。
だが、それが「なぜ」、「どのように」起こったのかは教えてくれない。
多くの研究者が、フラッシュ・クラッシュの数分間に成立した膨大な数のトレードをつぶさに追いかけて、それがどのように起こったのかを解き明かそうとしている。
私たちは、人口統計の変化という「マクロのふるまい」を生み出した一連の連鎖反応を、ひとつひとつ追いかけていく手だてをもっていない。
見聞きした「エピソード」を並べて、その背景で起こっていそうなことを伝えようとする。このブログのポストの多くで、私自身も同じ方法をとっている。
もっとも、社会物理学の観点からすると、こうした変化にも物理法則があるのかもしれないが。
10.
「人と人はどのようにかかわりあうのか」—。
都市がもつ可能性と課題は、ここに集約されているようにみえる。
都市をコンピューティング環境と考えるなら、そこにはどんなコードが書かれているのだろう。
そこに書きこまれているのは、人と人がかかわりあうときの様々なルールなのかもしれない。そのルールに沿って人びとが行動を繰り返すと、いろいろなパターンが生まれる。
街の治安が良くなることもあれば、ほんのちょっとした違いで、暴動になることもあるかもしれない。
トレードの順序や組み合わせが少し変わっていたら、フラッシュ・クラッシュは起こらずに、いつもと同じような市場に終わっていたかもしれないように。