与沢翼さんがアフィリエイトをはじめるまでの軌跡

与沢翼さんの軌跡-最初の会社を潰すまで-

このページでは、与沢翼さんの最初の会社であるエスラグジュールを大学3年のときに設立してから失敗するまでの軌跡を中心に、彼の事業家としての土台を形成するものを探ってみることにします。

行動を起こすときにどう考え、どう判断し、どの方向に動くかを見ていくことで、彼が特異な存在で彼だから成功できたのか、法則を知ることで僕たちも同じ成功がたどれるのか、そこのところを見ていきたいと思っています。

子供時代

昭和57(1982)年11月、父は時価総額で日本で十指に入る大企業の役員、母は教員という恵まれた家庭の長男として生まれます。小学6年まで秩父市で過ごし3学期になって大宮に転居。高校推薦で慶応大学に入りその後結婚する妹についてはここでは触れません。

翼少年は小学校時代にいじめられっ子だった反動から中1でグレはじめ、13歳で補導歴14回。中3で暴走族の先輩集団にリンチを受け東大宮病院に1か月入院。その間の受験勉強で武南高等学校に合格するも3日で退学、という決して自慢できない無軌道な少年時代を送ります。

1度目の転機と人生の目標との出会い

16歳のとき暴走行為で検挙され1か月半のあいだ社会から隔離。裁判の席で祖父が裁判官に涙の訴えをする場面を目の当たりにし、不良から抜け出すことを心に誓い、定時制の公立大宮中央高校に通いはじめます。外部リンク:祖父の涙

また留置所で読んだ1冊の本が彼のその後の行き方に大きな指針を与えます。

その本は「だから、あなたも生き抜いて」。刺青を背負い16歳でやくざの妻となった女性が、人との出会いで人生を変え弁護士になった自伝的小説で、人はいつでも変わることができると判らせてくれる本です。

彼はこの本に出会い、自分も弁護士を目指したいと本気で思うようになります。しかし18歳のとき、たまたま義理で参加した友人の暴走族引退記念集会で再び逮捕され、今度こそ暴走族関係の交友を完全に遮断して勉強に専念する必要性を強く自覚します。

彼は東京の代々木ゼミナールに通い始め19歳で大検取得、20歳で早稲田大学社会科学部の合格通知を手にします。そのときは9ヶ月の猛勉強で偏差値が32から68にアップ。そして、大学進学後すぐ弁護士予備校伊藤塾にも通い始めることになります。

2度目の転機

ちょうど彼が大学生のころ、世の中はヒルズ族という言葉で形容されるインターネットバブリーな人たちが世間を騒がせていました。

弁護士を目指して一直線だった彼もライブドアの堀江社長、楽天の三木谷社長、レインズ西山社長、グッドウィル折口社長らの華やかさを綴った書籍「六本木ヒルズの若手社長たち」で刺激を受け、
ネットエイジグループの西川潔社長の「起業は楽しい!21世紀ニッポンの起業家人生入門」を読んで、「弁護士になる」道ではなく「起業する」方向を明確に意識し始めたといいます。

これまで雲の上の存在としか思わなかったものが、この本のおかげで当事者意識が芽生えたとブログで書いています。

さらに当時読んだ大前健一氏の以下の3冊には大変な影響を受けたと書いています。

商人の素養

与沢氏はお金を稼ぐということに貪欲です。たとえば彼は、13歳にして既に、古着を集め福袋形式にして転売する小使い稼ぎをはじめています。15歳になるとバイクの転売、16歳で友人への金貸し、17歳で暴走族車やスクーター・セルシオ・シーマなどVIPカーの仲介とビジネスの幅を広げていっています。

経済的に独立していない青少年期にマクドナルドやガソリンスタンド、土方でバイトならわかりますが、友人知人へ中古を仲介したり金を貸して、利ざやを抜くとか金利を付けて儲けるという神経は、只者ではないことを物語っています。しかもそれによってセコイとかコスイとかガメツイとか言われていじめられる側に転落することもなかった彼は、人を惹く魅力を既に備えていたのかもしれません。

で、それやらバイトやらの掛け持ちで作った現金700万円で高級国産車セルシオを購入。実に商売人としての素養は、実業の世界に入る以前から培われています。

大学3年の目覚め

起業への興味がだんだん高まっていくなか、経済産業省後援の団体DREAM GATEが主催する「起業家密着!かばん持ちインターンシップ」を知り応募します。外部リンク:かばん持ちインターンシップ

そして192名の学生応募者の中から優秀賞に選ばれたとき、2年半通った司法試験予備校をやめ、企業家になる意識を明確にします。(与沢氏はDREAM GATEが主催する合宿にも参加しています。)

このときの思いを与沢氏は以下のように語っています。

自分の中で決めていたことがあります。それは半年後に必ず起業する、ということです。今思えば、何も知りませんでしたが、期限だけはいつも切ります。それが私の癖であり、目標に近づくための簡単なコツだと思っています。
2010.12.01のブログ:社長のカバン持ち

そして、社長のかばん持ちとして配属されたのは起業を支援するインキュベーション事業や起業スクールなどを手がけるベンチャー起業のベンチャーコントロール社(西新宿、田中美孝)。

ベンチャーバブルの中にいたこの会社がUSENグループと共同開催した豪華イベントにVIP席で加わることができた与沢氏は、六本木ヴェルファーレでワイン片手に有名芸能人たちと談笑する社長たちに、未来の自分を重ねることは容易であったことでしょう。

起業への小手調べ

10月、起業を決意した与沢氏は人脈作りのために起業サークル「CREW(クルー)」を興し自ら代表に就任します。月に1〜2回の飲み会を開催したり、起業・投資関連のイベントがあれば一緒に参加するというレベルのものでしたが、結局与沢氏がこれから半年もせずに起業したことでサークルは自然消滅します。

彼はサークル結成と同時にmixiもはじめます。まだFacebookやtwitterが日本にない時代なのでmixi全盛の時代です。(創業仲間5人のうち4人はmixiを通じて知り合っています。)

12月、ドリコム社(京都市、内藤裕紀)が主催する「ビジネスプランコンテスト」に応募し、関東13チーム中の3チームに選ばれます。
このコンテストは有能な人材を3年生のうちに押さえておくための青田刈りイベントで、関東関西からの計6チームで決勝戦が争われ、プランの新規性・事業性・プレゼンテーション力で優れたチームには100万円の賞金と、新卒採用時に一般面接や試験を飛ばしていきなり社長面接(最終面接)を受ける権利が与えられます。このときの決勝戦には審査員としてネットエイジグループ(渋谷)の西川潔社長、グリー(港区)の田中良和社長が招かれていました。

12月、アパレルのネット通販ポータルを運営していたZEELでインターンを経験します。

なお、ZEEL社は当時と今では事業の方向性が違うため、ここから見たほうが当時の同社がどのような状況だったのかよくうかがえます。与沢氏がこののち起業して仕掛けるビジネスドメインと似ています。

会社組成

2006年1月、再会した中学時代の友人の福田氏(創業副社長)やO氏(結局不参加)とインターネットで商売をやろうということで創業の夢を分かち合い、「今、すごくわくわくしています。自分には夢があるから、どんな辛いことでもきっと耐えられると思います。」と期待に胸を膨らませます。
(2006.01.04のブログ:ケンユウ君に怒られて

会社をするんだから事務所はどうする?。mixiで増えつつある仲間にも出資してもらって外に事務所を構えるか、今住んでいる大宮の実家の一室を事務所に創業するか、選択が迫っています。

事業の方向性はネットで商売するということで決まりです。じゃぁ、どんな商売を?となると具体性はなくて「元手のかからないビジネス」を考えたほうがいいなというレベルでした。
(2006.01.12のブログ:事務所!、2006.01.25のブログ:知恵勝負

でも、2月も終わりに近づくころには、人に説明できる程度に事業の方向性は形になってきます。

http://www.drecom.co.jp/

与沢氏は、一緒に仕事をする仲間を伴って、先のビジネスプランコンテストで懇意になったドリコム社の内藤裕紀社長に、ビジネスプランを叩いてもらいに出向きます。
株式会社ドリコム:2001年11月創業、2006年2月東証マザーズ上場。
2006.02.28のブログ:定款認証・・・

このころ、与沢語録が炸裂します。以下、まとめて掲載します。

与沢翼語録:
目標と言うのは、立てれば、人は常にそれを意識しながら行動します。だから、目標を立てれば、紆余曲折あったとしても、忘れない限り、必ずそれに向かって成長していきます。
2006.01.04のブログ:ケンユウ君に怒られて

与沢翼語録:
選択と集中はとても大切です。欲張りは、一つも成し遂げません。一つ成し遂げた人間の勝ちです。
2006.01.04のブログ:ケンユウ君に怒られて

与沢翼語録:
昨日の堀江さんの逮捕を受けて、いろいろなことを考えました。やはり経営者は人格者でなければならないと、私の心に深く刻まれました。 私は、金持ちになりたいのではなく、名経営者になりたい・・・と。
2006.01.24のブログ:社長?

与沢翼語録:
本というのは、読むべき時期があります。すなわち、読むのに適した時期、読むことで最大の効用を得られる時期、があるということです。
2006.02.25のブログ:六本木イベント

与沢翼語録:
夢を描いた人間の中から夢を達成する人間がでてくるということ・・・。夢を描かぬ人間は、リングの外にいることを最初に決めた人です。しかし、それも人生・・・・。私は、夢を描き、そして夢を純粋・忠実に思い、達成させていく人間に憧れている。だからこそ今こうして起業を決めた。
2006.02.28のブログ:定款認証・・・

与沢翼氏のブログを読み込んでいると、氏は”考えて考えて考え抜く”ことの大切さや他の仲間がそれを十分に理解していないことへの歯がゆさをしばしば書いています。

リーダーになろうとする者にとって不可欠な要素の一つ目が「自分のすべてを信じる自信」であると書いたうえで、じっくり考えた後に出た結論であれば自信を持つことができるから、自信を持ちたいと思ったら「深く深くじっくり考えること」だと結んでいます。

またグッドウィルの折口氏が「雑音に動じるな」と述べたとし、反対の意見や批判に動じないためには「自信」を持つことが大切だとしています。

2006.02.07のブログ:深く考えれば考えるほど・・・

創 業

2006年3月10日、もうすぐ最終学年になる直前に資本金620万円でアパレルのネット通販を目的とするEs Luxoure(エスラグジュール)株式会社が設立します。

資本金620万円の内訳は、与沢氏400万円、残りが創業メンバー(福田共哉氏100万円、鈴木一平氏50万円、後藤岳人氏50万円)と現物出資(与沢氏のPC等20万円)。

創業の翌月4月にはもう、渋谷109-2で販売されているブランドを中心に取り扱うメンズファッションの通販サイト「CRAZEクレイズ」を開設しています。(オープンソースzencartを改造)

少年のころの与沢氏は一人で金貸しや古物転売を行っていたのに、ネットビジネスで一旗あげようとするこのときは、最初から5人も巻き込みます。このときの創業メンバーは中学時代の悪友の福田氏とmixi経由で知り合った4人。1年近く残っていたのは鈴木一平氏だけで、他はみんな早くに喧嘩別れして出て行ってしまいます。

いよいよ明日から、オフィスに入居(編集者注:賃料5万円の新宿曙橋のシェアオフィス)です。そう事実上の創業日になるわけです。
明日から私は意識を完全に変えます。社長になります。どんなに小さな会社であっても、どんなに生まれたばかりの会社であっても、私は、明日から社長になります。意識は今までと異ならなければならない。率先垂範、責任、情熱、根性、誠実さ、優しさ、勇気・・・。意識変革を起こします。
2006.02.28のブログ:定款認証・・・

創業仲間

創業メンバー6人は与沢翼さん、福田共哉さん、鈴木一平さん、後藤岳人さん(技術者)、佐藤賢太郎さん(技術者)、浅沼登さん。

福田共哉さんは中学時代の悪友で22歳ころ再会したとき税理士法人で働いていました。創業副社長になったものの2ヶ月で喧嘩離脱し、2010年12月06日再び戻ってきます。

鈴木一平さんはmixiで知り合ったビジネス専門学校に通う年下で、一緒にトリガーというビジネスプランコンテストを見に行かないかと誘われたのがきっかけ。カナダ留学から帰国後の参加。

mixiで出会った友人に紹介されたのが、WEBデザイナーの後藤岳人さんとプログラマーの佐藤賢太郎さん。この2人とも喧嘩別れをし、創業時点から退社までの8か月分の未払い給与を2年近くかけて完済しました。

浅沼 登さんはmixiで知り合った早稲田大学社学の後輩です。

さらに技術系の部分は、慶応の学生とか早稲田理工の学生とか大学生アルバイトを積極的に利用します。そしてインターンも受け入れています。

創業3ヶ月目の苦悩

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創業3ヶ月目にして内心では少々弱気になっていたときに、早稲田大学OBの内田雅章氏(当時、株式会社就職課代表取締役)からの紹介で天井次夫氏と話す機会を得ます。

ベンチャー起業経営者の交流会である日本ベンチャー協議会(2008年解散)を仕切り、投資会社バリュークリエーション社を創業した人物です。

天井次夫氏は与沢翼氏に、「公開をするなら公開するまで面倒を見るから、今は仕事のみを見て邁進しなさい」と話し、後日、秘書に会社を視察しに行かせることを約束します。

私の中で、超一流を見て、何かがこの時変わったことは、確かです。この世界に私も行く、そう誓った。

と書いたうえで、こう続けています。

諦めたとき、そこで全ては終了する。失敗になるのだ。諦めない間の失敗に似た出来事は、全て失敗ではない。予定が多少狂った誤差に過ぎない。自分の立てた人生の目標を諦めなければ。

そう、やり続ければ、その過程で起きる成功体験も失敗に似た体験も全ては、糧である。どんな状況からも学ぶ。うろたえている暇があったら、対応策を考える。
〜〜〜中略〜〜〜
だから毎日、もう無理だと思った後、もう一歩のところまで、しつこくやる。
〜〜〜中略〜〜〜
一度考え始めたら、結論らしきものがでるまでは、決して途中で考えるのをやめない。

人生哲学、価値観を持ち、いつもそれに照らしスピーディーに判断し、一貫した行動をとる。
〜〜〜中略〜〜〜
朝、一日の仕事のイメージを作り、日中は、あれこれ考えず、純粋に仕事を最大の効率で処理していく。夜、一日のこと、今後のことなど、時間をとってゆっくりと色々考えよう。もう、倒産なんて恐れない。やる。それだけだ。俺は、必ず名乗りを上げる!!!
決意表明です!

2006.06.25のブログ:まだまだお仕事です☆

与沢翼という人物像

不良上がりの与沢翼氏、はたして人の眼にはどのような人物に映っているのでしょうか。

http://uchida-masaaki.jp/

早稲田大学のOBで株式会社就職課代表取締役の内田雅章氏を囲む学生の交流会で、与沢翼氏はこう言われたそうです。

あなたは成功しますよ。かねがね君のお話は聞いていたけれども、随分思っていたのとは違うなぁ。みんな、彼の雰囲気の全てから、学びなさい。

彼みたいのをね、じじ殺しっていうんだよ。
年上の方が可愛くてしょうがないタイプだ。君は周りに助けられながら、必ず成功する。仮に、今のビジネスが成功しなかったとしても、次のビジネスで必ず成功すると思う。私は、人脈を全てとして、生きてきたから、もう、これは直感なんだがね。
2006.06.23のブログ:余りあるお言葉♪

1年間家賃、無料

2006年9月、早稲田大学で受講していた「ベンチャー起業家養成基礎講座(大和総研の寄附講座)」のコンテストで優勝し、早稲田インキュベーションオフィス(月額11万円)を2007年9月30日までの一年間、無料で使用する権利を手に入れます。このときの事業計画は、SNSとEコマースを連動させた「ファッションモール連動型SNS」というものでした。

このころブログで、稲盛和夫さんの言葉として「よい商売、悪い商売があるのではない。今やっている事業を成功させることができるかどうかである。」を取り上げています。マーケットの魅力云々を理由にして事業を撤退する行為は起業家のあるべき姿ではなく、マーケット特有の問題点やニーズをもっと探しだすべきだし、それだけ愚直にひとつのことにこだわりを持っているから起業家と言えるのだと、彼の現状に照らし合わせた解説を加えます。
2006.09.21のブログ:よい商売、悪い商売があるの・・・

受発注を完全買取に変更します。

そして誰もいなくなり、お金も尽きた

まだ創業して半年ちょっとなのに、創業仲間とのいさかいが絶えず、崩壊の足音が聞こえるようになります。

与沢翼氏は、トップとしての自分に必要なのは利他的な精神や大きな器で、虚栄心や自己顕示欲だけでは苦労に途中で負けてしまうと自らに警告します。

精神的な壁に突き当たっている・・・。
〜〜〜中略〜〜〜
今までは、力があるから・・・自分はトップだったと思っていた。しかし、今は自分を否定する。トップだった・・・しかしトップの器だったのか・・・。自分のみを中心においた世界だった・・・。
2006.10.22のブログ:本当に今のままでいいのか

11月、創業メンバーがだれもいなくなりたった一人の会社になります。

年が明けて2007年2月、400万円の資金ショートをおこし10の消費者金融のお世話になります。

創業から1年、与沢翼氏はほとんど休むことなく働いていました。でも、自分のしてきたことは最善だったのか、疑問も抱かず検証もせずに来てしまったことを、経営管理への理解が不足していたと反省します。
2007.02.15のブログ:事業計画を立案する。

3月、ある競合企業の役員の人と再会し、支援を受けます。

本物のベンチャー経営者を目指す2年目〜3年目

大学3年の終わりに創業して大学生と経営者という2足のわらじを履いていた与沢氏ですが、大学を卒業後は会社に泊まりこむ日々が続きます。最悪な資金繰り状態の中で、元手のかからない事業ですぐに売り上げを作りださないと本当に倒産です。

起業はリアリティーな活動です。空想力が強い私でも、より現実的に考えざるをえませんでした。逃げても数字や資金繰りという事実がやってくる。逃げられないんだな、とある日気づく。やらなきゃゲームオーバーなんだ・・・、と。

そんなときある人物との出会いがあります。彼はその喜びを、

こいつとならいけると思った。このとき本当に企業は人なりという言葉を痛感しました。たった一人の人間により、無理かなと思っていた事業に勝機が感じられる。
2007.06.04のブログ:2ヶ月ぶりの更新☆

2007年12月、はじめて月商1,000万円を達成します。

2007年12月、家賃20万15坪の渋谷に会社を移転します。そのときスタッフは与沢氏をいれて3人。

現存するブログでは2007年6月の次が2008年2月と、いきなり半年飛びます。その間の事情はわかりませんが、このころ早稲田大学インキュベーションセンターを無料で利用できる期間は終了し12月に渋谷に事務所を新たに構え、公庫融資を受けています。住まいは実家から出て、都庁前に一人暮らしをしています。

与沢翼氏は気づきとして、休みなく毎日長時間働くことが美徳だと思っていたこれまでを否定し、タイムリミットを設けて仕事を切り上げ、友人と食事をしたり本や雑誌を読んだり、交流会に参加したりする時間を確保するべきだと思うようになります。
タイムリミットを設けることで、無駄なことを自然に見極め、切り捨てることができるようになると考えるようになります。

またこのころ、会社のお金をどう生き金にするべきか、必要なところで恐れず投資することの大切さを考えるようになっています。
2008.02.16のブログ:仕事が楽しいです

2008年2月、渋谷の会社近くに住まいを移します。

2月、Webデザイナーを求人し初採用
3月、システムエンジニアを求人し初採用
4月、はじめてアルバイトスタッフを採用。

創業翌月に開設したメンズファッションの通販サイト「CRAZEクレイズ」の売り上げがここにきて順調に伸びてきています。

昨日当社の「CRAZE」の一日の売り上げ高が自社、楽天、BIDDERSの3店舗合わせて200万いきました。最高の記録です。でもあいかわらず資金繰りは本当に本当に大変です。死にそうです。
2008.05.15のブログ:新規事業を思いついた!これで拡大できる!

2008年6月、雑誌広告を再開し、6,000名の顧客を獲得します

2008年7月、お兄系男性誌「メンズエッグ」の公式アウトレットサイト「men’s egg公式OUTLET」を開設します。

東京ガールズコレクション(TGC)

与沢翼氏はアフィリエイターとして大成功を収めた2012年、東京ガールズコレクションの携帯部門を買収しますが、この会社の事業に注目したのはこの頃のようで、東京ガールズコレクションを見に行った2008年9月のブログで絶賛しています。

昨日東京ガールズコレクション行ってきましたが、やはり感動しました。
〜〜〜中略〜〜〜
これほどまでに社会的価値の高いイベントを突如21世紀に誕生させたのがゼイヴェルというベンチャー企業、気になりすぎて徹底的に調べちゃいました。2008.09.07のブログ:TGCについての感想とゼイヴェルという21世紀最強のベンチャー企業について

東京ガールズコレクションは、2005年から年2回開催されるファッションショーで世界でも類を見ない一般参加型の大規模なイベント。10代後半から20代の女性をターゲットに、ファッション性のある普段着(リアル・クローズ)を提唱し、特にガールズウォーカーgirls walkerという携帯サイトを使った一般販売で高い利益を上げていました。

http://girlswalker.com/

その携帯サイト・ガールズウォーカーgirls walkerは、マーケットで最も購買決定権を握ると言われるF1世代(20〜30代前半)の女性が対象。最初から物販に乗り出すのではなく、占いなどクチコミが広がりやすい分野から攻めて市場を広げ物販に集客する手法をとっています。その内容についてはこのサイト「ニュービジネスレポート」がわかりやすかったのでご紹介しておきます。

東京ガールズコレクションを当時運営していたのは1999年11月創業の株式会社ゼイヴェル(東京都港区、代表取締役社長:大浜史太郎)というベンチャー起業。

株式会社ゼイヴェルは、2008年10月に株式会社ブランディングに商号変更し、2009年5月には2005年設立の関連会社ファッションウォーカー社と合併し、2011年1月に不動産会社バルビゾン社へ売却され、10月には今度はアパレル会社ワールドに売却されました。

関係ないことかもしれませんが代表取締役だった大浜史太郎氏の父は、不動産業リビエラコーポレーション社の副社長だった大浜民郎氏です。

上場の想い、再び

与沢翼氏は2008年9月のブログで2011年8月に東証マザーズに上場すると宣言します。創業時に2009年3月の上場を宣言して以来2度目の宣言です。

2011年8月東京証券取引所マザーズに上場します。この上場宣言は希望的観測ではないです。私の今後のすべての行動を拘束する本気の決意です。
〜〜〜中略〜〜〜
宣言して、必ず実行していく。楽をして恥をかいて死んでいくなら、死ぬほど苦労して達成したほうが幸せ。
〜〜〜中略〜〜〜
実現しないのは私が死んだときだけです。以上、上場宣言!
2008.09.08のブログ:上場決意宣言!!

私も2009年3月1日の上場を目指すことを昨日創業メンバーに伝えました。3月中には、実際の活動状況等を踏まえ、一体如何様にして、対前年比200%成長の企業を作るのか、そして、コアビジネスとして何を基軸に展開していくのかを熟考し、たたき台となる上場達成のロードマップを作成します。
2006.02.28のブログ:定款認証・・・

順風?

創業から2年半の2008年9月、念願の自社ブランド製品の販売が始まりました。従業員は27名に増え、会社も移転し50坪100万円、住まいは青山パークタワーとあたかも順風のように見えます。

与沢翼氏の腹がすわったような発言がブログに登場します。
どんなに立派な目標や価値観を持っていても、それを達成できなければ意味がないとしたうえで、自ら設定した目標や自らの価値観にどれだけ本気かが大事だと述べるようになります。そして、それが達成できなければアイデンティティーも存在意義も失ってしまう、と心底思うまで真剣になっていたのが成功者たちで、自分も今、そのレベルの真剣にあると自信をみなぎらせます。 2008.09.23のブログ:自社ブランド発売!自分の中で何かが変わる。

勉強したくて勉強したくて抑えきれない。勉強しても勉強しても満足できない。もっともっともっともっと経験したい。勉強したい。挑戦したい。永遠に芸術的企業を作ることに専心していきたい。スティーブジョブズを知りたい。サムウォルトンを知りたい。世界企業を作った起業家の本を見ると胸が高鳴る。企業は多くの歯車が同時に動く。だからたくさんのことを広く知る必要がある。もっともっと勉強し、新しい考えを反芻しなければならない。
〜〜〜中略〜〜〜
今、売り上げ増と新規投資で増加する運転資金を工面するのが死ぬほど苦しい。でも必ず耐える!
2008.09.15のブログ:成長性そして自社の実体定義

それにしてもとにかくしんどい。急に忙しくなりました。もうめまいがしそうです。つらいです、資金が足りない・・・が、がんばります。とにかく生き抜かなきゃ。継続こそすべて!生き抜けばそこに必ず世界がある。
2008.11.27のブログ:月商4000万達成!

12月、月商5,000万円達成

もはや自社で出荷できる臨界点を超えました。緊急で今月中にもう一つ事務所を借りるか、物流センターを設置して商品をすべて送ります。一日200件以上の注文が入って、160件ほどしか出荷ができません。売ればうるほど未出荷がたまっていきます。
2009.01.08のブログ:一向に下がらぬ売上!システム投資急務

12月、大洋図書と提携し、men’s egg公式storeを2009年5月オープンします。

与沢翼個人商店から企業への脱皮の予感

ここにきて与沢氏は、会社としてようやく機能し始めたと肌で感じるようになります。スタッフが自分たちの意思でミーティングを開いたり、商談がスムーズに進み発送が滞りなく行われる場面を見て、組織の力というものを実感していきます。

企業とは現金製造器です。一たび収益を得る方法を体得した経営者及び組織はどんな状況においても必ず収益を得続けます。
つまり売上とはまぐれで得られるものではなく、得るべくして得るものであるわけです。だからこそやりがいがあるのです。
〜〜〜中略〜〜〜
現在当社は創業期を終え、拡大期に入りました。アイディアを練って市場(顧客基盤)に投入すると現金になって返ってきます。この顧客基盤を拡大し、アイディアにエッジを利かせ、センスを上げていくことが私の今の戦略です。超シンプル!
2008.10.10のブログ:自社ブランド発売!自分の中で何かが変わる。

1月、上場のための監査法人がトーマツに決定

2009年1月、監査法人がトーマツに決まり上場に向けた本格的な内部体制強化が課題となっていきます。

みんなよく頑張ってくれています。本当に今いる社員は優秀であり、いいやつらです。己の信念を貫き、私は魂を磨きます。
迫りくるすべての課題を乗り越え、「本物の」うちの社員を幸せにします。
〜〜〜中略〜〜〜
はぁ。それにしてもマジで志の低い層には中途半端なやつが多すぎる!あきれてものも言えない。情けない。何も実行に移していない根性なしが、吠える吠える。しかも自分の行動の道理と筋道もわきまえていない。かっこ悪いよ君。
〜〜〜中略〜〜〜
私が唯一、尊敬しているのは全て根性がある人、そして行動に移している人、周囲が納得できる筋をきちんと持っている人、言行が一致している人。どんな正論・建前を並べても、根性なしの筋違いと行動しない、ただのはったり野郎と付き合うつもりはない。そして社会的な意味で勉強を一切しないアホ。教養がなく、現代の社会への深い理解もないくせに自分の価値観で雄弁に語るやつ。
〜〜〜中略〜〜〜
まぁ数年後をみていなさい。どちらが正しかったか本気で見せてやります!
2009.01.08のブログ:一向に下がらぬ売上!システム投資急務

このころの与沢哲学

基礎を学び、基礎を作り、基礎にこだわる。ユニクロの柳井会長の生き方の記事を読んで、自分が言いたかったことはそういう感覚だと共感。
2009.04.15のブログ:基礎を学ぶ前に潰れてしまっては意味がない。

人は考えることに本当に不誠実です。よくわからないこと、都合の悪いことを見て見ぬふりをしようとします。〜〜〜中略〜〜〜
人間は行動の理由を知れば必ず動きます。〜〜〜中略〜〜〜
行動できないとき、それは自分の行動力のなさを責めるべきではありません。自分の考える力のなさを責めるべきです。
2009.06.14のブログ:失敗の第六法則:考えるのに時間を使わない

私は公で言うのは初めてですが、10代のときから、ある自己の信念を確立していました。それは、他力本願を生涯嫌う、ということ。私の起業動機の根本でもあります。
2009.07.04のブログ:人生には、平坦な道と険しい山道が常にある。

9月、上場の主幹事証券会社がみずほインベスターズ証券に決定

2009年9月、上場のときの主幹事証券会社をみずほインベスターズ証券に選定しました。

THE POWER OF LESS 減らす技術という本を読んで、自分が無意識にこの著書に書かれていることを実践してきたことを知りました。
〜〜〜中略〜〜〜
私は目標を掴むためであれば容赦ないです。評価次第では、冷徹と言わざるを得ないかもしれません。高校もやめれば、友達とも疎遠にします。財産を全て売り払うこともあれば、彼女ともさよならします。たばこもやめたし、テレビも見ないし、遊びもしません。とにかく「やめる」「やらない」が私は本当に多いです。ですが、少数の「やる」だけは何が何でもやります。
〜〜〜中略〜〜〜
ですから、99はやめたけど、絶対に1だけは掴みます。99をやめた分、1は絶対に手に入ります。私にとっての1とは、会社です。創業してからずっと、会社だけが1でした。
2009.09.12のブログ:主幹事証券を・・・

2009年9月、とうとう宴が始まった

2009年9月と11月に、2回のベンチャーキャピタル割り当て増資が行われ資本金は6,230万円となりました。従業員数も延べ50名となり人件費も膨らみます。

9月18日、渋谷109-2に1店舗目となるCRAZEを出店します。

10月1日、渋谷マークシティWestの11階の80坪に会社は移転します。賃料はこれまでの3倍です。

12月、ついに月商1億5千万円を達成します。

2010年3月-4月、出店ラッシュ

3月、egg storeリアル店の初日の売り上げはCRAZE109-2をOPENしたときの約2倍、客数は4倍以上と大成功を収めます。
2010.03.07のブログ:みんなお疲れ様です♪

そして池袋サンシャインシティ店、名古屋サンシャイン栄店、福岡天神ビブレ店、上海バンドプラザ店と、一気に7店舗までオープンさせた結果、・・・

上場の夢の亡き後

どれも売り上げが上がらず、6月には1億円規模の資金が不足する事態に陥ります。そこで店舗撤退やECサイトの削減を行い、利益のでる渋谷の1店舗とECサイト5つだけ残してなんとか再建を図っていました。

一年半前、店舗展開に失敗したのはオレだ。それは申し訳ないと思っている。
2011.09.17のブログ:エスラグジュールの高橋一弘と福田共哉について

諦めない

与沢翼氏は、この4年半の経験をもとに「モデルチェンジして生きていきたい」と語ります。自分らしさを磨いて、毎月毎月成長した結果、10年後には砂上の楼閣でない1,000億円の会社になっていればよいと考えるようになりました。
2010.07.10のブログ:モデルチェンジ

日本全体に名の通るような大きな会社を作ろうと思っている気持ちは変わりませんが、起業家像についてのこだわりはなくなります。2010.10.20のブログ:情報価値

与沢翼さんの夢が書かれた創業1年目の正月のブログがあります。

私の未来構想というものは、「luxoure」という社名に冠された「ブランド」を立ち上げ、「ラグジュールの世界感=(ゴージャスできらびやかだが、しかし、気品ある落ち着き)」を21世期に体現させることです。
私の夢は、死ぬまでに、年間売上高1兆円の企業を作ることです。
holdings company(純粋持ち株会社)を作り、1,アパレル(衣類のみならず、靴、カバン、小物を含むすべてluxoureブランド)2,不動産(luxoureブランドによるマンションの企画、開発)3,高級車(LEXUS&Mercedes専用のスポイラー、マフラー、アルミを中心としたドレスアップ製品の企画、製造、販売)4,WEB&リアルメディア(WEBマガジン&メンズファッション雑誌)をそれぞれの事業とする事業会社をコントロールする、グループカンパニーを作りたいと考えております。
2007.01.04のブログ:開眼した!

与沢翼さんの夢が書かれた創業当時のブログがあります。

私はインターネット上で、ファッションを提供していきたい、と考えています。なぜ、販売ではなくて提供というかと言えば、それは、ただ単に服を売る、のではなくて、一人ひとりのお客さんの好みに合った最適な服を、積極的に提案して、十分な満足を得ていただきたいからです。
〜〜〜中略〜〜〜
こう考えていくと、つまり、これが欲しい・・と心から思っていただける瞬間を作る必要がありそうです。
魅力的な商品に出会い、悩ましいほどに、ぜひこれが欲しいと思えることは、ある意味消費者にとっては幸せなことなのかもしれません。
私は、欲しいものがあるとき、けっこう幸せだったりします。そして、それが、かなったとき誰しも満足感がありますよね。

2006.02.01のブログ:今日は、ファッションアパレルについて・・・

12月6日、創業2ヶ月で喧嘩別れした元副社長の福田共哉さんが出戻りします。

窮地を想定しているときほど、すごいことを思いつきます。今までも何度もそうでした。このことに例外はありませんでした。
〜〜〜中略〜〜〜
周囲の方からは、最近「私が変わった」といわれるんですが、実は私は全く変わっていませんよ。野望も大望も、みじんも変わっていません。進み方を変えただけです。ゴールは一つ。道は複数あり。これが今回理解した成功のルールです。
〜〜〜中略〜〜〜
批判されて、それでもやり抜け。あなたの人生ですか?いいや、俺の人生だ!!だからやっぱり何でも思った通り行動する。
2010.12.28のブログ:今日、ひとつ・・・

事業停止

2011年08月、一債権者の破綻から管財人の差し押さえが行われ、信用不安がおきて物流の掛け払い(月末〆翌月末支払のような1か月分まとめて後払い)ができなくなり、事業は停止を余儀なくされてしまいます。ここで緊急に資金をかき集めて事業継続という方向性もありましたが、与沢氏は倒産させる方針を固めます。与沢氏は会社の借り入れ3億円ののうち1億5,000万円を連帯保証していました。

アフィリエイター与沢翼の誕生

事業停止からさかのぼること10ヶ月前の2010年10月、このころから与沢翼氏のブログの様子が一変し会社に関する話題がほとんどなくなります。メルマガの発行もはじまり、アマゾンへのアフィリエイトリンクが埋め込まれるようになり、10月30日のブログでは情報商材アフィリエイトであるインフォトップのリンクも埋め込まれるようになっていきます。

アフィリエイター与沢翼が誕生しつつあるアフィリエイター与沢翼、孵化期にあたります。それについては別のページで細かくまとめます。

皆さまこんばんは。与沢です。今日から、起業に役立つ情報を整理して公開していきます。

2010.10.20のブログ:情報価値

私は、お休みを利用して、「まぐまぐ」でメルマガの発行を始めました。もしよければもちろん無料ですので、読者登録していただけますと大変幸いです。

2010.10.24のブログ:年商と従業員の数

動画で

与沢翼 ノウハウ公開動画 その1 〜与沢翼の稼ぎの全貌〜(約50分の動画)

前半22分くらいまでが子供時代からエスラグジュールを潰すまでの軌跡を本人の口から語られています。

当時のエスラグジュール役員の今のブログ

高橋一弘専務(CRAZEの全事業の責任者、2009年3月から勤続2年半)のブログ、鈴木取締役のブログ、伊藤取締役

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