中学生程度以下の政策を語るなかれ 間もなく衆議院議員選挙が公示ざれるが、前哨戦(政治活動名目)において乱立した各政党の党首らは無責任極まりない耳触りのよい政策?らしきものを掲げて舌戦を繰り広げている。
今回の選挙の争点に原発問題が取り上げられているが、はっきり言って、原発にかわる代替クリーンエネルギーが確保されれば、各政党の党首が脱・卒原発と言わなくても良い問題である。現段階でそれがないのだから、脱・卒を言う前に代替エネルギー確保のための政策を語るのが筋道である。
太陽光発電や風力発電、更には地熱発電など安全で低価な電力を生み出す技術開発が十分でない現状において、軽々に脱・卒原発を主張しても全く現実的でない。
先日、日本記者クラブで党首討論会が開催されたが、一部の党首の主張を聞いていると理想を語るだけの現実性のない発言をする党首らが腹立たしくなってきた。
国民に耳触りのよい「脱」とか「卒」原発を主張しているだけで、司会者の進行の方法にも問題があるが、脱・卒原発を主張するならその者に対して電力をどのように確保するのかを明確に答えさせるべきである。
中学校の社会科の授業の一環として中学生に討論をさせた方が、この党首らより真面で現実的、建設的な討論がされるだろう。
我が国が東日本大震災によって原子力発電の事故に直面するまでは、危険性を充分認識しながらも安価で安定した電力が確保できるとして、ある意味で国家的施策として原子力発電を推し進めてきた。誰の責任でもなく国民すべてが責任を共有すべきである。
その恩恵は大なるもので、産業国として世界第二位の経済成長を果たし、国民総中流と言われる豊かな国へと発展してきた。
こうした豊かな国に成長する要因は他にもあるが、電力がなければ果たしえなかったことであって、国民すべてがその恩恵を享受してきたことを忘れてはならない。
事故の発生に伴って、常に反体制を標榜する政党や団体、組織は原発反対を主張するが極めて短絡的で恥ずかしい限りである。
ただ単に反対するのでなく反対するなら対案を示すことが重要であることは道理である。
原発政策は、誰が総理になってもどの党が政権与党になっても答えはほぼ同じで、原発に代わる代替エネルギーの技術開発を待つしかないのだ。政治家にそんな技術開発能力はない。 政治生命を賭けて最後の勝負に出た政界のドンに、国会議員、知事、市長、そして、なによりも国民が振り回されないことが我が国を救うことになる。
そして、財源確保もできないで、また「子ども手当支給」等と女性受けする甘言を使っている政党があるが、国民はそんなに馬鹿でないはずだ。
政界の手品師 滋賀県議会からの忠告を受けた直後だから、当然のことながら滋賀県庁で公務をしているものと信じていた滋賀県知事が、公務を疎かにしないと公言して舌が乾かない翌日の平日に東京・内幸町の日本記者クラブ主催の党首討論会に出席しているではないか。
テレビ画面をみて愕然としたが、そんなに政治活動をしたければ知事を辞職するのがケジメであると忠告したはずである。(副代表を参加させればよいこと。)
I元東京知事は知事を辞任したうえで新党を結成し、大阪の新しい政党に擦り寄ったという情けないところはあるもののけじめをつけている。
しかし、滋賀県知事はそれができないまま政治生命をかけた男に操られ、しかも辞めないのである。
県民として情けないし、広く全国に恥を曝したとの思いである。
地方自治の歴史の中で、地方公共団体の長がこんなことをしたのは初めてのことだろう。
選挙権を有する滋賀県民の一人として知事の解職請求をしたい思いである。
そうした中、憂さ晴らしの気持ちでカラオケを歌いに行った。
現役を退職してからは、めったに訪れることがなくなったが、スナックで余興に歌うカラオケ曲にフランク永井の歌が多くある。
この歌手を知らない若者が増え続けているが低音で甘い歌声は多くのファンを魅了した。
フランク永井の曲はほとんど歌うことが出来るが、好きな曲に「公園の手品師」がある。
ちょうど季節は紅葉真っ盛り、公園や街路に植えられている銀杏が黄色く色づいているし、中には散り落ちているところもある。
この曲を歌いながら、今回の政治的陰謀で滋賀県知事を担ぎ出した大物政治家?は、まさしく公園の手品師でなく政界の手品師で老いたピエロであると思えてきた。
この曲の歌詞は、
公園の手品師、老いたピエロは、
1番 「薄れ日にほほえみながら季節の唄をうたう」
2番 「口上は云わないけれど慣れた手つきで」
3番 「何もかも聞いていながら知らない顔して」
とある。
この歌と歌詞を引き合いにだして不満を歌ったり語ったりすると、作詞家の宮川哲夫氏や作曲家の吉田正氏からお叱りを受けるかもしれないが、どうも少し飲み足らなかったようで、高いお酒を飲んでいながら憂さ晴らしにはならなかった次第である。
そう言えば、相客の拍手も少なかったように思う。
実現もしない夢を語り威勢のよい言葉、耳触りのよい約束に惑わされないで、今回の選挙では期待に応えてくれる政治家を選びたいものである。
自身のためにも国家のためにも・・・・・・
イタリア料理とカンツォーネ 女房が「パスタが食べたいから付き合って。奢るから(飲食代金は支払の意)」と言ってきたから余り乗り気でなかったが付き合うことにした。夕食でなくて、昼のディナーのことである。
そして、女房に連れていかれた店が、パスタとピザが食べ放題、しかもこれ以外にバイキングコーナーがあって、そこには野菜サラダ、スープ、ケーキ、飲み物、焼きそば、カレー、果物、アイスクリーム等々が準備されていて自由に食することが出来るようになっている店であった。
昼食の時間が過ぎているのに店内は満席で、しかも9割以上は女性客である。
老若を問わないが、大半は若い女性で老人は殆どいない状況、入店したが男の姿がなく抵抗を覚えた程である。
メニューはパスタ、ピザとも10種類程度が用意されていて、どれだけ食べようと何を注文しようと同じ料金である。
好きなものを注文すれば、暫くすると焼き立て、料理仕立ての注文の品が運ばれてくる。
ルールがあって、制限時間は1時間半、食べ残しにはペナルティーがあって追加料金が徴収されるシステムである。
パスタとピザを各1品づつ注文して食べたが、美味でないが不味くもないから、料金的には妥当なところであると思っていると、客の女性たちの食欲に凄さに唖然とした。
どの客も、食べる、食べる、飲む、飲む・・・・・・その姿に圧倒される。
しかも、食後はケーキやアイスクリームに舌鼓をうつではないか。ただただ、見とれているしかないのである。
一体、女性の胃はどんな構造になっているのかと疑いたくなる次第である。
痩せたい、ダイエットしてスリムになりたいといった女性の美を追求する欲望と食欲の相関関係は、未来永劫、大きな課題であるようだ。
この店を再び訪れることはないだろうと思っているが、女性には大人気であるから繁盛している。
この店で、女性客の食欲に感心しながら、昔、東京の大学に入校中、青山にある高級イタリア料理店でカンツォーネを聞きながら、それまで食べたことのないイタリア料理やワインを口にした時のことが脳裏をかすめた。
おそらく一人当たり数万円の食費であったことは容易に推察できた。
田舎者が東京、青山の高級イタリア料理店に入って料理の味も記憶にないほど緊張して本場イタリア人のカンツォーネを聞いたのである。
食事に誘って頂いた上司の厚意に今も感謝しながら、それ以来、何十年と高級なイタリア料理店に食事にいっ
たことがない。
それは、日本料理が一番好きで美味しいと思っているからだ。
パスタやピザ、そしてオリーブオイル、ニンニクよりも、はるかに奥が深い美味さがある。
首長を辞任すべき また、やったぁ・・・・・・目立ちたがり屋の滋賀県知事・・・
滋賀県知事が、国民の生活第一党の党首に操られて新しい党首に就任し有頂天になっている。
おそらく、国民の生活第一党は今までのままなら、今回の総選挙で惨敗することに間違いないだろう。
だから、党首は何時までも総理になれないばかりか、このままでは政治家として存在感がなくなると危機感を抱いて政治家人生の最後の賭けにでたようである。
この党首の戦略に操られたのが滋賀県知事であるが、よくよくみると両者は似た者同士である。
滋賀県知事は、言動不一致を繰り返しているから県民の信頼は殆どない。
特に、新幹線駅の設置反対を訴えて知事に当選したが、駅予定地であった場所に新企業が工場を建設して操業を始めようとした時点で、新幹線駅が必要と言いだした。
地元は猛反発である。
今度は「卒原発」だけを旗印にして新しい党首に担ぎあげられたが、新幹線駅同様に平然と方針を変更することは間違いがない。
というのは、卒原発や脱原発は誰でも言えることだが、それを実現するための具体的なプロセスを示さないままでは意味がない。
電力はどうして生み出すのか?
廃炉とした後の原発の処理はどうするのか?
化石燃料に頼っていて地球温暖化が進行することにどう対応するのか?
予想どうり電気料金が値上がりしてきて国民の生活を圧迫する結果となっているが、国民生活をどうするのか?
卒原発を訴えたこの新しい政党?に既成政党から放り出されて行き場を失った昔の政治家(大臣経験者が多い)が媚びへつらうように集まってきているのだから実に情けない。
ところで、滋賀県知事だけでなく、大阪府知事や大坂市長は地方自治法によって直接選挙で選ばれたその地方自治体の長であるから、当然、知事や市長としての公務があり、これを全うすることを住民は期待している。
にも関わらず、これらの者は公務以外の政治活動に躍起になっている。
地元を離れて東京をはじめ各地方を転々として政治活動に従事するなど、本来なすべき公務を疎かにしていることは間違いがない。
公務員は職務に専念する義務があることは法律に明記されている。
彼らが、知事や市長の公務よりも政治活動を優先するなら直ちに辞任すべきである。
公務をするから高額の給料が支給され、また間もなくボーナスの支給がある。
景気の悪化が影響してボーナスをもらえない市民が多くいるが、彼らが政治活動に従事する諸々の経費、例えば旅費などは自前で賄っているのだろうか。休暇届け出をしているのだろうか。
まさか公私混同はしていないだろう。
滋賀県議会議長が知事に辞職を促したようであるがこれが県民の総意である。
大阪では、府議会や市議会の長がこうした辞任を促すような行動?どうだかしらないが、同じ政党に所属している議長だから、おそらくしていないだろう。
職員に法令を遵守するように指示しているなら知事や市長がその範を示すべきだ。
地方自治法で長の解職を請求出来ると規定しているから、そんな機運が盛り上がるかもしれない。
滋賀県では職員が電話対応に追われているようであるが、県民は県職員にそんな業務を期待していない。
県民のために汗をかく仕事を期待しているのだが、このような余計な仕事を強いるのは滋賀県知事が政治活動に躍起になるからだ。
潔く、知事を辞任すべきである。一刻も早く・・・・・・でないと原発でなく厳罰に・・・・
秋の日はつるべ(釣瓶)おとし 「釣瓶」(つるべ)は、今日ほとんど見かけることがなくなった。
水を汲み上げるために用いる桶のことで、昔は、井戸を掘って地下水を汲み上げて飲用していた。
現在のように水道設備がない時代、大抵の家庭では土間に井戸を掘り竿や縄の先に釣瓶(つるべ)を付けて、これで井戸水(地下水)を汲み上げていた。
この釣瓶(つるべ)が自重によって井戸の中にストンと「あっ」という間に落ちていく様子を秋の夕暮れの日没の速さを形容したのがこの言葉の由来である。
著しい水道設備の発達によって、井戸や釣瓶を知らない者が増え、この言葉が何を意味しているのか理解できない人が多くなってきた。
しかし、秋は日照時間が短く西日が一気に沈み、あっと言う間に日没になることは如何に水道設備が進化しようとも変わりはない。
最近、この日没時に車を運転していて特に気になることがあり、それが女性ドライバーに限定されているから、大きな事故にならなければと願っている。
秋の釣瓶おとしの時間帯、既に日没になっているにも関わらず、車の前照灯を点灯しないで走行している車の約9割以上が女性ドライバーであることである。
何故だろうかと考えると、女性から御叱りをうけるかもしれないがこれは女性特有の能力によるものである。
車を安全に効率よく走行させるには、運動能力(動作の精度や反応速度)に加えて、情報把握とその情報に基づく処理、対応能力が必要であることは言うに及ばない。
当然、こうした能力は個人差があるが一般的に男性が優れていて女性が劣っていると言われているし、老化とともに衰えていくことに間違いはない。
男女の能力比較は、性の違いによる生まれながらの必然的な差であると考えるが、中には男性より女性が優れておられる人も多くいるから、その人には当てはまらない。
しかしながら、運動能力や運転に必要な諸々の能力が男性より優れている女性が極めて少ないことが影響してか、多くの女性ドライバーによる日没時の無灯火運転が平然と行われている。
結局は、「つるべ落とし」のような急激な変化に対応できないのである。
前後や対向車線を走る車両の明かり、街頭の照明などで自分が運転する車両の状態が把握できないまま、必死にハンドルを握って事故を起こさないようにしている姿が印象的である。(中には、加えたばこをして平然と運転している女性も多くいる。)
注意されたり、事故を起こしてから初めて気づくのであって悪意はないにしても無灯火は重大事故に直結する。
前照灯を点灯する意味は、操縦者(運転者)の視認性と外部からの被視認性の両方を向上させるものであることを理解しないといけない。
我が国は日没後に点灯することを義務化しているが、日没前の早めの点灯と昼間でも気象状況(雨や降雪、霧、靄など)に応じた点灯を励行すべきである。
自分の運転する車両を他者に認識させる重要な役目があることを理解すれば、意識してできることであるはずだ。(女性ドライバー必読)
無灯火運転が圧倒的に女性に多いのは、軽四輪自動車には外部の明るさを自動的に感知して自動的に点灯する設備が備わっていない車両が大半であることも原因となっているかもしれない・・・・(車両の性能に責任転嫁するようでは安全運転は確保できない)
当家の古女房も同じような日没後の無灯火運転を平然としているだろうと思うが、幸い、自動点灯装置がついているから少しは安心している。