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11/30の党首討論会 - 政党乱立責任をめぐる観念操作
先週、11/30に日本記者クラブ主催の党首討論会で、読売新聞の橋本五郎が野田佳彦に対して、政党が乱立する選挙になった責任を問う場面があった。野田佳彦は、「離党された人がいくつかの党に移った。民主党が分裂したことが一つの原因でその責任の一端ある」と答え、民主党の責任であることを認め、同時に、「国論二分のテーマは避けられない」と言い、「決められる政治」を自己宣伝する材料にして反論した。オヤと思ったのは、この野田佳彦の応答である。その場に並んだ政党は全部で11で、左から、国新(自見)、社民(福島)、共産(志位)、公明(山口)、自民(安倍)、民主(野田)、未来(嘉田)、維新(石原)、みんな(渡辺)、大地(鈴木)、改革(舛添)である。確かに多い。こんな選挙、こんな党首討論会は初めてで、雛壇の頭数が多すぎ、索漠とさせられる。しかし、面子をよく見ると、新規に増えた群小政党は、必ずしも民主党の分裂によって生成されたものではないことが分かる。民主党の責任に帰するのは、この11党の中では未来1党だけだ。国新、みんな、改革の3党は、全て自民党の分裂から派生した政党であり、維新に合流した太陽(たち日)も、自民党から飛び出した政党だ。2009年の衆院選で自民が惨敗して政権を失った後、騒動が続いて、みんな、改革、たち日の3党が次々と生まれた。つまり、11党のうち4党が自民党の責任に帰する乱立なのである。


したがって、この乱立を民主党の責任だとする橋本五郎の決めつけは、事実認識として不当で、テレビの前の視聴者を騙して刷り込みをかける情報工作だということが分かる。自民党の責任を狡猾に免罪し、民主党に濡れ衣を着せ、それを世間の常識にして塗り固める観念操作のプロパガンダだ。読売の目的は自民党の支援であり、全国の有権者が注目する放送で、政党乱立の混乱の原因と責任は民主党にあり、政策対立する諸派が党内で野合していたからとする「共通認識」を確定させようとしたものである。小才の利く野田佳彦が、乱立する弱小政党の大半が自民党出身である事実を知らないはずがない。普通であれば、当然、「前をよく見て下さい。国新、維新、みんな、改革の4党が自民党から誕生した新党ですよ。どちらの責任が大きいでしょう」と切り返したはずだ。会場の列席者も、テレビの視聴者も、この反論に頷き、橋本五郎は意図を挫かれて言葉を失ったに違いない。だが、野田佳彦はこの効果的な反論で応じ返し、政党乱立の原因が自民党にある真実を証明し、公共の電波を使って自民党を優勢に導こうと世論操作する読売の思惑を暴露することをしなかった。それは何故だろうか。解散以来、私はずっとこの選挙を出来レースだと疑っている。作為と陰謀の所在を感じてならない。ひょっとしたら、この橋本五郎の質問は、予め野田佳彦と調整した台本なのではないか。

もう一つ、この選挙でマスコミが仕掛けている観念操作のプロジェクトがある。それは、民主党の09年マニフェストに対する否定であり、ネガティブ・イメージの植え付けだ。3年半前、それよりもっと前の「政治改革」以降、マスコミは北川正恭や佐々木毅を動員して、マニフェストを徹して宣伝し、マニフェストの日本政治への導入を促し、マニフェスト選挙のエバンジェリズムに余念がなかった。政策カタログを数値項目化させ、財源と工程表を明記したマニフェストでなければならないと言い、かかるマニフェストを作成し提示できない政党を政治の場から排除した。二大政党以外は不要だから退場しろと言い続けた。マスコミとアカデミーが唱えていたマニフェストとマニフェスト選挙が、形の上では最も理念的な姿となり、日本の現代政治において言わば完成型となったのが、09年の民主党マニフェストであり、2009年の政権交代の衆院選挙である。ところが今回の選挙では、自民党も民主党も工程表を入れない曖昧な政策目標を列挙した選挙公約に戻り、マスコミもまた、その「後退」を積極的に評価する姿勢に変わっている。そもそも、実現できる保障もない数値目標を公約として提示する方が無責任という話になり、政権を獲得した政党の選挙後のフリーハンドを認める議論に変わった。マニフェストを喧伝した自らに対する反省もなく、マニフェストに対する態度を一転させている。09年マニフェストの評価は一変し、今では悪性表象となった。

不思議なことに、一般世論の空気さえも、政党の変質とマスコミの刷り込みを容認し、09年マニフェストは策定そのものが間違っていたという認識になっている。マニフェストを実行しなかった怠慢を責めるのではなく、もともと小沢一郎が実現もできないことを約束して国民を騙したのだという決めつけになっている。そういう文脈で語られる物語となった。2年ほど前までは、国民はマニフェストの実現を民主党政権に要求していたはずで、09年マニフェストの趣旨も中身も正しく、政策を実現すべく努力しない民主党政権が悪者だったはずだった。ところが、いつの間にか観念がすり替わり、マニフェスト自体が最初から悪性のものに変わっている。そして、政党が選挙で出す公約など信用するのが間違いだという説教になり、政策ではなくて候補者の人物を見て投票しろなどという呆れた言説に収斂している。恐るべき欺瞞と詐術が駆使され、国民の意思や、有権者たる主体性が翻弄され、愚弄されている現実がある。マスコミは、あれだけマニフェストを宣伝し、政権交代の風を吹かせて便乗しながら、今は、マニフェストに騙された国民の方に責任があると言っている。公共の電波を使って騙したのは誰なのだ。本来、09年の政権公約を正しく実現すべく、それをそのまま掲げ直す未来(小沢一郎)の姿勢は正当で誠実であると言える。09年マニフェストが実現されなかったのは、財源がなかったからではなく、官僚と癒着した民主党の裏切り者がクーデターを起こしたからだ。

11/30の党首討論会の中で最も衝撃的だったのは、安倍晋三の靖国参拝発言と従軍慰安婦の問題に関する発言である。この件について、実際の質問と応答について、詳しく報じた夜のテレビ報道はない。中身があまりに露骨で過激で、とてもニュース番組のコンテンツに使えなかったという事情もあるだろうし、NHKを含む自民党応援団の保守マスコミとしては、安倍晋三の発言で物議を醸して、自民党批判が高まるのを恐れたのが理由だろう。もし、NHKの夜7時のニュースで、あの発言の始終を流していれば、それをKBSが取り上げ、韓国国内は騒然たる状況になっていたのではないかと想像される。安倍晋三自身は、むしろそれを狙い、韓国の報道と世論からの反発を釣り上げるのが狙いで、あのような、右翼集会の場で言うような話を並べたのかもしれない。石原慎太郎が中国を挑発して反日デモを惹起させた「成功例」を倣って、韓国からの安倍批判の渦を起こさせ、それを材料にして保守票をさらに掘り起こし、選挙の追い風にしようと企んだ可能性がある。東郷和彦が「世界」12月号に「私たちはどのような日韓関係を残したいのか - 普遍的人権問題としての慰安婦制度」と題した記事を寄せていて、そこで、次のような警告を発している。「日本政府の対応如何、特に、選挙により自民党新政権ができた場合の対応如何によっては、この問題は日韓二国間問題を越え、米国を始めとする欧米諸国と日本との間に計り知れない深刻な対立を引き起こす可能性がある」。

「しかも、この問題が国際的に如何に大きな火種を有しているかが、日本国内ではまったくと言っていいほど報道されていない。この問題を受け止める世界の大勢が、日本国内とはまったく別の視点でこの問題を見るようになっている」。産経文化人の保守論客による良識ある正論だ。日本記者クラブ主催の選挙の党首討論会で、テレビで全国放送される中、公党の党首から、しかも選挙で第一党を予想されている政党の党首から、あのような常軌を逸したグロテスクな右翼発言が飛び出すとは思わなかったし、そのような時代に生きることになるとは思わなかった。悪い夢を見ているようだ。選挙中の発言・公約の中でも、マスコミに最も重視されて記憶され、後で検証に照会されることの多い、公示前の記者クラブ主催の党首討論会で明言した以上、4月の例大祭には必ず靖国参拝をするだろうし、しなければ右翼系の支持層から厳しく糾弾される羽目になる。憲法改定も同様で、この選挙で改憲慎重の民意が示されなければ、安倍晋三は石原・橋下と肩を組み、怒濤の勢いで集団的自衛権と9条改悪へと突き進むことだろう。解散から3週間以上経ち、改憲への空気は熱せられているのに、護憲派の市民団体からは全く声が上がらない。左翼系はどれも都知事選の応援で多忙らしく、衆院選など二の次という雰囲気で群れ会っている。田中優子がサンデーモーニングで何か言うかと期待していたが、このところ出演する機会すらない。で、相変わらず、社民と共産が、互いの発言時間を奪い取るように割り込み合い、「私たちは反対です」「反対ですう」の一般論を言っている。

マスコミが演出した少数異端の立場の役を、万年一日の常套句で繰り返し、緊張感のない弛緩した表情と紋切り型の口調で、視聴者に対して、「世間の多数派に立ちたければ9条改悪に賛成しなさい」というメッセージの発信に一役買っている。「私たちは反対です」(志位)と言うのだから、視聴者は自動的に、「あなたたちとは思想的立場の違う私は賛成です」となり、改憲容認の世論が多数となる環境が固まる仕組みだ。マスコミの思うツボだが、身内の票しか意識せず、狭い支持層を票固めする動機だけでテレビに出ている志位和夫と福島瑞穂は、マスコミの戦略に乗って、護憲の説得に共鳴する範囲を小さく小さくシュリンクさせて行く。小森陽一とか、高橋哲哉とか、西谷修とか、辺見庸とか、一言も何も言わないが、いいのだろうか。大江健三郎とか、澤地久枝とか、坂本義和とか、和田春樹とか、ここで意見を言わなくていいのだろうか。本当に改憲が問われる選挙が行われているのだろうかと、こちらが不思議な気分にって仕方がない。


by thessalonike5 | 2012-12-03 23:30 | Trackback | Comments(0)
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