2011年新春放談~二痴人の武芸よもやま話/(武術・武道)
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- 2011/01/04(Tue) -
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■ちょっと回想
「さて、ついに平成も23年、21世紀も丸10年が過ぎたということで、新年恒例の新春放談なわけだが、オレがいろいろ話を聞いてやろう。で、どうよ最近、市村センセイ」 「どうよ最近とざっくり聞かれても、なんとも答えようがねえじゃねえか。というか、お前に『センセイ』と呼ばれると、ちょっとイラッとするが、ま、いいだろう。具体的にカモーンだ」 「去年はあんまり、他流の武術ネタが少なかったじゃねえの」 「それはブログにも書いたけども、一昨年まではうちも新参者の武術団体ということで、気負った部分もあったわけだ。それが、会の形も安定してきたということで、わざわざよそ様をクサすよりも、粛々と稽古しようということになったわけ」 「ふ~ん。その気負った部分というのは具体的にはどういうことなのさ」 「まあ、あんまり細かいことを書くと、いろいろと波風が立つのでなんだがね。そもそもうちの稽古会の成り立ちそのものが、ちょっとしたいわくつきでさ。特に翠月庵になる前の段階での紆余曲折では、以前の代表者の関係で、複数の団体と滑った転んだがあったりさ。なにしろ開設からわずか2年間で、道場主が3人も代わったんだから」 「その3人目があんただと」 「そういうこと。そんなこんなで、一昨年くらいまでは、そういう因縁を引きずっているところがあったわけだけれども、昨年あたりから、ようやくうちはうちの独自の路線が決まってきて、それに伴って、定期的に稽古に来る会員さんも増えてきて、まあよそ様にとやかく言うよりも、自分らの稽古に忙しくなったというわけさ」 「なるほどね」 ■武術徒然草その1~ちょっと上達している・・・かもしれない噂の「魔剣」(笑) 「とはいえ、あんたの毒のある他流批判が読みたいっていう人も、オレの周りには結構いるんだがねえ」 「そういう話は、N野S也さんに任せた!」 「たしかに。で、去年の武術界ネタはどうよ」 「そうさなあ~、って、結局、オレが語るのかい」 「語りたいくせに」 「む~ん、そうまで言うなら、ネタはいくつか無いでもないな。まず第一は、『魔剣』だな」 「おー! いきなり古代帝国軍の万師露観かよ」 「あんたも古いなあ。最近は、伯壬旭(はくじんきょく)と名のっとるらしい」 「でもさ、ザインの『魔剣』は、割合前からあるネタだろう」 「そう、オレのところにも2~3年前から『あれって何なんですか?』という問い合わせがあったりしたよ。で、あれは元セックス教団のカルトの新ネタですって、答えていたんだが」 「で、それがなぜ新しいネタなんだ。単なる模造刀を振り回すチャンバラ集団なんだろ」 「それがさ、2~3年前までは確かに、時代祭りの寸劇みたいなレベルのチャンバラ集団だったのがさ…、驚くなよ。最近、ちょっと上手くなってきてんだよ(笑)」 「上達している!?」 「あれは多分、他流を多少は稽古したような人が途中で入って、レベルの底上げをしたんだろうな。だから最近、なんとな~く、武術っぽくなってきてるんだよね。ちょっと見は(笑)」 「う~む、さすが銀河の悪魔戦争に勝ち抜いてきただけのことはあるな」 「数年前は、ぐるぐる集団で輪になって回りながら、でれ~っと刀を振り回していたのがさ、最近の動画を見ると、相手の正面斬りを添え手の太刀で受けて、入り身して鎬ですり込みながら喉突いたりしてるんだぜ」 「お~、ちょと本格っぽい」 「まあ、昔と違ってネットでも動画で他流の形や演武がいくらでも見られる時代だから。創作流儀でも、素養のある者がそれなりに一生懸命他流を研究して、時間をかけて稽古をすれば、それなりの業前になることも不可能ではないわけだ。また、創作流儀は問題でもなんでもない。うちだって、創作手裏剣術なんだから。そういう意味ではいいんだけども、なにしろあそこは、根本的に破壊的宗教カルトなことが問題なわけさ」 「半端に武術っぽくなっているだけに・・・」 「そう。だから武術・武道の知識のない素人さんが、誤ってはまっちゃうと、たいへんだなあということ」 「しかしオレは、個人的にはぜひ1度、鉄(くろがね)つるぎ様や白銀(しろがね)ひびき様のセクシー演武が見てみたい。でれば個人指導も・・・」 「そんじゃあオレは、手裏剣と差料に、軍師の気でも『チャージ』でもしてもらうかなあ・・・」 「いやまったく、カルトはコワイねえ(笑)」 ■武術徒然草その2~カルト武道の剣術批判 「カルトといえば、やっぱり最近の注目度ナンバー1は、うわさのブログ『心に青雲』だろう」 「う~ん、あれは最近、空手界でも『あまりにひどい』と噂になっとるねえ」 「武術界だけではなく、疑似科学や偽医療などを厳しく批判している医師や科学関係者からも、『武道系電波ブログ』として名指しにされているくらいだからね」 「医者も怒っているんだ」 「怒っているというより、呆れているというのが実情だね。なんてったって、子宮頸がんが毛糸のパンツで予防できるとか、母乳で牛の遺伝子が赤ちゃんに遺伝するとか、エイズがユダヤの陰謀だとか、もう何から何まで電波ゆんゆんなんだもの」 「しかもそれが、空手の道場の師範だと・・・」 「子供の生徒さんとかいなければいいけどねえ。まさか、地域にある町道場の空手のセンセイが、標準医療全否定のユダヤ陰謀論者で、乳がん検診のためのマンモグラフィーは、がん患者を増やすための製薬会社=その背後のフリーメイソンの陰謀・・・、とか心の底から信じている人だとは思いもよらないだろうしな」 「そういえば、心に青雲センセイは、剣術にもケチつけてたみたいだな」 「剣術にもというか、あそこは会派自体が、昔から他流をクサして自流をアピールする傾向があるから。で、剣術批判も読んだけど、まあ、無茶苦茶だよね」 「留め太刀はありえないだっけ」 「そう、『本気で相手を殺す気で切り掛かった太刀は、途中で止められない』んだそうな・・・。んなこたあない!って、タモリに突っ込んでもらいたいわな(笑)」 「で、青雲センセイは剣術は?」 「さあ、分からないけど、少なくとも、あのブログを読む限りは、まともな稽古はしたことがないのだろうね。ただ、あそこは空手の会なのに、『我が流派の最高指導者』様が創作した独自の剣術とか居合があるらしいから」 「どんな居合や剣術なのよ」 「う~ん、オレも動画でみただけだからなんとも言えないけども・・・」 「言えないけども?」 「だって、留め太刀ができないんだぜ・・・」 「だよな・・・・」 「まあ、あそこはとにかく空手でも、『力んで、力いっぱい』が原則らしいし。表情まで、力まなきゃだめらしいからな(笑)」 「あと、『人が斬れる重量の刀を毎日振っていたら、鍼灸院に通わないかぎり続けられないと書いたでしょう。仮に10年練習したら、カタワになるんです。そのレベルの研鑽を50年続けたわが流派の最高指導者がおっしゃっているんですよ』ってのも爆笑だよな」 「そもそも、人が斬れる重量の刀ってなんだと? 重さ何グラムからが、人が斬れるのか、ぜひ聞いてみたいものだ。たぶん、浅く勝つとか、深く勝つとか、乗るとか、伝統的な剣術特有の勝口を知らないんだろうね、この人は。あと刀はすべて、がっちり打ち合うものだと思ってるんだろうな。だから軽い=重ねが厚くないと折れる=だから使えないとか思っちゃうわけだ。まあ、ようするに、剣術の理解レベルが横丁の時代劇ファン程度なんだよ、このセンセイは」 「それが、剣術家を全否定と」 「なにしろ青雲センセイに言わせると、黒田先生や大竹先生でさえも『ダメ』らしいからね。『我が流派の最高指導者』・・・つうか、ようはある種の世代の武術・武道家には有名な、かの南郷センセイにはかなわないらしい」 「まあ、自分とこの師匠を讃えるのは、この世界の常道だけども・・・、『我が流派の最高指導者』とかいうあたり、どこぞの国の主体思想のようなこうばしい香りが・・・」 「あの世代特有のね(笑)。さらに秀逸なのがこの一文。『真剣は片手で振り回せるものではない。とにかく重いのだ。だから、例えば袈裟切り、右上段から左下段へ斜めに斬り降ろすとして、このとき左足が前方に出た形で斬ると、空振りしたらまず自分の足を斬ってしまいかねない。重くて、途中で思った所で止めることができないのだ』だそうな・・・」 「左半身の袈裟斬りで、ひざを切っちゃう? どんなレベルだよ(笑)。つうかこれって、戦中の試し切りのエピソードかなんかだよな」 「つまり、そのレベルの空手屋さんが、上から目線で剣術を批判して語っちゃってるわけよ」 「なるほどねえ・・・。青雲センセイ、『古武道がなんぼのもんじゃい、と一言でかたづけられますけれど……』とブログで宣言しているんだよな」 「まあオレに言わせりゃあ、『空手風創作抜刀術もどきがなんぼものもんじゃい、と一言でかたづけられますけれど・・・』つうことだな(笑)」 ■標準医療と偽医療、そして破壊的カルトになりかねない武術・武道集団の危険性 「それにつけても青雲センセイは、なにかと現代の医療を否定したがってるみたいな」 「なんでだろうねえ・・・。コンプレックスがあるんだろうな、医者とか科学者とかに。あと、これはくだんのセンセイだけではないけれども、武術・武道というのは体系として、根源的には養生術的な部分も含まれるから、偽医療や民間療法、代替医療といったものに対しては、じつは親和性が高いんだよ」 「玄米菜食とかやっている武術・武道人も少なくないもんな」 「でもさ、玄米が完全栄養食とかいうけど、ビタミン不足で不健康になっている人がいっぱいいるわけさ」 「ベジタリアンはだめってこと?」 「そうじゃあない。必要な栄養は、適切に摂るべきだってことさ。オレは代替医療や民間療法を全部否定するつもりはないんだよ。あくまでも現代の標準医療の補完としては、有効性がゼロだとは言わない。けれども問題は、日本における代替医療の本質が、標準医療の否定にあることなんだよね」 「補完ではなく、否定だと」 「そう。だから乳児に必要なビタミンkの投与を、典型的な偽医療であるホメオパシーに感化された助産師が、意図的にしないで、結果としてこどもが死んでしまったりするわけ」 「それって、ある種の幼児虐待だよな」 「そこなんだよ。代替医療による標準医療の否定は、結果として、医療ネグレクトにつながる! ここが大きな問題なのさ」 「でもさ、子供は親は選べないわけで、その親が、ホメオパシーや千島学説や、なんでも治る超ミネラル水なんかを信じていたら、子供はどうしようもないわな・・・」 「だからこそ、生きていくための教養の底上げとしての、義務教育の大切さがあるわけさ。それこそ総合的な学習の時間で、山本弘さんあたりを講師に呼んで、疑似科学や超能力、心霊現象や偽医療の嘘を解明する講演会を開催するぐらいの器量が、学校にはほしいよね」 「そういう親子のめぐり合わせっていうのは、武術・武道も同じだな」 「最初にどんな師、どんな流儀・会派について学ぶかで、その人の武術・武道人生のかなりの部分が決まるのは確かだよね」 「なにも知らずに、最初にかかわるのが魔剣や青雲センセイとかだった人は・・・」 「かわいそうだよな。魔剣や青雲センセイの問題は、武術・武道が上手いとか下手とかいうレベルではなくて、どちらもその言説や行動を見る限り、その独善性や排他性が、破壊的カルトに限りなく近いということなんだよ。だからこそ、その危険性を、こんな地味~なブログでもささやかに告発するのは、偽医療批判や疑似科学批判と同じ、社会的な使命のひとつだとオレは思っているし、だからこそ今回は、魔剣も『心に青雲』も、あえて伏字ではなく実名で話しているわけさ」 「それはあんたの本職である、医療記者としての使命感かね?」 「いや、それ以前に、武術と武道を愛するひとりの修行者としての節義だよ、社会に対する。武術や武道を愛するたくさんの人が、魔剣や青雲センセイの同類と思われては、たまったもんじゃあないからさ」 「たしかに、『生まれながらの病気や障害は、すべて親の生活習慣が原因』と断言するような武道のセンセイの所に、自分の子供を通わせたい親はいないわな」 「病気や障害の原因を、全て生活習慣に帰結させる青雲センセイのような偏った標準医療否定の思想は、結果として、優生学的な差別思想につながるのさ。そういう危険性をもつ人物が、武道の稽古で多少なりとも腕力をもってしまうこと自体、地域社会にとっては有益なことではないよね。ましてや『乳がん検診は、ユダヤの陰謀』とか本気で信じている狂信的な人物が、センセイと呼ばれて地域社会の中で他人を指導している・・・。これがもっとも恐ろしいことだよ」 ■現代手裏剣術の潮流 「なんだか、ネタというより、深刻な話になっちまったねえ」 「まあ、そうはいっても、地域で活躍する武術・武道の指導者や稽古者の多くは、ごくまともな社会性を持った、良き市民であることがほとんどなんだから、そんなに深刻になることはないさ」 「だよな」 「中学校の授業での武道必修化でも、各界の先生方、指導者のみなさんが、地域ごとに工夫をこらして、武道の素晴らしさを子供たちに伝えようとがんばっているんだから」 「そういうところを、市村センセイも目指していると?」 「とんでもない。オレが言うのもなんだが、そもそも手裏剣術なんてものは、武芸十八般のひとつとはいっても、実際は、併習武芸、外之物なわけで、武術界のあだ花なんだよ。だからこそ、なにやら秘密めいていたり、無意味に実戦的に思えたり、忍者的だったりするわけ」 「そう、結局、”忍者”だもんなあ(笑)」 「けれども、あだ花だけに、うちのような新参の創作現代手裏剣術でも、なんらかの役割を果たすことができるわけだ。これが剣術や柔術だったら、400年の歴史で研究しつくされて、新たな発見をするような余地もないし、そんなすごい才能もオレにはないし。ところが手裏剣術の場合、あだ花でかかわる人も、昔から少ないだけに、オレたちのような新参者でも、研究し、創作すべきことがまだある。いや、あるのではないかと思っているわけさ」 「それが、あんたにとっては刀法併用手裏剣術だと」 「そういうことになるね。例えば、成瀬関次師は名著『手裏剣』の中で、剣術と手裏剣術の併用は、それぞれを稽古すれば良いだけなので、ことさら難しいことはない・・・、というようなことを書いている。ところが、実際に剣術や居合・抜刀術と手裏剣術を併用して稽古をしてみれば、それがどれだけ難しいことかが、身にしみて感じられるわけさ」 「技術的に?」 「もちろん技術的にも、心法的にも。手裏剣を打つ→抜刀して斬る、あるいは抜刀して斬る→手裏剣を打つ、どちうらの場合にも、まったく異なる運動原理を駆使しつつ、立体的な間合の攻防をしながら、位を作らねばならない。そういうレベルは、手裏剣だけ、やっとうだけの稽古では、絶対に達せないんだよ」 「1+1ではなく、1×1ということか」 「そう。だから、日本の手裏剣術稽古者で、剣術や居合・抜刀術と手裏剣術を併用した稽古を、きちんとやっている流儀・会派がどれくらいあるのか? ましてや斬りの稽古(試斬)も含めて実践しているところがどれくらいあるのか? ということだよ」 「それは、あんたのとこだけと?」 「おいおい、オレはそんなに傲慢じゃないって(笑)。個人の武術・武道家で、やっとうや体術と手裏剣術を組み合わせて稽古している人は、じつは結構いるだろうし、かなり高いレベルで実践されている人もいる。また根岸流には刀術組み込み形があるし、藤田西湖師のお弟子筋の方は刀法併用手裏剣術を稽古されてきた方がいるはずだしね。ただ、それが手裏剣術界では、マジョリティではないということさ」 「というわけで、やっとうと手裏剣をあわせた業を稽古したいなら、あんたのところに来いということで、落ちかい?」 「いやいや、これもどこかで書いたけれども、現状では、意図的に稽古会に参加する人を増やすつもりはないんだよ。もちろん、いまでも参加者は常時募集しているけどね」 「拡大路線ではないと」 「最近思うのは、正直、オレ自身が、果たして人様に手裏剣術を教えるような業前なのか疑問なのさ、マジで。今の会員さんたちには申し訳ないかもしれないけれども。冒頭の回想に戻るけれども、そもそもオレの場合、成り行きで移転した稽古会の代表を任されたことからはじまり、気が付けば二階に上がって階段をはずされたように、会が分裂して今の翠月庵を、ひとりで切り盛りしなければならなくなって、今に至るわけ。一方で手裏剣術の世界を見渡せば、オレは関西方面のことはあまり知らないけれども、例えば関東周辺だけでも、手裏剣術の流儀・会派・稽古会は意外にたくさんあるんだよ。古流では根岸流があるし、古流~現代の中間流派では明府真影流がある。現代流派では無冥流をはじめ、手裏剣普及協会や八角流も有名だよね。和伝流なんかも、去年は新聞記事になってたし」 「結構あるんだねえ」 「そういう中で、うちのような手裏剣界的にはぽっと出の若いのが、何すんの? ってことよ。そういう意味で、人増やしてとかいってる場合じゃあねえだろうと。今は、まずは自分の業前を上げること。そして現在、稽古に来てくれる会員のみなさんの技量を上げること。これで、正直、いっぱいいっぱいってところなのさ」 「あんたにしちゃあ、めずらしく殊勝なもの言いだねえ(笑)」 「本気さ。だって考えてみなよ。そもそも江戸時代からすでにあだ花だった手裏剣術なんてものがさ、いまこうやって多少なりとも稽古されて、武術・武道界でも多少は認知されているのは、先人たちの努力の賜物なわけよ。もっと具体的に言えば、ここ数年来のごくささやかな手裏剣術の認知と普及は、まず戦前からの根岸流のネームバリューがあって、その流れの先に、90年代の終わりから2000年代のはじめくらいに、武術稽古研究家の甲野さんが火をつけてたものでさ。そこから改めて手裏剣術界全体を大きく牽引したのは、まちがいなく明府真影流だよ。そういう意味で、現在の手裏剣術界に、明府の大塚現宗家が果たした役割は、圧倒的に大きい。一方でこの同時期に、明府が手裏剣術界のカードの表であるならば、現代手裏剣術である八角流と無冥流がある種カードの裏側として、いかにも手裏剣術らしい、ちょっとダークと言えるような武術的魅力を発揮し、武術・武道界の通人たちの評価をさらに高めてきた。これが2000年以降の関東の現代手裏剣術界の大筋の流れだと思う。一方で、こうした武術的手裏剣術の流れとは別に、忍者系の手裏剣術の系譜もある。初見さんのとことか、ある意味では手裏剣普及協会なんかも、こうした忍者系の手裏剣団体の流れと言えるかもしれないね」 「そして関西や九州方面にも、手裏剣術の流れがあると」 「オレは、あっちの方の事情はあまり知らないけどね。法典流とか十三棋道館とか、有名だよな。あと、ここ数年来の手裏剣界の流れに乗って、手裏剣術を前面に押し出したのは、西郷派大東流かな(笑)」 「あの、おっかなそうな重量剣ね」 「でもあそこは、本当に打って、抜刀して、斬って稽古しているのだから、その稽古に対する姿勢は評価できると思うよ。伝系の問題はさておきね」 「ただ、あそこも思想的にはだいぶ・・・」 「青雲センセイのところっぽいんだよな(笑)」 ■まずは己の業前を・・・ 「ただ、一時の手裏剣ブームも、ちょっと落ち着いたような感じかねえ」 「そうだねえ。つまるところ手裏剣術って、結局は地味~な武術だからなあ。基本は的に向かって、淡々と打つだけだし。形も組手も、競技も大会もないしね。やる人にとっては、カタルシスがないんだと思う。唯一あるとすれば、距離が伸びることと、演武くらいだから」 「しかも、難しい」 「そう。うちは無冥流の重心理論を基礎にしているから、入会初日から三間で打たせるし、だいたいひょろひょろの打剣だけど初日から1~2本は刺さるわけ。自分で言うのもなんだけれど、これは画期的なことなんだけれども、実際には武術として通用するような打剣を習得するには、やっぱり数年間はかかるわけさ。威力、スピード、距離はもちろん、これは他の手裏剣術家はほとんど指摘しないけれども、『先』や『拍子』、『間積もり』、『位』を学ばないと武術として役にたたないのだから。けれども既存の手裏剣術には、これらを学ぶためのメソッドがほとんどない」 「なんで?」 「そもそも、併習が前提だからさ。剣術や居合・抜刀術、柔術など、一通りできていることを前提に、手裏剣術がある。だから、位も先も、拍子も間積もりも、それらの剣術や柔術などの稽古を通して、習得できているのが前提なわけだ」 「ところが現代では、手裏剣をやる人は手裏剣の稽古しかやらないと」 「そうなると、的は走ったり、殴り返したり、よけたりしないから、ただ的に手裏剣を打つだけでは、先や拍子など、学べるわけがないんだよ」 「巻き藁しか斬らない、居合・抜刀術家と同じなわけだ」 「ご明察。やっぱり居合や抜刀術でもさ、撓で撃剣の稽古をしろとはいわないけれども、組太刀くらいはやらないと、先や拍子は学べないからね」 「じゃあ現代の手裏剣術家はどうすればいい?」 「剣術や剣道、居合や抜刀術、柔道・柔術、空手や拳法など、なんでもいいから対人攻防のある他流を併習すること! これにつきるよ。それができないのであれば、例えばうちのように、ごく基礎的・初歩的でいいから、なんらかの対人攻防の武術的稽古を導入すべきだ」 「じゃあ、模擬手裏剣で打ち合いをすればいいじゃん」 「いや、オレ個人は、今のところ、模擬手裏剣を使った打ちっこについては否定的な立場なんだ」 「なんで?」 「ただの雪合戦になっちゃう可能性が大だから」 「う~む」 「だったら独習でいいから、教本と木太刀を買ってきて、日本剣道形を稽古した方が、はるかに武術的な対人稽古になると思う。あるいは古流の形をビデオや動画で見て、真似てみてもいい。おそらく、模擬手裏剣の打ち合いは、当事者がかなり武術的に高度な視点をもって慎重に行わないと、必ず単なる雪合戦やドッチボールになってしまうだろうね。それはそれで、投擲武術としての印字打ちの稽古ならいいんだろうけれども、本来の立ち位置として剣術の裏芸であるべき手裏剣術の稽古としては、かなりきわどいものになるだろう」 「まあ、どんな武道でも、自由攻防はルールに規定されて、それに特化した形に変貌するのが宿命だからなあ」 「手裏剣の打ちっこは、それがより顕著になるんじゃないかな。だったら、剣術や体術を併行して学んで、先や拍子を学んだほうが、武術・武道的には、有意義だと思うんだよ」 「その辺りの構造も、手裏剣術は未完成かつ未成熟なんだな」 「だからこそ、オレのような手裏剣術界的には新参者の若造でも、新しく有意義な何かを切り開き、創造できるかもしれないんだよ」 「なるほどね。ま、ちょうどいい落ちだな」 「というわけで、今年はまず、自分自身と会員諸子のレベルアップ。翠月庵の目標は、これに尽きるということ」 「了解。ま、今年もがんばってちょうだいよ」 「そんじゃまあしめっつうことで、年頭に一句。『かくすればかくなるものと知りながら、已むに已まれぬ大和魂(吉田松陰)』」 (おしまい) 参考URL ■青雲センセイの妄言に対する、医師からのマトモな批判 「心に青雲」ステキ語録 - NATROMの日記 http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20081011 母乳で伝わる遺伝子/南郷継正氏/空手道玄和会 - NATROMの日記 http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20071009 ■ザイン問題に関する、内部告発 ザイン帝國の真実 http://www.zynekiller.net/ |
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