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【政治】

未来の党 飯田代表代行に聞く 脱原発 政治と市民つなぐ

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 「卒原発」を掲げて結党した日本未来の党(代表・嘉田(かだ)由紀子滋賀県知事)の飯田哲也代表代行は本紙のインタビューで、結党までの経緯や原発ゼロに向けての道筋などを語った。(聞き手・岩崎健太朗、宮尾幹成)

 −新党の準備は、どのように進んだのか。

 「『脱原発』で一票投じられるような政治が必要だという市民側の動きがあった。一方で政治家の側にも脱原発『オリーブの木』を模索する動きがあった。その間を嘉田さんと私がつなごうとした」

 −脱原発を求める市民と政治がつながったと。

 「民主党政権からは言葉でごまかす『原発ゼロ』政策が出た。自民党は安倍晋三さんが総裁になり明らかに原発維持に戻る流れが出た。日本維新の会の橋下徹さんも、石原慎太郎さんの太陽の党とくっついて原発推進勢力になった。こちら側のまとまりが、ますます必要だと感じた」

 −決断したのはいつか。十一月二十四日に嘉田氏が国民の生活が第一を率いていた小沢一郎氏と会談したそうだが。

 「その日に、大枠は決まった。しかし、嘉田さんは県庁や県議会関係者、支援者らから反対され悩んでいた。最後の最後の決断は記者会見で結党を発表した二十七日当日。朝、私が『ここまで来たら突っ込みましょう』とメールで背中を押した」

 −嘉田氏は「二〇二二年の原発ゼロ」と踏み込んでいる。

 「原発稼働ゼロから出発して、本物のゼロに持って行くカリキュラムをつくるのが『卒原発』。十年後どころか、できることなら、このままゼロだ」

 −具体的な道筋は。

 「関西電力大飯原発(福井県おおい町)を動かしながら活断層調査をするのは安全神話そのもの。今の原子力規制委員会では、まともな安全基準ができそうにない。まだ国会同意していないので人事を見直す。基準を見直してバックフィット(再適用)すれば、全国五十基のうち二十基は止まる。さらに原子力損害賠償や使用済み核燃料の総量規制の問題。これらを全部テーブルに出して議論していけば、そのまま限りなく原発ゼロになる」

 −未来の党は、事実上の小沢新党との指摘がある。

 「今回の結集は、小沢さんが身を捨てて、すべて嘉田さんに委ねるところから初めて実現した。潔い人だと思った。そんなに心配していない」

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<オリーブの木> 1996年のイタリア総選挙で勝利し、連立政権を発足させた中道左派連合の名称。以降、複数の政党が(1)政権の枠組み(2)任期中に実行する政策(3)首相候補−で合意し、候補者も調整し一つの枠組みとして選挙を戦う方式として知られるようになった。日本では98年に民主党代表だった菅直人氏が提唱。小沢一郎氏も民主党離党後、脱原発や消費税増税反対を旗印にした連携を模索していた。

 

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