キリストガイドと「こだまなくらし」
兄からの伝言・5
キリストガイドと共に・・・その2
録音準備中
キリストガイドと共に・その1より続き・・・
さて・・・「もしも、あなたが目覚めたければ」・・・
あなたは「悩んでいても完全なんだ」と
自分を無条件で受け容れることを始めた方がいいだろう
それには、悩んでいることを
無条件で・・・そのまま・・・ただ・・・許すのだ
そして思いきって無責任になって、悩むのを・・・
無条件で・・・そのまま・・・ただ・・・やめるのだ
「もしも、あなたが目覚めたければ」(以下省略)・・・
あなたは自分を無条件で愛することを始めた方がいいだろう
それには、「自分を嫌っていても完全なんだ」と受け容れて
自分を嫌っているのを
無条件で・・・そのまま・・・ただ・・・許すのだ
そして思いきって無鉄砲になって、自分を嫌うのを・・・
無条件で・・・そのまま・・・ただ・・・やめるのだ
・・・するとやがては、自分自身への「無条件の愛」を感じて、
「バカバカしい、悩んでなんかいられないや」・・・と思うだろう
そうしたら・・・「あなたが悩むこと」「あなたが自分を嫌うこと」
・・・このどちらにも、あなたを「実相正気」に向かわせない為に
「自己攻性防壁」が働いていた・・・ということが、やがて見えてもくるだろう
さて・・・ここでの鍵は無条件だ
この無条件は・・・「こだまなくらし」で伝えてきた
「ただ・・・やる」「ただ・・・決める」「ただ・・・手放す」などの
「ただ」・・・のことなんだよ
他にも、「そのまま」や「在りのまま」・・・などと、色々に表現して来た
この無条件には「自己攻性防壁」は入り込むスキがない
故に・・・「無条件の許し」や「無条件の愛」には
「自己攻性防壁」は入り込むスキがない
「無条件の感謝」や「無条件の自由」や「無条件の喜び」にも
「自己攻性防壁」が入り込むスキがない
それが、いま何もなくても「感謝することが大切だ」・・・といわれるゆえんだ
それはコトバを変えれば無条件感謝・・・ということになるんだよ
では何故・・・無条件には「自己攻性防壁」が入り込むスキがない・・のか?
説明するよ・・・無条件は実相正気の在り方・・・といえる
一方・・・「条件」は妄想狂気の在り方・・・といえる
この「無条件」は父(実相)の在り方と全く同じなんだよ
父(実相)の「無条件」は完全なので
それは・・・「実相の完全なる無条件」といえる
またそれは・・・いま・ここ・完全・全ては我
・・・ということにもなるんだよ
・・・だが・・・「自己攻性防壁」は、
全ての幻想を・・「条件」によって強化し続けている
・・・では、この「条件」によって強化された幻想のことを、
「条件強化幻想」・・・と言うことにしよう
「自己攻性防壁」は、この「条件強化幻想」によって
・・・あなたを年がら年中
いま・ここ・完全・全ては我・・・でいられなくさせている
だが、あなたが・・・この「条件強化幻想」に取り合わないで
自分自身を含む全てに対して・・・無条件さを選択するとき・・・
あなたは「実相の完全なる無条件」へと向かい始めるので
「自己攻性防壁」は入り込むスキがなくなるんだよ
そしてあなたは、少しずつ良い気分になり
「実相の完全なる無条件」を感じることが出来るんだよ
あなたは、これまで・・・この「自己攻性防壁」の「条件強化幻想」によって、
色んなことで悩んだり、自分を嫌ったりしていた
だがそんな時には、・・・もしも悩みがあっても
・・・もしも自分を好きになれなくても・・・
それらを何とかしてから、あるいはそれらが何とかなってから幸せを感じようとか、
それらが何とかならない限り、自分は幸せを感じられるわけがない・・・なぁんて
自分で自分に「条件」をたっぷり出して、「条件のてんこ盛り」をしては
「条件強化幻想」の、更なる・・・更なる・・・更なる・・・強化なんかしてないで
まずは、自分自身に対して
父(実相)の在り方と同じ完全なる無条件で接することだ
そのためには・・・思いきって無責任や無鉄砲なノーテンキやろうになって
悩みがあっても、完全なる無条件で「これでいいのだ〜」・・・と
自分を丸ごと受け容れ、何故か幸せを感じてるノータリン
自分を好きになれなくても、完全なる無条件で「これでいいのだ〜」・・・と
自分を丸ごと受け容れ、何故か幸せを感じてるアンポンタン
になっちまえ〜・・・ってことさ
まじめな話・・・それが、妄想狂気から出て実相正気に還る方法なんだからね
だって、そうなるだろ・・・
自分自身に対して、父(実相)と全く同じ
・・・「実相の完全なる無条件」で在ることは
いま・ここ・完全・全ては我
・・・となって、この「いま瞬間」に「再統合」を選んだことになるんだよ・・・
あのね、言っとくけど・・・「再統合」はもとから成されていて
あなたが父(実相)と離れることは在り得ないんだよ
あなたは、ただ単に・・・
自分自身を含む全てに対して抵抗や執着することで・・・
「知覚の移行」による分離という妄想体験を
頑張って・・・一生懸命・・・維持し続けている・・・というだけのことなんだ
故に、「再統合か」・・・「分離か」・・・は
一瞬ごとの「いま瞬間」に、あなたが選び続けているんだよ
それに・・・第一・・・「それらを何とかしてから、
それらが何とかなってから幸せを感じよう」
・・・と言うのは全くのあべこべだろ・・・
まず先に・・・幸せを感じていたら、
やがて・・・それらが何とか出来たり、何とかなるんだろ
これまでも、いろんな所で・・・いろんな形で・・・
ずっと伝えてきたのだから、きっともうわかるはずだよ
だが・・・そんな全くのあべこべに気付けないくらい
「自己攻性防壁」の「条件強化幻想」にやられて
妄想狂気に入り込んでしまっているんだよ
・・・そして、思いっ切り逆走していた・・・
思・いっ・切・り・逆・走・し・て・い・た・んだよ!
あなたたちはみな、いつも自分にたくさんの条件を付けている
もちろん、他人や世界の全てに対しても「条件のてんこ盛り」だ
だが、「条件てんこ盛り」のままでは
父(実相)の無条件さと離れるばかりなんだよ
・・・そして、その「分離感」によって「知覚の移行」による妄想狂気を
維持し続けるばかりなんだよ
だから・・・まず始めは、自分自身に対しての条件付けをやめてゆくことだ
そしてやがては、その無条件さを他へと広げてゆく・・・
しかし、まずは・・・自分自身への「清き一票」が無ければ、
他への無条件など不可能に近いだろう
そして、自分自身への「清き一票」は、あなたが入れるしかないんだよ
あなたたちはみな・・・「ここが引っ込んでいたら・あそこが出ていたら・
あっちが短かったら・こっちが長かったら」・・・などといった
自分のカラダに対することから始まって
「こうなら、ああなら、あれなら、それなら」・・・なぁんて言っては、
いつも自分への「ダメ出し」と「条件付け」とで大忙しだ
いいかい・・・それはね、自分自身に対して
「わたしは、これこれが整ったら100%幸せを感じることにしよう、
それまでは頑張って幸せな気分を遠ざけて、絶対に幸せを感じないようにしておくぞ、
まあ、10%くらいは感じるのを許すかもしれないが・・・」
・・・なぁんて、日々言っていることになるんだよ
・・・そうやって、「自己攻性防壁」の「条件強化幻想」にやられて
妄想狂気に入り込んでしまっているんだよ
だから、あなたちがみな、実相正気に還るには・・・
無責任・無鉄砲・ノーテンキやろう・ノータリン・アンポンタン
・・・になって、思いっ切り力を抜いてしまえってことさ
無条件が鍵・・・言い換えれば
父の在り方と全く同じ
「実相の完全なる無条件さに在る」
・・・ということがポイントなんだよ
『・・・だから・・・いまのいま・・・
父(実相)に無条件降伏することさ
・・・そして、いまのいま・・・
無条件幸福(無条件に幸福)を感じてごらん
そして・・・それを諦めずに続けてゆくんだよ・・・』
(2番の歌詞・・・途中まで)
指のすき間抜ける砂さ
夢は人の心の色だね
見えない手で 空を指すよ
確かなものに出会える日まで 愛だと気付く日まで
touch my soul
あなたたちはみな、条件だらけの妄想世界の中で
自分の本質の無条件の在り方をどこかで感じ、
また自分の内に、それを感じるからこそ苦しみ、
「何かがおかしい」・・・「真実とは違う気がする」・・・と感じ続けてきた
妄想狂気の中で「こんなのはわたしじゃない」・・・「こんなはずじゃない」・・・
「どうしても受け容れたくない」・・・「何故こんな世界にいるんだ」・・・
「夢ならいいのに」・・・「もういやだ」・・・などと嘆いてきた
同時に・・・自分の本質である内なる実相正気が・・・
「その苦しみはあなたの真実とは違うよ」・・・と告げていたのに
「無条件で自分の真実と感じるものだけを選べばいい」・・・と告げていたのに、
「内に在る真実」を見ようとはしない・・・聞こうとはしないで、
自分自身を含む全てに対して、抵抗や執着することで
思いっ切り逆走していた・・・
思・いっ・切・り・逆・走・し・て・い・た・んだよ!
だが父(実相)は完全なる無条件の愛でただ在り続け、
あなたの見たい夢に、ただ成り続けた
それが父(実相)があなたに与えた・・・
実相の完全なる無条件の・・・自由意志だからだ
さて・・・この「実相の完全なる無条件さ」というのは本当はコトバではなく、
フィーリング・・・あなたが胸の内に感じるひびきなんだ
そしてこのフィーリングは・・・「こだまなくらし」で伝えてきた「源のひびき」と同じだ
「実相の完全なる無条件さ」は、
「父の在り方」であり、あなたの内にずっと在る
あなたはそれをいつでもどこかで感じているからこそ、
条件に対して「いやな気分」になって抵抗しては逆走し
条件のない「いい気分」になると、今度はそれに執着してはまた逆走していたってわけさ
だから・・・あなたの日々の生活の中での
問題や、大変に見えること、めんどくさく感じること、
・・・そんな時は・・・いつでも・・・まずは
「実相の完全なる無条件さ」を感じることが役立つ
・・・それは、あなたが穏やかになったり・・・力を抜いたり・・・
静かにすることで感じられるものなんだよ
だからさぁ・・・幻想のリアルさに騙されて深刻になリそうな時は
まずは・・・鼻歌でも歌ってのんきになって
「条件の上塗り」と「てんこ盛り」を一切止めて
父(実相)の無条件さを感じられるように、
・・・自分自身に対して無条件さを持って接してみなよ・・・ってことなんだよ
どうだい・・・わかったかい?
さて・・・これまでずっと・・・あなたは色んなものに化けてきた
ありとあらゆる思考や論理に化け
ありとあらゆる感情に化け
ありとあらゆる観念に化け
ありとあらゆる条件に化け
死にゆく人間に化けてきた
だが、あなたは思考でも論理でも感情でも観念でも条件でも人間でもない
またイシキそのものというわけでもない
あなたは、それら全てを一瞬毎に現し続けている光であるエネルギーなんだ
そしてイシキすることによって、それらのものをまた現し続けてゆく
そう・・・あなたは色んなものに化けてきたお化けだったんだよ
なんだ・・・いままで気付かなかったのかい?
だってほら、お化けは死な〜ない・病気も何にもない・・・っていうだろ・・・
どうだい・・・それはあなたのホントウのことだと感じないかい?
さて・・・「私はこの世界で何をすればいいのか」・・・と、あなたはいったが、
それも静かになれば見えて来る
もちろん私の答は、「父の在り方」としての
「実相の完全なる無条件」なのだから・・・
「いまのいま、何をしてもしなくてもかんぺきOK」
「いまのいま、やりたいと感じることをなんでもやればいい、
やりたくなければやらなくていい」・・・ということになる
そして・・・あなたが感じる至福感についてゆくことだ
この至福感もまた・・・良い・悪いではない
・・・あなたが感じる「実相の完全なる無条件」のひびきなんだよ
あなたが妄想世界で使ってきた・・・良いと悪いはもう超えてゆくことだ
それによってはかることも、もう止めてゆくことだ
あなたは全てを観念ではかろうとしているよ
だがそれは、思いっきり「自己攻性防壁」の的になっているんだよ
空っぽになるのが恐いように見えても、
それを続けていかなければ何も見えてはこない
それには、思考と論理によってその状態から出て「振り出し」に戻り続けないで
静けさを持続し、父(実相)に委ね続けることを覚えることだ
「まだ・・・」とか「いつになったら・・・」などと言わない
「どうにもならない」とか「なんとかしなくちゃ」などと走り回らない
・・・それでは、あらゆる幻想を使った「自己攻性防壁」の術中にはまってばかりだ
自分で考えるのを止めるのだ
思考と論理に見切りを付け、感じることを始めるんだ
毎朝・毎瞬「わたし一人では何も決めない」・・・と快くいうことだ
完全に目覚めたキリストガイドとの交流を通して、
「唯一のリアル」である、あなた自身の「内成る指針」を感じ、見て、耳を傾け、
「ひらめき」や「ひびき」で生き始めることだ
あなたが「妄想狂気」にいるのは、何もかもを自分なりの定義によって体験しようとした
「実相正気」からの独立宣言のせいなんだよ
だから・・・「自己攻性防壁」は、
「こうやったからこうなった」といった「証拠立て」や「論理立て」を使ったり、
「私が引き寄せた」「俺が成し遂げた」「自分の苦労が実を結んだ」といった
「もっともに見える道理」や「手柄」や「プライド」を使って、
あなたに独立を続けさせようとするだろう
けれど、その罠にはまっていては、いつまでも妄想狂気の原因となった
この「独立宣言」を維持し続けるばかりなんだよ
だからね・・・いいかい、もう自分がやったと言ったり、もう自分だけでやろうとするのもやめて
この「独立宣言」を撤回し、
全同胞団(キリストガイドたち)と組むことだよ
そして、あなたが実相正気に還れば、そこには実相の良いしか在り得ない
この世界であなたがやりたいことも、更にはっきりとするだろう
ジレンマやイミ付けを考えさせるのも「自己攻性防壁」でしかない
どこもかしこも・・・あなたを「実相正気」に向かわせない為に
「自己攻性防壁」が働いている・・・と、もう気付くことだ
だから、ちゃ〜んと覚えておくんだよ・・・
いいかい・・・カンタンにまとめておくよ
これは必ず出る「テスト範囲」だよ・・・
・・・だから、自分で創った「引っ掛け問題」に引っかかるなよ
・・・まあ、テストとは言っても、あなたが創ってあなたが体験することだけどね
それに覚えておいて欲しいことは、たとえ・・・テストに合格しなくても、
あなたは安全だし、完全無欠だ・・・ということだ
たが・・・「もしも、あなたが目覚めたければ」・・・
自作テストの「引っ掛け問題」・・・に引っかからないことだ
私たちは答を教えることはできても、
実際に体験の中で使えるかどうかは、全部あなた次第なんだよ
そして・・・あなたが(この世界では・・・)自分で
・・・(だが、見えない世界では)・・・内成る指針(キリストガイド)と繋がって
幻想に騙されないでやり遂げるしかないんだよ
必ず出る「テスト範囲」・・・
『「自己攻性防壁」は・・・実体のない「幻想の合成物」だ
・・・それは、ホントはない!!!
ない・ない・ない・・・ま〜ったく・な〜んにも・ない!!!
その、ホントはない・・・
「自己攻性防壁」は「条件強化幻想」を使う
・・・それに騙されないで実相正気に還るには
無条件さが鍵
いまのいま・・・父(実相)に無条件降伏して
いまのいま・・・無条件幸福(無条件に幸福)でいる
そして諦めずに続けてゆく』
・・・どうだい、わかったかい、カ〜ンタンだろ?
・・・そして、実相正気へと向かおうとしているあなたたちを助ける為に
・・・わたしたちは、もうすでに、いつでも・・・共にいる
あなたが「妄想狂気」に落ちいった時からずっとずっと共にいる
だが、あなたが求めなければ何も答はやってはこない
それが・・・あなたの実相で在る
「完全なる無限性」の「完全なる自由意志」だからだ
また・・・あなたが静けさの中で耳を傾けなければ、何も伝えることは出来ない
思考と論理を止め、「自分が引き出した」という「手柄」も「プライド」も手放し
@静かにするA交流を求めるB耳を傾けるC答を期待する
・・・という、キリストガイドと交流する方法を参考にして
あなた自身のキリストガイドに手を差し出せば良い、
そしてたとえ見えなくても、あきらめないでそれを続ける
何度でもいおう・・・これはあなたたちみなにやってもらいたい
「もしも、あなたたちが目覚めたければ」・・・
あなたたちがやることは、静かにし父(実相)に委ね続けることだ
そして・・・内成る指針(キリストガイド)と交流し
共に「自己攻性防壁」を見抜き すでに在る天国に気付くことだ
さあ・・・もう・・・遠回りしないでカンタンな道を選ぶんだよ!
そうして・・・「カ〜ンタンだね」っていうことさ!
イエス
これも可笑しいよ・楽しんでね
これが・・・もと歌
ハイヤーセルフについてより・・・一部抜粋
さて・・・「我に由(よ)らでは誰(たれ)にても父の
(ヨハネ伝14:6)という、キリスト教の聖書に記された
わたしの発言は、説明がややこしい。
ここで私が言った「我」とは、一人格を持つ誰かのことではなく、
神という実相から遮られていない、「キリスト化」した存在のことだった
だからこの聖句の意味とは・・・
「キリスト」を通してゆく道だけが唯一の道であり、
他には神のもとへと還る道はない・・・というイミだった
しかし・・・もしも、あなたが自分自身の「キリスト性」を理解できないのなら、
あるいは・・・理解はできるのだが、いまはまだ信じられないのなら、
目覚めた個人性があなたと共にいる。
この個人性は、完全に「キリスト化」されている存在なのだ。
すなわち・・・この個人性は
自分のことを、神の「動く表現」としての存在である・・・と知っていて、
天国を自分勝手に歪めようとするのを、完全に止めた存在なんだ。
またこの個人性は、あなたが父(実相)に繋がるために、
あなたの道になってくれる存在なんだ。
あなたが、父(実相)のもとへと還るには・・・
父(実相)の在り方以外の在り方を主張していない「キリスト化」した存在と組み、
「神から分離したという幻想体験」を創り出した原因となった
あなたの「独立宣言」を撤回するしか、他に方法はないんだ・・・
そして、この「ただひとつの方法」は・・・宗教的なものではない
「
我
に
・・・というのは、現実的にちゃんと使えるような「方法」を示したのであり、
キリスト教で教えられている意味とは違う
父(実相)の御許に還るのに、クリスチャンになる必要もない
だから、以前にもこれを言ったが、もう一度言おう
私はキリストだ
しかし、私はクリスチャンではない
「我と父とは一つなり」《ヨハネ伝10:30》というわたしの発言について
キリスト教で教えられている解釈は、討議上議決されたものにしかすぎない
しかも・・・「我を見し者は父を見しなり」《ヨハネ伝14:9》という
わたしの発言に対する解釈は間違っている
わたしが弟子たちに教えていたのは、
今あなたたちに教えているのと同じことであり、
そして・・・弟子たちは、そのことをちゃんと理解していた
・・・それは・・・誰もが
我・・・という自分自身の「真我」を見た人が、
父・・・という神で在る「実相」を見たことになる
・・・ということだった
あなたは父(実相)の自己表現なのだから、
あなたはキリストなのだ
故に、「あなたを見た」・・・ときには、
「キリストを見た」・・・ということになり、
そしてそれは・・・「父(実相)を見た」・・・ということになるのだ
だから・・・「我に由(よ) らでは誰(たれ) にても父の御許(みもと) にいたる者なし」
というわたしの発言は、キリスト教で教えられているような意味で言ったのではない
わたしはキリスト教ではないし、わたし個人のことを言ったのでもないのだから
傲慢な文というわけでもない
この聖句の正しい解釈とは・・・
あなたが行ってきた、父(実相)からの「独立宣言」を元に戻す唯一の方法は、
その逆の行為をする・・・というイミなのだ
すなわち目覚めている個人性を受け入れて、彼らと組む・・・ということだ。
それだけでいいんだよ
どうだい、それは簡単だろ
そしてそれは、すばらしいだろう