なお、二村さんは、12月2日、「すべてはモテるためである」(イースト・プレス)を上梓しました。この本は、同名の著書(ロングセラーズ、幻冬舎で『モテるための哲学』として文庫化)を大幅に加筆修正したもです。
二村ヒトシさん(以下、N):(女装イベントに参加したことについて)女装子(じょそこ、女装している男性のこと。男の娘、または、オトコノコとも言う)は好きだったんですよ。外見は女でも、実際には男でも女もない。そんなところが自由で僕は好きだったんだんです。でも、なかには、例えばニューハーフの人でも「女になりたい」という動機でなったわけじゃないのに、男に愛されることで心が病んでいくんですよ。女装子好きの男たちに愛されることで。それは愛じゃないよね。渋井さんの言う「愛でる」じゃないよね。性の対象に過ぎない。そのことが気持ちいいことで、ナルシズムが、自由ではなく、どんどん女になっていってしまう。
渋井哲也(以下、S):承認欲求でしょうか?
N:承認欲求なんだろうね。
S:それは「男としてモテなかった」のでしょうか?
N:男としてモテなかった人は特にそうだね。あとは、ものすごくきれい人でも援助交際的なことをしてしまう。本人にはナルシズムしかない。女装子好きの男たちから、美しすぎるがために、お小遣いもらって、エンコーしている人がいる。どんどん美しくなっていって。そして、美しくなればなるほど、それは自由なナルシズムではなく、どんどん女に近づいていっている。そしてメンヘルになっていく。
S:女装子さんたちは、いろんなセクシャリティの人がいる。女性が好きという人もいれば、男性が好きな人もいる。両方という人も。
N:そうだね。あとは、男とか女とか関係なくて、マゾヒズムの塊という人もいる。それはいろいろで面白いと思う。でも、思ったことがあるけど、女であることと、女らしくあることとは全然違う。それは自分が女装してみてわかった。もともと僕もチャンスがあれば女装してみたんだけど、あのときは僕なんかでも、かわいいとお尻を触ってくれるオッサンもいた。まるで出来の悪いキャバクラ嬢みたいにスリスリするのが気持ちよかったんだよね。それって、ある意味、女になった僕が愛されることを求めているわけではなくて、「僕があなたを愛しますよ」ってやっている。これはすごく気持ちがいい。
S:演技として?
N:演技というよりは....
S:役になりきっている?
N:もちろん、なりきっている。というか、女の行動をとって、男を愛でること。こっちから愛が出ている。恋じゃなく、愛。すごく気持ちがいいなと思った。こういう風に、女装を楽しめば、疲れた男たちは癒されるのにと思った(笑)。そんな場所はないけど。
S:そういう場所にくる女装子たちは、どこから情報を仕入れる?
N:ネットでしょ?
S:Webスナイパーとか、女装掲示板とか、ですかね。
N:あとはミクシィとかじゃない?みんなイベントのことを書いていたからね。このブームはインターネットに支えられているものはある。
S:あのイベントの参加人数の多さは、90年代後半に、初めてリストカットのトークイベントが開かれたときと似ている。リストカットを言えない状況の中で、言える場所を作ったんですよね。
N:そうなんだよね。そして、しなくてもいい人がリストカットしていったわけですよね。それによって。
S:それと同じ状況がくると思うんですよね。
N:くるね。大爆発するね。ヤバいと言えばヤバい。現象面はさておき。僕は、女装のビデオを撮り、稼がせてもらおうと思っている。それはいいんですよ。思ったのは、僕が女装する。でも、僕がしてもオバさんなわけで。金を取れるほど、人から恋されるほど美しくはならない。しかし、僕みたいな姿であっても、寄りかかると、ニコニコしてくれるオジさんがいる。ということは、すごく愛の出しがいがあった。
S:女装した男同士はけなさない。
N:そうだね、リスペクトし合うよね。
S:女装した者同士は、「ブス」って言わない。あれってなんでしょうかね。
N:やっぱり、晴れの場。
S:女になりきれないのを知っているから?
N:本物の女とは最初から勝負してないよね?
S:してないのか。ということは女装における「ブス」は存在しない?
N:だってさ、客観的に見れば「女装した僕」は明らかにブスなんだけどさ、みんなに「きれい」「きれい」と言われ、それってオレから出ているテンションだと思う。オレが全然、恥じらっていなくて。しかも、舞台上で、女装をしている自分を楽しんでいる。ま、役割だから、そういうパフォーマンスをしましたよ。僕のことを否定したのはただ1人。ナルシストの女装子がつべこべ言っていた。
S:どういう風に?
N:彼女は、その人は、常に自分が主役じゃないと嫌な人。舞台上にはいず、客席にいた人。あらゆる女装子にあの人は嫉妬するんじゃないか。
S:そういう人は、女装子に限らず、男でも女でもいますよね。
N:いるね。でも、こういうことでも気がついたのは、女性であることがきついのではなく、オンナであること。嫉妬であること、美を競う、他の女性、男の目を気にして美しくなること、「それは、オンナだね」とか「女力だね」とか言われていることがあるじゃないですか。あれがきついんだな。
S:そうでしょうね。常に「見られる存在」ですから。
N:で、女が持っている「男に甘えてみたい」「男を甘えさせた」欲求がある。僕はそれを子どもに対して取り込むような、エゴが入り込んでいない母性だと思うんですよ。エゴが入り込んでいない母性は、甘やかすことはない。子どもに対しては、お母さんを好いてほしいという気持ちが入るかもしれない。いい大学に入ってほしいという気持ちがあるかもしれない。子どもにとってよくない母性も混じってくる。
ヤリマンにも、「いいヤリマン」とか「悪いヤリマン」がある。AV女優をやっても、ソープ嬢をやっても、心が傷付かない、魂が傷付かない人っているじゃないですか。本当の意味で。
S:かつて、社会学者の宮台真司さんが想定した「援助交際をする女子高生」は、そういう人だったんじゃないかな。その後、メンヘル系の女子高生が援助交際に参入してくるけど。
N:でも、そういうことって、常人にはなかなか難しい。オレみたいな男が一時的に晴れの場で女装したから、エゴが入り込まない母性を出したり、男を愛することができること。もし、オレが女でさ、オバはんだったら無理だよね。あんな楽しいことが続くわけないからね。
S:一年に何回かあればいいですね。
N:だから、本物の女はきついな、って思った。でも、本物の女はきついって分かっているのに、どうして女装子たちは女になりたがるんだろう?
S:女を知らないのでは?
N:女のキツさを知らないのか。
S:僕は「女になりたい」という気持ちがかつてあり、それを諦めたって言ったでしょ?もともと諦めたきっかけは、骨格が太いからですが、女子校的なノリが嫌というのもありますよ。女になると、特に男から女になるとコミュニティができるでしょ?できざるをえない。そのときに、女子校的なノリが絶対できると思うんですよ。
N:トイレに一緒にいくとか?
S:とか。お互いを「かわいい」と言ったり。何を買って、何をつけているのか、とか。なんか、個人じゃなくなるんですよ。それが嫌なんだと思う。あの女装子の集まりを見たときに、ここは女子校だなと思った。
N:渋井さんって女の子ではあるけど、孤独な人なんだね。
S:そうですね。
N:でも、オレが呼び出すと来てくれる。
S:ただ、いつもいなければいけない関係ではない。
N:それはいいことだよね。
S:あと、ある編集者から「渋井さんは女装しないんですか?」と聞かれたんです。そんのとき、「こんなにいっぱいいたら嫌だよ」と言ったんです。その意味が自分でもわからなかった。
N:普通に聞いたら、「ライバルが多いから嫌」と聞こえるよね(笑)。
S:自分でもなんで「嫌」と言ったのか。たぶん、見せたくないからだよね。でもさ、ソフトボールを入れて、胸を作っていた人もいた。それでも平気な場なんですよ。だから、しようと思えばできたんです。それでもやらなかった。それは、みんなでお互いを「かわいい」と言い合う関係は嫌なんじゃないか、と。
N:で、きょう、相談したかったのは、本に書くネタは出尽くしたんだけど、やっぱり、とっかかりの順番、読みやすさの順番。文化系女子だけではなく、普通のギャルにも読ませたい。中学生は読まないだろうけど。問題提起としては、「あなたは、この本を読んだということは、恋に苦しんでいるんですね」ということ。あとは「出会いがない」と言っている人か、そうではないか「あなたはあなたを絶対に愛さない人を好きになってしまい、いいなと思っている人でも、その人があなたを愛すると、その人を軽蔑する」って人でしょ。確実に図星だと思う。自意識の多い女性ってそういう人が多い。そう指摘した本っていままでない。そのとことを突っ込む。それだけでも意義がある。どういうことかを一冊かけて説明する。だから、いきなり「セリフリスペクト」と言い出しても仕方がない。だから最初に行ってしまうんです、「あなたは自分が好きで、同時に自分を嫌い」でしょ?と。だから苦しいんですよ。
女がキツい今の時代。男はヤリチンかストーカーか草食系かオタクかのどれかになってしまい、まともな男がいない。この中で、生きていきにくいのはストーカーだけ。コミュニケーションがスキルがあって、女が好きな人はヤリチンになるわけで。ストーカーは女は好きじゃないが、セックスは好き。コミュニケーションスキルがなく性欲もなく、外見がよい人は草食系、外見が悪い人はオタク。で、みんな女じゃないものでリビドーを満たしている。男は本当、今の時代、生きていきやすくて。それに比べて、ほとんどの女の人は、自分がキツい。それは女性誌が「女はきれいで仕事もでき、恋愛もしなきゃいけない」ということを煽るから。でも、オレはやっぱり、愛と恋とは違うものとって言いたい。それで書き始めようとした。でも、進まない。
「私が彼に対して恋している」と「彼はあなたに愛されている」は、イコールだと思っているでしょ?とまず言いたい。女の側が男の側に恋するのは、男の側から見て女に愛されていることと思ってないかと。だけど、彼はあなたに愛されているわけではないんですよという話をしようと思っている。でも、これって難しい話なんだよね。このややこしい言葉のトリックに乗って来てくれないと通じにくい。だから、いきなりこれを言うのではなく、まず、「あたなは誰かに好かれると愛せず、自分を愛さない人を好きになりますよね」と決めつけを行なおうと。そうじゃないとしたら、「出会いがない」と言う人。ま、どっちかですよ。
S:女がキツい時代というのと、「恋と愛は違う」ってのは順番は問われないんじゃないかと、僕は思う。ただ、問われるとすれば、二村さん自身が自分が書いたものの読者になることじゃないか。つまり、二村さんが書くのは、女のために書いているのではなく、自分のために書いているというものがありますよね?
N:はい。あります。
S:となると、自分自身への問いかけ、自分自身の悩みであるというところを「はじめに」か、さわりのぶぶんで書いてしまう。そうすれば、この著者自身も同じ悩みを持つ読者になっているということがわかる。つまり、自分に向けても書いている。となると、私たちと同じ目線だということがわかる。だとすると、「恋と愛が違う」って来ても説教にならない。
N:僕は、それは「あとがき」かなと思ったんだ。本当は自分のための本です、って。
S:女性向けなら、女性は共感的な読み方をすると思う。だから作者に共感したいんじゃないか。男性向けなら知識系だと思う。男性のコミュニケーションって、知識の出し入れが多かったりする。
N:上から目線ではなく、ってことは、「女にはキツい時代だよね」って感じでしたほうがいいかな。自分のスタンスの話に戻すと、男であり、AV監督であり、女装してわかったこともあることはひとつのギャグとして入れていいけど、恒久的な女装者ではない。女がどんなセックスをしたいかという目線でAVを撮っているって話も出て来てもいいと思うんですよね。いきなり冒頭から自己紹介で、AV監督を10年やっていて、女がどんなセックスをしたいのかという目線で撮っているが、AV女優も恋愛で苦しんでいるよ、と。AV女優といってもみんな普通の女性。それはなんだろう?ということの自己紹介しかないだろうと思った。でも、渋井さんの言う通り、もう一歩突っ込んだところです。オレの愛したい女はメンヘル率が高い。それは自意識の問題だ。と。それはどっかでするべきなんだ。
S:二村さんは男なのに、女が困っていることがどうして不都合なのか。たとえば、二村さんは結婚をしている。なぜ、ほっておけないのか。かつ、女性にはもっと楽に生きてほしい、というメッセージをいれたほうがいい。
N:いま言うと、「モテるための哲学」を書いたのは10年前。あれを書いた当時は、やっぱり、男がキツかった。オレも含めて。僕はAV男優をすることでねじが緩んでいた。セックスについて劣等意識を持たなくなった。また、オタク的なコミュニティの中で、オタク的な発言をするAV監督という立場。行ったり来たりすることで自分の居場所を作った。オタクのみなさんも、「自分が気持ち悪い」と知った上で、自分の居場所を自分の心の中に持って、それを握ったままキャバクラに行けば、とりあえず、キャバクラに行く。キャバクラは金を払えば女としゃべれる。最終的に、アニマがいる。自分の中の女がどんな女かを知ってください、ということだった。
S:その後、状況が変わった。
N:変わりました。激変しました。
S:現実の男は、女性とのコミュニケーションにそこまで金を払わない。たとえば、エロゲーをしてしまえばいい。でも、それでも駄目だった。女装子になって、自分の中に女性を発見する。一方、女性は女性で労働条件が厳しい。早く結婚したいが、昔みたいに専業主婦願望が出て来た。でも、働かなくてもいい男性は少ないし、結婚せずに働いていると、給料の取り合いになっていく。だったら、結婚しなてもいいじゃないかとなっていく。
N:次は、童貞をテーマに撮った監督とイベントをするんだけど、今の童貞たちは、自分たちが童貞だってことを威張っていると。逆に、処女本を書いたライターがいるんだけど、女性達はその本がキツくて読めない。割と女性にとってきついことが書いてあるらしい。女たちは「処女には価値がない」ということが分かって来て、オタクの男たちは、根拠がわからないが、「僕は童貞ですし」と言うことが恥ずかしくなくkなってきている。女がそんなに必要なものではない。
S:だって、女性が「私は処女です」って言うと、だいたいの男性はひく。でも、ちょっと前なら「処女なら守ってあげたい」と思ったんじゃないか。ひいてしまうのは、めんどくさいから。女とは何か。女性誌がしかけた女性像なのか。
N:女性のセリフリスペクトのなさは、一人一人の親の問題ではないか。親というか、子ども時代の問題だと思うんです。幼少期に受けた傷の犯人探しは終わっているんだ、という話もあるけど、いまの人は、それを隠蔽してそれを苦しんでいる。心に穴をあけられることはそれでいいんです。それは人間が人間になってからずっと続いているから。親が子どもを苦しめて、それを回復していくのが人生じゃないですか。だからそれはいいんです。どんな親でも子どもを苦しめる。でも、回復できる手がかりを残していっていない。今の親は。自分たちも、親が犯人といったら、悪いような気がしている。
S:それは、早期教育かな。早い段階で外に出す。本来、子どもにはアタッチメントが必要。愛情を無条件にいくらでも注いでいい。ところが注ぐべき時期に競争させてしまう。だから、甘え方を知らないで育って行く。
N:何才くらいまで甘えさせるべき?小学校の間は?
S:理想的にはそうかもしれないですね。
N:うちの子はそうよ。まだお母さんとお風呂に入っている。
S:中1になったら入っちゃ駄目。普通は小5くらいで気づく。本人自身が。
N:うちの妻は、子どもから言い出すものだから、それまでは甘やかす、と言っている。
S:本来そうでしょうね。ただ、それが周りの子どもたちと比べたりってなるとどうなのか。成長段階で、母親なんか気持ち悪いと思うはず。
N:そうでしょうね。で、「女はきつい時代」から始めるのか、「恋と愛は違う」からなのか。たしかに、男のオレから言われるとむかつくよね。
S:自分自身も商業メディアのメッセージに乗って来た部分はあるんですよね。
N:「anan」のインタビューで、「こうすれば、女は喜ぶんですよ」と言って来た。それがますます女性を不自由にさせてきた自覚はある。そうすると、やっぱり「女にはキツい時代だ」って話だな。
S:あー、なるほど。そうすると、自分が犯人であると表明することになる。それはもしかすると共感しやすいかも。
N:あ、そうすると、「女がしたいセックス」を追求してきたのに、実はそれが苦しめている、と。それはわかりやすい。はっと気がつくと、ヤリチンか、ストーカーか、草食系か、オタクばかりになっていた。自由だったと思った女性たちが、オレと付き合うと、みんなメンヘルになっていく。これは間違いなく、オレのせいでしょ?
S:メンヘルメーカーですね(笑)
N:すごい自由な女で、仕事もできて、いい女。オレの中では、精神的にはオレの母親みたい(男に負けない女)、肉体的には、外見や色気では峰不二子みたいな人がミックスされた女が理想だから。でも、超女であって、女を越えたスーパーウーマンだった僕の母親が父親との恋愛結婚で苦しみ、1人の女だったって分かった。スーパーウーマンなんだっていないんだ。これこそ「あとがき」だよな。
(構成・フリーライター/渋井哲也)
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