押井:それで最初の劇場版(「機動警察パトレイバー 劇場版」以下、「パト1」)の時は、ロボットもパソコンと一緒で、ハードウェアにソフトをインストールして、それを使う人間がいて、開発する人間もいる、というコンピューターウイルスの話をやったんです。レイバーというのは凶器になるんだよ、と。劇中のセリフでも言ったけど「原発の炉心部でも働いてるんだぜ」という(笑)。いま流行りの安全性という話になるんですけど。
暴走したらどうするんですかねえ、と。
押井:この「パト1」はうまくいったんです。だけどこの手は1回やったら終わりだからね。プログラムを更新するとかソフトウェアをバージョンアップするとか、そういった類いの話は1回やったらもう次はできない。だから「パト2」では自分の監督としてのテーマを見つけなきゃと思ったんです。
それで僕は「パトレイバーの特車二課って何に似てるんだろう」って考えたんです。彼らは一応は職業人なんだけど、何も期待されてないし、何も背負ってない、ダメな部隊。それって高校生と一緒じゃん、と思ったんです。あれは要するに高校生の世界だと気がついた。高校生ですか。なるほど。
押井:そうすると、隊長というのは担任の先生のことで、隊長室は職員室なわけです。そこにいるときは言葉遣いも一応変えなきゃいけない。普段たむろしてる教室は先生さえいなければ天国で、喧嘩もすればいじめもある。先生よりもっとおっかない校長先生もいる。それは滅多に出てこない特車二課の課長だよね。校長先生は生徒に直接語りかけることはないわけ。責任取るだけの人だから、「パトレイバー」ではしょっちゅうクビになってるんだけどさ。
で、これは生徒と先生の関係を描くしかないと思ったわけ。
だから隊長を「パト2」のテーマにしたんだよ。その方が僕にとっては面白いと思えたんです。なぜかと言ったら隊長というのは監督と同じだから。隊長と隊員の関係を監督とスタッフと置き換えてもいいんだよ。どうやってこいつらに言うことを聞かせて自分のテーマを実現し得るか、自己実現しようかという、そういう立場という点では隊長と監督は同じなんです。
不実な政府に仕える警察に「正義」はあるか?
押井:監督と同じということは、隊長にとってのテーマというのが当然あります。後藤にもしのぶ(第一小隊隊長)にもテーマがもちろんあるんだけど、二人のテーマはちょっとニュアンスが違うんです。そのちょっと違うところがあの2人の隊長の運命を分けたんだけど。
そのテーマとは?
押井:それは「正義」。「警察官として正義を実現する」というのが二人の隊長にとってのテーマなの。でも実は警察官である限り正義は実現できないという、絶対的な矛盾があるわけです。
えっ、どうしてですか?
押井:なぜなら警察官というのは正義の味方じゃいけないんです。だって彼らは公務員だから役人でなきゃいけない。公務員というのは時の政権に忠実であるべき存在なわけです。実際には今だって民主党政権に対して官僚が忠実かと言えば全然違うんだけど。官僚には官僚の正義があるわけです。政権というのは替わるけど、官僚社会は政権とは無関係に続くわけです。ヘマしなければ終身雇用だし。
そういう公務員が正義を実現しようとするとどうなるか、というのを描いたのが「パト2」なんです。要するに「正義を実現するんだったら、結局はクーデターを起こすしかないじゃん」という話なんだよね。
自分にとっての正義と、政権の正義にズレがある時は、ってことですね。