押井:そういう理由で日本はかつて戦争も起こしたでしょ。軍人というのは役人と一緒だから。海軍だって陸軍だって官僚だから、自分の組織の存続のために戦争を起こしたんです、そういう意味で言えば。それを政治家が止められなかっただけの話で、天皇陛下もそのためのダシに使われただけだもん。実は皇室というのは戦争の抵抗勢力の筆頭だったんだから。
ちょっと話が飛びすぎたけど、じゃあ「ダメな部隊を率いている隊長のテーマというのはなんだ」っていうことなんです。ダメな部隊をダメな会社と置き換えても、ダメな部署と置き換えてもいい。自分の部下はろくでもないクズばかり。言うことを聞かないし、いつもサボろうとするし、それぞれが「遊びたい」とか「いい姉ちゃんと付き合いたい」とか、仕事と関係ない自分のテーマを勝手に持ってるし。
ダメな部隊の構成員が、各自勝手なテーマを持ってしまうのはなぜなんでしょうか?
押井:それはね、責任を持ってないから。責任が生ずると、自分勝手ではないテーマが自動的に出てくるんです。
黒澤の「生きる」と「パトレイバー2」の共通点
押井:だから映画に登場する中間管理職というのは必ず何かテーマを見つけてそれをやろうとするわけです。それは黒澤明の「生きる」の志村喬だってそうだったでしょ。役所のやる気のない役人だった男が、病気で死期が近いとわかったら突然何かをやろうとすると。そういう意味でいえば、「生きる」と「パト2」は、実は同じテーマなんですよ(笑)。誰も言わないけど。
おお、確かに(笑)。
押井:向こうは誰もが泣ける映画になってて、片やこっちはドタバタでお笑いでアクションだから気がつかないけど、実は仕掛けとしては一緒なんです。どう表現するかの違いがあるだけなんだよ。僕は監督としてそう考えるけど、お客さんはそう思わないんだよね。黒澤の「生きる」と僕の「パト2」が同じ?そんなわけないと。
そりゃそうですよ。
押井:でも実は同じなんです。職業監督と言われてる人たちもほとんどそのことの区別がついてないけど。それは映画に関して意識的じゃなくて、仕事として接しているからじゃないかな。それは定年まで勤めたいというタイプと一緒。確かにそういう監督が圧倒的多数なんです。
映画を通して自己実現したいと思ってるタイプの監督はそういう見方をしない。「生きる」と「パト2」が同じだという見方がなぜ出てくるかと言うと、映画をリアルに考えようしているから。リアルに見つめるのと漫然と見ているのとでは、全然違うものが見えてくるんです。それは監督にとって「『映画』ってなんだ?」ということなんです。
それと同じで、後藤としのぶという2人の隊長にとっての「正義」というのは警察というものを離れた正義なんだよね。組織の存続をテーマにしてないんです。だから自分の部隊を平気で賭けて勝負に出ちゃうんだよね。
それって、組織の目的達成を第一義にするんじゃなくて、組織を使った自己実現、ってことになりますか。