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カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記 RSSフィード Twitter

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2010-04-06 自民公明政権の負の遺産、司法改悪

kamayan2010-04-06

[][][]石原慎太郎とオウム教団 04:34 石原慎太郎とオウム教団を含むブックマーク 石原慎太郎とオウム教団のブックマークコメント

こんなの↓あったな。貼っておく。

http://www.himajin.net/diary/p.php3?80/10/10

 1995年(平成7年)4月、石原慎太郎は突然衆議院議員辞職を表明した。地元の後援会にも知らされず、全く唐突であった。日本の政治に失望したという趣旨の意見を残しているが、とってつけたような感じである。なぜ唐突にやめるのか、全くその説明としては不十分であった。

 しかし、彼は議員辞職をせざるを得ない、大きな事情を抱えていた。

 オウム真理教は、1984年(昭和59年)2月に任意団体「オウム神仙の会」として設立された。その後、1989年(平成元年)8月に、東京都から「宗教法人オウム真理教」の認定を得ている。東京都は頑なに認定を拒否し続けていたのにもかかわらずである。

 一方、石原裕次郎は1978年(昭和53年)、舌ガンのため慶應病院に最初の入院をする。翌年東大病院に転院して再び手術を受ける。〔略〕1981年(昭和56年)、解離性大動脈瘤で再び慶應病院に運ばれる。生還率3%、6時間33分の大手術に耐える。しかし、その後も 1984年(昭和59年)に肝細胞ガンで、1985年(昭和60年)に胆内単胆菅炎でと毎年慶應病院に入退院を繰り返し、1987年(昭和62年)7月 17日に永眠。

 オウム真理教石原裕次郎になんの関係があるのかと思われるであろう。キーワードは「慶應病院」である。1981年に解離性大動脈瘤で入院したときの執刀医がだれであったか、そこに鍵がある。この大手術の執刀を行ったのは、心臓外科医としての林郁夫だった。

 1987年に石原裕次郎が亡くなった2年後、オウム真理教は宗教法人になっている。頑なに宗教法人認定を拒否されていたオウム真理教としては、好き勝手なことをするためにはなんとしても宗教法人の認定を受けたかった。林郁夫から1988年に運輸大臣であった石原慎太郎に、状況打開の依頼がいったことは想像に難くない。実際、石原慎太郎運輸大臣の肩書きを背景に東京都にプレッシャーをかけ、オウム真理教はまんまと宗教法人に成りおおせている。

 石原慎太郎が議員辞職を表明した直前の1995年3月20日、地下鉄サリン事件が起きる。宗教法人を隠れ蓑にしなかったら、このようなとんでもないテロをオウム真理教は起こせたであろうか。当時、政権は村山富市首相であり、自民党は戦後もっとも弱体化していた不安定な時期であった。阪神淡路大震災の不手際で政府は批判を受け、そして地下鉄サリン事件である。その原因を作った人物が元閣僚経験者で衆議院の赤い絨毯の上で踏ん反り返っていることが衆人の知れるところとなったら、自民党はひっくり返ってしまう。表面的には強がりを言っていたが、詰め腹を切らされたことは、想像に難くない。

林郁夫は慶応病院の医師だったのか。

慶応病院というと、2007年5月に、松岡利勝「自殺」のときの病院だな。

http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20070530#1180470523

201 名前:朝まで名無しさん 投稿日:2007/05/29(火) 18:51:29 41pJdKvd

松岡利勝の「自殺」に対して〕飯島が真っ先に慶応病院に来た訳はなんなのか? 何故近くの虎ノ門病院でなく、遠くの慶応病院に行ったのか? 当時慶応病院には歌手の事故死で記者が集まっていた。結果生々しい心臓マッサージがTV画面に映し出される。しかし大臣の体はもうすでに遺体のように頭から足まで白い布で覆われていた。毛布ではなく白い布。その上から心臓マッサージをする異様な光景。小泉は慶応出身で慶応には顔が利くだろう。そして真っ先に駆けつけた飯島秘書官。TVパフォーマンスには長けているこのコンビが「松岡大臣自殺ドラマ」の画を描いた。

何故そんなメンドクサイ事をしたか? 議員宿舎ですでに死亡していたとなると、変死扱いで司法解剖が必要になる。司法解剖させない為にはなんとしても「病院内での死亡確認」が必要になる。そこで小泉の顔の利く慶応に事前に根回しをしておいた。そして歌手の死亡でTVがわんさか集まっているところで「まだ蘇生措置してます」というパフォを行う。そして筋書き通りにはかどっているかどうかを飯島が確認にいち早く駆けつけてその後の陣頭指揮をとって、官邸に指示して「死亡の確認」のニュースを流させた。

 ような気がする。

松岡利勝は実際には自殺ではなく殺害されたといわれている。その隠蔽に協力したのが慶応病院だ。http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20070531#1180556920 http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20070601#1180634607 http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20070605#1180979780 

オウム教団と統一協会について貼っておく。

http://rightloser.seesaa.net/article/21959295.html

世界日報』が統一教会系のメディアであることは周知の事実。要するに、一連の記事は、統一教会サイドからオウム真理教への「共闘宣言」とも読み取ることができるのだ。

これら統一教会系のメディアが、なぜここまでオウム擁護を展開するのか。もちろんオウム真理教統一教会とは、別個の独立した宗教団体である。ところが、最近オウム真理教にいささか気になる変化がある。新入会員の勧誘方法が、統一教会のやり方と似てきているのだ。....統一教会の場合、一九八二年秋から教団名を隠した勧誘方法をとるようになった。オウム真理教の場合も、新会員を増やすために、統一教会のやり方をまねたと見られても仕方がない。ただここで疑問なのは、ここまでそっくりの手法をどうして会得したのだろうか、という点だ。オウム真理教外報部は「当教団と統一教会は全く関係がない」。統一教会は「オウム真理教との間にはなんら特別な関係はありません」と否定しつつ、「宗教は統一されるべきであるという立場に立ち、あらゆる宗教団体と垣根を作らず話し合い、互いの接点を求めています」(広報部)と語る。しかしその一方で、気になる情報もある。統一教会幹部がオウムの麻原教祖と会談したことがある、というのだ。「確かに私どもの幹部は麻原さんに会っています。宗教的に立派な人だと評価しております」(統一教会員)

(『週刊文春』'94年11月17日号)

http://rightloser.seesaa.net/article/23152003.html

2002年に世田谷区の自宅駐車場で右翼に包丁で左胸を刺されて死亡した政治家の故・石井紘基さんが生前にオウム真理教統一教会の類似点について言及しています。

オウム事件は終わらない』 石井氏生前の言

画像から文章を起こし抜粋

僕の地元の成城で、最近統一教会が建物を借りて改装工事を始めたのです。それで地域住民はこぞってピケをはり、統一教会が建物の中に入れないようにしていますが、こんなことにしても、始まってから何ヶ月経っても政治家はさっぱり表に出てこないんですね。いろいろアプローチしていくと、どうも統一教会の息のかかった政治家というのが随分といるようだと、地元の人も言っていました。未来に向けて社会をどのように改革していくか、ということを政治家が真剣に考えないものだから、その間に経済活動や政治活動を通じて宗教団体にどんどん侵食されているという面がありますね。

錦織:「ともかく私には、オウムは統一教会をラジカルにしたものだという感じがするのです。オウムの原型というのは、つまりオウムの初期の活動形態は、統一教会がやってきたことときわめて類似しているのです。」

石井:「ロシアにオウムが進出していきましたね。ロシアには五万人もオウムの信者がいたそうですが、オウムが行く前に統一教会が、ロシアに進出していました。ところが、そういう連中が、どうも何時の間にかオウム信者とすりかわってしまった。

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大陸浪人3世大陸浪人3世 2010/04/07 02:20 検察官の採用なんかどうなるんだろう、と思いませんか?
司法制度改悪の重要な動機は、目をつけていた東大生の後輩を間違いなく後釜に取り立てたい、東大生を蹴落として実力で司法試験を受かった他大の連中をなんとかして排除したい、という検察官僚のコネ根性だったと私は睨んでいます(弁護士会は、自分のドラ息子をなんとか弁護士にしたいという動機。医者が自分のドラ息子をなんとかして医大に入れたがるのと一緒)。「丙案貴族」などという奇妙奇天烈な制度を有難がった連中ですよ。藩閥打破のため、陸大海大の卒業成績のみをひたすら重んじた帝国陸海軍の精鋭たちが聞いたらなんと言うでしょうか。高文試験に1点差で不合格という理由で、東大法学部を出て農林省の嘱託にまでなっていた岩倉公爵家の跡取りを高等官採用しなかった(当たり前。そんなことしたら、自分たちの権威も地位の正当性も粉微塵になる)戦前の農林省の見識と大違いだ。
戦後歴代の検事総長に中大出身者は1人もいません。ずっと合格者の少ない(昭和時代は中央が東大を引き離して長く1位独走してた)京大卒ならいるのに。検事正クラスなら中大卒は圧勝してるのに。

これほど法曹資格が滅茶苦茶に改悪されてしまっては、東大法学部の後輩に「君、検察官にならないか」と声をかけたって嫌がられて相手にされないのではありませんか? 権力振り回すなら警察庁のほうがずっとまし。あっちは公務員試験1回だけで、しかも面接が異常に重視だからコネ採用がやり放題だ。司法試験は完全覆面採点で口述試験はついでみたいなもんだったから、少なくとも司法研修所に入るまでは完全に平等。ただし、司法研修終わって検察官採用志望する段階じゃわからない。もっとも、検事が採用したがる「東大新卒・在学中合格」のやつは、渉外弁護士事務所が超高給で誘ってるからますます採用し難くなる。公務員試験合格者をわざわざ高給で採用したがる民間企業なんか聞いたことないから、この点も検察官僚は著しく不利です。

しかし、検察庁が運営されている以上は毎年何人か新人を採る必要があるわけですが、果たして狙っていたとおりの、東大の後輩とか2世3世の世襲野郎を採れますかねえ? 新試験合格まで辿りつけたらともかく(強制的に借金させられてるんだから、事務所の維持費どころか給料貰える検察官は希望者殺到でしょう)、あの競争率じゃあ、コネ野郎にそこまで辿りつけるかどうか? それとも、金があるからこそのコネ野郎だから、そんなやつばかりになってるか?

大陸浪人3世大陸浪人3世 2010/04/07 03:03 ひとつ勘違いしてました。岩倉具栄氏が嘱託だったのは農林省じゃなくて内務省でした。不合格の後、帝室林野局属官でした。
ついでに、岩倉公爵が落ちた年に合格してた人に、荒井退造氏がいます。東大どころか、商業学校出て巡査をしながら夜間に明治大学専門部に通って必死に勉強した人物で、ちゃんと内務省警保局に認められ、警視に昇進して東京市内の署長に就任。満州国に赴任したりした後、最後は沖縄県警察部長として壮絶な最期を遂げたことで有名な人です。とても責任感の強い人だったとか。
巡査が公務員上級甲種に合格したなんて話、戦後には皆無ですが、戦前はちょくちょくあったんですよ。昔のほうが公平だったのかも知れない。学閥コネ野郎に比べたら、まだ試験エリートのほうが信用できます。先輩に目をかけられて引き立ててもらったわけじゃないから、先輩にも自信を持って異論を言えるから。近年の日本の閉塞がひどいのも、既存の権力者に諂って引き立ててもらっただけのコネ野郎がはびこって、人材縮小再生産が止まらないからだと私は確信しています。