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近代競馬150周年について

わが国に、いわゆる「洋式競馬」が生まれたのは、文久2年(1862年)春、横浜(現在の中区)で居留外国人によって行われた競馬が最初とされています。この「洋式競馬」こそ、現在の私たちの競馬の、いわば原形であり、150年の歳月を経た今日の競馬は、諸先覚者の努力とファンの方々のご支援によって築きあげられたものといえます。

さて、日本人による「洋式競馬」はどうでしょう。横浜の競馬を模倣したものが、早くも明治3年(1870年)にすでに現れています。東京九段の招魂社(後の靖国神社)で行われたものですが、これはまた同神社例大祭の"奉納"がその目的でした。その後明治10年(1877年)には三田育種場で、また同12年新宿の陸軍戸山学校、同17年上野不忍池畔で行われていますが、いずれも長続きはしませんでした。

一方、明治維新後、西欧から新しい畜産学と技術が移入され、同時に日本馬の資質改良の目的で、米・英・仏などの諸国からさまざまな種類の馬が輸入されました。特に、明治27〜28年の日清戦争およびその後の北清事変などで、日本産馬が欧米諸国産の馬とくらべて馬格、能力ともに劣っていることが明らかとなったため、その後は欧米のレベルに近づけるための施策が、さらに精力的に計画されることになります。

優駿 マイ・スタイル

月刊「優駿」では近代競馬150周年を記念して、「マイ・スタイル 著名人が語るオンリーワンの競馬」と題し、競馬を愛する著名人に独自の競馬の見方、楽しみ方をお伺いし、お届けいたします。

優駿 マイ・スタイル #2 三遊亭好楽 (落語家)

いちばん好きな馬はハイセイコー。ダービーで負けたのが信じられず、朝まで仲間と語り合った。

1973年日本ダービー。
連勝街道を走り続けていたハイセイコー(右から4頭目)が、まさかの3着に敗れてしまう。
 落語家の先輩がやっているのを見て競馬を始めたという三遊亭好楽師匠。
「初めての馬券は昭和45年、スピードシンボリの有馬記念。以来土、日とも一日も休んでません。負けてばっかりですけどね。サウナのロッカーが69番だったから6番と9番だとか、そんな買い方してるんですから。あはは」
 そう笑う好楽師匠だが、じつは予想は本格派。今は騎手買いに凝っている。
「最近では田辺裕信騎手がいいね。昔は吉永正人さんとか好きだったなあ」
 若い頃は、ラジオの実況をカセットテープに録って聴いていたという。
「ヒカルイマイのダービーなんて何度繰り返して聴いたか。今も実況はラジオですが、携帯電話(ラジオNIKKEIのテレドームサービス)で聴いてます。旅先でも聴けていいんですよ」
 ラジオ好きは、子供の頃からだ。
「野球でも相撲でも、なんでもラジオでしたからね。便所で相撲中継の真似をずっとやってるから、なかなか空かなくて家族はみんな困ってましたよ」
 長じて落語家になり、音声で何かを伝えることを仕事にした。
「やっぱり、関係あるんでしょうね」
 いちばん好きな馬は、ハイセイコー。
「ダービーでタケホープに負けたのが信じられなくて、朝まで仲間と語り合ったもんです。オグリキャップもいいけど、あたしの心の馬はやっぱりハイセイコーだな。大井に行ったらまずハイセイコーの像にタッチ。中山でも、集合場所はハイセイコー像です」
 週末は『笑点』など仕事が入ることが多く、最近は忙しくてなかなか競馬場に行けないという好楽師匠。
「今年はぜひ、福島の飯坂温泉かなんかに泊まってね。温泉入ったあと、みんなで浴衣着て部屋に集まって一杯やりながら、翌日の福島競馬を1レースから検討する。ああだこうだとね。それで、翌日はみんなでうわーっと競馬場へ。もうオトナなんだから、そういう遊び方をしてみたいですね」

軍土門隼夫=文
text by Hayao Gundomon

山本輝一=写真
photograph by Kiichi Yamamoto

三遊亭好楽(さんゆうてい・こうらく)

1946年生まれ、65歳。日曜夕方放送『笑点』(日本テレビ系) の人気コーナー「大喜利」にレギュラー出演など第一線で活躍を続ける傍ら、競馬歴は40年以上にわたり、毎週欠かさず馬券を購入している。


「優駿」2012年4月号掲載

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