Yoshikazu Yasuhiko
安彦 良和
1947年北海道生まれ。1970年に上京し、手塚治虫の虫プロダクションのアニメーターになる。その後、サンライズに入社し、「機動戦士ガンダム」の作画ディレクターとキャラクターデザインを担当。1989年、漫画に活動の舞台を移し、『神武』『虹色のトロツキー』『クルドの星』などを発表。
安彦 良和 さん(漫画家)
いまや日本のアニメは、世界に冠たるジャパニメーションとして脚光を浴びる存在だ。海外の日本語習得熱を高めるなど、経済界も有力な「産業コンテンツ」と目している。その代表のひとつに挙げられる「機動戦士ガンダム」。安彦良和さんは、ガンダムのキャラクターデザインを手がけ、ガンダム人気を牽引したひとりだが、昨今の国内外のブームに忸怩たる思いがあるという。アニメーターから漫画家に転身したのも、安彦さんならでは面映い思いがありそうだ。
昔から違和感を持っていました。当時、いわゆるハイティーンのヤングアダルト層がガンダムブームの火付け役になったわけですが、僕はそういった人たちがファンであり続けることに否定的でした。うれしいけれど、「いずれ卒業しなさい」と。アニメはあくまでも過渡期に見るもので、「いつまでもこんなものを見てはいけないよ」と思っていました。
やはりアニメーションというものは、成熟を間近に控えた若者たちの留まっている場所ではないという考えが前提にありました。自分たちも「恥ずかしながら…」という思いでやっていたんですから。
ただ、いま振り返ると、当時は気付きませんでしたが、ガンダムブームは、サブカルチャー全体の分岐点であったと思います。
たとえば、「宇宙戦艦ヤマト」をプロデュースされた西崎義展さんという方がいます。40歳で「宇宙戦艦ヤマト」を製作して、社会的に成功されました。僕は西崎さんに拾われて、絵コンテを担当しましたが、「いい大人がようやるなぁ」と感心しつつ見ていました。そういう人がアニメ界には、いままでいなかった。彼がヤングアダルト層を開発した先駆者です。その前は、アニメのターゲットは子供と大人しかいませんでした。ヤングアダルトは過渡期だから、ここを相手にしてもビジネスとして安定しない。そういう考え方だったわけです。
そういう背景があったにせよ、僕がガンダムの人気に距離を感じていたのは、活字に対する負い目もあったせいでしょう。こんなことをしていて恥ずかしいという思いがどこかにあったので、圧倒的に飯の種でありつつ、自己表現的な要素を隠し味として注入するといった、いじましい自己満足を得ていましたね。
でも、自分としては、いつもコースから外れた人生を歩いてきた感じを持っています。60歳になりましたが、人生を振り返るとやはり裏街道を歩いてきたなと思います。それくらい見事なまでに全部マイナーな要素ばかりです。
まず、北海道の田舎に生まれました。小中学校は分教場のような学校で、それもいまは閉校されてしまいました。大学も田舎でしたが、卒業もできませんでした。
仕事も、いまでこそアニメや漫画に陽が当たっていますが、僕がアニメの世界に入った頃は、どん底の時期です。だから、当時この業界に集まって来た人は、みんななにがしかの挫折を体験した人ばかりです。映画を撮りたかった。漫画家になりたかった。けれどアニメーターになったといったような、志のかなわなかった人の集まりでした。
昨今のアニメ業界はブームで沸いていますが、僕はその前にいたからいい話はないし、漫画家になっても目立たない話ばかり書いています(笑)。
そうですね。けれど、全世界的に反戦活動とかの盛んな時期でしたから、当時の若者ならデモのひとつくらいにはたいがい行ってますので、特別なことじゃありません。
それに僕自身は過激な活動を苦手としていました。でも、大学の判断で除籍されましたが、それもつまらない理由です。弘前大学は学部が五つあって、各学部からひとりずつ除籍者を出そうということで、そのうちの一人として選ばれたわけです。たまたま他にいなかったんですね。
学生運動のファッションがありました。ヘルメットを被ってマスクをして棒かなんか持ってという。あのスタイルが嫌いで、僕は何も被らないし、何も持たなかった。それにアジ演説も嫌いだから普通に「なあ、そう思わないか?」といった感じでしゃべっていたら、「話がわかりやすい」ということになって、大勢の前でよく話をさせられました。当時の言い方をすれば「あいつは大衆基盤がある」ということになって、周りからはリーダーと見られた。除籍されたのも、そういう誤解があったみたいですね。あまり勲章にもならない話です。
看板屋さんになれないかな、なんて思ったことがあります。学生の頃、喫茶店のマッチのラベルを描いてお金を貰ったことがありました。絵を描いてお金になることに味をしめていたので、看板屋にならなれるかなぁと。
絵は独学で、小中学校の図画の時間に教わったくらいです。後は学生運動をやっていた頃、立て看板とかイラストみたいなものを描いてました。
でも、看板の仕事も大変そうで無理だと判りましたし、やっぱり活字に対する思い入れがあったので、印刷所で働こうと考えました。
そんなウマい話には縁が無いと思ってました。それで北区の方のある印刷所に採用してもらえる話にはなったんですが、実際に工場で働いている制服姿の人を見たら、自分もああなるのかと思い、怖じ気づいてしまった。
つまり、揃いの作業服を着て、黙々と工場で働く自分を想像できなかった。実際に目の当たりにするとびびって、「労働者」にはなれなかったんです。
そこで次に家族で経営している小さな写植屋に勤めたんですが、印刷所と違い、アットホームで子供がまとわりついてくるような環境でしたから、そこも3か月で耐えられなくなって辞めました。アットホームも大変辛いものがありますね。とにかく何の能力もないので、その頃は気持ちが暗かったです。
新聞に載っていた虫プロの募集を見て、何となく応募したら受かってしまいました。どういう仕事をするかも漠然としか把握しておらず、これといった才能のない自分でも、アニメは大勢の人間でやるものだから、その中に混じれば、何とか仕事ができるかもしれないぞと思っていました。
とにかく自分には何もできないなという思いがありましたし、実際できないことばかり多かったです。
消去法でとりあえずできることを見つけて、それをやっていくと「ここまでできるのか。それならあれもできるかもしれない」とできる範囲が広がっていきました。23歳くらいで業界に入ったので、その年で0からのスタートだと、あまりのんびりしていられない。できることを増やさないと、すぐにしょうもない中年になってしまうという思いもありましたね。
最初は受け身で、「これでもやらないと生きていけない」と思っていたわけですが、できる範囲を拡大して、演出やシナリオもやってみると仕事がおもしろくなるし、そうなると周辺からも存在が意識されるようになります。結局、そうやっていい出会いに恵まれる中でガンダムに関わったわけです。
ガンダムにはマイナーのよさがありました。私のいたサンライズはいまでは大きくなりましたが、当時は規模も小さく、絶対的に人が足りない。だから自己アピールしやすい。いろんな才能を持つ人の中にいれば、埋もれて目立たないけれど、人がいないからとりあえず手を挙げれば目立ちます。それもマイナーのよさです。
ガンダムは、ほとんど富野由悠季監督の一人でこしらえた原案から動きだしました。富野さんも挫折した映画青年ですから、僕らは裏街道派の阿吽の呼吸で、「主人公の性格は暗くしよう」「それはいいね」といった掛け合いで、アイデアを形にしていった感じです。
誰が何を言って決めたということは、ほとんど覚えてなくて、何となく決まっていきました。だからガンダムというタイトルを誰が考えたのかさえいまだにわからないんです。
すごいといっても、あくまでマイナーな連中が発する熱です。それは嘘でも謙遜でもなく、確かにそうでした。だから商業的な成功を得た結果にはびっくりしました。と同時に「ざまあみろ」という思いはありましたね。
これは「見返してやった」という驕りではなくて、マイナーな奴らでも世間を振り向かせることもできるんだという気持ちです。あくまでもマイナーを前提にした意味での居直りですね。
所詮、明日がどうなるかわからない立場で、今日ちやほやされても明日はどうせ知らん顔で背中を向けてしまうんだろうから、そのときにいちいち落ち込まないようにしなくちゃいけないな、という自戒はありました。醒めていましたね。
自分の能力に限界を感じたのもありますが、やっぱりアニメはあくまで過渡期のものだという考えがあったせいでしょう。
ただ、漫画なら自分なりに育んできた社会観を描くことができるんじゃないかと。それで大したあてもないけれど、漫画家になろうと思いました。
関わっていた学生運動も世の中の流れの変化からあっさり空振りし、時代もそういうものを必要としなくなり、また世界的に左翼が終わることもわかりました。でも、アニメをやっている中で溜まったストレスが、若い頃に抱いていた社会観の余熱を呼び起こしてくれた感じで、もう一度、世の中や国家や民族を考えてみたいと思いました。
大学で、最初は東洋史をやりたいと思っていたんです。高校時代にアヘン戦争の本を読んで、やっぱりアジア人としての憤りを感じた。どんなに背伸びをしても僕はアジア人にはかわりない。だからその視点でものを見ないといけないと思った。
とはいっても実際は西洋史を専攻したのですが、アジアに対する思いはずっと持っていましたね。
『虹色のトロツキー』では、実際に満州へ取材にいったり、当時の関係者に会って話を聞いたりしましたが、両者にはっきりとした分かれ目があるかどうかわかりません。
『王道の狗』は、初めてのメジャー出版社での仕事となったのですが、「なるほどメジャー流とはこうなのか」と思って大変勉強になりました。それは「わかりやすい話にする」ということでした。王道派、覇道派といった正反対のキャラを出して、図式化する。それが結果としてよかったのではないかと思っています。
ただ、現実的に両者に一線を引けるかということと図式的に表現できることは異なります。あえて、白黒を鮮明に描きわけることで、それがいい意味で互いに干渉しあえば、多彩な表現として受け取ってもらえるのではないかと思います。
いまの世の中でも陸奥のように情報を知り、予測に基づけば、リスクを回避でき、より成功に、権力に近付けるという考えが幅をきかせています。そうした風潮についてどう見ていますか。
左翼が元気だった頃、民衆や労働者という視点に立てば、正義たりえるといった信仰がありました。でも今日と明日は違うように、民衆にも裏もあれば表もあります。過信すれば大いに間違う。
歴史を多元的にとらえたとき、初めて見えてくるものがあるのではないでしょうか。歴史に関心があっても、「西洋が悪くて、東洋は犠牲者だ」と決めつけては、物事は見えてこない。西洋に圧迫されていた清もほんの少し前までは、世界最先端の国だったわけで、歴史は常に変化しています。
歴史に「もし」は大ありだと思っています。だから勉強しておくと、いろんなところで、「あの時こうだったから気をつけよう」と思えるし、そういう知識の積み重ねは、未来に役立ちます。経験の積み重ねで世の中は見えてきます。ただ、法則を覚えたり、物差しの当て方や白黒の色分けを教わって、わかった気になっていたら世界は見えないでしょうね。
オタク的な感覚の持ち主は、自分の感性に自信はあるのでしょうが、そのことと世界をきちんと見られる能力とは重なりません。
AとBの立場があって、互いに喧嘩しているとき、Aからも、Bからも見られるというのが大事なんでしょうね。どれだけ情報をインプットしても、結局ワンサイドしか物事を見られないと、状況が異なれば無効になる。
いまだとテロと対テロ戦争の構図がそうですね。テロリストの視点もアメリカの視点も必要。世の中が「テロはいけない」と言っているときに「そうだ!」と言うだけでは、一面しか見ていない。本当のテロリズム批判にはならない。そういう勉強を21世紀になってからも僕らは充分させられています。マスコミのいう白か黒か、加害か被害かという見方がどれだけ無効かを教えられたはずです。マスコミの価値観への耐性は自分で養うしかないでしょう。
読書を勧めたいです。ちょっと気恥ずかしいんですがね。というのは、読書は自分で選択するものであって、流れ込んでくるものではないからです。
マスコミの情報は黙っていても流れて来るし、だいたいが声高の論調です。インターネットも双方向かと思っていたら、そう言いつつ実際は流れ込んで来る性質が強い。
本はむろんベストセラーもありますが、ちょっと時代を経たものだと、そういう一方的な流れ込み方をしません。あくまで自分の選択にかかってきます。
感銘を受けた本として一冊だけ挙げるなら、宮崎滔天(注4)『三十三年の夢』です。実際に一所懸命生きた人の人生は迫力があります。
特に明治初期から生きてきた人が子供のときにキリスト教に帰依したり、浪曲師になったりと、アジア主義者としての前半生が描かれています。その遍歴の多様さから学ぶことは多いと思います。
(注1)昭和初期の満州(現中国東北部)、モンゴル、日本を舞台に権力闘争に破れたソ連のトロツキーを満州に招く「トロツキー計画」とノモンハン事件を主軸にした作品。
(注2)明治末期の秩父事件から日清戦争、辛亥革命に関わった人々の運命を描いた作品。
(注3)元紀州藩士。明治政府に出仕、外務を担当し、「カミソリ大臣」と呼ばれた。不平等条約の改正に辣腕を振るった。
(注4)自由民権運動に関わり、またキリスト教に帰依し、その後アジアの革命運動に携わるなど様々な遍歴を持つ。日本で孫文らを支援し、辛亥革命を支える一方、浪曲家でもあった。革命に従事しながらも失敗と挫折の連続を綴った自伝『三十三年の夢』は、中国で日本人初のベストセラーとなった。
Yoshikazu Yasuhiko
安彦 良和
1947年北海道生まれ。弘前大学に入学、学生運動を理由に除籍処分。1970年に上京し、手塚治虫の虫プロダクションのアニメーターになる。その後、サンライズに入社し、「機動戦士ガンダム」の作画ディレクターとキャラクターデザインを担当。その他多数のアニメ作品に関わる。1989年、漫画に活動の舞台を移し、『神武』『虹色のトロツキー』『クルドの星』などを発表している。
<安彦良和原画展>
http://www.add-system.co.jp/yasuhiko/top.html
【安彦 良和さんの本】
『イエス』
(日本放送出版協会)
『ナムジ:大国主』
(中央公論社)
『クルドの星』
(チクマ秀版社)