キャラが演じるキャラクター
手塚治虫のスター・システムというのがありまして。
ぼくが読者に試みたサービスのひとつに、スター・システムがある。
ぼくは、芝居に凝っていたので、ぼくの作品に出てくる登場人物を、いっさい劇団員のように扱って、いろいろ違った役で多くの作品に登場させた。メイキャップもその都度かえさせ、善玉がたまに悪玉の役をやったり、いろいろ演技のクセなども考えた。(手塚治虫『ぼくはマンガ家』新版、1979年)
たとえば、初期の手塚作品の主人公は、きまってケン一くんとヒゲオヤジのコンビでした。役名は「ケン一」と「ヒゲオヤジ」と同じであっても、別の作品で別のキャラクターを「演じて」いました。『鉄腕アトム』ではふたりとも脇に回ってましたね。
アセチレン・ランプやハムエッグは、多数の作品に登場して悪役を演じています。ロック・ホームは『ロック冒険記』などで主役をはってましたが、『バンパイヤ』で悪役に転じ、これは手塚自身も「当たり役」であったというくらい。そして『ブラック・ジャック』は、手塚キャラ総出演というのが評判になった作品でした。
手塚治虫以外でこのようなことをしていたのは、たとえば、石森章太郎。『サイボーグ009』の004は、髪の毛を剃って丸坊主になり、『佐武と市捕物控』の「市やん」になりました。
水木しげるも、複数の作品に同じキャラを登場させてますね。有名なのはメガネで出っ歯、四角い顔のキャラ。桜井昌一がモデルだと言われてます。
白土三平も、丸鼻で長髪の少年キャラを複数の作品で使用。風魔小太郎の変装した姿だったり、西部劇に出演して『死神少年キム』となったり。
藤子不二雄はどうだったかな。ゴンスケというロボットが複数の作品に登場しましたが、あれは、どの作品でもゴンスケそのものですから、「演じて」たわけじゃないか。
赤塚不二夫『おそ松くん』では、ときどき時代劇なんかがあって、チビ太が若殿さま、イヤミが浪人なんかになってました。おそ松くん劇団総出演、みたいな感じで時代劇を「演じて」たわけですが、これは『おそ松くん』という作品内の話ですから、厳密には違います。ただし、読者は役者としてのチビ太を意識しながら、チビ太が演じる若殿さまを見てたんじゃないでしょうか。
もちろん日本作品以外でも同じようなことをしてまして、アニメ『トムとジェリー』で、トムとジェリーが三銃士のような時代劇=コスチュームプレイをする話がありました。ディズニーでも、ミッキーが『ジャックと豆の木』のジャックを「演じて」ます。
わたしたちがディズニーランドで等身大のでかいミッキーに出会ったあとで、ミッキーの登場するアニメを見ますと、ミッキー・マウスという役者がアニメ内でミッキーというキャラクターを演じているように感じてしまいます。エレクトリカルパレードは、アニメキャラクターを演じている役者さんの、もうひとつの姿を眺める感じ?
伊藤剛氏によるキャラ/キャラクター論とはずれるかもしれませんが、役者としてのキャラがフィクション内のキャラクターを「演じる」ことを、読者/観客は無意識のうちに受け入れているのかもしれません。
このシステムはギャグ系と親和性が高く、とり・みきの諸作品にはご存じのキャラばかり登場してます。吾妻ひでおの、ナハハとかブキミも複数の作品で見られます。いしかわじゅんも、そうだなー、山道山とかあちこちで見かけてたような。
CLAMP作品でも同じキャラが複数の作品に登場しますが、あれはパラレルワールドでつながってる設定らしいから、ちょっと違うか。
あとがきマンガは役者としてのキャラが登場しやすいようです。矢沢あい『NANA』のあとがきマンガでは、NANAのキャラたちが酒場で働いたりしてますし、ゆうきまさみ『鉄腕バーディー』のあとがきマンガは、これはもうモロに、役者としてのキャラたちが、ゆうきまさみ監督のもとで「バーディー」という映画を撮っているという設定。
で、最近おどろいたのが、武富健治『屋根の上の魔女 武富健治作品集』(2007年ジャイブ)の自作解説で、自作の「面食いショウの孤独」と「屋根の上の魔女」についてこう語っていたこと。
主人公はわがスターダムシステムでの立役者、鈴木章。鈴木先生役と同じ役者です。
これも鈴木章主演。いつも漫画家としての状況がワンステップ上がるときは彼のお世話になっていますね。
なんと武富健治も、手塚流スター・システムの利用者だったとは。
鈴木先生も、作者の頭の中では、「鈴木先生」という役を演じている役者キャラであったのですね。手塚治虫も武富健治も演劇やってたという共通点があるし。
Comments
小学生の頃、J・メースン主演の「砂漠の狐」という映画を見て、ロンメル将軍ってかっこいいなあと憧れて、自分で漫画化しようとしたことがありました。そのときロンメル役に手塚治虫のキャラをパクッたのですが、なんとそれは「メースン」という、ジェームス・メースンがオリジナルのキャラでした、十数年後にその事実を知って、おれっていいセンスしてるじゃんと思ったわたしは愚か者です。
Posted by: 藤岡真 | July 19, 2007 at 09:31 PM
スターシステムを有効に使っている現役の漫画家というと、私はさそうあきらが真っ先に思い浮かびます。キャラクターを「役者」に見立てて作品を横断させることは、人間の多面性を描くことに執着を持つ漫画家にとって、有効な手段なのかもしれません。
と、『マエストロ』での同一キャラクターの青年期/熟・老年期の印象的な描き分けを見ながら、なんとなく思いつきで言ってみました。
ともあれスターシステム、読者としては作家を追っかける大きな楽しみになりますよね。
Posted by: yokozuki | July 19, 2007 at 11:05 PM
藤子不二雄のスターシステムといえば、ラーメン大好き小池さんですね。A、F両先生のどちらの作品にもよく登場してました。
Posted by: ふう | July 19, 2007 at 11:38 PM
スターシステムは時代劇とはこういうものだ(笑)というのと同じで、作品へのとっつき易さ、ストーリー・キャラクターへの感情移入のし易さに大きく貢献するものですよね。
石森章太郎氏の作品に『四次元半 襖の下張り』という私の中では氏の『さんだらぼっち』と並ぶ大大大好きな作品があるのですが、そこに『サイボーグ009』の004が出てくるんです。ある時空に飛んだ主人公の目の前で二人の戦士が死闘をしていて、片方が敗れた瞬間に上空の星が一つ爆発する。故郷を賭けた代表同士の戦いの敗れるほうのキャラクターとして出演しているのですが、この敗れる方をわざと004にすることで物語に厚みが増す、という巧い使い方をしています。
Posted by: くもり | July 20, 2007 at 12:51 AM
かなりのネタばれですが、青山剛昌の「まじっく快斗」は「『まじっく快斗』というテレビドラマの話」という設定で、単行本のおまけに舞台裏の漫画が載ってます。
はっきりと明言はされていませんが、実はその中で「『名探偵コナン』も実はテレビドラマだった」というシーンがあります。
(「名探偵コナン」と「まじっく快斗」は物語自体がつながっている)
Posted by: 落伍者 | July 20, 2007 at 02:14 PM
>ある時空に飛んだ主人公の目の前で二人の戦士が死闘をしていて、片方が敗れた瞬間に上空の星が一つ爆発する。
これはフレドリック・ブラウンの短編のパクリですよー。
石森章太郎氏のSF漫画は、ほとんど海外SFの翻案。
古い方々(漫画及びSF方面)には周知の事実ですね。
Posted by: トロ~ロ | July 20, 2007 at 03:19 PM
ここで みなもと太郎先生 を忘れてはいかんでしょう(笑
Posted by: ちんぽぽ | July 20, 2007 at 04:20 PM
1967年、少年マガジンに石森章太郎(当時)の実験漫画『そして…誰もいなくなった』が2週にわたって連載されました。このタイトルからしてちょっとあれなんですが、この実験漫画、4コマ漫画、学園漫画、SF漫画、動物漫画、スパイ漫画が同時進行し、最後は核戦争のため誰もいなくなってしまうというストーリーでした。しかし、このうちのスパイ漫画『脱出』が、その当時オンエアされていた(ほぼ同時期)、東西ドイツのスパイ戦を描いたTVドラマの丸パクリで、呆れた記憶があります。その後、ビックコミックに連載していた『馬がゆく』も新聞社の精神病院のルポルタージュからパクっていることがバレ、報道もされましたね。昔は知的財産権という意識が希薄だったんでしょうか。
Posted by: 藤岡真 | July 20, 2007 at 04:35 PM
みなさま、コメントありがとうございます。
>メースン
わたしにとってはヒッチコック「北北西」の悪役のひとでしたね。
>小池さん
そうか、藤子不二雄には彼がいました。
>まじっく快斗
実はテレビ、というのはいかにも現代的ですねえ。
>みなもと太郎先生
うわっ、そうでした。レ・ミゼラブルもハムレットも、みなもと劇団総出演。
Posted by: 漫棚通信 | July 20, 2007 at 08:23 PM
スターシステムを積極的に活用している漫画家さんとして,和田慎二氏の名をあげたいとおもいます.
和田氏がこの手法を意識してつかっていることは,「怪盗アマリリス」のメイキングで八雲やジュニアを紹介する文章のはしばしから,あきらかです.また,「神恭一郎白書」のなかには「"愛と死の砂時計"の撮影スナップ」と題する一こまもあります.
自家宣伝で恐縮ですが,わたくしのサイトの「読書感想文」に載せた「<漫画家=映画会社>説の提唱」をお読みいただければ,さいわいです.
Posted by: ひでかず | July 20, 2007 at 09:12 PM
>みなもと太郎先生
そういえばアニメ版『大江戸ロケット』にもみなもとキャラが「客演」してますね。
Posted by: 永山薫 | July 20, 2007 at 11:38 PM
いしかわじゅんの山道山は関川夏央がモデルですね。
あとスノウチサトルとか、作者近辺の人物の似顔絵キャラを大部屋俳優的に使ってます。
あとスターシステムといえば、とり・みきなんかもそうですね。
Posted by: かくた | July 22, 2007 at 06:05 PM
「石森章太郎氏のSF漫画は、ほとんど海外SFの翻案」について、一言、書き添えなければ。
50歳直前の私がSFに接したのは、漫画⇒小説の順番なので、石森氏のSF漫画からの影響の方が早いわけです(私的体験ね)。
で、あとからSF小説を読んで「あ。これは。さてはそうであったか」と思うことがあっても、作品の出来や、センス・オブ・ワンダーの点などで、石森作品が劣っているということでは無い。
実に上手く消化し、翻案し、自家薬籠のモノにしている。ことの本質を見失わず再生産していた(例えアイデアの幾許かを拝借していたとしても)。
これは石森氏の吸収力や学習力や表現力の賜物でありましょう。
石森氏の影響下に、吾妻ひでおが生まれ、さらに筒井康隆を吸収し再生産しているように。
Posted by: トロ~ロ | July 23, 2007 at 08:03 AM
トローロさんのおっしゃる通りかも知れませんね。
こういった現象というか、作品の構成の仕方の
お手本は手塚先生ですよね。
石ノ森はそれをマネしていた部分が多いでしょうね。
ただ、彼の時代になると、原作SFをすでに読んでいる
読者も存在していたわけで、100%問題ナシとは
言えない部分がありますね。
ただ当時は圧倒的に子供が彼の作品を読んでいたわけで
こういった現象は、赤塚ギャグの設定拝借にも有るわけです。
Posted by: 長谷邦夫 | July 23, 2007 at 09:02 PM
私がひらがなが読めるようになって、初めて読み始めた長編マンガは石森章太郎「リュウの道」でした。
おかげで、それから読み始めた元ネタSF小説の新鮮味の無いこと、無いこと。
あれ、当時メジャーなやつありとあらゆるネタ使いまくりで。
まあ、今でもリュウの「ボックス」持ってますけどね。
Posted by: N | July 24, 2007 at 12:03 AM