ルーブル美術館
〜ダ・ヴィンチ・モード〜


ルーブル美術館は「世界のギャラリー」とよばれるが、
とりわけイタリアルネッサンスの宝庫である。

ルーブルを訪れる人々は年間300万人を超えるといわれるが
ほとんどの人がそこでひとりの永遠の美女に会うことを楽しみにしている。
ドゥノン翼の2階にあるレオナルド・ダ・ヴィンチ「モナ・リザ」である。

世界の名画の中でも、「モナ・リザ」ほど有名な絵はないだろう。
しかし、「モナ・リザ」のモデルは、現在なお不明である。

もっとも有名な説は、フィレンツェの貴族フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻
エリザベッタを描いたというもので、エリザベッタの愛称はリザ、
つまり、「モナ・リザ」は「リザ夫人」を意味しているのである。

「モナ・リザ」の通称「ジョコンダ」は、「ジョコンド家夫人」という意味を持つ。


 「モナ・リザ」

「モナ・リザ」はこれまでに幾度か、
ルーブルの絵は偽物でこれこそ本物であるという絵が
いくつか現われてはスキャンダルを巻き起こしたが
そのような「モナ・リザ」はおおよそ60枚もあるといわれている。

世界で最も有名な絵にまつわる贋作、模作の話は限りがないようだが
「モナ・リザ」は神秘的な美しさをたたえて、ルーブルにいる。

「モナ・リザ」は、1911年にルーブルから盗まれたことがあるが、
(2年後にフィレンツェで発見される)今までに2回海外に旅をしている。
1963年のアメリカ、1974年の日本への貸し出しのためであるが、
「モナ・リザ」の3度目の貸し出しはないといわれる。

謎めいた微笑を浮かべる上半身像の「モナ・リザ」は、
心もち左肩を前にして体を斜に構えているが(四分の三正面像という)
これはもともとフランドル地方に始まる形式といわれる。

「モナ・リザ」の構図とポーズは、人物画における最も完成した様式として、
現代に至るまで、多くの画家に模倣と引用をされている。

ルーブル美術館では、いくつかの「モナ・リザ」的な肖像画を見ることができる。



「聖アンナと聖母子」

レオナルドが終生手離さなかった3点の作品のひとつである
「聖アンナと聖母子」は、レオナルドの理想化された母性への憧憬がある。

レオナルドは、1452年、フィレンツェ近郊のヴィンチ村に、
公証人セル・ピエロの私生児として生まれた。

レオナルドは生母と一緒に暮らしていたが、5才の時に父の家に引き取られる。
レオナルドの母性への憧憬は、この生い立ちと無縁ではないだろうといわれる。

「聖アンナと聖母子」の聖母とその母である聖アンナの慈愛のなかに
哀しみを秘めた表情を浮かべる姿は、レオナルドが幼くして別れた
生母の面影を宿しているのかもしれない。そして、「モナ・リザ」もまた、
聖母と同じように、生母の面影を宿しているのかもしれない。



「貴婦人の肖像」

レオナルドのミラノ時代の作品である「貴婦人の肖像」のモデルは、
ミラノ公ルドヴィコ・スフォルツァの愛人、ルクレツィア・クリヴェリといわれる。

この絵には、画家とモデルの共感がいっさい感じられない。
画家の視線は冷淡そのもので、女性も敵意に近い眼差しを見せている。

「モナ・リザ」という世界一有名な女性像の作者でありながら
レオナルドは、現実の女性に対しては一貫して冷淡だったようである。

「フィレンツェの悪徳」という言葉がある。男色を意味しているという。
レオナルドは、1476年に2度にわたって男色の罪で告発を受けている。


「洗礼者ヨハネ」

「洗礼者ヨハネ」は、レオナルドのローマ時代(1513〜16年)に
描かれたレオナルド最後の作品といわれている。

「洗礼者ヨハネ」は、女性的な恥じらいに満ちている。
「モナ・リザ」にも似た不可思議な微笑を浮かべている半裸の男性像は、
レオナルドが描いたどの女性よりも、官能的である。

この作品は、同性愛者としてのレオナルドの告白的自画像と見る解釈もある。

ローマで仕事らしい仕事もない無為な日々を送っていたレオナルドは、
65歳の時に、フランソワ1世の宮廷芸術家として、フランスへ招かれている。

この作品は、「モナ・リザ」、「聖アンナと聖母子」とともに、
レオナルドが終生手放さなかった作品であり、
レオナルドの死後、フランス国王のフランソワ1世の所有となった。

そして現在、これらの作品は、ルーブル美術館にある。
というよりも、むしろこれらの作品を手に入れたところから、
ルーブル美術館はその歩みを始めた、といえるかもしれない。


 「カスティリオーネの肖像」

カスティリオーネは、軍人で外交官であり、ラファエロの親しい友人でもあった。

「モナ・リザ」とは似ても似つかない髭面の男性の肖像であるが、
この肖像画は、ラファエロには珍しい黒と灰色のトーンで、
そのポーズは、レオナルド「モナ・リザ」の影響を受けているといわれる。

ラファエロは、21才の時に、フィレンツェで「モナ・リザ」を見ている。
その時から、晩年に至るまで、ラファエロは、「モナ・リザ」の影響下に、
女性像を描いているのであるが、ラファエロのレオナルドへの憧れを
もっとも結晶させた作品が、「カスティリオーネの肖像」であるといわれる。

「モナ・リザ」盗難から1年後の1913年に、ルーブル美術館は、
空いたままの壁に、一点の絵を掛けることを決断するのであるが、
それが、ラファエロの「カスティリオーネの肖像」であった。



「真珠の女」

19世紀の画家コロー「真珠の女」は、気品のある表情が好感の持てる
作品であるが、その構図とポーズは、「モナ・リザ」の明らかな引用である。

しかし、「モナ・リザ」の背後の幽玄な風景を省略しているために、
「真珠の女」は、一見して、スケールの小さい、単調な印象を与える。

背景の空間は塗りつぶされているような重苦しさがあり、
「モナ・リザ」の神秘性は、コローの作品には皆無である。



ルーブル美術館は、巨大な迷路のように回廊の入り組んだ3つの翼
(シュリー翼、ドゥノン翼、リシュリュー翼)に、エジプト、オリエント、
ギリシア、ローマの発掘品や、中世から近代までのヨーロッパの美術品が
ひしめきあっている。この巨大さには心身ともに圧倒されてしまう。

そんなルーブル美術館での楽しみ方は、人それぞれあるだろうが、
最も関心のある画家に的を絞って、例えばレオナルド・ダ・ヴィンチなら、
ダ・ヴィンチ・モードで、ルーブル美術館をめぐってみるのも面白い。



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