一般に、刃物を持った人間と戦わなければならない機会はそうそう無い。だが警察官ともなるとそうではなく、国によってはかなりの頻度で警察官が刃物の被害に遭う。 今回はThe FBI Law Enforcement Bulletin誌2006年3月号に掲載された論文*1を元に、刃物による殺傷事件の傾向と危険性を紹介したい。 例によって意訳、省略ありなので注意してほしい。 論文の著者が見つけた先行研究は6件でイギリスが5件、マレーシアのクアランプールが1件。 英国の事例のうち4件はイングランド、1件はスコットランドのものである。 英国は刺殺が多い地域であるため*2、文献もそこが多い。 1件以外の各研究で研究者は傷の位置と数、犠牲者の年齢、性別、攻撃者について(分かる場合には)記録している。 こうした先行研究から収集した情報で最も重要なことは、致命に至る傷は平均すると刺突または斬撃の一撃だということだ。もちろん、こうした犠牲者は皆ボディアーマーをつけていない。 論文で紹介された先行研究はそのままだと分かりにくいので箇条書きにまとめてみる。 (1) 英国:エディンバラ病院に収容された刃物によって傷を受けた人120人のうち、20人がその傷で死亡している。 20人の死者のうち16名は胸部に外傷があり、死者のうち5名だけが病院の処置を受けることができた。 (2) 英国:王立ロンドン病院で記録された148件の刺突例では、67人が一刺しで致命傷を受けている。 研究者の見積もりでは22件は心臓、17件は心臓と片肺への傷だ。 また、複数の傷を受けた81件のうち61件が胸部への傷が致命傷となった。 (3) 英国:この他の研究では女性の攻撃者の57%、男性の攻撃者の37%が一つの傷を与えている。 こうした一つの致命傷を与える例では39件中27件が胸部への攻撃だった。 また、刺突の致命傷74件では、27件が一撃で致命傷、そのうち17件が胸部への刺突だった。 (4) マレーシア:マレーシアはイギリス同様刺殺が多いが、斬撃のほうが致命傷が多いとの研究がある。 クアランプールの大学病院における10年間37件の研究では、意図的な暴力による27件のうち16件で犠牲者は5以上の傷を受けている。 複数の傷を含めた全ての事例では、18は頭部、15は頚部、12は胴への傷だった。 一つの傷で死んだ犠牲者は8人で、そのうち6人は頚部への傷がある。 統計から分かるように胸部は肋骨によって保護されているのに対し、頚部は斬撃によって致命傷を受けやすい。 この研究は、英国と異なりインドネシア特有の刀剣、鉈、鎌や刃物(カランビットなど)を含んでいる。 アメリカの20年間の法執行機関の統計の平均によると、毎年1,358人の警官が刃物によって傷つけられている。 この数値には変動があり、1996年は最小の871件、1992年は最大の2,095件だった。 20年間の統計を平均すると、毎日3〜4人の警官がナイフによって攻撃されていることになる。 この統計は、刃物の攻撃に対してより注意する必要を示している。 ある研究によると、市民の刃物による攻撃は主に家庭内で包丁によるものだが、多くの負傷は路上でフォールディング・ナイフやシースナイフによるものだ。 刺殺の事件から大型の鋭い包丁を規制すべきという論文も出ている*3が、 先行研究によると皮膚を貫くのに刃の長さは切先の鋭さほど重要ではないと示されている。 3インチ(7.62cm)未満の刃は致命的な刺創をつくることができ、どんな長さの鋭い刃物でも首のような急所に致命的な切創をつくることができる。 研究では「事実上理想的な武器は、短く、薄刃で硬い刃の、約7cmのナイフであり、ほとんどのフォールディングナイフ、シースナイフはこの範囲に収まる。より大型のナイフ(装飾的なダガーや軍用ナイフ)はより強い力を必要とする」とされている。 不幸にもほとんどの州法はこうした刃物を規制対象にしておらず、その結果警官は小型ナイフの潜在的な脅威を見過ごしがちである。 かつて、警官はバタフライナイフ(バリソン)を潜在的な脅威とみなした。バタフライナイフの開きやすさから即座に使える武器だと考えたのだ。 現在ではバタフライナイフより迅速に使えるナイフ(親指をかけて開くワンハンドオープンのフォールディングナイフ等)は無数に存在している。 しかし多くの警官はこうしたナイフを脅威と認識せず、容疑者の武器を見過ごす。 多くの場合、人はワンハンドオープンのナイフを利き手側のズボンの前ポケットに入れて持ち歩く。 警官は、ポケットに出ている1.5〜2インチのクリップで容疑者がナイフを持っていることが簡単に分かる。 法執行機関の訓練のドグマである21フィート(約6m)ルールでは、容疑者が警官を刺す前に2発撃てる21フィートの距離を保つ。 しかしある研究によれば人は2秒で30フィート(約9m)動くことができ、これは警官の発砲で死ぬまでに70ヤード(約64m)移動できることを示している。 FBIによれば心臓が破壊された後も10〜15秒は完全な随意活動をするに十分な酸素が脳にあるという。 このことは、21フィートが刃物に対処するには不十分であることを示している。 射撃と違って刃物による攻撃は10〜15秒で行える原始的で本能的な動作である。 20世紀初頭、アメリカ海兵隊員は、胸部に致命傷を受けても前進し、刃物で攻撃し、隊員を殺傷する敵がいることを発見した*4。 この経験は、ナイフを持った容疑者は致命傷を受けても警官を殺傷することができるというFBIのデータの傍証となる。 警官は、ワンハンドオープンのナイフを脅威と認識し、容疑者の武装解除にも組み込まなければならない。 そして警官にとって最大の武器は、攻撃に対処できる距離を保つことである。 また、この論文では容疑者に対して常に30フィート離れるわけにはいかないので、武装解除の方法も検討を加えるべきと指摘している(例えば複数の警官による武装解除の方式の策定など)。 またボディアーマーは斬撃には耐えるが、トラウマプレートがない場合刺突には(ポケットナイフでも)弱いとしている。 ボディアーマーには胴体は守れても頚部や手首、鎖骨下、大腿部を守れないという弱点もある*5。 こうしたことから適切な対処によって警官が刃物の攻撃にさらされる危険を減らさなければならないと提言されている。 以上の論文は、要するに「刃物は小さいものも危険なので警戒しなければならない」「安全距離は思ったより安全ではない」という主張を過去の調査研究から主張したものだ。 この論文を敷衍すると片手で開閉可能なフォールディング・ナイフが規制対象になってしまいそうだが、論文ではそこまで触れられていない。 しかし今年アメリカでワンハンドオープンナイフの規制が税関向けに提案されたのは、ひょっとしたらこの論文で説明されている問題も関係しているかもしれない。 なお、元の論文で論じられているワンハンドオープン可能なナイフにはEmerson KnivesのWAVEのように、ポケットに引っ掛けて刃を出せるナイフも紹介されている。 ここで紹介されている先行研究や事例の取り扱いには若干の疑問もある。 例えば銃で撃たれても即死しないというエピソード(米軍対フィリピンのモロ族の戦い)は、しばしば45口径神話のエピソードとして語られている(注4のリンク先参照)。 この経験から45口径の拳銃である1911(コルトガバメント)が誕生したように、歴史的には銃で制止できない問題には銃(銃弾)の口径・種類で対処されてきた。 あるいは、攻撃部位が脳(頭部)であれば(狙いにくい場合が多いが)、相手の行動を止めることはできる。 本論ではそうした銃の問題や攻撃部位の問題には全く触れられていない。 また、このエピソードではしばしば薬物や伝統の問題が説明されているが、ここでは触れられていない。 少し気になるところもあるが、武器としての刃物の危険性について先行研究に基づいた論文は日本ではまずお目にかかれないので紹介した。 *1:http://www.fbi.gov/stats-services/publications/law-enforcement-bulletin/2006-pdfs/mar06leb.pdf *2:この表現はどうかと思うが、先行研究によるとそうらしい。 *4:米比戦争の有名な逸話。日本語だとThe Dawn of 45 caliber Mythsが分かりやすい。 *5:このためボディアーマーを装着した相手に対処するナイフテクニックが存在する。2009-12-19
■[Edged weapon][技法] 警察官と刃物の脅威
先行研究
攻撃のデータ
法執行機関への脅威
訓練の問題
提言
町田による補足