※このブログは自分が思ったことを書くブログで、何かに反応をするのはやめようと思っていたんですが、やっぱり気になったので少し趣旨を曲げてこの記事を書いています。
昨日エンジニアよ、ゼネラリストなんて目指すな!という記事が話題になっていました。
私のソーシャルグラフだと周りにエンジニアが多いですが、この記事に反応しているのはエンジニアが多かったように思います。
そしてだいたい否定的な反応だった気がします。
ところで以前技術評論社のサイトで、達人が語る,インフラエンジニアの心得という連載をしていました。
タイトル通りインフラエンジニア固有のトピックが多かったですが、エンジニア全般、たまには社会人全般に当てはまるような回もありました。
第4回 エンジニア不足を解消しよう
第6回 エンジニアのための「超」資格論
第9回 金勘定とエンジニア
といった記事はインフラに限らずエンジニアに当てはまる話でした。
第12回 情報を得る手段
第13回 インフラエンジニアの教育
第15回 エンジニアとマネジメント
第16回 情報発信の意義
第20回 エンジニアの海外志向
第21回 「流行り廃り」を意識しよう
第22回 エンジニアイベントを開くには
第23回[最終回] さいごにいいたいこと
あたりの記事はエンジニアにすら限らない話題でした。
この連載の内容、特に「第9回 金勘定とエンジニア」や「第15回 エンジニアとマネジメント」は、昨日の「エンジニアよ、ゼネラリストなんて目指すな!」という記事とはスタンスを異にしています。
昨日の記事に脊髄反射で違和感があるのではなく、元々私が考えていたり発信したりしていることとは違うなあと感じた次第です。
とはいえすべての意見は私見です。
いちいち違和感があるものに反対していてはキリがないしそもそも生産的ではありません。
ではなぜこの記事を書こうかと思ったかというと、この記事から「エンジニアを道具」として見ている感じがしたからです。
この2つの部分は、全く反対のことを言っているように見えます。
しかもこの2つはかなり近い文脈で書かれています。
技術を極めて汚いコードを書くというのは正直理解できません。
私は今は経営者のはしくれですが、以前はエンジニアでした。
エンジニアとしての自分というスタンスでこの文章を読むと、「ああ、都合のいい人が欲しいのだな」と感じたというのが率直な感想です。
コードがメチャメチャで汚いことはいいことだとは思いません。
コードというかシステムというのは最初動くだけではダメでそのあともずっと使われるものだからです。
それをメンテナンスするコストというのはエンジニアにかかる負担です。
「とにかく動くもの作ってよ汚くてもいいから」が「なんでこんなバグがあるの?」とか「なんでもっと早く機能追加できないの」に早晩行き着くのが目に浮かびます。
エンジニアは経営や事業の道具ではありません。
技術は経営や事業の道具の一つですが、エンジニアはその道具を作り出しそしてその道具を使って経営や事業に参加する仲間です。
財務担当がお金を調達してくるのと同じです。
もちろん私のこの記事の内容も私見です。
これが全てで正しいというつもりではないです。
そして元の記事も、インタビュー記事というのは抜粋されるので誤解を産みがちなものですから、本来の意図と異なったニュアンスで表現されている可能性もあると思います。
ただ、エンジニア出身の社長として、気になったのでこの記事を書いてみました。
昨日エンジニアよ、ゼネラリストなんて目指すな!という記事が話題になっていました。
私のソーシャルグラフだと周りにエンジニアが多いですが、この記事に反応しているのはエンジニアが多かったように思います。
そしてだいたい否定的な反応だった気がします。
ところで以前技術評論社のサイトで、達人が語る,インフラエンジニアの心得という連載をしていました。
タイトル通りインフラエンジニア固有のトピックが多かったですが、エンジニア全般、たまには社会人全般に当てはまるような回もありました。
第4回 エンジニア不足を解消しよう
第6回 エンジニアのための「超」資格論
第9回 金勘定とエンジニア
といった記事はインフラに限らずエンジニアに当てはまる話でした。
第12回 情報を得る手段
第13回 インフラエンジニアの教育
第15回 エンジニアとマネジメント
第16回 情報発信の意義
第20回 エンジニアの海外志向
第21回 「流行り廃り」を意識しよう
第22回 エンジニアイベントを開くには
第23回[最終回] さいごにいいたいこと
あたりの記事はエンジニアにすら限らない話題でした。
この連載の内容、特に「第9回 金勘定とエンジニア」や「第15回 エンジニアとマネジメント」は、昨日の「エンジニアよ、ゼネラリストなんて目指すな!」という記事とはスタンスを異にしています。
昨日の記事に脊髄反射で違和感があるのではなく、元々私が考えていたり発信したりしていることとは違うなあと感じた次第です。
とはいえすべての意見は私見です。
いちいち違和感があるものに反対していてはキリがないしそもそも生産的ではありません。
ではなぜこの記事を書こうかと思ったかというと、この記事から「エンジニアを道具」として見ている感じがしたからです。
エンジニアってどうしても、“技術ばかりに目が行きがち”だと思うんです。ただどんなに美しいコードが書けて、どんなに速く動いても、それがビジネスとして成り立たなければダメだという前提は、忘れちゃいけないですよね。周りでよく聞くのも「技術を身につけること」をゴールにしちゃうパターン。今だったら Ruby やっとけとか、Python だろとか、ある意味そんなのはどうでもよくて。
極端な話、コードがもうメチャメチャでも、動いて金が回れば正解なんですよ。「アイツの書くコードは汚いけど、アイツが入ったプロジェクトは絶対勝つよね」ってエンジニアは、絶対に呼ばれます。もう間違いない。少なくとも、僕は欲しいですし。
エンジニアであれば、何が得意って「技術」でしょ。つまり、チームやプロジェクトの成功という目的を達成するために“自分はどうやって貢献するか”と考えると、一番得意なことで貢献するべきじゃないですか。だったら、技術が得意なヤツなら、断然、技術を極めるべきです。エンジニアに営業なんてやらせません。下手ですし。もちろん何でもできるスーパーな人がいれば良いですけど、めったにいませんから、変にゼネラリストを目指すより、ぶっちぎりのスペシャリストであって欲しいです。そして、そのスキルを活かしてチームにどうやって貢献するかが、勝負になってくるんじゃないですかね。
この2つの部分は、全く反対のことを言っているように見えます。
しかもこの2つはかなり近い文脈で書かれています。
技術を極めて汚いコードを書くというのは正直理解できません。
私は今は経営者のはしくれですが、以前はエンジニアでした。
エンジニアとしての自分というスタンスでこの文章を読むと、「ああ、都合のいい人が欲しいのだな」と感じたというのが率直な感想です。
コードがメチャメチャで汚いことはいいことだとは思いません。
コードというかシステムというのは最初動くだけではダメでそのあともずっと使われるものだからです。
それをメンテナンスするコストというのはエンジニアにかかる負担です。
「とにかく動くもの作ってよ汚くてもいいから」が「なんでこんなバグがあるの?」とか「なんでもっと早く機能追加できないの」に早晩行き着くのが目に浮かびます。
エンジニアは経営や事業の道具ではありません。
技術は経営や事業の道具の一つですが、エンジニアはその道具を作り出しそしてその道具を使って経営や事業に参加する仲間です。
財務担当がお金を調達してくるのと同じです。
もちろん私のこの記事の内容も私見です。
これが全てで正しいというつもりではないです。
そして元の記事も、インタビュー記事というのは抜粋されるので誤解を産みがちなものですから、本来の意図と異なったニュアンスで表現されている可能性もあると思います。
ただ、エンジニア出身の社長として、気になったのでこの記事を書いてみました。
コメント
コメント一覧
http://www.facebook.com/tenpei.satou
今回、他の人が書いた記事に反応していらっしゃるようですが、
こういう業界では「炎上マーケティング法」というのが盛んです。
つまり、人にいらっとこさせ、注目させるのが目的の場合もあります!
おたがいゼロスタート がんばりましょう!
この元記事の方とは面識がなく、お話をした事がないので、ニュアンスがわかりませんが、思うところがあり、書かせていただきます。
プロジェクトが成功するなら、【極端な話】コードがメチャメチャでも【動いて金が回れば正解】
は事業主としては正しいと思います。
プロジェクトが成功しないのであれば、コードが綺麗なのは意味をもたないと考えます。
どちらにしろ、【極端な話】と前置きがある為、その方がより良いとは、私には、読み取れませんでした。
チームとして、プロジェクトを成功させるべく、技術のスペシャリストになるという事は、サービスにもよりますが、保守・運用性を考えた作りを、せざるえないと思います。
【極端な話】を通常の話、のように反応をされている方が多く、少し書きたくなりました。
だいぶ、好意的に解釈していますが、会ってお話してみたら駄目だったということはあるかもしれません。
追記:
エンジニア個人を道具として見ているかは、文章中からは読み解けませんでした。
チームの一員としては見ていそうに思えます。
結局は、会ってお話してみないとわからない為、
私個人としては、出会ったことのない人の話は、できる限り好意的に解釈しようと思っています。