岩崎学園とは 人材を育てる 働くに喜びを 社会との連携 子育てを支える 横浜を元気に

30年後、50年後の世の中を想像したことがありますか? 人々がどのような姿で、どのように生活し、そこにどんな新しい職業があり、どんな人が活躍しているか。 今となってはあたりまえのこと。 日本人が洋服で日常を過ごし、コンピュータがあらゆるシステムを制御するー  1927年、女学生がみな矢絣の着物に袴を身に付けていた和装の時代に、 洋装の女性が社会に溢れトレンドがめまぐるしく変わる華やかな未来を、  1983年、駅の自動改札もめずらしくレコードやカセットテープで音楽を聴いていた時代に、 IT分野の人材不足を見据え、専門学校として率先して技術者を育成しなくてはならないという使命感を、 神奈川・横浜の地の一角で、小さく、けれどまっすぐと感じ、 社会と個人の幸せを願い、 岩崎学園は、たくさんの支えのもとに、教育サービスをスタートしました。  感謝を絶やさず社会に誠実であるために変化する―その志は、 デジタルデザインや美容、リハビリ、保育とさまざまな分野の専門学校を生み、 さらには情報セキュリティの人材育成や、就労支援、子育て支援、地域振興と 学園の担う事業の広がりとなり、いまも変わらず息付いています。

横浜洋裁専門女学院(現・横浜fカレッジ)設立

―女性は結婚し家庭に入ることが常識の大正時代、当時10代であった創立者岩崎春子は、都会の裁縫学校に進学し職業婦人としての道を歩みだす。大半が輸入品であった布地がそろい、舶来文化で活気あふれる横浜の地に魅せられ、20代半ばという若さでこの学校を築いた岩崎春子の原動力は、女性はみな着物姿という時代ながら、必ず洋装が普及するという確信だった。

1936年頃。校舎は2度の全焼を経ながらも、創立者の想像を絶するバイタリティにより復建する。

横浜西口の振興をめざしファッションショー開催

神奈川県下唯一の服飾専門誌「モード」創刊

横浜洋裁専門女学院から横浜洋裁学院に改称

―終戦後、校地の接収で移転した校舎が横浜の地に戻ったとき、学園は地域の発展を図ることに尽力した。当時の横浜駅西口は商業施設も無く閑散としていたが、1954年の区画整理と国体開催により繁栄が急速に進む。60年代にかけ大型商業施設が次々に建ち、一大商業地区へと変貌を遂げていく。

 

当時の横浜西口の様子。閑散とした風景の右手に校舎が映る。

岩崎学園附属幼稚園開園

岩崎学園附属磯子幼稚園開園

華々しい経済成長を遂げた1970年代。高校・大学への進学率上昇に伴い、知識偏重の早期英才教育がブームとなる。子どもたちに必要なのものは、知識の詰込みでなく、集団のなかで生きる知恵―、岩崎学園はそのブームに問いかけ、健全な身体と知恵を育む理念を掲げた幼稚園を相次いで開園する。 後に「いじめ」問題のクローズアップによりこの理念は評価を高めていく。

早期英才教育ブームの中、健全な身体と知恵の育成を理念に掲げ2つの幼稚園が開園する。

岩崎博物館[ゲーテ座記念]開設

―岩崎学園の創立50周年事業として、わが国の近代演劇発祥の地といわれる「ゲーテ座」跡地にその面影を残した形で完成した岩崎博物館は、横浜の文化発信の場として、まさに創立時から受け継ぐ「地域還元」の理念を象徴した施設となる。後1982年には横浜臨海部開発計画「みなとみらい21」がスタートし、横浜地区は観光地としてさらに賑わいを増す。

近代演劇発祥の地といわれる「ゲーテ座」跡地に完成した博物館は、多くの文化人に愛され、横浜の文化創造の一翼を担う。

情報科学研究所開設

神奈川県下初の情報系専門学校として
情報科学専門学校開校

―高度成長期と共に重厚長大産業を一手に引き受けてきた京浜工業地帯は、円高で多くが撤退し産業の空洞化が進む。 今後は情報産業を育成しなければ―。設備を整え有力な講師を集め、情報科学専門学校が開校した1983年。 後1986年マイクロソフトの日本法人が設立。15年後のウィンドウズ98のヒットを機にコンピュータは家庭にも急速に普及していく。

 

情報科学研究所が開催した情報化日本の未来展。やがて本格的に訪れる情報化社会の姿をいち早く市民に伝えた。

情報科学専門学校新横浜校開校、
岩崎ファッション工科専門学校
(現・横浜デジタルアーツ専門学校)開校

―神奈川県の交通アクセスの拠点として注目される新横浜の地にふたつの学校を開校。テニスコートや体育館などを設備したキャンパスを設計し、ゆとりの心を持った感性豊かな技術者育成をめざしていく。  

神奈川ニューライフカレッジ (社団法人神奈川県専修学校各種学校協会主催)開始

当時の実習室。学生には1人1台ノートパソコンを貸与する制度を導入し環境を整えた。

横浜リハビリテーション専門学校開校

―21世紀を控え、高齢化やストレスによる心の病や生活習慣病など新たな医療の課題が浮き彫りになる中、高齢者も身体的なハンディキャップを持つ方も自立した生活をおくることができる社会をめざし、リハビリ従事者の育成をスタートする。超高齢社会突入といわれた2007年には、県内の理学療法士・作業療法士の10%を本校の卒業生が占めるまでとなる。

心の豊かさを醸成する人間教育を基盤に医療分野の人材育成に着手する。

岩崎ファッション工科専門学校より
横浜デジタルアーツ専門学校に改称

―インテリアとアクセサリーからスタートし生活を豊かに演出するクリエイターを育成してきたファッション工科専門学校は、デジタル手法による総合デザインスクールに発展。県内他校に先駆け、アップルMachintoshを整備し、最先端の技術を持ったグラフィックやCGデザイナー、ゲームクリエイターを輩出する。2001年にはDTM機器を整備しミュージック科を開設した。

再就職支援訓練開始

職業人を育成する岩崎学園の教育ノウハウを地域の雇用安定にも生かすため職業訓練の実施校となる。

最先端のデジタル技術で表現する総合デザインスクールへと発展。

横浜洋裁学院より横浜fカレッジに改称

―洋裁学院は、メイクやブライダルと領域を広げ、2000年カリスマ美容師という言葉が世に広がるとともに、厚生労働大臣の指定による美容師養成施設「ビューティースタイリスト科」が設置された。管轄する省の異なる学科をひとつの学校で認可を得ることは全国でも初で難を要したが、これにより洋裁学校からトータルファッションスクールへの発展を遂げる。

洋裁学院はトータルファッションスクールへと発展する。

NPO情報セキュリティフォーラム設立

情報セキュリティ分野に特化した国内初の大学院、
情報セキュリティ大学院大学開学

―2001年アメリカの同時多発テロ発生から情報セキュリティの課題への早急な対処の必要性を直観、国内トップクラスの教授陣を招顎し大学院での高度な人材育成を開始する。また文部科学省より1994年に専門学校卒業生に「専門士」、2005年に同4年制卒業生に「高度専門士」の称号付与が認定される流れから、情報科学専門学校に4年制「情報セキュリティ学科」を開設。大学院へのキャリアパスも用意した。さらに学園自らの組織のセキュリティ環境を整備しISMS認証を取得。世界に目を向けながらも、それらに先立ちいち早く地域へのセキュリティの啓発普及活動を担うNPOを設立する。

国内トップクラスの教授陣を招顎し、2004年大学院での高度情報セキュリティ技術者の人材育成を開始する。

仕事のまなび場本格始動

―2003年、国から「若者自立・挑戦プラン」が纏められ、キャリア教育を通じた勤労観・職業観の涵養が推進されると岩崎学園は直ちに神奈川県専修学校協会の一員として、高校生を対象とした職業体験プログラムの開設を主導、翌年には本格始動を果たす。

職業教育のノウハウをさまざまな課題に生かすべく、高校生のキャリア支援や再就職支援に取り組む。

横浜保育福祉専門学校、岩崎学園東戸塚保育園、
品濃町放課後児童クラブ開設  

岩崎学園新横浜保育園、 新横浜放課後児童クラブ開設

―長年叫ばれ続けていた少子化の問題がいよいよ深刻化する中、岩崎学園は子育て支援施設を相次ぎ開設。その中核としたのは、現場でリーダシップが取れ、保護者のサポートができる社会性の高い保育士の3年制養成施設である。一生誇りを持って取り組める仕事としての保育士の待遇改善にも取り組む。2008年のリーマンショックを発端とする不況により社会復帰を望む専業主婦の要望をうけ、ますます待機児童の課題が進むなか、量産ではない彼らの活躍が期待される。

80周年を迎えた2007年東戸塚に保育士育成と子育て支援を担う複合施設を開設する。

グラウンドデザイン

<法人概要>

法人名
:学校法人 岩崎学園
代表者
:理事長 岩崎 幸雄
基本金
:319.9億円
教職員数
:449名

(2011年9月時点)

<事業内容>
1927年創立。IT、ファッション、デザイン、リハビリテーション医療、保育の専門学校教育を中心に、情報セキュリティの人材育成を担う大学院大学、NPO支援や博物館など地域振興事業や、再就職支援、子育て支援事業をおこなう。