2012年11月28日

この国の問題を解決する力 猪瀬直樹

プロフィール

猪瀬直樹(いのせ・なおき)
作家。1946年、長野県生まれ。87年『ミカドの肖像』で第18回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。『日本国の研究』で96年度文藝春秋読者賞受賞。以降、特殊法人等の廃止・民営化に取り組み、2002年6月末、小泉首相より道路関係四公団民営化推進委員会委員に任命される。その戦いを描いた『道路の権力』(文春文庫)に続き『道路の決着』(文春文庫)が刊行された。
06年10月、東京工業大学特任教授、07年6月、東京都副知事に任命される。

Twitterアカウント:@inosenaoki

猪瀬直樹が見た石原慎太郎と小泉純一郎――猪瀬直樹氏インタビュー前編

石原慎太郎前東京都知事の辞職にともない、次期東京都知事選への立候補を表明した猪瀬直樹副知事。作家でもある猪瀬さんの最新刊、『解決する力』(PHP新書)発売に際して、ピースオブケイク代表の加藤貞顕と対談を行いました。収録が行われたのは出馬表明当日の夜。二度目となるふたりの対談で、どのようなお話が聞けるのでしょうか。前後編に分けてお届けします。

元老としての石原慎太郎

加藤貞顕(以下、加藤) 東京都知事選へのご出馬が決まったお忙しい時に、お時間をいただきありがとうございます。猪瀬さんの新著『解決する力』、拝読させていただきました。

猪瀬直樹(以下、猪瀬) ありがとうございます。

加藤 一言でいって、おもしろかったです。

猪瀬 いい本でしょう(笑)。

加藤 ええ(笑)。冒頭で石原慎太郎さんの話がいきなり出てきて、とてもタイムリーだなと思いました。僕は1973年生まれなのですけど、僕やそれより若い世代だと、政治に強い関心がある人間でないと、石原さんの位置づけって難しいところがあると思うんです。色々な側面がありますし。でも、この本を読んでいろいろ納得できました。

猪瀬 石原さんは誤解されている部分もあるけど、本当に魅力的な人なんだよ。

加藤 そうなんですね。すごくわかりやすかったのが、石原さんが橋下さんの維新の会と連携するにあたって、石原さんの立ち位置を「元老」としているところです。これを読んでなるほどな、と思いました。

猪瀬 元老は、日本の近代史を振り返ると非常に重要な役割を果たしてきた存在なんです。明治に入ってしばらく経つと政党というものができたんだけど、政党は争いを生みやすい性質がある。近代化して欧米列強との弱肉強食の世界史の中に入っていく時に、日本がまとまっていないとすぐに食われてしまう危険性をはらんでいたんですね。

加藤 当時の中国や朝鮮は、まさにそんな状態でしたね。

猪瀬 だから、山縣有朋のような明治を作った元老が、意見をまとめて日本を一体化する機能を果たしたわけだ。

加藤 現在におけるその役割が石原さんだということですか。

猪瀬 そうなんだよ。日本が近代国家として議会制民主主義を導入して、徐々に政党政治が整ってくる段階でも、山縣のような元老が目を光らせていた。そんな中で、原敬によって政党政治が確立されるんだね。

加藤 学校で習いました(笑)。

猪瀬 問題はね、大正10年(1921年)に政党政治ができあがったところで原が暗殺され、その翌年に元老の山縣が死んでしまったこと。それ以降、昭和16年(1941年)までの総理大臣の平均任期期間は約1年。ほぼ毎年総理大臣が変わってしまう状態になった。

加藤 今の日本の状態にそっくりですね。

猪瀬 元老の役割を果たす人がいなくなると、党派闘争になって分裂を繰り返し、政権が短くなる。ちょうど日本のこの20年に似ているんですよ。だから、石原さんには元老として役割を果たして欲しいと伝えている。

加藤 例えば、石原さんと同年代の政治家の方はたくさんいらっしゃいますが、そういう人たちは元老としての役割を担えなかったんですか?

猪瀬 それは長老だね。長老というのはただ年をとっただけの人だよ(笑)。

加藤 なるほど(笑)。

猪瀬 元老というのは、ローマにも元老院というものがあったように、年齢を重ねることで得られる叡智を持った人のこと。だからこれからの国の方向という大きな判断ができる。今は石原さんと中曽根さんくらいしか、元老と言える人がいないんだよね。

加藤 最近は、若い人と年配の人の間に断絶が生まれてきていると言われることも多いです。若者に敬老精神が足らないんでしょうか?

猪瀬 それは大きな間違いだよね。年をとるということは、経験を沢山積んで知識が増えているということ。それを勘違いしちゃいけない。まあ、年をとって頭が固定観念に凝り固まった長老もたくさんいるから、しかたがないのかもしれないけど。でも、僕もそうだけど、石原さんのような作家は、少年みたいなもんなんだよね。好奇心のかたまりで。好奇心を持って、常に新しいことを考えて、頭を更新し続けている。

加藤 猪瀬さんと石原さんの著作を読んでいると、少し考えが違うところもあるようにも感じていたんですが、作家という部分で通じ合っているんですね。

猪瀬 あの人はわりと右翼的だと言われるところもあるけど、僕はそうでもない。でもそんなことは関係ないんです。近代史を踏まえて大局の中でものを見て、常に新しいものを見る好奇心さえあれば、石原さんとは歳の差も関係なく対等に話せます。

高速道路事業を変えたビジネスマインド

加藤 猪瀬さんは96年に『日本国の研究』(文春文庫)を出した後、道路公団民営化の事業に携わるようになりました。そもそも、作家である猪瀬さんが、なぜ政府の仕事に関わるようになったんでしょうか。

猪瀬 あの本で僕は、特殊法人における天下りや税金の還流の問題を書きました。その頃に、たまたま知り合ったのが小泉純一郎さんでした。本を書く上で、特殊法人について調べ尽くしていたから、行政に対する僕なりの問題意識があった。それで、郵政民営化や道路公団民営化の話を小泉さんにしていたんです。

加藤 え、小泉さんからその話が出たのではなく、猪瀬さんからしていたんですか……!?

猪瀬 そうですよ。その頃の小泉さんは、総裁選に出たりもしたけど、変り者という扱いだった。僕もそういうイメージで見ていたから、いきなり小泉さんが総理大臣になってびっくりしたんだ。慌てて公約を見てみたら、「郵政民営化」「行財政改革」って書いてあるんだけど、「道路公団民営化」とは書いてない。それで小泉さんに電話して、「道路公団民営化が抜けてるじゃないですか?」って言ったら、「あ、そうか。じゃあ猪瀬さんやってくれ」と。

加藤 それはすごい話ですね!(笑)

猪瀬 「とりあえず企画書を出してくれ」と言われたから、企画書を持って官邸に行ってプレゼンしにいったんだ。プレゼンといっても、5分くらい話したら小泉さんが「わかった。やってくれ」って言ってくれた。とにかく決断が早い。それで僕が、行革断行評議会の委員をやることになったんだね。

加藤 それは、よほどその企画がよかったということなんでしょうか。

猪瀬 それはわからないけど、どんないい企画書でも、出しただけでは誰も動いてくれないんですよ。国会議員は腰が重い。だから自分がやるしかない。しょうがないから「道路公団の民営化委員会を作りましょう」って自分から声を上げて進めることにした。それで、小泉さんに決裁してもらって、道路関係四公団民営化推進委員会の委員になったわけ。

加藤 道路公団が民営化されてから、高速道路のサービスエリアのサービスが本当に良くなったことに驚きました。

猪瀬 僕は車が好きで、ドライブで高速道路にもよく乗っていたんだ。僕自身「サービスエリアでなんでこんなまずくて高いラーメンを食べさせるんだ」って頭にきていた。だから、そういうまずい料理を出すようないいかげんな子会社を全部潰して、外部の業者を入れて競争させたの。それがユーザーに対するサービスの充実になったし、それまで6000億かかっていた固定費を4000億にまで下げることができたんです。

加藤 猪瀬さんのそういった行動からは、すごくビジネスマインドを感じますね。硬直化した現場に、新しい文化を取り入れていかれた感じがうかがえます。

猪瀬 それと僕はね、この民営化委員会の会議を公開にしたんだ。新聞記者にもフリージャーナリストにも開放したんだけど、テレビだけは他の委員に反対された。テレビに出たことがない人は、テレビが怖いんだね。

加藤 最近だと、政府の記者会見がニコ生やユーストリームの生中継が積極的に行われていますが、当時はまだ閉鎖的だったんですね。

猪瀬 そういうことが当たり前になりつつあるけど、政府の審議会を公開にしたのは初めてのことだったね。結局最後は、僕と大宅映子さんしか委員に残らなかったから、大宅さんに「テレビ入れていいよね?」って聞いたの。そうしたら「あーいいわよ」って言ってくれたから、最後はテレビ局にも開放できる様になったんだけど。

加藤 え、委員会なのにふたりで成り立つんですか!?

猪瀬 基本は七人なんだけど、意見が対立しているうちにみんないなくなっちゃったの(笑)。ふたりでも、小泉さんの決裁が取れればいいという規定があったんで、問題はなかったんですよ。

石原慎太郎と小泉純一郎の共通点

加藤 その道路公団民営化委員の実績を買われて、石原慎太郎さんから副知事に誘われたわけですね。

猪瀬 その間に、安倍晋三内閣の地方分権改革推進委員会を頼まれていたんです。僕が就任した一週間後が、石原さんが三期目の都知事に当選した選挙で、そのちょっとあとに、いきなり石原さんから「ちょっと会おうや」って電話がかかってきた。僕は『ペルソナ 三島由紀夫伝』(文春文庫)書いたから、三島由紀夫の話でもするのかなと思って、作家として無防備に会いに行ったんです。
 そしたらいきなり、「副知事になってくれ!」っていうからきょとんとしちゃってね。何を言うのかと思ったら、「猪瀬さん、僕はね、知事になってから長編の構想7つも考えたんだよ」って。つまり都政の経験は、作家としてそれだけの血や肉になるというわけだ。そんなことを言われたら、作家としての血が騒ぐでしょう。それで思わず受けてしまったんだね。

加藤 へー! 確かにそんなことを言われたら興味がわきますよね。

猪瀬 だけど、これは就任してから知ったことなんだけど、石原さんが息子の伸晃さんに「猪瀬を副知事にしようと思う」って相談していたらしいんだ。

加藤 伸晃さんは猪瀬さんと一緒に仕事をしていたから、性格をよくわかっていたと。

猪瀬 そう。僕が行革断行評議会になった時、伸晃さんは行革担当大臣だった。そこで僕が委員会で意見を押し通すところを見ていたから、そんな簡単に人の言うこと聞かない性質なのを知っていた。だから伸晃さんは「多分断られるよ」って言ったらしい。だけど、「作家同士で口説いたらいけるかも」ってアドバイスしていたんだよ。僕はそれを知らないで、まんまと身を乗り出しちゃったわけだ。

加藤 ははは(笑)。猪瀬さんは小泉さんと石原さんという圧倒的な人気と豪腕を持つ方とお仕事をされてきたわけですが、猪瀬さんから見て二人の共通点はありますか?

猪瀬 決断の早さだろうね。道路公団民営化の時、企画書を作っただけではだれも動いてくれなかった。だから僕が直接小泉さんのところに決裁取りに行くと、「わかった!」って判を押してくれた。石原さんもそう。「これやりますからね」というと「うん、わかった」ってすぐ言ってくれる。もちろん小泉さんも石原さんも、信頼関係を作れたからこそ、ある程度の権限を僕にくれたんだと思います。

後編:今、この国の政治家と作家に必要なもの

 

猪瀬直樹(いのせ・なおき)
作家。1946年、長野県生まれ。87年『ミカドの肖像』で第18回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。『日本国の研究』で96年度文藝春秋読者賞受賞。以降、特殊法人等の廃止・民営化に取り組み、2002年6月末、小泉首相より道路関係四公団民営化推進委員会委員に任命される。その戦いを描いた『道路の権力』(文春文庫)に続き『道路の決着』(文春文庫)が刊行された。
06年10月、東京工業大学特任教授、07年6月、東京都副知事に任命される。

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猪瀬 直樹
PHP研究所
 

インタビュアー

加藤 貞顕(かとう・さだあき)
ピースオブケイク代表取締役CEO・編集者。アスキー、ダイヤモンド社で雑誌、書籍、電子書籍の編集に携わる。おもな担当書は『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』『スタバではグランデを買え!』『なぜ投資のプロはサルに負けるのか?』(以上ダイヤモンド社)、『英語耳』など。独立後、2011年12月に株式会社ピースオブケイクを設立。12年9月に当サイト「cakes(ケイクス)」をオープン。

会社サイト:http://www.pieceofcake.co.jp/
個人サイト:http://sadaakikato.com/
twitterアカウント:@sadaaki

 

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