ホーム 教える・学ぶ
読み物で学ぼう
第36回「おかねの作文」コンクール(中学生)(平成15年)
「祖母の言葉」
ものやおかねについて考えてみよう!!
「祖母の言葉」
特選・日本銀行総裁賞
和歌山県 近畿大学付属和歌山中学校 3年 森 有沙
私の祖母は、
「働くということは、はた(傍)の人をらく(楽)にすることだよ」
と、いつも私に言っている。自分の為ではなく、人の為に働けば、人に喜ばれ、感謝されると言うのだ。自分が一生懸命に働くことによって、周りの人みんなを幸せにできる。そして、みんながそんな気持ちで働けば、やがてそれが一つの輪としてつながり、巡り巡って自分にも幸福をもたらす。
まさに、「情けは人の為ならず」の精神だと言える。仏教的な精神に支えられたこの考え方は、現代にも通じる部分を多く持っているように思える。
しかし、現実にはどうだろう。しんどいことをしてまで人の為に働こうとする人がどれだけいるだろうか。ボランティア精神の根付いていない日本では、働くことはそのままお金に直結する。少しでも楽をして、より多くのお金を手に入れることに奔走するのが現代の日本人とも言えるだろう。
労働の対価として「賃金」という名のお金が支払われる現在のシステム。人はお金の為に働いている。働くことに喜びを感じることは少なく、その最終到達点はお金なのだ。悲しいことではあるが、お金が全てのものの価値基準となり、「お金をたくさん持っている=幸せである」という方程式が、いつのまにかでき上がってしまった。
しかし、お金とは、経済全体の潤滑油として生み出されたもののはずだ。それなのに、長い年月をかけて、人の心を支配する存在へと成長してしまった。このままでは、欲望の象徴と化したお金に私たちは飲み込まれてしまう。そうなってからでは遅いのだ。今のうちに、お金との付き合い方や働くことの意味を考え直す必要がある。
最近新聞などで、借金を苦に自殺をしたり、借金返済の為に強盗を働くといったニュースをよく目にする。また、ひどい場合には殺人にまで至るケースもある。そういう人たちは、なぜ他人の命を脅かすようなことをしてまで、律儀に借金を返そうとするのだろうか。
借金をきれいさっぱり清算すれば、たとえ犯罪を犯したとしても、人生をリセットできるとでも思っているのか。借金を返す為には人を殺してもいい、という理屈が成り立つとでもいうのか。
お金が人の命より重いはずがない。決して、人はお金の為に生きているのではない。だから、自分たちは何の為に生きているのか、自分たちの存在する意味は何なのかを自分自身に問いかけてほしい。そして、神が人間に与えた使命とはいったい何なのかを、再確認しなければならないのだ。
お金が社会において果たす役割を正しく理解し、適切な判断のできる人間になることが、今一番私たちに求められていることなのである。
長引く不況の中、フリーターが急増し、リストラされた中高年がなかなか再就職できない状態が続いている。就業率が下がれば、所得税だけでなく、厚生年金や健康保険、雇用保険などの社会保険料の収入が減り、それはすぐに私たちの生活にはね返ってくる。また、私たちが働くことの報酬として得たお金の一部は、税や社会保険料として納められ、みんなの生活を良くする為に使われている。
このように、私たちの社会は、みんなで支え合うことによって成り立っているのだ。自分が働くことによって得たお金が集まって、さまざまなものに形を変えてみんなの為に活用され、やがて自分のところに戻ってくる。祖母の言う「自分が働くことによって傍の人を楽にする」という精神が、ここにも息づいていると言える。
人間は、決して一人では生きていけない。みんなが協力しあって生活している。だから私は、働くことによってみんなが一つにつながり、幸せになれる素晴らしい社会を作っていきたい。また、お金は便利なものではあるが、心まで支配されてはならない。だから、お金の存在する意味を正しく理解し、お金と正しい付き合い方ができる人間になって、私たちの社会をより良くしていきたい。
これからも、私は祖母の言葉を座右の銘として、金融や経済の仕組みなどについて勉強し、正しい知識を身につけていこうと思う。次の時代を担う私たちが、お金について真剣に考えていくことこそが、これからの日本の未来を明るくしていくのだから。