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Quella Vecchia Locanda 2011 インタビュー

2012-05-28 | プログレッシブ・ロック

内容、写真の無断転載を禁じます。

Translation permitted by courtesy of Progarchives.com.

Special thanks to Jim Russel and Andrea Parentin for their great interview.

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Quella Vecchia Locanda

– An interview by Jim Russell and Andrea Parentin (Progarchives, August 2011)

 Quella Vecchia Locanda (QVL)!

私をイタリアン・プログレッシブ・ロックの虜にしたのはBancoやPFMでもなく、QVLだったのです。 私見ですが、面白く、美しい音楽を作ったバンドの第一線にいたバンドで、もうLe Orme, Banco, Il Balletto di Bronzoと肩を並べる存在と言ってもいいかと思います。

QVLの2枚のアルバムはすべてのイタリアン・プログレ・ファンにとってのクラシックです。プログレとクラシックの要素がゴージャスなヴァイオリン、ピアノが心打つような美旋律を紡ぎだしています。QVLはイタリアの“ビッグ3”ほどは人気が出ませんでしたが、いまだにQVLはファンの間では高い評価を保っています。QVLほどの完璧な面を持つバンドは少ないのですが、イタリアン・プログレのクラシック時代を語るには欠かせない存在です。イタリアン・プログレ独自の音楽性を語るにはQVL抜きに語ることができません。今回バンドを追跡するのは大変難儀でした。足かけ2年間かかりました。

なんとかAndreaと話を聞くことができました。ここにインタビューにご協力いただいた次の皆様にお礼を申し上げます。Massimo Roselli, Don Lax, Claudio Filice。またJanにはClaudioと連絡をとっていただき感謝します。

では、イタリアン・プログレの伝説的バンド、QVLのインタビューをお楽しみください。

Jim Russell

 

<インタビュー>

Q: 音楽との出会いを教えてください。

Massimo: 6歳の時にピアノを始めて、15歳まで続けたよ。その後最初のバンドをお正月やカーニバルの時にレストランとかで演奏した。ナイト・クラブで演奏し始めたのは18歳の時だね。

Don: 両親が音楽好きだった。子供のころからいろんな音楽を聞いたよ。いろんな国にも住んだので、あらゆる文化に接したよ。5歳のときにパキスタンのカラチに住んでたんだ。そこではジプシーの女性がクリスマスのお祭りでヴァイオリンを弾くのを聞いた。そのとき、すぐにああいった音楽をあの楽器で弾きたいと思って、うちに帰ってすぐにサンタさんに手紙を書いたんだ。で、僕の最初の楽器はクリスマスツリーにぶら下げられてたよ。父が最初の手ほどきをしてくれた。父は子供のころにヴァイオリンを習っていたんだ。2年後に家族でインドに移り住んで、本格的なクラシック仕込みの女性の先生に習い始めたんだ。僕にとっての運命的な出会いはデューク・エリントンが外交官だった父の招待でボンベイでバンド公演したときだった。他にもインドの一流ミュージシャンがシタール、サランギ、タブラーを弾いた。全員僕の家でお茶をしながら、ジャム・セッションをしたんだ。もうこれで僕の意識が開眼して、即興に関心が向いたんだ。そのとき9歳だった。それから数年後にパリに移って、コンセルヴァトワール音楽院に入学し、真剣にクラシックを勉強したよ。

Q: QVLのメンバーとの出会いはいつ、どこでしたか。

Massimo: ナイトクラブで演奏していた時代にPatrickに出会った。彼はQVLのドラマーで、僕はそこからキーボードを買ったんだ。しばらくしてから、キーボードが必要だと聞いて、テストの後、参加したんだ。

Don: 僕はローマのSanta Cecilia Music Conservatoryで勉強してた。で、弟の学校で、QVLが演奏すると聞いたんだ。僕はQVLの音楽にすごく惹かれて、休憩時間に自ら、ヴァイオリニストがいらないかって売り込んだんだ。で、いるってことで、本当にそうだったんだよ、で、リハーサルに呼ばれたんだ。

Claudio: QVLは僕の音楽経験とか背景を知ってた。当時僕の友人がベースのMassimo Giorgiの友人だった。当時同じ音楽院に通ってたんだ。で、僕に連絡してきて、ミーティングでアルバムを聞かせてくれて、参加することにしたんだ。

 

Q: バンド結成直後の思い出はありますか。楽しみには何をしてましたか。

Massimo: もうリハーサルばっかだったね。とにかくバンドのレパートリーを覚えないといけなかった。だから、毎日すごく練習したよ。だからお互いに遊ぶ時間とかあまりなかったよ。僕は務めて、バンド以外の友人とも接するようにしてたよ。

Don: いちばん最初にジャム・セッションをしたときを思い出したよ。田舎の古い家だった。ヴァイオリンでブルーズを弾いたよ。まるでジプシー音楽みたいだった。僕は半分がルーマニア人で、そういうルーツがあった。実はジャム・セッションとか初めてだった。クラシックを真剣に練習する前はね。でも、やってみたら、なんだか魔法みたいだった。バンドとしてもケミストリーが抜群だったんだ。お互いの音を聞いて、もう魔法のようだった。

最初のアルバムの曲作りのとき、もう曲があって、クラシカルなイントロが必要とのことだった。で、僕はどうしたかって?バッハやブラームスやコレーリからちょいと拝借して、曲に合うようにアレンジした。楽しかったし、すごくクリティブだったよ。

Claudio: それぞれがバンドに打ち込んでいた。中には音楽の勉強に専念するものもいれば、仕事をしてるものもいた。全員ローマに散らばって住んでたので、レコーディング・セッションで顔を合わすのがメインだった。でも、僕は個人的にもMassimoによく会ってたよ。

  (c) Progarchives

Q: ファースト・アルバム直前には何をしてたのですか。ローマのクラブでライブをしてた時代ですか。

Massimo: そうだね。ライブをしてたね。同時にファーストのレコーディングも進行してたから、ダブルだね。録音する曲をライブで確認することもできたから、役には立ってたよ。

Don: リハーサル、曲づくり、ローマのクラブでのライブ、あとはイタリアの海岸沿いでライブかな。

Claudio: パブやクラブでライブしてたよ。僕たちの音楽は踊り向けじゃなくて、聞きこむものだったからね。

 

Q: バンド名はリハーサルした古い家からとったということです。もう廃屋になったようですが。その家はどこにあったのですか。今もあるのですか。

Massimo: “ロカンダ”はまあ古代のモーテルみたいなものかな。英語だと”inn”に相当するのかな。ローマ北部の郊外で、今でもあると思うよ。小さい家だった。

Don: いまだに家の周りの草の匂いを思い出すよ。大音響で練習するには最適だった。だれも周りにいなかったからね。

Claudio: 建物は今でもあると思う。Della Pisanaにあったと思う。"Città dei Ragazzi"ってところにね。そこではプロモーション用に写真を撮影した。石切り場近くの家でも練習しようとしてたんだ。家主が練習用に使わせてくれたんだ。

 

Q: 1993年にMellow RecordsからライブCDが出ました。1971年のVoom Voomクラブでのライブです。何か思い出はありますか。

Massimo: 知ってるかい?1971年はまだQVL結成前なんだよ。だから、なぜ、そういうライブができたのか謎だよ。僕たちは一度もライブ録音をしたことがない。アルバムはスタジオ録音の2枚だけだ。

Don: 僕はまだ加入前だ。

 (c) Progarchives

Q: QVLは70年代初期の大きなイタリアのロックフェスに出演しています。どれに出演しましたか。また思い出はありますか。

Massimo: 最初に参加したフェスの思い出がいちばん鮮明で美しいよ。ローマのVilla Pamphili フェスだ。僕たちはオープニングの一番目だった。ステージからは沢山の人が壁のように見えた。たぶん10万人いたと思う。最初は深く感動した。そのうち、アドレナリンが出てきたよ。今でも、あの日のことを思い出すと、深く感動するんだ。

Don: Villa Pamphilliが最大だった。もう10万人の観客を前にして、マーシャルを100台積み上げて演奏する、まるで神様みたいな気分はそう味わえないよ。もう一生忘れない。もうひとつは野外で国営テレビのために撮影したものかな。

ステージに上がろうとしたとき、誰かがサインをする用紙をはさんだバインダーを渡してきた。もうさっとサインして、すぐに演奏しようということかと思った。でも、それを読んで、戦慄が走ったよ。地獄の契約書だったんだ。その先何年もばかげた契約で僕たちを縛りつけようとするものだったんだ。僕はサインできないと言った。そうしたら、もう演奏はできないと言われた。それでもOKだと答えた。結局その時サインさせることをあきらめたみたいで、なんとか命を保ってサインせずに演奏したんだ。当時のイタリアのロック界にはこういった胡散臭い契約が山ほどあったんだ。

Claudio: Villa Pamphilj、カラカラ浴場、ローマのPiperのライブを思い出すな。ローマではお客さんが選んだ10のバンドにはいっていたんだ。あとナポリのポップ・フェス、ジェノバやヴィアレッジョではVan der Graaf Generatorの前座だったんだ。

 

Q: ファースト・アルバムについて伺います。レコーディングでの思い出はありますか。歌詞のテーマはなんだったのですか。

Massimo: ローマ中心部のアパートに設置されたスタジオで録音したんだ。エンジニアはすばらしかった。フレンドリーでしかも仕事ができた。打ち解けた雰囲気だった。レコーディング初体験の印象は想像したほど悪夢ではなかったよ。

ぼくはいつでもよく演奏できるように自己管理してた。で、自分のパートは一発でOKだった。アルバムのテーマは毛色が違ってたために、社会から締め出された少年なんだ。これは人種差別と外見だけで人を決めつけることの比喩でもあるんだ。アルバムはこの少年の話で、一部はフランケンシュタインの話もいれてあるんだ。

Don: もう世界一の音楽を作ろうとすごく一生懸命だったよ。思い出すと、少し違ったようにすればよかったかな、ということもあったけれど、当時僕はまだ18歳だったんだ。もうあの場所にいるだけで、興奮していたんだ。一曲で、弟がクラリネットを演奏させてもらったのがすごく気に入っていた。彼はもうこの世にいないけれど、彼の演奏する唯一の音源なんだ。

 

Q: ファーストとセカンドの間には多くのライブをしたようですね。どういったツアーだったのですか。QVLは外国でライブをしましたか。どの国でしょう。

Massimo: その通り。僕たちはイタリアを北から南までツアーしたよ。もう足が疲れちゃったこともあったよ。忘れられないのは、ジェノバからソベラート(南イタリアのカラブリア)での3日間のライブだった。そこからリミニにかけて3日ライブがあったんだ。残念だけど、イタリア国外ではライブをしたことがなかったよ。

Claudio: イタリア中をまわったよ。主要都市だね。あとはライブは回数を重ねたよ。

 

Q: QVLはどのイタリアのバンドと一緒にツアーをまわったのです。交友関係のあったバンドはありますか。

Massimo: 3年の間に沢山のバンドと一緒に演奏したよ。Banco del Mutuo Soccorso, Rovescio della Medaglia, Trip, Grybaldi, New Trolls, Le Ormeなど。あと、Van Der Graaf Generator や Shawn Phillips。特に仲が良かったのはIl Rovescio della MedagliaとL’Albero Motoreかな。

Don: いちばんよく覚えているのはPFMとBanco del Mutuo Soccorsoだね。彼らはとても感じが良かったよ。

Claudio: Banco del Mutuo Soccorso, Osanna, le Orme, New Trolls, PFM 、Balletto di Bronzoと回ったね。

 (c) Progarchives

Q: 当時は全員70年代初期の伝説的イタリアン プログレフェスに参加するには若すぎようです。写真などは沢山見ましたが。でも、当時のショウの社会的な波動って何だったんだろうか。みんな何を話していたんだろう。政治や社会の何を話題にしていたんだろうか。誰か教えてほしいくらいです。

Massimo: まあ当時は‘68年という学生運動勃発の続きだったからね。社会運動の高まりもあったし。フェスは若者が集まっていい音楽をただで聞くというものだった。新しいバンドにはすばらしいお披露目の機会だった。あと有名どころは大観衆の前で演奏を披露するいい機会だったね。

 

Q: セカンド・アルバムについて教えてください。レコーディングの思い出はありますか。歌詞のテーマはなんでしょうか。

Massimo: ファースト発売後まもなくして、プロデューサーが僕たちの契約をRCAに譲渡したんだ。だから2枚目はローマのRCAスタジオで録音した。楽しい思い出としては、当時のヨーロッパで最先端のドルビーシステムを完備してた“スタジオ2”でレコーディング・セッションができたってことだね。

バッキング・コーラスのダビングやレコーディング途中のアイデアの積み重ねも、最先端の機材があったからこそ、すごく楽しかったよ。セカンドのコンセプトはバンドのお話なんだ。バンドの人生に起こるいろいろなことがら。でもね、僕はVilla Pamphiliのフェスくらいしか体験してないんだよ。

Claudio: 僕はセカンドは夢やファンタジーや魂を語る音楽かなと思うよ。

 

Q: バンドはどのような音楽性を目指していたのですか。ロックとクラシックのブレンドですか。他にも影響は別の目標がありましたか。

Massimo:  3人はクラシックの教育を受けてるんで、その影響は否めないよね。僕たちの目標はロックとクラシックの融合だったんだ。セカンドでは何か自分たちの作曲でクラシックなことができないか試みたんだ。うまくいったかどうかはわからないけどね。まあ、リスナーの方がわかってくれればいいかな。他のバンドやコンポーザーからの影響は極力排除してたのは確かだよ。例えば当時は全員Yesのハーモニーが好きだったよ。

Don: クラシックとロックの融合はすごく大きな部分を占めてたよ。あとはストーリー性を音楽と歌詞の双方に持たせたんだ。

Claudio: いつも何か特別なことを目標にしてた。何かユニークなものをね。クラシックとエレキを組み合わせて、自分たちの世界観を歌詞に託して。クラシック・ロックでもあったけれどもうちょっと攻撃的でもあったよ。

 

Q: セカンドの音質はすごくいいですね。弦ははっきり聞こえるし、繊細な楽器の響きがちゃんと出ています。当時のイタリアのアルバムの多くはあれほどのダイナミックさとパンチを出せていません。当時時間も予算も制約があったことを知っていますが、どのようにあれだけのいい音質がつくれたのですか。プロデューサーの手腕か、スタジオ・エンジニアの実力か、または運ですか。

Massimo: 答えは単純。ローマのRCAスタジオでレコーディングしたんだ。ヨーロッパで最初のドルビーシステムを完備した最先端のところだ。RCAに移籍したばかりだった。これがファーストとセカンドの質の違いさ。

 

Q: QVLの好きな点のひとつはバンド自体はタイトでソリッドだけど、美しいピアノとヴァイオリンが重なっています。アルバム双方に渡り、ピアノとヴァイオリンのために実にいい感じの余白を残しています。その余白がすごくうまく活用できていると思います。伝統的な楽器をどのようにして、このようにうまくロックバンドに融合させることができたのですか。

Massimo: クラシックとロックの融合で特に大変だったことなんか覚えてないな。全部自然にうまくいったんだ。クラシックの楽器もロックの楽器と同じだと言うこと。何年かあとに、僕たちは本当のオーケストラとコンサートをしたんだ。僕たちは先駆者だったのかもね、わはははは。

Don: Massimoと僕は最もクラシック教育が本格的だったんだ。だから、そのレベルで2人はよく理解しあえてた。バンドとしてのシナジー効果はアレンジと楽器同志のケミストリーの成果だと思うよ。

Claudio: ヴァイオリンは特異的な楽器だから、ピアノ、フルート、クラリネット、コントラバスなどのオーケストレーション楽器と組み合わせてみたんだ。

 

Q: ピアノとヴァイオリンをライブで使うのはチャレンジでしたか。

Massimo: 難しくはなかったよ。ピアノは電子ピアノだったし。アンプの問題もなかった。ただ、大変だったのはキーボードがそうダイナミックでなかったということ。だから、僕はPianoforteの音量を使えなかったんだ。これはペダルで対応した。ヴァイオリンはウッドにマグネットで小さなアンプを通したよ。

Don: 僕は個人的に70年代のヴァイオリン用のアンプなど周辺機器にすごく不満だった。当時5弦のZetaのエレクトリック・ヴァイオリンがあったら、もっと楽だったよ!

Claudio: いや、全然大変じゃなかったよ。ピアニストとはよく理解しあっていたし、僕はエレクトリックと普通のヴァイオリンを必要に応じて使い分けていたよ。

 

Q: 好きなクラシックの作曲家は誰ですか。

Massimo: いい音楽で、情感があればどんな音楽でも好きだな。僕は特にベートーヴェン、バッハ、ヴィヴァルディ、リストやストラヴィンスキーやムソルグスキーなどロシアの作曲家が好きだな。

Don: バッハ、ブラームス、ベートーヴェン、モーツァルト、ドボルザーク。

Claudio: たくさんの作曲家からインスパイアされたよ。特にフランスのドビュッシー、ラヴェルやドイツのバッハかな。

 Quella Vecchia Locanda (Villa Doria Pamphili)

Q: 私はこれまで“Villa Doria Pamphili”ほど美しい音楽を聞いたことがありません。この曲について話してください。

Massimo: さっきすでにVilla Pamphiliフェスでの感動は話したよね。この曲ではその感動を再現してるんだ。QVLのクラシカルな魂はピアノとヴァイオリンに象徴されてるよ。

構成はシンプルだけど、複雑はニュアンスだらけだよ。僕はこの曲と“A forma di...”が大好きなんだ。バンドのクラシックな方向性を決定づけているからね。

Claudio: フェスで成功したので、それのトリビュートかな。それで触発されてこの曲を書いたんだ。

 

Q: クレジットでは歌を歌う人もいます。誰かリード・ヴォーカリストですか。誰がいちばん多く歌っていますか。ライブでは誰が歌ったのですか。

Massimo: Giorgio Giorgiかな。でも“Accadde una notte”はもともとベースのMassimo Giorgiが歌ってたんだ。レコードとライブ双方でね。僕たちはライブで再現できることを目標にレコーディングした。“A forma di...”ではオーケストラ演奏をテープ録音して、ライブではその上から演奏したんだ。

Claudio: フルートのGiorgio Giorgiがメインで歌ってた。つぎがMassimo。

 

Q: ファーストとセカンドの間のメンバーチェンジについて教えてください。Donaldはアメリカに戻ったのですが、他の人はなぜ残らなかったのですか。新しいメンバーはどこから連れて来たのですか。

Massimo: Donaldは父親の仕事の関係でアメリカに戻ったんだ。当時ローマのアメリカ大使館で働いていたんだ。ベースのAldo Colettaはファーストに参加したけれど、個人的な都合で辞めたんだ。

Claudio FeliceはSanta CeciliaでMassimo Giorgiと一緒にヴァイオリンを勉強してた。で、Massimo Giorgiはシンガーでフルート奏者でもあるGiorgioの従兄だった。彼はローマでIl Ritratto di Dorian Grayというバンドをやってたんだ。

Claudio: ベースのMassimoと僕が新規参入だった。MassimoはGiorgioの従兄で、今はローマのお名門音楽院で教授してるよ。

 

Q: 再発CDの解説ではファーストはGiorgio Giorgi, Massimo Rosselli, Gianni Dell’Orsoによる作曲とクレジットされています。これは正確ですか。

Claudio: ああ。合ってるよ。

Massimo: まあ、正式には正解だね。でも本当はこうだよ。Gianni Dell’OrsoはSIAE(イタリア著作権管理団体)との法務がらみがあって、作曲者としてサインしたんだ。彼は僕たちのプロデューサーで、曲作りはセッション中にアイデアを投入しただけで、まったく関与していないよ。正直言うと、僕が作曲に関与したのは最後の曲だけなんだ。僕がバンドにはいったときはもう殆どが完成寸前だった。ピアノの部分しかやってないよ。サインしたのはやはり法務上の関連があるし、当時SIAEに登録してたただ一人のメンバーだったんだ。

Don: みんなで一緒に何かを作ったって記憶はないな。

(c) Progarchives

Massimo Roselli (keyboards):セカンドはDino CoccoとGiorgio Giorgiによるものだ。もしこれが本当なら、どうしてアルバム2枚でクレジットが変わってるんだろう。

Massimo: 本当だね。でもセカンドでは僕は重要な役割を果たしてるんだ。曲づくりは全員参加でも、基本的なコンセプトは殆ど僕のだ。Coccoは著作権の関係でサインしただけだよ。当時のイタリアではライブをすると30%の印税が作曲者にいったんだ。だから、そのために作曲者のクレジットを変えたんだ。でも、作詞者には印税が100%はいったんだよ。

Claudio: 記憶が正しければ、たしか著作権料を受け取るのをGiorgiとCoccoに決めたと全員一致したような。

 

Q: ファーストはよりエッジィでロック的です。セカンドはよりクラシカルでロマンティックです。この2枚をどう表現しますか。どちらがより成功したと思いますか。

Massimo: 2枚の違いはさっきの答えで言ったよ。セカンドは殆どが僕のアイデアで、Massimoの意見もとりいれている。僕たちはクラシック畑の出身なんだ。バンドが解散したとき、僕はもうつぎの作品のコンセプトを作ってたんだ。ファーストはピアノが加わったロック・アルバム;セカンドはピアノから着想した音楽だ。

Don: もちろん僕はファーストのほうが好きだな。でもセカンドもとても美しいと思うよ。

Claudio: ファーストは革新的だよ。僕たちはいろんなフェスで演奏して4万枚売ったんだ!セカンドはより焦点が定まっていて、より聞かれたと思う。RCAのスタジオでオーケストラとレコーディングしたんだ。すばらしい音質だよ。ファーストもとても好きだけど、全体的にセカンドの方が向上してると思う。

 

Q: 影響を受けた人は誰ですか。当時聞いていたバンドは。

Massimo: とにかく影響されるのを避けたんだ。他のバンドと比較されたくなかった。僕に関して言えば、当時のバンドは全部聞いたよ。Yes, King Crimson, Jethro Tull, Santana, Chicagoなど。今でも何でも聞くよ。重要なのは質だけだ。

Don: Duke Ellington, Ravi Shankar, King Crimson, Genesis, Jethro Tull, The Beatles, The Rolling Stones, Traffic, Santana, Emerson Lake and Palmer.

Claudio: 主要なイタリアのバンドやKing Crimson, Jethro Tull, Emerson, Lake & Palmer, Genesis あと PFM.

 

Q: QVLが解散したのはいつですか。

Massimo: 1975年の夏かな。もう昔のことだから違ってるかも。

Claudio: QVLは1年は続けたんだ。僕が辞めた理由はローマの音楽院で学位のためのヴァイオリンの試験があったから。もっと勉強する時間が必要だった。ツアーはきつかったし時間がとれなかったんだ。僕の後釜にヴァイオリニストがQVLにはいったけれど、ヴィオラで代用しようとしたけれど、うまくいかなかった。で、1年以内にバンドは解散した。当時は全員QVLより優先すべきことがあったんだ。

 

Q: なぜ分裂解散したのですか。

Massimo: まずは経済的な理由から。まだ駆け出しだったので、機材はレーベル(RCA)から援助がなかった。またRCAはアルバムのプロモーションは一切しなかった。さらに、オイル・ショックでガソリン不足の時代だったんだ。週末は自動車を動かせなかったし、ライブホールは空っぽ。しだいにコンサート自体がなくなっていった。すごく残念だけど、自分たちの楽器や機材の支払いのために解散せざるを得なかったんだ。

 

Q: 再結成の動きはありましたか。

Massimo: いや、もうそれぞれ別の人生を歩んだし、Massimo Giorgiの他は音楽から離れてた。

Don: またやりたいね。

Claudio: 僕が知る限りはないね。もう自分は決断したから。

 

Q: 解散後は何をしてましたか。お話できる範囲で結構です。

Massimo: 解散後は別のバンドを探したよ。もう音楽のDNAは僕の中に埋め込まれているんでね。でも、ぴったりの人にあったことがない。で、仕事について、すべておしまいだ。僕のいちばんの過ちは家族のプレッシャーに負けて、音楽を捨ててしまったことだよ。

Claudio: Massimoと弦楽クインテットを結成してライブ、映画のトラックや海外で演奏したんだ。ドイツ、フランス、スイスなど。ソロイストとしてはイタリアで何回か演奏し、ピアノは室内楽とも演奏してる。第一ヴァイオリンとして、オーケストラでも演奏したよ。Santa Cecilia, the RAI orchestra, the Teatro dell'Opera in Rome, the Sinfonica Abruzzeseなど。1982年からはCampobassoの音楽院で教授の職についてるよ。

 

Q: アルバム2枚ともカバーアートがすばらしいです。プログレ・アルバムの中でも傑出しています。誰が描いたのですか。また、どのような意味なのですか。

 

Massimo: あんまり役に立たないかも、この絵を書いたのはドラマーの友人の奴だよ。ファーストの意味は旅館、少年… 見ればわかるね。アルバムのコンセプトだ。セカンドは中身とは関係ないよ。ただ、絵が気にいったんだよ!

Claudio: 覚えてる限りだけど、アイデアはDino Coccoの妹(姉)が描いて、RCAがデザインの仕上げをしたのかな。

 

Q: ここ数年は1970年代のイタリア・プログレバンドのものすごい復活劇が起きています。PFM, Delirium, Latte Mieleなどのクラシックバンドが再結成し、高品質の新譜を発売しています。QVLももう1枚制作予定はありますか。

Massimo: Jim, あり得ないよ。僕がまず新しいラインアップを整えるためにミュージシャンを探さないと。もう自分もある程度年齢を重ねたからね。もう音楽業界のつてもないし。まるでユートピアみたいに思えるんだ。ずっと業界にいたのはPFMくらいじゃないのかな。ライブもアルバムとかいろいろな活動をしてるしね。

Don: プロとして活動してるのは僕だけだね。再結成はすばらしいと思うけれど、非現実的かな。

Claudio: 再結成はあるとは思えないな。たぶん元のラインアップではありえない。Massimoと僕はクラシックで多忙だし。

 

Q: QVLで未発表の音源、デモなどはありますか。いつか発売する予定はありますか。

Massimo: ないと思うよ。

Claudio: 他のメンバーは何か持ってるかもしれない。僕は何も持ってない。

 

Q: 1970年代のイタリア・プログレは山のようなすばらしいアルバムを輩出しました。お気に入りはどれですか。

Massimo: なんといっても、Banco del Mutuo Soccorso とPFM.

Don: PFM

Claudio: PFMのアルバムはいちばん印象的だな。 

 

Q: 当時を振り返ってどうですか。

Massimo: すばらしい経験だったよ。大好きだったし、もっとずっとやっていればよかったと思う。でも、35年経っても、アルバムを好きになってくれる人たちがいると知って、幸せになったよ。あと30歳若かったら、もう1枚アルバムを出していたかもしれない。僕たちの音楽を愛して、いまでも聞いてくれるファンの皆様にお礼を言いたいです。

Don: QVLは僕のクラシックヴァイオリン奏者のキャリアをがらっと変えてしまった。この長い年月ロック、ジャズ、中東音楽、インド古典音楽、ギリシャ音楽、ラテン音楽などあらゆる音楽を探求したよ。で、結局ルーツのクラシック音楽に戻り、交響曲、カルテットや室内楽に戻ったんだ。いまでもクラシックとロックは大好きだ。ここ14年は1週間に7回マウイのホテルで演奏してるよ。バッハからボサノバ、サンタナ、Coldplay, モーツァルトからMetallicaまで取り込んだすばらしいギタリストと演奏してるんだ。今でも自分の曲を書いて、録音してるよ。

最近のお気に入りは家で1,2人の前で演奏することなんだ。聞き手の魂に耳を傾けているんだ。で、ただ即興的に弾くこと。その1,2人のためだけに作曲すること。録音もせず、ただその瞬間のためだけの演奏だね。

Claudio: あの時代のノスタルジアはあるよ。自分たちの音楽は受け入れられて、なんだか美しい日々だった。若い日の情熱はすごかった。当時は沢山のバンドがいたけれど、有名になったのはほんのひとにぎりだけだったね。

 

"Back row: left Giorgio Giorgi, right Donald Lax. Row below from left to right: Massimo Roselli, Dino Cocco, Romualdo Coletta. 

 (c) Progarchives

1973年の写真です。Villa Doria Pamphili近くのローマ遺跡で撮影しました。古代の教会だったと思います。でもよく覚えていないよ。(Massimo) - 左からGiorgio Giorgi, 右がDonald Lax. 下段左から、Massimo Roselli, Dino Cocco, Romualdo Coletta.

 

Donald Lax official site: http://www.mauiviolin.com/

-Jim Russell/Andrea Parentin, August 2011

ジャンル:
音楽
キーワード
ジャム・セッション ブラームス ベートーヴェン ヨーロッパ イタリアのバンド ケミストリー ヴァイオリニスト モーツァルト ストラヴィンスキー ヴィヴァルディ
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3 Comments

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Unknown (とっしー)
2012-06-01 15:32:21
貴重なインタビューご紹介して下さり、ありがとうございます。「再結成はない!」と言い切るのも潔いですね。幻の幻としてずっと輝いてほしいです。ああ、オリジナル盤が欲しい。
Unknown (はっぴーまん)
2012-06-06 09:08:37
Donは今、ハワイですね。
http://www.mauiviolin.com/

http://www.youtube.com/all_comments?v=ViN-8WPM_lI
で、donvlax という名前でコメントしてるのも彼です。
DONさん (raba)
2012-06-08 17:12:12
DONさん素敵ですね。現役だし、演奏お聞きしたいです。
それにしてもすごい記事でした。

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