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トヨタカップから2002年への長き道のり(3/3)
トヨタカップを呼んだ男たち 第5回 長沼健

2004年12月10日

トヨタカップのパンフレットを見ながら当時を振り返る長沼氏
トヨタカップのパンフレットを見ながら当時を振り返る長沼氏【 photo by 宇都宮徹壱 】
●●トヨタカップの開催は、国際大会の開催における日本の運営能力の高さを広く世界に伝えることとなった。それは、紛れもない事実である。では、トヨタカップがあったからこそ、21年後のワールドカップが実現したのであろうか――今回のインタビュー取材を締めくくるにあたり、自ら2002年ワールドカップ招致活動に奔走した長沼氏に、そんな私の仮説をぶつけてみることにしたい●●


■意地と意地のぶつかり合い


――主幹・日本協会として、初めての大会で最も苦労されたのは、やはりチケットの売れ行きだったと思いますが?

「どうだったかなあ。確か売り出して20日くらいで売り切ったという話は聞いています。会場は埋まっているという感じでしたよ。まあ、それまでが惨憺たるものでしたから『ああ、入ったよなあ』という感覚でしたね。そういえば、ペレのサヨナラゲーム(※3)というのがあって、国立が満杯になったのは、あの時が初めてじゃないかな。そう、77年! あの年から協会が黒字になったんですよ。それでよく覚えています」

(※3)ペレのサヨナラゲーム:正式名称は「ペレ・サヨナラゲーム・イン・ジャパン」。当時、北米リーグのニューヨーク・コスモスの所属していたペレの現役引退記念試合として、77年9月に国立競技場で開催された

――そのペレのサヨナラゲームと、2年後のワールドユース。この二つのイベントを経験したからこそ、トヨタカップが開催できたと言えるのではないでしょうか

「それはありますね。より大きなイベント、より内容の濃いゲーム、そういった人間の欲望というものはありましたよね。ペレのゲームは、本当に本人がサービス精神旺盛な人でした。それからワールドユースでは、マラドーナが来たじゃないですか。決勝で当たったソ連は可哀想でしたよ。誰も応援してくれませんでしたから(笑)。そういったイベントを経験して、今度は世界一のクラブを決める大会。やはり、われわれの心を揺さぶりましたよね」

――長沼さんご自身は、ゲームをご覧になってどういう感想でしたか?

「やっぱりね、世界一を決める大会ということで、気持ちに固さが感じられましたね。自由奔放、華麗極まりないプレーというものは、あまりありませんでした。でも、それがまたチャンピオンシップを懸けた戦いなんだと思います。むしろ、一発勝負の良さというものが出たんじゃないですかね。アウエーでは引き分けろ、ホームで勝てばいい、というのが鉄則じゃないですか。だから、どうしても駆け引きになる。でも東京では最初から意地と意地のぶつかり合いで、一方で固さも見られる。と同時に、UEFA(欧州サッカー連盟)もCONMEBOL(南米サッカー連盟)も、一発勝負で負けたら恰好がつかないというのが幹部の顔にも表れていましたから、本当に緊張感がありましたね。それもまた、チャンピオンシップの重要なエッセンスだなと、われわれも勉強しましたね」

――そうした部分は当時も今も変わっていないですよね

「変わっていないですね。変わったのは、ポジションの呼び名くらいですよ」



■トヨタカップから2002年へ


ドイツを破って優勝を決め、表彰式でワールドカップを掲げるブラジル主将のカフー=横浜国際総合競技場 ドイツを破って優勝を決め、表彰式でワールドカップを掲げるブラジル主将のカフー=横浜国際総合競技場【 共同 】
――この大会が、その後4半世紀続いたことが、その後のワールドカップ開催につながっていったと思うのですが、いかがでしょう?

「それはありますよ。日本はあれだけの大会を、何の事故もなく20回以上も続けてきたということは、FIFAもUEFAもCONMEBOLも、よく知っていることですよね。確かに、スタジアムは屋根のないものでしたが、運営面、セキュリティ、トランスポーテーション(交通手段)、ホテル、それからけがをした場合の救急体制、そういったものについては、何ら心配ないということは理解してもらえたと思います。ワールドカップの招致活動でも、FIFAが最も注視していたのが、そういうことでしたから。

 スタジアムの屋根については大変だと思いましたが、それ以外のことであれば何ら心配はないとわれわれは思っていました。いずれにせよ、ワールドカップ招致のときも、大いに力を発揮したのがトヨタカップであり、Jリーグだったわけです。僕らも(招致活動のプロモーション)ビデオには、必ずそれを入れてあちこち行きましたけれど、みんな説明する前から知っていましたからね」

――この大会が、日本サッカーに与えた影響とは何でしょう?

「やはり世界を知って日本を思う――これが一番大事な要素と思うんですよ。根性、根性の精神至上主義だけでは、決して到達できないんですから。あそこに到達するまでに何が必要なのか、ということを協会はもちろん、指導者、選手たちが自分の問題として考える機会……そういうのは、やはり生きたものを見るしかないわけですよ。もちろん、映像というものは否定はしませんが、映像だけでは伝わらないものもある。留学することも大事だけど、皆が皆、4年に一度ワールドカップを現地で見られた時代でもなかった。一部のメディアの人たちと限られた指導者、そしてお金と時間に余裕があるサッカーファン、それ以外の人には考えられなかったわけです。それが毎年、日本で世界のトップレベルを見られるようになったことは、やはり大きな要素だったはずです」

――日本協会も、大会を通して変わりましたか?

「変わりましたよ。やっぱりインターナショナル感覚というんでしょうか。これは協会幹部だけではなく、役員、事務局の連中までもが身に付けますよね。欧州人の考え方、南米人の行動の仕方。それまでは、ほとんど知らなかったわけですよ」

――それは、ワールドユースのように一度きりの大会ではなく、継続したことによって得られたものだったわけですよね

「それは、川淵(三郎 日本サッカー協会会長)さんがよく言っている『継続は力なり』ですよ。これが一度限りのイベントだったら、昔話で終わりですよ。でも、この大会が25回も続いて、今度は世界クラブ選手権につながっていくわけですからね。その前代階を日本が果たしたということは、決して消えることのない記録であり、記憶なんだと思いますよ。だから、やっぱり継続することって大事ですよね」

――今年で最後、ということについては、いかがですか?

「いろいろな勇気を与えてくれましたよ、トヨタカップは。やればできる。一生懸命やれば、選手たちも喜んでくれる。じゃあ、また来年もやりましょう、ということになる。
 そういえば昨日の新聞に面白いことが書いてあったな。欧州と南米の対戦成績が12勝12敗、しかも最後の試合が12月12日。なるほど12づくしだ(笑)。最初は南米がずっと勝って、そのあと欧州の巻き返しがあって、今ではイーブン。だから今度のゲームが、本当のファイナルなんだよね」


●●インタビューを終えて:何しろ相手は、日本サッカー界の「生ける伝説」である。お会いするまでは、こちらもずい分と緊張していたのは、言うまでもない。だが実際にお話してみると、御年74歳とは思えぬはつらつさとサッカーへの深い愛情が言葉の端々から感じられて、実に気持ちのよいインタビュー取材となった。別れ際に「今年も会場にはいらっしゃるのですか」と尋ねると、「もちろん、今まで全部行っているからね」とのこと。25回目の真のファイナルが、今から楽しみで仕方がないといったご様子であった。
 そんなトヨタカップも、今年は直前になってもチケットがあまっているらしい。同じ時期に開催されるJリーグ・チャンピオンシップが、2戦とも瞬時に完売したことを考えると、何とも対照的である。確かに、対戦カードがいつになく地味、ということもあるかもしれない。だが、それ以上に感慨深いのが、「クラブ世界一決定戦」よりも、国内のチャンピオンシップの方が人気の面ではるかに上回ったという事実である。
 そう、わざわざ国外からチームを呼ばなくても、今の日本には素晴らしいプロ・リーグがあり、日常的に面白いゲームを堪能することができるのだ。この4半世紀で、トヨタカップを巡る状況も、そして日本サッカー界を巡る状況も、大きく変化した。それを最も強く感じているのは、インターコンチネンタルカップ日本開催を夢見て奔走した、黎明期の当事者たちではなかったか。
 今年12月12日、トヨタカップは、その歴史的役割を終えて閉幕する。今回の「FCポルト対オンセ・カルダス」という顔合わせは、多くのサッカーファンには「横浜F・マリノス対浦和レッズ」というカードと比べてシズル感がないのかもしれない。だが、4半世紀前に誕生したこの大会が、その後の日本サッカー界に与えたインパクトに思いを馳せながら、ラストマッチを堪能するのも悪くはないだろう。と同時に、このトヨタカップを呼んだ男たちに、ありったけのリスペクトを!●●


<了>


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